第19話 正立桂馬と確率 

文字数 3,284文字

 適当な返事で返されたと見るのか、それとも恥ずかしがっていたのか。僕にとってそれは定かではない。
 でも、東風谷はイエスと答えてくれた。今は信じるしかない。というか、信じたい。
 普段どおりにぼんやりとしながら、僕と会話に勤しむ東風谷。今は恋愛感情で東風谷を見てしまうので、胸の高鳴りが止まらなかった。
 
「1+1=2を証明するには、A4ノート一冊でも足りないんだって。不思議だよね」
「僕は文系だから、その辺りは分かんないかな。東風谷も文系じゃなかったの?」
「ただの豆知識だよ。それ以上のことは知らない。でも、いいじゃん。面白いんだから」

 次の授業でやる、数学Aの教科書をパラパラとめくりながら、東風谷は数式をじっと見つめていた。
 
「確率って、賭け事でもよく見かけるよね。あれって、絶対に胴元が得するように作られてるの。
 宝くじって江戸時代から続いていて、昔は富くじって呼ばれてた。第二次世界大戦の時の日本も、資金繰りに富くじを使ってたくらいに確実に儲かったらしいよ。
 そう考えると、日本人って賭け事にハマりやすいんだなって。数学って案外身近なものなんだよ」
「運命の選択も確率である程度わかっちゃえば、もっとスムーズにいくなって思うことはあるよ」
「くじ引きで執政官を選んでた歴史もあるくらいだからね。運否天賦で戦略を任せることもあったし。人間は昔からギャンブラーなんだと思う。ギャンブラーだからこそ、勘を頼りにした確率に任せて行動するほうが合理的なのかもしれない。多分、それは勇気って言うんだと私は思ってるなぁ」

 それはちょっとかっこいいなって思う。ギャンブラーか。賽は投げられたと、ルビコン川を渡ったカエサルも同じくギャンブラーなんだろう。ローマと敵対することを選んだカエサルの度胸ってすごい。
 これって、もしかして東風谷が僕に対して言ったことなのかな。告白のこと、ってことなのだろうか。あれも、言ってしまえば賭け事の一種なんだと思う。なけなしの勇気を出したんだし。
 
「そろそろ授業が始まるから戻ったほうが良いよ。また後で話そうよ」
「放課後、一緒に帰ろう。いいだろ?」
「うん、大丈夫。一緒に帰ろう」

 告白をちゃんと聞いてくれたか、彼氏だと思ってくれているのか。それを聞けるほど僕には度胸がなかった。
 普段どおり、そう、普段どおり。これといって関係が変わっているかは分からなくて、僕だけがドギマギしている。
 自分に自信がない。情けなさが心に染みてしまう。
 

 □   □   □
 
 借りた本を返すために、東風谷は図書館へと向かっていった。
 それまで少しだけ時間があるので、なんとなくグラウンドへと足を運ぶ。
 サッカー、野球、アメフト。この学校は運動部が強くて有名だった。
 その中には陸上部の連中が40人くらいいる。さすが強豪校と言うべきだろうか。
 
「やっぱ、あいつ速いな」

 ストレッチも兼ねてなのか、軽く短距離を走るヘレナ。
 スポーティーに引き締まった筋肉質の体は、まるでチーターのようにグラウンドを駆ける。
 短髪の赤毛が風でなびき、砂埃を上げながら綺麗なフォームで走り去る。とても美しい、理想な走り方。
 今までちゃんと見てなかったから、改めて思う。やっぱり、ヘレナは天才なんだと。
 
「どうやって、断ればいいんだろう……」

 あいつに告白されてから、数日が経った。
 それ以来、ヘレナの熱烈な勧誘はなくなり、お互いなにも話さなくなってしまった。
 ギスギスしてしまったというか、距離感がつかめなくてもじもじしてしまう。
 
「昔の先輩後輩に戻れたら、楽なのかもな」

 単純にそう事が運ぶわけもなく。告白までされてしまえば、昔の関係に戻るのは難しすぎる。
 壊れてしまったと言えばいいのだろうか。いや、ヘレナには間違いは決して無い。むしろ、度胸があると思う。
 でも、僕は東風谷と付き合ってるのだから、ちゃんと断らないとしこりが残っちゃう。
 
「どうやって切り出すべきか……まだ、心の準備が出来てない。そうやって、僕は先延ばしにして……うぐぐ!」
「正立くんどうしたの? なにか悩み事?」
「え!? いや、なんでもない!」

 唐突に後ろから現れた東風谷にびっくりしてしまう。タイミングが悪くて不必要にドキッとしてしまった。
 東風谷はそんな僕にも目にくれず、グラウンドを眺めていた。
 
「あの子、正立くんの後輩のヘレナちゃんじゃないの? 見ない間にすごく美人になっちゃってるね」
「あ、ああ。そうだな」
「しかも、全国レベルの短距離選手なんでしょ? 羨ましいな~」

 普通、東風谷みたいにヘレナのことを羨むのかもしれない。
 だれだって、あの溢れ出る才能と美貌を見れば目を奪われるのも仕方がない。
 
「もしかして正立くん、あの子に見惚れちゃってた?」
「いやいや! そんなことはないって!」
「本当かな~でも、分からなくないよ。正直にいっちゃいなよ」
「だから、そんなんじゃないって……意地悪するなよ」

 正直に言えば見惚れちゃってたけど、そんなこと口に出して言えるわけ無いじゃん。彼女の前で。
 
「ほんと綺麗な子だよね。私じゃ勝てっこないな」
「東風谷は東風谷の魅力があるから気にしなくていいよ」
「お世辞でもありがたく受け取っておくよ」
「いや、そんなんじゃないってば!」
「はいはい。正立くんもそんな事が言えるようになるなんて、私ちょっと感動しちゃった」

 へらへらと笑いながら、校門へと向かう。その後を急ぎ足で着いていった。
 でも、さっき少しだけヘレナと視線があった気がする……気のせいか。
 
「あのさ、東風谷。ちょっといいかな?」
「ん? なーに?」

 試してみたかった。そう、単純に恋人であるかどうかを。
 僕は東風谷の左手を握り、恥ずかしさを押し殺して頼んでみた。
 ちょっとした賭けに出たと。東風谷なら多分、受けてくれると思うけれど。嫌がられやしないかと不安になる。
 
「その、一緒に手をつなぎながら歩いてみてもいいかな?」
「……別にいいけど、誰かに噂されちゃうよ?」
「いいよ、別に。これくらい、どうってことないって」
「まあ、正立くんがそう言うならいいけどさー」

 東風谷の手のひらをぎゅっと握る。恋人つなぎってここまでドキドキするものなのか。
 なんだか、手が暖かくなってしまう。この熱が東風谷にも伝わってると思うと、さらに鼓動が激しくなった。
 
「私、小さい頃にお兄ちゃんによく手をつないで歩いてたなって。まあ、今もお兄ちゃんはやりたがるんだけどね。もちろん断ってるけどさ。
「ほんと、東風谷の兄貴ってシスコンなんだな」
「うん、超絶シスコンで鬱陶しいこともあるよ」

 ゆっくりとアーケードを歩いていく。誰かに見られていないかと心配になってしまう小心者の僕。
 学生服に身を包みながら、一緒に歩くという青春の1ページは純粋に甘酸っぱい気がした。
 
「ねえ、知ってる? ラッコって手をつなぐんだって」
「へぇ。なんでだろう?」
「一緒に流されないようにつなぐらしいよ。うん、そうやって助け合うっていいよね」
「ラッコ可愛いよなぁ。でも、あんだけ緩い生活してると、簡単に食べられちゃいそうだけど」
「そうなんだよ、ラッコって魚捕まえられるほど泳ぎが上手いわけじゃないから、貝しか食べられないんだって」
「世知辛いなぁ……」

 今、一緒に手を繋いでるのは、どういう理由があるのだろうか。
 僕にとっては彼氏彼女を味わいたいから。東風谷はどんな気持ちでいるのだろうか?
 少なくとも、平常心なのか東風谷からは恥ずかしさみたいなものを感じない。
 ただ、一緒に手を繋いでるだけだと思っているのだろうか?
 恋愛感情ではなく、まるで子供が離れないように手を握る母親みたいな。僕は単に東風谷が自分の手元から離れるのが怖いだけなのかもしれないな。
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