第八章 魔女たちの戦い②

文字数 6,844文字

 トリクシーが来てくれて、オルト婆の声がして、我が家の匂いがしてくる……ミリアムは嬉しさと安心感に包まれて、ロバの背でもいいからそのまま眠ってしまいたかった。
 でも、オルト婆たちはそうさせてくれない。
 ミリアムは家につくと、ロバから降ろされて長椅子に寝かされ、まどろみかけていたところにオルト婆に頬を軽くはたかれながら上半身を起こされ、
「ほれ。がんばってこれをお飲み」
 と、口にお椀でどろっとした飲み物を無理やり流し込まれた。
 オルト婆の薬特有の強い青臭さと苦味で体中に悪寒がはしる。数秒間ぶるぶると全身が震えたあと、ずっしりとのしかかっていただるさや痛みが煙のように抜けて、ぱっちりと目があいた。体はまだ少し重いが、会いたかった二人の顔が目の前にある。
 ミリアムは目の前の皺だらけの魔導士に抱きついた。骨ばった温かい手で頭を撫でてくれる。涙があふれてきた。
「お帰り、かわいいお転婆」
 オルト婆が頭を撫でながらやさしく語りかけてくれた。
「ゆっくり寝かせてやりたいが、なにがあったのか教えておくれ。山の奥から得体のしれない力を感じる。私も震えがとまらんのだよ」
 ミリアムは泣きながら今までのことを話した。
 シエラだと思っていた花嫁がファニだったこと。地下に人間とは異なる種族が住んでいて、カイエン人と呼ばれるその種族とロスアクアス家が取引をしていること。魔導士ブランボも彼らの仲間になっていること。カイエン人の崇める異形の神イハラゴ。自分たちがその神への生贄にされそうになって、カウロとファニとで逃げてきたこと。ファニとカウロのおかしな死に方。そして、司祭の部屋で会ったガナンの中にいた女の人と託された二つの魔石──
 ミリアムは懐からその赤と白の魔石を出した。
 オルト婆は両手で魔石を掴むと、まずは右手の白い魔石を見つめ、念を込めた。
 石から出た魔紋がくるくると螺旋を描いて踊り、また石に帰っていった。
 次に左の赤い魔石に念を込める。
 一気に部屋いっぱいに大きな魔方陣が広がった。ミリアム達も巻き込んで、複雑な紋様が連鎖的に上下に何層も展開し、梁を越え屋根からもはみ出しそうになる。オルト婆は目を丸くして魔方陣の動きを追っていた。ミリアムとトリクシーは動けずにいた。周囲で動いている紋に触れると、なんらかの魔法が発動してしまいそうな気がするのだ。オルト婆は白い魔石をスカートのポケットに入れると右手を赤い魔石にかぶせて魔方陣をたたみ、石に収める。
 オルト婆は魔石を握ったままいそいそと奥の部屋に引っ込んだ。
 残った二人はやっと安堵の息をついた。
「今のなんなの」
「中身のことは聞いてないから。おばあちゃんわかるのかな」
「そうだ。ミリィ、私の作った薬も飲んでみる? おばあさんに筋力の増幅する薬草とか教えてもらってさ。混ぜ合わせてみたんだ」
「い、今はいいよ。もっと元気になってからなめてみる……」
 オルト婆はくしゃみを連発しながら戻ってきた。脇に服や小箱などを携えてよたよたと。
 その荷物の中から、オルト婆はミリアムに着替えと手のひらほどの小袋を渡した。柔らかい布でできた小袋には魔紋の刺繍が差してあって、中にはあの赤い魔石が入っていた。
「白いほうは?」
「私が持っている」
 オルト婆はスカートのポケットから白い魔石をちらりとみせた。
「魔石にはなにがはいっているの?」トリクシーが尋ねた。
「見た通りだよ。特別な魔法がこめられている。特に赤い方の精製魔法……並みの魔導士が操れるものではない。詳しくはもっと見ないとわからないが、これがもしピサロたちの夢見ていた血晶岩塩を作るものなら、これが外に出たならロスアクアス家は大きな財源を失うことになる。取り戻そうとするだろう」
 オルト婆は遠くの方に視線を移した。ロスアクアス家の鉱山のある方角だ。
「鉱山の奥から魔法を伴ってなにかが来る。湧き上がってくるみたいにだ。そいつらがミリィが会ったという“人ではない種族”で、ガナンの女の言葉を信じるならば、この石を追ってきているのだろう。赤い石をその袋から決して出すんじゃない。その袋は石の微弱な魔力を隠すから、魔法を探知して追ってくる者を撒けるはずだ。そいつを持って、お前はレングの所へ行きなさい。これの後をついていけば、奴の根城に案内してくれる。絶対使うまいと思っていたが……」
 オルト婆はくしゃみをしながら埃だらけの小箱を開けると、青い蝶の入った鈍い金色の籠を取り出した。
「なんで使わないの?」と、トリクシー。
「あいつの家なんて()汚いに決まっているんだ。行ったら家政婦になっちまう」
「でもミリィには行けって?」
「腕は確かで、目立たない所に隠れ家があるのは間違いない。それとも、あんたの会社でかくまってもらえるかい」
 トリクシーは肩をすくめた。
「いろんな人材がそろっているからなぁ。元盗賊とか。渡さない保障はできないかも」
 ミリィは迷った。先生はそこにはいないはずだ。鳥の女王に捕らえられている。返してほしければ山の封印を解けと言われて、鉱山の奥までは行ったけれど、封印どころじゃなくなって途中で帰ってきてしまった。
 でも、オルト婆の話を聞いていると、そのがんばりは、少し報われたんじゃないだろうか。
 ミリアムは恐る恐るオルト婆に尋ねた。
「おばあちゃん。おばあちゃんが山のことが分かるようになったのは、山の封印が解けたから?」
「そう言えるかもしれない。今まで山にかけられていた分厚い幕が吹っ飛んだみたいに探知魔法がよく通るから。うんと奥の方はやっぱり分からないが、それでも、今までとは段違いだよ」
「ということは……私は約盟を守ったんだ。きっとそうだ」
 ミリアムの目からまたぽろぽろと涙がこぼれてきた。
「一体どうしたんだね」
 ミリアムは胸にしまいこんでいた鳥の女王と約盟のことを話した。
 オルト婆はもう一度ミリアムを抱きしめた。
「何かあるとは思っていたが、そんなことがあったなんてね」
「だから蝶の後をついていっても、先生はいないかもしれないよ」
「いんや、あいつの仲間がいる。そいつの方が頼りになるかもしれん」
「頼りになるってことは、強いってこと?」
 トリクシーが身を乗り出す。
「まあそうだが、その分散らかし具合は三倍だ」
「おばあちゃんは一緒に行かないの?」
「私はもう一個を持ってよそへ行く。つてがある。さっき言った通り、あいつの家はごめんだよ。二人いっぺんに捕まるなんてまぬけも嫌だしね」
「捕まること前提?」
 トリクシーがつっこむと、オルト婆はさっきのトリクシーそっくりに肩をすくめてみせた。
「ご冗談を、お嬢さん。やつらをかき回して無駄足をいっぱい踏ませてやるのが面白いのさ。さあ、ミリィ。早く支度して。新しい鞄をロバに積もう。トリクシーもついていってくれると嬉しいね。ロバはもう一頭いるよ」
「いいよ。その強そうな仲間にも会ってみたいから」
「行かない!」ミリアムは叫んだ。「一人では行かない。つてがあるなんてうそだ。おばあちゃんはここに残る気でしょう。いつもぶつぶつ言いながら、村の為に魔法を使っていたじゃない。先生もいなくて、おばあちゃんもいなくなったら、私は独りになる!」
 オルト婆は呵々と笑った。
「そう簡単に独りになるもんかね。トリクシーもロメオもいるじゃないか。それに、言い方が悪かったな、つい格好つけちまったから。簡単にいえば、助けを呼んできてくれって言ってるのさ」
「助けを呼ぶの? だったら一緒に行こうよ」
 オルトは首を横に振って話を続けた。
「つては本当だ。エルテペの魔導団に知り合いがいる。でも何にもせずに『お助けを。手も足も出ません』ってすがるのかい? この魔導士オルトが? 名魔導士のくせに? いやいや、そんなへなちょこ魔導士はオルトじゃない」
 口をへの字に曲げていつものオルト節をきかせる。
「それに、心配事が一つある。エルテペの魔導団が地下の奴らと手を組むことだ。ロスアクアスのようにね。オルエンデスで事を起こしたら、州都エルテペとの衝突は避けられない……が、血晶岩塩は優秀な魔法の触媒として魔導士ならだれでも欲しがる貴重な素材だ。これの専売を条件に出されたら、義理堅い魔導団の連中もあっち側に傾きかねない。もし魔導団に二人で逃げ込んでいる際に手を組まれたら、石は取られ、ロスアクアスには差し出されと最悪なことに。二人で逃げたとして、ロスアクアスや地下連中に加え、魔導団にも追われることになればこれも最悪。だから、ミリィはレングの所へ行って石を隠し、助けを呼んでくる。あいつはいなくてもあいつの相棒はいる。味方は多ければ多いほどいい。私はぎりぎりまでここの様子をうかがい、できれば地下連中がエルテペと接触するのを邪魔する。こっちにも精製魔法があって、強い味方もいるとなれば、エルテペも簡単にあちら側へはなびかない。この田舎魔導士の話も真剣に聞いてくれる……それにね」
「わかった。わかったから、おばあちゃん」
 ミリアムはやっと、切れ目ないオルト婆の喋りを止めることができた。
「必ず先生か先生の仲間を連れてくるから、無理しないで待っていて」
「ききわけてくれてありがと。さあ、早く着替えなさい。痣を診てやる時間がなくてすまない。あいつの所ならそれも治せるかもしれない」
 ミリアムは自分の左腕の黒い痣が左半身まで広がっていることに気がついた。寝室の鏡を見ると、下は膝裏、上は耳から頬の横あたりまで這ってきている。渡された着替えは、丈がひざ下まである上着と薄地のズボンと耳あて付の帽子。これで大体は隠すことができた。
 それと──ミリアムは武器を探した。薬のおかげで痛みや疲労感はほとんど消えたが、力は入らないというか、ふわふわした感じがする。そんな状態で武器を扱える自信はないが、道中なにがあるか分からない。もらった剣はガナンの所に置いてきてしまったし、ククルトはまだ起きてくれない。青い蝶の籠そっくりな色の封印の中で眠ったままなのだ。ミリアムは、庭の納屋から予備の投石紐、草払いや枝切に使う山刀をとった。
 村の方では煙が何筋か上がり、村の門の内側では右往左往する何人かがいた。オルト婆の結界があるので、門を通れないのだ。かすかに風にのる騒然とする声。ただならぬ魔法の気配は、地下の汚水の穴の匂いに似ている。
 ミリアムは急いでオルト婆のところへ戻った。ドアの外では、すでに二頭のロバに荷物の入った鞄がくくられ、トリクシーが手綱を掴んで待っていた。鞄を開けると、新しい魔石燈やポンチョ、パンやヤギ皮製の水筒などが入っていた。
 そして、オルト婆から蝶の入った籠を渡された。
「風の魔方陣は覚えているね。その魔方陣を蝶に乗せるんだ」
 ミリアムが魔方陣を思い浮かべて蝶に乗せると、蝶がぱたぱたと羽を動かし始めた。青白い鱗粉が星のように散る。蓋を開けるとひらりと舞い上がり、ふらふらと飛んで、夜空にぼんやりと光の筋をつけた。
「さあ、行っといで。蝶を見失わないようにね」
「おばちゃんも気をつけて。無理しないで」
「はいはい。いってらっしゃいよっ」
 オルト婆が二頭のロバの尻をパンっと叩いた。二人の乗ったロバは跳ねるように走り出した。
 小石だらけの坂を下り、村へ続く山道を横切り、蝶は道脇の崖っぷちから遠くの山稜目指してまっすぐ飛んでいくので、ミリアム達は斜面の緩やかなところを探して遠回りする羽目になった。岩の合間に草木が生える谷底を、夜空の雲の流れに逆らうように飛ぶ青い光を見上げながら駆ける。
 その速度は次第に遅くなっていった。ロバの足が遅くなっていくのだ。鼻をぶるぶる振るわせて時々振り返り、後ろを気にする素振りをする。
「疲れたのかな。降りようか」
 ミリアム達が降りると、ロバたちは後ろを向いて鼻息荒く足踏みをした。
「おばあちゃんが気になっているんだ。この子たち、おばあちゃんの魔法生物(ゴルディロックス)だから」
 ミリアムはロバから鞄を外し自分にかけた。
「トリクシー、この子たちを帰していいかな?」
「私たちには丈夫で速い美脚があるもんね。蝶もそんなに早くはないし」
 トリクシーも鞄を背負った。
「双子たち、おばあちゃんをお願い」
 ミリアムがロバの尻を叩くと、二頭はヒンッと軽く鳴いて元来た道を駆けて行った。
「まかせとけって言ったのか、さよならって言ったのか……」
 トリクシーがぶつぶつ言う間にミリアムは魔石燈に明かりを点した。オルエンデスの空にしては珍しく雲が集まり始め、星明りすら断たれ気味だ。
 雲陰の下に離れて小さくなった燐光を目に停め、二人は小走りで進み始めた。
 遠くの峰に大きな丸い影がちらちらと動く。ミリアムはオルト婆の言葉を思い出して足を速めた。
 魔法の気配は別の魔法がかったものを呼び寄せることがあるから、魔導士はそのあたりをよく管理しないとな──



 オルトは娘二人の後ろ姿が見えなくなると、村の門へと杖をつきつつ歩いていった。
 門の内側で、村人十数人が茫然としていた。門を中心に触ると水面のように揺れる壁がたっていて、行く手を阻まれているのだ。
 オルトは老若男女の泣き出しそうな顔が並ぶ門に近づいて言った。
「おや皆さん。こんな夜更けにお出かけですかね」
 村人はそれぞれ喋り始めた。
「これは魔法の結界だな。あんたの仕業か」
「早く解いてくれ。頼む」
「夜が更けたら魔物が近づかないようにしろと言われているんだが、何かあったのかい」
「後ろを見れば分かるだろう」
 オルトはしょぼくれた目をしかめて人々の背後の闇を見渡すと、ロスアクアスの屋敷や村のある方から煙と細い木の枝が何本も空にのびているようだ。
「なにか騒ぎになっているようだが。私は何もしていないよ」
「突然地面から赤い実をつけた木が生えてきて、家を壊された奴もいる。それをロスアクアス家の指示で焼いているんだ」
「ロスアクアスの指示じゃないよ。鉱山から出てきた変なやつらの指図だよ。村仲間の班に分かれて何か探させられながら、あれを焼いて回っているんだ」
「そいつらは鉱山からどんどん湧いて出ている。村人に魔法をかけているんだ。魔法をかけられた奴はそいつらとそっくりな顔になって仲間になるんだ」
「あんたたちは魔法をかけられていないのかい? なんで平気なんだ?」
「魔法をかけられる前に逃げてきたんだよ。いくらロスアクアスの頼みだって山の妖怪みたいなやつらとは居たくないよ」
 そう答えたのは、以前オルトの小屋に手紙を持ってきた中年の女。
「俺たちに魔法は効かなかった。隙をみて班を抜けてきたんだ。あんたに助けられたのかもしれない」
 そう答えたのはドルトとテオ。相槌をうっているのは、二人のようにかつて憑き人としてオルトが診てやった鉱夫だ。
「奴らはもう俺たちには構わず、木を焼き赤い実を集めている。もうすぐここまで来るぞ」
 オルトは話を聞きながら彼らの目の奥をじっと覗いていた。魔法にかかっている様子も嘘を言っているようにも見えない。そして思う──あの子たちはもう遠くまで行っただろうか。時間稼ぎの結界だから、ほっといてもだんだん消えていくものなんだが──
 オルトは意を決して、懐から魔方陣の封を押された封書を取り出した。
「これを、誰かエルテペのポーロ上級薬局に届けてくれるなら、すぐ出してやるが」
「俺が届けよう」テオが手をあげた。
 オルトは袖の中で簡易的な魔方陣の意味である印を結び、呟く。ウルム・アル・タトゥ。
 結界が消え去ると、人々は急いでかき集めた手荷物を抱えて、オルトの脇を通り過ぎていった。
 テオだけがオルトの前で立ち止まり手紙を受け取った。
「なにが書いているんだ? 俺たちを売ったりしないだろうな」
「それは開封を禁ずる紋だ。ただ渡せば、行く当てのないあんた達にしばらく過ごせる場所や仕事を紹介してくれるよ」
「ありがたい。必ず届ける」
 村人がいなくなっても、オルトは門の下に立ち尽くしていた。天を目指す枝は、煙に追われ村の外へどんどん広がっている。
 ざくざくと砂利を踏みしめる獣の足音が聞こえてきた。オルトが杖の魔石を光らせ、背後の暗がりを照らすと、崖下から、二頭のロバが上ってきた。
「これ! 帰って来いなんて誰が言った。あの子たちをちゃんと送ったのかい」
 二頭はうなだれながらも、頭をオルトに摺り寄せてきた。
 オルトはため息をついて、スカートのポケットから白い魔石を取り出した。
「おっと。あんたたちにこれをあげちゃだめだね」
 またポケットに手を突っ込んで、丸い団子を出して二つに割り、二頭に食べさせる。
 二頭の頭から一本角が生え、前足の三本指の爪が鋭くとがっていく。
 白い魔石の方は、オルトが地面にポトンと落とした。
「これは私へのご褒美だ。お望みの本物の魔導士が来てやったんだから。報酬はなんだろうね」
 魔石が輝き、地面に魔方陣の影を映し、オルトを囲んで展開させていく。


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