序章~盗賊魔導士対貴族魔導士➁

文字数 4,579文字

 レングが杖を構えて何か呟き始めると、刺青は更に輝きを増した。杖の先の魔石も青く光り、着ているマントも激しくはためく。
 イセルダも卵を持っていない手で印を結び、小声で何かを唱え始めた。ドレスの裾はそよ風に当てられたように軽やかに揺れ、ちぎれた絨毯の切れ端や小物の破片がイセルダの魔力を浴びて浮き上がる。
 それを見てレングは杖の先から雷撃を放った。イセルダは正面に防御魔法の障壁で受け止め、そのまま障壁を膨らませて相手を押しつぶさんと迫る。レングも杖先から障壁で膨張を受け止めると、接触面から激しく火花や雷光が飛び散った。
「きゃあああ!」
 部屋にいた侍女たちは悲鳴をあげて物陰に縮こまった。
「イセルダ様!」
 ただ一人、チュニックの侍女”トリクシー”がイセルダの元へ走ろうとしたが、飛び交う雷光や魔力の圧力で近づけない。
 互いの障壁で守られながら二人の魔導士は印を結び、呪文を唱え続け、間で展開する障壁は膨張して押し合い、一歩も引く気配はない。
 トリクシーは近くで倒れていたテーブルに体を隠し、時折飛んでくる破片から顔を守りながら中央でにらみ合う魔導士たちを観察した。
 二人の魔導士の状態は、魔導士特有の戦闘の準備だ。魔導士は自分の防御を固めてから自らの魔力や術式でこの場に存在する物質や精霊を使って戦うのがセオリーだ。互いの実力が伯仲すれば、陣取り合戦のようにその場のどれだけ多くのものを支配下に置いて自らの戦力にしたかで勝敗が決まることもある。トリクシーも気を抜いて近づきすぎると相手の魔導士に利用されてしまう危険があった。高位の魔導士になると魔力が及ぶ範囲は目に見える所だけでなく、地下、空、時間を超えた領域にまで達し、探って協力を得た何かを瞬時に自らが存在する空間に"強力な乱入者"として招くことができるという。
 しかし、ここは魔導士イセルダの部屋で、全てにイセルダの息がかかっている。あらゆるのものがイセルダのもので、外部からの侵入も簡単には許さない。先ほどのように不意を突けば隙もうまれるが、今はイセルダ自身が場の精霊達に呼びかけていて、イセルダ以外の魔導士の命令を聞くことを禁じている。相対する魔導士は己の身一つで孤独な戦いを強いられていた。
 レングは呪文を唱え続けながら、はめていた指輪を回して小さな刃を出すと、自分の右腕を切って鮮血を吹き出させた。
 血はすぐに止まったが、ぼたぼたと床に流れ落ちた血潮はぶくぶくと泡立ちながら分裂を繰り返して、いくつか動くものが現れ始めた。
 それを見たイセルダの美しい顔がゆがみ、呪文の詠唱が止まった。
「噂通りというわけか。ガラス管も魔法陣もなく……男のくせに命を産むとは、なんとも不愉快なやつだ」
 レングはまたフンと鼻をならし、薄ら笑いを浮かべてイセルダを蔑視した。
「こういうことができるから、俺は呼ばれたんだろ。利用できるものがないなら作るまでだ……ああ、幼な子を亡くしたことがあるというイセルダ様には、ちょいと悪かったかな」
 生まれたもの達は、レングの障壁の内側で、周りの細かいクズや転がっているものを取り込みながらそれぞれの形を整えていく。生まれたもの同士も取り込み取り込まれながら、数体の魔法生物(ゴルディロックス)が出来上がっていった。実在する生物に似て非なる命──素早い四肢と鋭い大角(おおつの)を持つもの、緩やかな巨体と大口大顎(おおあご)を持つもの、しなやかな細い体を持つもの。
生まれたばかりの生命はしばらく辺りを見回していたが、やがてイセルダの方に視点を定めるようになった。
「イセルダ様!」
 トリクシーが血の気のない顔で叫んだ。
「お前たち、動いてはならぬぞ!」
 イセルダは部屋の隅で怯えている侍女たちへ指示した。
「その通りだ。行け!」
 レングが号令をかけると、魔法生物は一斉に障壁を破って飛び出した。
 二体の大角が真っ先にイセルダの正面に突っ込んでいく。イセルダは障壁を重ねて張り巡らせた。大角は最初の障壁に突き刺さって止まるが、まだ前に進もうと四肢を踏ん張る。レングの詠唱が加わると、四肢の筋肉は更に盛り上がり力を増した。イセルダも呪文に集中し、盾となる障壁を強化していく。
「出でよ!」
 イセルダの号令で高い天井の空気が渦を巻き、鋭くとがって大角に降り注ぐ。レングは大角の上に障壁を貼って守った。
 大顎はナメクジに似た筋肉だけの足でヌメヌメと移動して、牙をガチガチ鳴らしながら大角を食い止めているイセルダの後ろに回り込んだ。体の半分を占める大口を広げ、イセルダを頭から丸呑みにしようとする。イセルダは素早く移動し、袖から鞭を出すと、大顎の頭を打ち据え、雷撃を浴びせた。
 レングも雷撃を放った。イセルダもまた雷撃を放ち、激しい光が広がった。辺りが真っ白になり、誰もの目がくらんだ。
 その隙に細身のものが動いた。細身は魔法を無効化する皮膚で障壁をすり抜け、イセルダの卵を狙って突進した。
 気配で気づいたイセルダは、炎を放って細身を目前で焼き落とした。
「おのれ、盗賊!」
 イセルダの目に激情が宿った。
「まだまだこれからだ。いあ!」
 レングの掛け声で二体の大角に更に力がこもり、分厚い障壁を破って突き進んできた。
 イセルダは躊躇することなく炎を浴びせた。大角の体は黒焦げになったが、動ける限り角の鋭い切っ先を向けて走ってくる。イセルダは鞭で燃やした体を打ち払った。灰の体は崩れ、角は床を転がった。
 大顎は再び大口を開けてイセルダに迫りながら、柔軟な足を伸ばして灰と角を取り込みますます体を大きくした。
 イセルダの火炎を大顎は弾いた。レングもイセルダに雷撃を放ち、イセルダはそれを炎の壁を立てて防ぐ。
 大顎はイセルダの鞭にも雷撃にも動きを止めることなくイセルダの頭上に迫る。イセルダは再び大きく頭上に障壁を張り、大顎の牙から自分を守ろうとした。
 大顎は障壁に齧り付き、自らの体重も乗せてきた。大口から滴る唾液が障壁の表面を流れていく。防御魔法に力を注ぎ頭上の障壁を支えるために、イセルダは白い腕を真っ直ぐ上に伸ばして動けなくなった。

「出でよ、サラマンデル!」

 イセルダの声で天井に炎の卵が三個現れ、孵化した火蜥蜴(サラマンデル)が大顎の背中にかじりついた。大顎は身を震わせたが、障壁から離れない。
 レングは右袖をまくって刺青が露わになった腕を左手で掴むと呪文を唱えた。

「いあ! いぇるおるあい やは まはや!」

 腕の文様が光を放ち、むくむくと右腕が膨らむ。爪が鋭利な剣のように伸び、肘の付け根からゴツゴツとした鱗が広がってつながり、肩の付け根まで硬い甲殻で覆われた巨大で異様な腕になった。長さ太さ共に元の腕の三倍はあるが、レングは平然と立っている。
 変化した腕の側面に悪鬼のような顔が浮かび上がった。
『契約の履行を。我に贄を』
 レングは飢えた右腕を持ち上げ走りだした。
「今ここに! あの女を引っ掛いたらな!」
 まずは大顎の背中へ。取り付いている火蜥蜴に爪を立てる。ズタズタにされた体と自切してビチビチはねる尻尾は大顎に吸収された。
『血肉でないと、贄にはならん』
 イセルダは周りの炎の壁を高くした。熱風も吹き荒れ、大顎の唾液がしゅうしゅうと蒸気をあげた。だが、振り下ろされた右腕は火炎の壁を引き裂き消滅させ、障壁に守られていたイセルダを無防備にした。
 レングはこちらを睨むイセルダとの距離を計りながら、もう一度右腕を構えた。女魔導士を引き裂くために、肩ごと後ろに引き、大きく振りかぶる……
 ギン!と鋭い金属音が響いて、突き出されたレングの爪先が弾き飛ばされた。横から何かが飛び込んできたのだ。
 レングとイセルダの間に、肘を覆うほど大きなナックルをはめたトリクシーが立ちはだかった。
「イセルダ様に仇なす者は許さん!」
 レングの顔色が変わった。
「下がれ! お前”トリクシー”だろう!」
 レングは右肩を引き、右腕を下げようとした。だが、何かが宿った右腕は叫びながら爪を振り回した。
『贄を! 贄はどこだ!』
「くそっ。ちょっと待った!」
『贄を!』
「そいつじゃない! うぐる! いぇるおるあい なふ さいぐん!」
 そうレングが唱えると、右腕は震えながら縮まっていったが、浮かび上がっていた顔は咆哮を上げて抵抗した。
『贄! 贄!』
 大顎もイセルダへの集中力を失くした。頭を持ち上げ辺りを見回す。
 イセルダが手を下ろすと同時に足元に黒い影が湧き上がった──奥様、今でございます!──影は矢のように細く伸びて、かの男を刺し通した。
 レングの動きが止まった。影は背中を貫通していた。悪鬼の顔は消え、元に戻った腕は静かにだらりと垂れ下がった。
 影の先が女の姿になった。逆立った乱れ髪と頬のこけた老婆の姿。老婆は振り返って動けないレングを背中から抱きしめた。
 レングは必死に身をよじったが、老婆の抱擁はとけない。全身の血の気がなくなり、震えながら膝をついた。
 大顎がイセルダから離れ、部屋の中をさ迷い歩いた。キーキーと高い声をあげて、側頭部の小さい目がトリクシーを見据えた。トリクシーも身構える。
「お下がり」
 イセルダが冷静にトリクシーに言うと、呪文を唱えた。大顎が今まで跳ねのけていたはずの炎に包まれた。甲高い叫び声を上げながら焼け落ちていく。
「火炎の守りを解いたのか……この魔法生物を無に返すために」
 イセルダはそう呟き、トリクシーに向き直って尋ねた。
「助かったわ、トリクシー。この男は知り合いなの?」
 トリクシーは激しく首を振った。
 レングは影の女に包まれたまま床に倒れこみ、気を失った。
 レングの体と床の間から青い蝶が一匹現れ、ひらひらと舞い上がった。イセルダは軽く鞭を振るってそれを打ち落とすと、蝶の骸が微かな残響に変わってレングの呟きを伝えた。
『クシス、こっちに来るな……言いつけを守れ……』
「言いつけ? 犬でも飼っているのかしら」
「奥様」
 影の老婆がはっきりした声でイセルダを呼んだ。
「自らに魔法をかけたようです。心に入り込むことができませぬ」
「焦らなくていいわ。壊さないように、丁寧に扱ってちょうだい。もう一人の、石の親になるかもしれないんだから」
「かしこまりました……」
「さあ、あなたたち!」
 イセルダがひときわ大きく明るい声で、隅で縮こまっている侍女たちに呼びかけた。
「ここを片付けて。男には触らないように。ブランボを呼んできなさい。トリクシー?」
「はい!」
「久々に疲れた。お湯を沸かしてちょうだい」
「かしこまりました!」
 トリクシーは深々と頭を下げた。
 イセルダは、卵を片手に抱えたまま真っ赤なドレスを翻し、背筋を伸ばし鼻先をつんとあげて優雅にきびきびと部屋から出て行った。
 イセルダがいなくなると、全員があわただしく動き始めた。異界にあった部屋が元の世界に戻って時間が流れ始めたかのようだ。
 部屋の中央、影の老女に抱かれ転がる魔導士だけが、青白い彫刻のように固まったままだった。
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