ミリアムのソロ村➁

文字数 5,796文字

 一度に二体の妖物に出会ったことを早くオルト婆に知らせたかったが、預かった毛長ヤギを返さなければならない。
 ミリアムは見晴らしのいい石だらけの山道に沿って、自分の住んでいるソル村に向かった。
 ソル村の入り口には魔よけの模様が彫られた石の門があったが、ミリアムはそれを通らず、道をそれてしばらく下ると、村からは見えない崖の陰に十人ほど若者がたむろっていた。
 全員ミリアムより年上で、周りより少し身なりの良い男女一組を中心ににぎやかに談笑していた。
 ミリアムは百匹のメエメエなくヤギを連れていたが、誰もそちらの方を向こうとしなかった。若者たちはミリアムを無視しておしゃべりしていたが、ミリアムは若者の輪の中で一番外側にいた青年の近くに寄って、青年をにらみながら黙って立っていた。
 ミリアムの視線に耐え切れなくなって、青年はミリアムの方を向いた。
「まだ日は高いぞ。なんで帰ってきたんだ」
「千疋皮が出たんです。他の妖怪も出たから、おばあちゃんに知らせないと。これが証拠です」
 ミリアムは持ってきた千疋皮の干からびた蹄付きの触手を放り投げた。
「きゃっ」と中心にいた少女が悲鳴をあげた。
 さすがにほとんどが話をするのを止めてミリアムや触手の方を向いたが、少女と共にいた青年だけはニヤニヤしながらそっぽを向いていた。村を仕切っているロスアクアス家のカウロだ。
 彼らは村人の家畜の放牧の代行業をしていた。家業の助けとして少数のヤギや馬などを持つ者たちからその家畜を預かり、外へ連れ出す代わりに預かり賃という金銭を得ていた。だが、実際に放牧に連れて行くのは、半ば強引に押し付けられるミリアムのような年下の子たちだった。
 しかし、ミリアムはこの仕事を積極的に受けていた。自分とまともに口をきこうとしない年上の若者たちは嫌いだったが、放牧は嫌いではなかったし、受ければ駄賃がもらえた。額は多くはないが、それでも家の助けになる。それに、一人で好きな山や谷を散策しているところを村人から見られると「魔女の子供が一人で何をしているんだ」と噂されるのがうっとおしかったからだ。
「ねぇ」
 そっぽを向いたままのカウロを、隣の少女シエラがつついた。村一番の美人でカウロのお気に入りだ。
 カウロは渋い顔で懐からコインを何枚か出すと、ミリアムの足元に投げた。
「おい、使い魔(ゴルディ)! 魔女に言っとけよ。村に変なものを入れんじゃねぇぞ」
 ミリアムはさっさとコインを拾うと、百匹のヤギから自分の家の七匹を連れて、走って離れた。

 ミリアムが四歳ぐらいのころ、カウロとその取り巻きたち数人に囲まれたことがあった。近くに母親たちがいたから、彼女らに促されたのかもしれない。
 カウロ達は自分より小さいミリアムをからかって笑ったあと、カウロが意地悪なにやけ顔で言った。
「おい。その黒いのはなんだ」
「おばあちゃんが、病気が治るからつけときなさいって。うつったりは、しないって……」
 ミリアムはうつむきながら、小さな声で答えた。
「病気ってなんだよ。とって見せろよ」
 ミリアムは素直に黒い籠手を取って、袖をまくった。
 その腕を見た瞬間、カウロ達はウッとうなったまま、固まってしまった。
 腕は今ほど変化はしていなかったが、まだ小さいククルトが中で動き回る度に、まだらの黒い部分も脈打つように動いていたから、十分不気味だったのだろう。
 黙ったままの男の子たちの間を抜けて、ミリアムは逃げ出した。後ろでは、母親たちが静かになった我が子に駆け寄っていた。
 それ以来、カウロはミリアムとは目を合わそうとせず「あいつは人間じゃない」と言いふらすようになった。
 その話を聞いたオルト婆は怒り、村にかけていた魔よけの護法陣を全て取り払った。お陰で村には千疋皮などの妖物が現れ、村人の何十人かは悪夢に苛まれた。
 ロスアクアス家の当主はオルト婆に詫びをいれ、オルト婆も村の護法陣をもとに戻した。
 しかし、カウロだけは態度を変えず、他の者は村の実力者の息子の顔色をうかがいながら、ミリアムと接しているのだった。

 ミリアムは、村の門の前を横切って、家に向かった。
 村を守る魔女の家は村の外にある。なだらかな丘の途中に、オルト婆の作ったハーブ畑や薬樹園で緑がこんもり茂っている所があって、その真ん中に石壁の家が建っていた。
 ミリアムは、連れ帰ったヤギを家畜小屋に入れてから「おばあちゃん、おばあちゃん」と呼びながら表にまわった。
 木の扉を引っ張ろうとすると、先に中から押し開いた。ちょうど村の中年の女達が三人出てきてミリアムにぶつかりそうになった。
 ミリアムは驚いて身を引いたが、三人は気にすることなく内側が焼け焦げて黒くなった扉を見て、
「何があったんだろうねぇ」
「こわいねぇ」
 と、顔を寄せて話しながら去って行った。
 ミリアムはそっと中を覗いてみた。
「おばあちゃーん……」
 中は暗く、天井の輝石のランプも消えていた。手前に二つのかまどがあり、真ん中に食卓兼作業台がある。奥には暖炉と寝室につながる戸があって、そこが開いて、杖をついたオルト婆が出てきた。
「居留守を使ったら、中に入られてしまったよ。まったく……そこの手紙をおくれ」
 ミリアムはさっきの三人が置いていったらしい食卓の封筒を渡して、一気に話しだした。
「おばあちゃん聞いてよ。私すごいものに会ったよ! おっきな千疋皮と女のコンドルだよ!あれなに?聞いたことないよ。私を助けてくれたんだよ!」
「なんだって? もっとゆっくりお話し」
 ミリアムは谷で体験した事を興奮気味に早口で、しかし、なるだけ詳しく話した。オルト婆は、近くのイスにすわって手紙を読みながら、時々顔を上げて聞いていた。
「あれはコンドルの女王様かな。ククルトはゴルディロックスじゃないかって言うの」
「自然のものか人工のものかは、見てみないと解らないねぇ。州都の郊外に来たっていう女魔導士のものかもしれないしね」
「すごかったなあ。また会いたいなぁ……」
 今にももう一度会いに出ていきそうなミリアムの腕を、オルト婆はギュッと捕まえた。
「わざわざ探しに行ったりするんじゃないよ。良いものか悪いものかも解らないんだからね。しかも千疋皮にむかっていくとは無鉄砲な子だ。ヤギをくれてやった隙に逃げて来ればよかったのに」
「だって預かったヤギだから……」
「ヤギはまた買ってくればいい。あいつらから数ブランドもらうために命をさらすことはないよ。今度は逃げておいで」
「……いつもお金はあったほうがいいって言うじゃない……」
 ミリアムはじっとオルト婆を睨んだが、オルト婆も睨み返した。
「わかったね!他の変なものを見かけても、追いかけたりするんじゃないよ!ククルト!ちゃんと止めな!」
 ククルトはミリアムの意識の中で絶句した。
『我も怒られるとは……』
「それはさておき。軽く夕飯と出かける支度をしておくれ。また“憑き人”が出たらしい」
「また出たんだ。ご飯食べて行くの?」
「長丁場になった時がつらい。まったく……ピサロが生きていれば、ロスアクアスのことまでやらなくてすんだはずなんだがね」
 ミリアムは息をついて気分を改めると、壁際の籠から芋を取り出し、かまどの傍でむき始めた。
 オルト婆は再び奥の部屋に引っ込んだ。
 ミリアムは慣れた手つきで芋とハーブと干し肉のスープを作り、今朝焼いておいた平たいパンと一緒に食卓に用意すると、オルト婆もやってきて、二人で黙々と食べた。
 それから、ミリアムはオルト婆と同じ寝室で、魔よけの刺繍がされた上着に着替え、同じく魔よけの魔法陣が染め抜かれたスカーフを頭に結んだ。そして、家畜小屋からロバを一頭引っ張ってくると、オルト婆の魔法の道具が入ったカバンと鞍を乗せ、オルト婆が出てくるのを待った。
「ミリィや」
 玄関前で待っていると、中からオルト婆に呼ばれて、また家の中に入った。
「これを持っていきな」
 食卓に置かれていたのは、祭祀用の真っ直ぐな刀だった。”先生”が最後に置いて行ったものだ。鞘は下げるための金具がついているだけのシンプルな作りだが、刀身には呪文が一列に刻んであり、刃はなかった。片手で扱える長さだが、ミリアムやオルト婆のために両手で持てるように柄を少し長くしてあった。
「私が持って行っていいの?」
 ミリアムははやる気持ちを抑えながら聞いた。
「千疋皮も出ているし、どうも嫌な予感がするのさ。あまり使わせたくないが……念のためだよ」
 ミリアムは急いでその剣をベルトに下げた。
 ミリアムより派手な魔導士のローブに着替えたオルト婆をロバに乗せ、ミリアムはロバが石だらけの道で躓いてオルト婆がけがをしないように、ゆっくりロバを引いて行った。
「ねえ、おばあちゃん」
 ミリアムは道すがらオルト婆に尋ねた。
「千疋皮って、何?」
「千疋皮はね、言わば、昔の魔法の残りかすさ。このあたりには大昔から人が住んでいて、魔法を使っていた。病を治す魔法、魔よけの魔法、繁栄を願う魔法、敵を倒す魔法・・・様々だ。魔法はね、本当は用が済んだらきちんと消してやらないといけないものなんだ。ただ、たいていの魔法は時と共に消えていったり、呪文の中にすでに”終わり”が組み込まれていたりして、あまりそんなこと意識されないんだがね。ところが、それが消されずに残ることがあるんだよ。例えば、こんなものさ」
 ミリアムたちはソル村の門の前に来ていた。左右に大人二三人がかりで抱えられそうな大きな石柱が建っていて、どちらにも動物の顔にも似た魔よけの模様がびっしりと刻まれている。
 オルト婆が杖を振り上げ、模様に沿うように動かすと、門の模様が動きを追うように順番に輝きだし、全部の模様まで行きつくとすっと消えた。
「これは、村に魔法がかかった生き物を入れないようにする魔法だ。そんなに強い魔法じゃないが、長くもつ。そう、中の村が滅んでもね。いつまでも残るんだ。そんな魔法が時と共にだんだん行き場を失って、元の形から変質して、取り込みやすいものを取り込んでいったのが千疋皮さ。それぞれの土地柄でいろんな形になるようだが、オルエンデスではああなるんだろうね」
 ミリアムたちはロバを進め、門から中に入っていった。
「昔は、今ほど魔法の術式が整理されていなかったからね。そんなの必要ないのにやたら生贄をささげたり、無駄に強い魔法がかかったりして残りやすいんだろう。基になった魔法で千疋皮の性質も変わるし、時経ている分複雑にこんがらがってしまったりして対策もしづらい。面倒な連中だよ」
「そういえば、まじないの詞、効かなかったよ」
「あれは気休めだ。どんなものでも『あっちへ行け』って怒って言われたら、用がなければどこかに行くだろう。それだけの話さ。お前に近づいた千疋皮は攻撃的だね。そんなものもいるから注意しないといけない」
「私じゃないわ。ヤギに近づいたのよ」
「今度からはお前の方から近づいていきそうだよ」
「おばあちゃんなら近づいてもいいわけ? 魔導士だから平気なの?」
「私はこれで飯を食ってきたんだよ。怖くても相手をしなくちゃならない。逆に、こんな連中が沸いてくれなきゃ困るくらいだよ」
 ヒッヒッヒッと、オルト婆は不気味に笑った。
 門を越えて、赤土の坂道をしばらく上ると、道沿いにちらほら家が建ち始め、やがて平らな開けた場所に出た。そこがソル村のメイン通りだ。広場を中心に十字に道が走り、それぞれの通りにこの土地の土の色と同じ赤い土壁と瓦でできた平屋の家が並んでいる。
 すでに空はオレンジに染まり、山に囲まれた村の道は薄暗くなっていた。人影はなく、ミリアムたちだけが道を進んでいた。だが、家の窓にはカーテン越しにのぞき込む人の気配がしたり、咳払いが聞こえたりする。それ以外の音や話し声などはしない。
 広場を通って家の並びが途切れるところまで来ると、建物の陰から中年の女が顔を出した。よく見たら手紙を届けに来たうちの一人だった。
「手紙には、急いでって書いてなかったかい?」
 女が横目で二人を見ながら言った。
「書いてあったから来たんだよ」
 オルト婆が答えた。
「それなのに今来たのかい。今頃来たのかい! 急いでって書いてあったら、急ぐもんだろうが! 約束は守るのがこの村のルールだよ。魔女だってルールは守らなきゃいけないんだよ!」
 女は声を荒げた。
「一方的に書いてあっただけだろう。こっちは仕事ができるように準備してきた。山道を走ってきたら私の腰に響く。ここには手紙の中身を読んではいけないとか、返事のない家のドアは開けちゃいけないとかいうルールはないのかい?」
「村のことはみんなで共有だ。秘密はあったらいけない。なにかあったら大変だから、魔女やよそ者のことは調べるのは村のためさ。村のためになるなら罪にならない」
「じゃあ、何があったかわかっているね。引き止めないでおくれ。ミリィ、進みなさい」
 ミリアムはロバを進めた。
 女が自分の前を通り過ぎていく魔女の背中に怒鳴った。
「目立たないようにとも書いてあったのに、大通りを通ってきたね!約束を守らない奴がいると、村がめちゃくちゃになるんだ」
 振り向いてオルト婆が返した。
「どこを通っても、行き着く先をあんた達が見てるだろ。時間を優先したのさ」
「おばあちゃん……」
 ミリアムが心配そうに呼んだ。
「まったく。私たちが通ることをいいふらしたが、なかなか来ないから文句でも言われたんだろう。急ごう」
 村の通りを過ぎて少し歩いたところにロスアクアス家の屋敷はあった。今までの家とは違う石組の高い塀に囲まれた屋敷で、中は外からは見えなかった。
 ミリアムは、木組みの大きな門の隣の小さい通用門の戸をたたいた。すると、小さなのぞき窓が開いて、日に焼けた眼尻に深いしわのある男の目がぎろりとこちらを見た。
「こんにちは」
 ミリアムはその目に向かってあいさつした。
 すぐに男は通用門を開けた。ミリアムはロバを引き、オルト婆は乗ったまま中に入った。
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