第3章 クヌギとカブトムシ

文字数 3,150文字

3 クヌギとカブトムシ
 Googleでその人物の名前を検索すると、写真家兼作家の横木安良夫が写真展の紹介記事をnoteにが投稿しているのを発見する。そこに写真家本人の次のような文章が引用されている。

​相去 -あいさり-
楽しいと思うことを只々できる子供時代。そんな時期を過ごしたのが岩手県にある相去町七里という場所だ。小学2年生までそこに住んでいた。路線バスで通った小学校は木造で当時創立100年。グラウンドに人文字で100という字を書き、飛行機で撮影していたのを覚えている。通学に使う路線バスの停留場は家から離れていて、冬は腰まで積もった雪をかき分けながら通った。長靴には雪が入って足の感覚が無くなる。教室に入って長靴と靴下、母親が編んでくれたミトンを石炭ストーブの周りに置いて乾かすのが日課だった。今となってはそんな事やっていられない。当時は雪の中を凍えながら歩いてゆくのも苦では無かった。学校が終わればすぐ雪合戦をして日が暮れるまで遊んでいたのだから、思い返せば子供というのは不思議な生き物だ。
夏はクヌギの木を蹴飛ばしカブトムシやクワガタを捕まえ、近所の用水池に入りゲンゴロウやタガメを採った。家の周りは未舗装で砕いた石が敷き詰められた道しかなく、自転車の補助輪を外す練習をした時は何回も転んで膝を血だらけにして泣いていた。当然ヘルメット等しない時代。子供の安全云々という今から見れば、昔の大人は随分と野蛮だったかもしれない。
父親は転勤族でどこへ行くにも家族と一緒だ。最初は東京の荒川に面した工場で働いていたが、私が生まれて暫くして北上川に面した相去に転勤となった。遊ぶことが仕事だった子供の私と違って、母は見渡す限り田畑しかなく雪に埋もれる不自由さに辟易していたようだ。それまで都会に住んでいたのだから当然だ。
小学3年になると東京へ戻る事になった。東京に移り住んでみると全く自由が無いことに気がついた。遊ぶ場所は公園しか無く、走り回れる山や飛び込める池は無い。土や雪も無い。カブトムシもゲンゴロウも居ない。何をするにもルールがあってお金が無いとどうしようもない世界が、じわりと窮屈に感じられた。
時は過ぎ、そんな生活に慣れきった私は相去を訪ねる事にした。山奥にもコンビニがある時代だ。少しくらい便利になっただろうという期待は外れ、廃墟となった商店が連なり、人を見かける事は殆どない。父が勤めていた工場だけが煙を吐き続けていた。至る所が舗装されて余計寂しさに拍車をかける。友達の行方は知れず、地元の人とすれ違ってもどう話しかけたら良いのか分からない。私の想いとは関係なく、過去の住処は薄れゆく思い出のように、ひっそりと土に還るのを待っているようだった。

 この人物が同じ時期に相去で子ども時代を過ごしていると確信したのは、「夏はクヌギの木を蹴飛ばしカブトムシやクワガタを捕まえ、近所の用水池に入りゲンゴロウやタガメを採った」を読んだ時である。当時の相去小学校の男子児童は、例外はいたと思うけれども、仲間でこの採集をやっている。

 クヌギは雑木林を形成するブナ科コナラ属の落葉高木で、樹液に昆虫が集まる。相去の少年たちは雑木林のクヌギの木でカブトムシやクワガタを捕ったものである。しかも、この雑木林が、遠出をしなくても、住宅の裏にいくつもある。友だち何人かで約束の場所で集合した後に、お目当てのクヌギの木に向かう。朝や夜は別にして、一人で行くことはない。それは抜け駆けで、裏切り行為だからだ。

 時々、捕まえた虫の優先権が問題になる。発見者と捕獲者が同一人物であるとは限らないからだ。一般的には、発見者に優先権があるが、捕まえた後に、先に自分が見つけていたと言い出す児童も出てくる。その場合は、民主的に、両者の言い分を聞いた第三者の友だちが裁定を下す。だから、3人以上で採集することが望ましい。

 雑木林には、さまざまな木が茂っている。そのあるものは、この雑木林にとって邪魔に思えることもある。しかしそれは、そこへ入る人間からの思惑で、やはり全体としての自然の調和があって、雑木林はあるのだろう。そうだから、さまざまな花が咲き、さまざまの虫が来る。
(森毅『雑木林の小道』)。

 雑木林の他、里山にも遊びに行く。そこではアケビやホオズキを探す。アケビは実が食べられ、ホオズキは笛にして吹くる。あただし、夢中になってウルシに触れないように注意する。「昔せし隠れ遊びになりなばや片隅もとに寄り伏せりつつ」(西行)。

 小川や堤、沼に行くと、網ですくえば、ゲンゴロウやタガメが簡単に捕れる。フナ釣りに行って、何も釣れない時は、しゃくなので、とりあえず、ゲンゴロウを捕って成果にすることもある。沼では、網を突っこむと、ザリガニが引っかかることがあり、ペットショップで売っているものがロハで手に入るのだから、問題のある外来種とは露知らず、こちらのほうが嬉しい。

 北上川では水切りをして遊ぶ。平たい小石をアンダースローで水面ギリギリに投げる。石は川の波に接すると、弾かれるように飛び跳ねて進んでいく。友だちとは何回ホップさせられるかを競い合う。コツは投げる時に頭がぶれないようにすることと指先で滑らせるように石を放ることである。頭が動くとコントロールが悪くなる。また、回転がきれいで回転数が多いほどホップしやすい。よくプロ野球の投手で指にマメができるが、それはボールを指先で引っ掛けているからだ。その投げ方よりも指の腹で滑らせるようにした方が回転数が多くきれいな球筋になる。

 昆虫採集に行く時は、ポケット版の生物図鑑を自転車のかごに入れて持って行く捕まえた生物が何であるかを図鑑で確かめる。珍しいものほど価値があるから、これは大切な作業だ。

 クヌギの実がドングリである。ドングリはスリングショット、いわゆるパチンコの弾として使う。パチンコは雑木林の樹木のY字型の枝を折って作る。ナイフで削り形を整える。血圧計チューブを適当な長さに切る。弾く際に弾をつかむ部分は合成皮革や塩ビの切れ端を利用する。それに穴パンチで2箇所穴を開け、チューブを通し、枝に結ぶ。これで完成である。このパチンコの標的は生き物ではない。自動車修理工場に放置されたスクラップだ。命中した時の音がいいからである。跳弾が別のところにぶつかり、音が連続すると、どんなもんだいと嬉しい。笹の茎で作る杉玉鉄砲も楽しいが、やはりパワーが違う。「篠ためて雀弓張る男の童額烏帽子のほしげなるかな」(西行)。

 川崎のぼるの『どんぐり大将』の主人公轟一番に自分を重ねて遊んだものだ。このマンガは『小学四年生』1975年4月号から1年間連載されている。彼は長野県と新潟県の県境の山奥深い村落に住み、自作のパチンコの名手である。その村はご成婚パレードの頃のまま時代の変化に取り残されている。テレビは村長の家にあるだけで、新聞は1日遅れが村の掲示板に貼られ、各家庭に囲炉裏があり、分校は全生徒が一つの教室で学ぶ。しかし、ダム建設が付近で始まり、村も変わっていく予感で物語は終わる。

 それは東北新幹線の建設に伴い、変化していく相去の風景とも重なって見える。雑木林は姿を消し、予定地に家があった友だちは引っ越していく。また、小川や堤も護岸がコンクリートで固められ、沼も埋め立てられる。水が流れたり、溜まったりしても、そこには捕まえたい生き物がいない。昆虫採集に出かけることもなくなっていく。

 創立100周年を迎えた小学2年生まで相去で過ごしたと写真家は回想している。それはまさに相去の風景が変わる直前の時期だ。その記憶はおそらく生きられたタイムカプセルとして消え去った風景を保存している。
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