序章~盗賊魔導士対貴族魔導士①

文字数 4,902文字

 月のない静かな夜のことだった。
 奥深い森の中の湖のほとりに古城がそびえていて、ローブのフードを深くかぶった男が一人、その城の一角にある大きな塔を訪れた。
 その塔の下には人がひとりくぐれるほどの小さな戸口があった。男はそこから中に入ると、待っていた戸口番の男について狭い廊下を歩いていった。
 突き当たりの一回り大きなドアには、この城の主の侍従と思しき二人の女が待っていた。戸口番はそこから引き返した。訪問者の男がその女たちに誘われ、開けられたドアから中の回廊へ歩いていくと、男は思わずフードを脱いで周りの様相に見とれ、自分を招いた人物の力の噂を実感した。
 魔導士としての経験を買われ、金持ちや地方貴族に招かれたことは何回かあるタトゥーンレングだったが、今日のような高い身分の有名人に招かれたのは初めてだった。
  二人の女に案内された部屋は、屋敷の主の個人的な応接室なのにダンスパーティーができそうなくらい広かった。
 壁紙や絨毯、配置された細々した調度品類まで気を抜くことなく贅が尽くされていて、壁際には数人の侍女が同じ服装で銀の盆を持って並んでいる。
 窓のかわりに大きな風景画が飾られていて、天井のシャンデリアが魔法で光る輝石を乗せて全体を明るく照らしていた。中央には大理石のテーブルと白い革張りの椅子が二脚用意されていて、その一つには赤いビロードのカバーが掛けてあった。
 レングはカバーのない方を勧められた。おもむろに腰掛けてみると、滑らかな手ざわりと適度な柔らかさと硬さがあって、カバーが無くてもとても座り心地が良い。
  レングは周りの自分の価値観の尺度を超えた豪華さに、思わず最近無頓着だった自分の身なりを見回していた。いつもの古いマントにいつもの野戦用ブーツ、顔立ちはそれなりに整っていると思っているが魔術のための刺青が掘ってある。褒められたことのある亜麻色の髪もぼさぼさに伸びていて、出掛ける直前襟足を豚のしっぽのように束ねるので精いっぱいだった。
 レングは椅子のクッションに囲まれた尻をもぞもぞ動かし、手の平を何度も組み直していたが、侍女が首を垂れてお茶とお菓子を出すと、自分は客人として呼ばれてきた事を思い出して胸を張った。手に持った大事な商売道具である魔杖もちょっといいやつに代えてきている。片手剣ほどの長さで、柄頭が青い魔石付きの錘で飾られたものだ。
 出されたお菓子やお茶には手を付けずに待っていると、自分が入ってきたドアから赤いドレスに金髪を結ったこの部屋に相応しい身なりの女性が、革のチュニックを着た侍女を一人連れて入ってきた。すらりと背の高い赤いドレスの女性は白い卵型のものを抱えている。
 レングはすぐに立ち上がると、椅子の傍にひざまずき、自分を招いた女主人が向かいの赤いカバーの椅子に座るのを待った。
「オルエンデスのタトゥーンレングと申します。お招きにあずかり参上つかまつりました」
「来てくださって感謝いたします、オルエンデスの賢者タトゥーンレング殿」
 女主人の表情はとても穏やかだった。
「どうかお顔をあげて、ゆっくりおくつろぎくださいな」
「いやはや賢者とはご冗談を」
 レングは俯いたまま冷笑した。しかし、すぐに真面目な口調に戻った。
「炎の魔女イセルダ・カーマイン様。高名なあなた様に名を覚えられているとは光栄です」
 レングは顔を上げた。
 彼の経験上、顔の彫り物はこういう身分にはたいてい嫌がられてきているが、イセルダは表情を変えることなく椅子を勧めた。
 レングも素直に従った。
「オルエンデスは静かでいい所ですね。引っ越してきてよかったわ」
 イセルダは上機嫌で言った。
「何もない所ですが、気に入っていただいてよかったです」
 レングはただ頭を下げた。オルエンデスはレングの領土というわけではないが、自分側のことに相手がよい印象を持ったほうがいいに越したことはない。
「ところで、例のものはそちらにあるのですか」
「そうよ。この子は私のすべて。私の本当の宝よ」
 イセルダの膝には持ってきた卵型の容器が乗っていた。両手で抱えられるほどの大きさで、表面は本物の卵のようなつるつるした白地である。真ん中に金の帯が巻いてあって、そこから上部が開くようになっているようだ。よく見ると金の帯には様々な宝石が散りばめられ、白地にも薄くパステル調の色の模様で可愛らしく装飾されている。イセルダはその卵を大事そうに何度も優しく撫でた。
 客人の存在を忘れたかのように卵を愛でる女主人に、レングは恐る恐る尋ねた。
「あの、中身は……見せてはいただけないのですか?」
「あら、わたくしとしたことが。うふふふ」
 我にかえったイセルダは、口に手を当てて上品に笑うと、たおやかな手で卵の蓋をそっと開けた。
  赤いクッションの上に、ニワトリの卵くらいの赤を基調に黄色や緑の色が鮮やかに燃え上がるように揺らめきたつ宝玉が乗っていた。タトゥーンレングにとってそれは色の閃光だけでなく、触れれば何かに侵されてしまいそうな重たく禍々しい気も放っているように見えた。
 間違いない、魔石だ──レングの目の光が鋭くなった。そして、来るときに考えていた覚悟を決めた。
 イセルダはすぐに蓋を閉めてしまった。しかし、レングは気にすることなく感嘆したように言った。
「美しい宝石ですね。ファイヤーオパールのようだ。イセルダ様にはお似合いです」
 イセルダは目を細めて微笑んだ。
「お気づきでしょうけど、この子はただの石ではないわ。私に語りかけてくれるの。とてもかわいらしい声で……」
「語りかける?」
 レングは眉間にしわを寄せて言葉を繰り返した。
「魔石はそれぞれが様々な性質を持っていると聞きますが、この石は、そんなことができるということですか?」
 イセルダが真剣な面持ちになった。
「タトゥーンレング殿。あなたにお願いしたいことは、この子の誕生を手伝ってほしいということです」
「は? なんですと?」
 レングは素っ頓狂な声をあげた。
 そんな声にもイセルダは態度を変えず、より熱のこもった口調で続けた。
「友人が、あなたならできると言っていたわ。失われつつある秘術をあなたなら知っていると。何人かにさせてみたけど駄目だった。この子は、生まれたがっているのよ」
「な、何かが封じ込められている、ということですかね……」レングは戸惑いながらも、イセルダの独特の表現に含まれた意図を読み取ろうとした。「封じ込められているものを解放しろと。何が封じ込められているかわかっているのですか」
「とてもいい子よ。この世に生まれたがっているから、誕生させてほしいのです」
 イセルダはタトゥーンレングをまっすぐ見ていた。薄緑色の瞳に、すでに宝玉の赤い邪気が移っているようだ。レングがイセルダの傍に立つチュニックの侍女を見ると、彼女も少し困惑した表情をしていた。
 レングは質問を続けた。
「その『いい子』を誕生させて、それからどうするんですか」
「もちろん育てるのよ。この私が」
  タトゥーンレングは、イセルダの呆れたように自分を見る表情を観察しながら言った。
「それならば、まずどんなものが封じられているのか調べないといけません。その魔石を私に預けてくださいませんか。きちんと調べて、準備いたします」
  イセルダの目が険しくなった。
「調べるのはこの部屋で。私の目の前でやっていただくわ。必要な物はなんでも揃えましょう。報酬も思いのままに。ただし、この子をこの屋敷から出すことは許さないわ」
「……承諾しない、という選択肢は、させてもらえるのでしょうか」
「探求心がなくては、魔導士は務まらないわ」
 イセルダ・カーマイン──その名は魔導士でなくても知っている。古い王族の血を引く貴種の女魔導士。無限の魔力を持って炎を操り、若いころは王国の将軍まで務めた傑物で、気高く慈悲深く、それに美しい──レングはそんな噂を聞いていた。その無敵のような魔導士の瞳に宿る魔石の光、それは彼女がこの魔石に翻弄されているということではないか。それほどこの石がすごいのか、それとも他に何かが……。
 レングは疑念を持っていることを悟られないように平静を保ちながら続けた。
「イセルダ様、あなたはずいぶんこの石の影響を受けているように見えますが……わけのわからないものを生ませて育てて、それからどうするおつもりですか」
「それは、やってみないとわからないわね。わからないのが、育てるということではなくて?」
  イセルダは首をかしげながらも楽しそうに笑っていた。
「不自由はさせないわ。ここで、この子の生誕を見守りなさいな」
 レングの口の片端が歪んだ──気軽に言ってくれる、命を作るということを。道楽気分ってこともあるな──レングはフンと鼻をならし、杖を手首のスナップをきかせて振るった。
 床の絨毯が大きく波打って、上に乗っていた物を、人を、すべて吹き飛ばした。
 きゃあー! と侍女たちの悲鳴があがった。
 仕掛けたレングも空中に飛ばされていた。
 舞い上がった絨毯は鋭い切り口のリボンに変化し、跳ねたいすに座ったままのイセルダに巻きつく。
 一緒に飛び上がったものが、一、二秒の滞空時間を経てゴトゴトとまわりに落ちていく。イセルダのいすも床に降り、レングもとんぼを切って着地した。
 この間イセルダは何事もなかったように不敵に笑っていた。
「あら、断るには少々荒っぽくなくて?」
 レングは舌打ちをして、杖をイセルダに向けて構えた。
「この魔石は、あんたには過ぎたおもちゃのようだ。俺によこせ。そして帰る。あんたらみたいに暇じゃない」
「帰れるかしら。すでにうまくいっていないようだけど。わたくしには馴染みのない術式だけど、矛先を変えることぐらいは出来ましてよ」
 指摘された通り、すでにレングの計算違いだった。本当ならリボンで手首を切り落とし、それごと卵をこちらに持ってくるはずだったのだが。
 レングはイセルダを見ながら真横の壁に魔力をぶつけた。絵が壁紙と共に爆発飛散する。分厚い石積みの壁が現れた。穴を空けて出るには時間がかかりそうだ。
「奥様!大丈夫ですか」
 壁まで弾き飛ばされていたチュニックの侍女が、散らばる物をけり飛ばしながら駆け寄ってきた。
「おい、お前。こいつはまともか。魔石に封じ込められているなんてどのみち人間じゃない。それを育てるとかなんとか……魔法生物(ゴルディロックス)上流社会(サロン)デビューさせるつもりかな。魔石にのまれるなんて、魔導士失格だぜ」
「無礼者! 奥様になんて言い方を!」
 侍女が勇ましく拳を構えた。
「いいのよ、トリクシー。下がりなさい」
 イセルダの体に巻き付いていたリボンが、イセルダの淡い魔力を受けて砂になっていった。
「この子がほしいのね。魔導士の欲は深いものよ。なんにでも命を与えるような術式を使うというのは嘘ではなさそうだから、あなたならできそうだわ。ここの方があなたの家より設備がいいと思うのだけど」
「今度人を誘うときは、相手の都合を考えるんだな。俺に預けろ。研究して、結果を報告してやる。あんたの為にもそれがいい」
「そして『この子』はあなたと共に消える、というわけね。守ってあげなければならないわ」
 イセルダは卵を持ったまま立ち上がった。
「炎は、今は封じていますのよ。この子を焼いてしまわないように」
「そいつは石だ、イセルダ。戦場で何百人と焼いた女が、ままごとみたいなこと言うんじゃねえよ」
「フフフ。口がへらないわね。勝てるつもりでいるの?」
 ──奥様、いつでもお傍におりまする──イセルダの周りに黒い影が渦巻き始めた。
「うだつのあがらない魔導士。私を倒し、魔石を手に入れて、名を上げるといい……」
「石をくれよ。あとはどうでもいいんだ」
 タトゥーンレングの刺青が、ほのかに燐光を放ち始めた。
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