第7話 正立桂馬のアルバイト 

文字数 2,448文字

 努力が嫌いになったんじゃなくて、努力が実らないことが苦しくなった。
 陸上から離れてから、僕はアルバイトに打ち込み始めた。お金も貯まるし、少しでも自分の気を紛らわせるために。
 偶然、親の知り合いで本屋さんをやってる人が居たので、そこでアルバイトをさせてもらうことになった。
 結構大きめのチェーン店で、仕事内容は多岐にわたる。覚えることも多かったけど、今はちゃんと戦力になってるはずだ。
 
「正立君、ちょっとこの本片付けてきて」
「はい」

 返品用の書籍をコンテナに入れる作業。台車にたくさん積んだ本を裏に持ち込み、出版社別に分けていく。
 レジ打ちやお客さんの探している本の検索とかしていると、自然と本の種類を知ることができた。
 今思えば、僕は東風谷と話題を作るために本屋で働いている節がある。
 かといって、社割で3割引の本を買うとしても、たいていは漫画だ。知識が付いてるかどうか定かではない。
 
「今週の日曜日って空いてる?」

 店長が僕に話しかけてきた。どうやら人手が足りないらしい。

「いえ、予定が入ってます。すいません……」
「そっか、それなら仕方ないね」

 学生バイトは基本的に土日に入るのが仕事だけど。僕には僕なりにプライベートがあるのだから。
 残念そうな店長に申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、東風谷との約束を守りたかった。
 
 本にビニールを被せるシュリンクの作業をこなしてから、僕は本棚の本が綺麗に整頓されているかをチェックする。
 お客さんが片付け忘れて本を雑に入れていたり、子供が沢山広げちゃってごちゃごちゃしてたり。それを綺麗に直すのが僕の仕事だ。他にも、破けてしまったものを省いていく。
 景観が損なわれるので、レジ打ちや裏方の仕事の間に、ちょっとした休憩も兼ねてあたりを歩く。色々な本の表紙を見ることで、なにが売れてるかとか、気になる新刊とか探せるので楽だ。
 
「これって、日曜日に見に行く映画のやつか」

 書店のおすすめに東風谷が勧めてくれた、新鋭の作家:西行寺望の『さとりさとられ、嘘の文学』が積み重ねられていた。年上のバイトの先輩は絵が上手く、とても綺麗なポップを飾っている。
 それ曰く、『心が読める少女が人並みに恋をし、周りに合わせるために嘘を見逃すヒューマンドラマ』と書かれていた。
 内容がいまいち思い浮かばなくて、どんな話なのかよく分からなかった。
 けれど、予習のためにも読んでおいて損はないかな。だから、仕事終わりに買うことにした。閉店時間まで待たないと、社割が効かないので今日はちょうど良かった。
 
「また散らかして……」

 子供向けの本が置いているフロアに行く。
 小学生向けのライトノベルや、学習帳、ドリル、図鑑や絵本。他にも教育に使えるパズルや音がなる本とか。店舗が広い分、結構揃っている方だと思った。
 しかし、子供だから本を雑に扱ってしまう。床に本を置いて読むちびっこもいるし、おもちゃを片付けずに放置することも。クソめんどくさいのだが、僕も子供の頃とかどうしてたんだろうなって常々思う。
 パズルを片付ける時は、キチンと元に戻すために頭を捻ったりする。上手くブロックが挟まらなくて、元の形に出来なくていらっとすることもあった。知恵の輪に関してはまず元に戻せない。頭のいい東風谷だったら、簡単に出来るのだろうか。
 図鑑が積まれている箇所が崩れていたので元に戻す。小さい頃に動物図鑑を買ってもらったことがあったな。そこで何かしら興味が湧いて、その筋でなりたい仕事にするとか。そんなことは特になかった。僕はなにになりたいんだろう?
 
「魚図鑑か。ちょっと見てみようか」

 多少、道草を食ってもばれないし。ほんの少しだけ、読んでみることにした。
 子供時代を思い出しながら、ひらがなだらけの図鑑をめくっていく。大きな写真と、丁寧に書かれた解説を読む。
 大人向けの図鑑よりは読みやすく、むしろ興味を持つ分にはこういう簡単な本のほうが良い気がした。

「シュモクザメってかっこいいなぁ」

 ちょうど頭がT字になっている珍しいサメ。ハンマーヘッドシャークという名前がよく似合う。
 他にもスイミーみたいに巨大な魚群で海を徘徊する魚とか、幻想的で一度は生で見てみたい。
 
「マグロって、ずっと泳いでないと酸欠で死ぬのか」

 その中で一番気になったのは、マグロについての解説だ。
 体の設計上、ずっと泳いでないと酸素をエラで取り入れられないらしく。死ぬまで泳ぎ続けるしかない。
 なので、閉鎖空間の中では養殖が難しい。壁にぶつかった瞬間、動きを止めて死ぬかもしれないし。
 それをクリアしたのが、ある大学らしいけど。原理については書かれてなかった。
 
「泳ぎっぱなしって、辛くないのかね」

 どうやら、マグロは眠ることはないらしい。速度を落として代謝を抑えることで、体を休めるって。
 睡眠が欠かせない人間じゃ到底出来ないことだ。
 しかし、マグロはなんでずっと泳がなければならないのだろう。神様は意地悪だと思う。
 止まったら死んじゃう。止まるんじゃねえぞと生存本能が、抗いようのない宿命を背負う。辛い生き方だ。
 
「僕は人間でよかったんだなぁ……」

 人間はいくらでも休むことが出来るし、自分の生き方を探すことだって出来る。
 けれど、それは点と点を線で結ぶことが出来るのであって。ある程度、自分で人生のターニングポイントを定めなければならない。スタートとゴールが必要なんだ。

「自分はもう、陸上やる気ないしな。関係ない」

 あの時のように、がむしゃらに走っていた自分はもういない。
 別の目的をちゃんと作って、だらけながら生きているわけでもないからいいじゃん。
 でも、ずっと走らなかったら死んでしまうような生き方も世の中にはあるのかもしれない。
 それこそ、猪突猛進のように。
 
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