第5章 石炭ストーブ

文字数 2,400文字

5  石炭ストーブ

通学に使う路線バスの停留場は家から離れていて、冬は腰まで積もった雪をかき分けながら通った。長靴には雪が入って足の感覚が無くなる。教室に入って長靴と靴下、母親が編んでくれたミトンを石炭ストーブの周りに置いて乾かすのが日課だった。今となってはそんな事やっていられない。当時は雪の中を凍えながら歩いてゆくのも苦では無かった。学校が終わればすぐ雪合戦をして日が暮れるまで遊んでいたのだから、思い返せば子供というのは不思議な生き物だ。

 このように写真家は冬の様子に筆を費やしている。それには豪雪地帯に雪の少ない地域から来てまた戻ったこともあるだろう。相去を含む北上市は岩手県内陸都市では最も積雪が多いとされる。盛岡市は寒いが、雪は比較的少ない。また、一関市は南に位置するので、やはり少ない。地元では、北上市で北上川に合流する和賀川を通って秋田県から湿った寒気が流れてくるからだろうと言っている。

 積雪が増えてくるのは年を越してからである。特に2月が多い。この記述は3学期の様子と思われる。

 写真家の回想通り、児童の教室の暖房は石炭ストーブである。その他は職員室を始め石油ストーブだったと記憶している。

 石炭ストーブは、低学年はどうだったか覚えていないが、中学年以上は児童が取り扱っている。朝、当番がストーブから灰を取り出し、石炭を入れる。

 石炭は北側の昇降口の突き当たりの石炭保存庫にある。ここは冬以外閉鎖されている。この保存庫でブリキの石炭バケツに石炭を入れて教室まで運ぶ。

 石炭に火のついたマッチを近づけても着火しない。丸めて輪切りにし、灯油を染みこませた新聞紙を石炭の上に乗せ、それに火をつける。教職員用の昇降口の突き当たりに用務員室がある。太巻きはそこに置いてある。

 火がついても、石炭ストーブはすぐに暖かくならない。午前中の早い授業は寒さを我慢する。気温が上がってくる頃にストーブは調子よく燃え出す。

 ストーブは教室の真ん中に設置されている。その周りの児童の顔は真っ赤になるが、教室の隅の席では肩をゆすっている。休み時間になると、その児童はストーブにあたりにやって来る。一方、赤い顔の児童は教室の外に出て涼んでいる。

 ストーブの上に蒸発皿が置いてある。給食の前になると、希望者はそこに牛乳瓶を入れる。ホットミルクの方が飲みやすいし、贅沢な気分になれる。自分のものとわかるように、蓋を覆うビニールにマークを書いたり穴を開けたりなど印をつける児童もいる。しかし、時々、牛乳瓶が割れ、蒸発皿が真っ白になってしまう。そんな時ははずれくじを引いたような気分になる。

 石炭ストーブは表面が非常に暑くなる。ところが、囲う柵がないので、落ち着きのない男子児童が触れて、ジャンパーやズボンに穴を開けてしまうこともある。また、熱せられたストーブの上に雪を置いて蒸発する過程を楽しんだり、濡れた毛糸の手袋を一瞬触れてジュッという音にはしゃいだりする児童もいる。

 授業が終わり、放課後になると、石炭は白い灰になり、ストーブも冷たくなる。冬の相去小学校は、『枕草子』の「冬はつとめて」そのものだ。「冬はつとめて。 雪の降りたるはいふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭もて渡るもいとつきづきし。 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし」。

 冬の登下校や遊ぶ際につらいのが長靴に雪が入ることである。児童はあれこれ工夫している。最も単純な方法はズボンのでを長靴の外に出すことである。ズボンは濡れるが、雪は長靴の中に入りにくい。しかし、深い雪では効果が弱い。ズボンの上にオーバーウェアを履いてそれを長靴の上に被せると、比較的うまくいく。また、事務の袖カバーのようなものでズボンと長靴を覆う方法もある。もっともそんな装備のないことも気にせず雪の中に飛びこんで遊ぶこともしばしばだ。厚い生地のズボンを折りたたんで長宮にきっちりと入れると、雪は踵のところまで落ちてくることはあまりない。ただ、やはりズボンや靴下、長靴は濡れる。長靴から足を抜くと、固まった雪も飛び出してくる。家の玄関が雪だらけになってしまう。翌日の朝までに乾くように茶の間のストーブに履き口を向けて長靴を置くのがほとんど習慣である。

 放課後の雪合戦の他、雪ダルマを作ったり、ミニスキーやそりで滑ったりする遊びをしたものだ。ただ、冬は暗くなるのが早い。街頭も裏道にはろくにないので、4時を過ぎると、心細くなる。だから、外で道具を使って遊ぶのは週末や休日が多い。平日は友だちのうちに行き、ストーブやこたつのある部屋でマンガや雑誌を読んだり、トランプやボードゲームをしたりして過ごす。とは言え、暗い吹雪の中、梅図かずおの『漂流教室』を読んで帰るのは、いかに近所でも、怖いものだ。

 兄姉のいる友だちは好みが大人っぽい。そんな彼らの影響により感心の幅が広がっている。直接その兄姉から知識を教わることもある。第4次中東戦争と石油ショックの関係を中学生のお兄さんから聞かされて、中東に興味を覚え、平山健太郎解説委員の名前を知ることになる。

 七里ではどうだったかわからないけれども、相去では各地区で長期休暇の際に子ども会を催すのが常である。ある年の冬、小学校で何かスポーツをした後にカレーライスの食事会をしたことがある。トイレに行って家庭室に戻る時、窓に目をやると、真っ青な空に白い雪景色が広がっている。絵の具で塗りつぶしたようにムラなく青い空の下、積もった白い雪の表面でその粒がキラキラと光って見える。耳鳴りがするほど静かで、ひんやりとした空気の中、見とれてしまう。はれた冬の日の積雪を見ると、この光景を思い出す。しかし、雪の降らない冬はないと言うのに、あの感覚を味わったことはその日以来ない。
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