第15話詐欺師萩原海人②

文字数 1,783文字

「何かなかったら連絡したらいけなかったんですかね」
少しひねた口調で直美は問いかけた。
「あなたは私のことを知っているんでしょうけど、私はあなたの名前さえ知らないんですよ。
少し不公平です。
名前くらい教えてください」
そういえば私は直美に名前すら言っていなかった。
初めての時に名前を名乗るのが礼儀であり当たり前のことだった。
しかし、考えてみると私は萩原海人の名前になっていた。
この名前を直美に伝える事はできない。
私は昔の名前で出ています(古いか?)ではないが、黒崎伸一郎を名乗った。
でも今になって私の名前を聞いてどうするというのだろう。
なんの為なんだろう?と考えていたが、私は一つの仮説をたてた。
もしかしたら、直美は私の事を自分の父親ではないか?と思っているのではないか。
そう思うのも、もっともな事だった。
二千万円もの金を人から預かって持ってくるなんて物語みたいなことが、現実になかなかあることではない。
しかも、父親は海外にいるなんてことも考えにくい。
何故自分で持ってこない?
連絡すらないのだ…。
ありえないと直美が思うのも無理がないことだった。
「いきなり二千万円もの通帳を渡されて、両親になんで話せばいいかくらい、一緒に考えてくれてもいいんじゃないですか」
直美は少しだけ怒った口調で話を続けた。
「明日時間をとってもらえませんか?お願いします」 今度はお願いモードである。
普通ならば可愛い女性からの頼みなので、二つ返事でオッケーと言いたいところだが,その問いには少し考えてから「わかった。何時なら空いている?」と私は直美ともう一度会う約束をしたのだった。

その日の夜、私は引っ越しを考えていた。
このアパートには風呂がない。
風呂に行くのも面倒くさい。
又、階段が急な為、この前も飲んで帰る時に転げそうになったのだった。
今年いっぱい家賃を払っていたらしく、まだ六月なのでもったいない気はするが,クーラーもない部屋で、こんな所に女も連れてくることができない。そう思いながらも、今日もこの部屋で寝なければいけなかった。
次の日、夕方には直美と会う約束をしていた。
喫茶店で通帳を渡してから二週間どうしてたんだろう?
会う時間はバイトは大丈夫なんだろうか?
そんな事を考えている自分が(なんかお父さんみたいな感じだな)と思ってひとりほくそ笑んだ。
昼前にサウナに行きいつも通り(あれから何度か来ていた)に大風呂で平泳をする。
昼間のサウナはいつ来ても広くて自由だ。
気持ちも良く、体もリフレッシュ出来る。
サウナから出た私は時計を見るとまだ二時前である。六時の約束にはまだ時間があった。
直美に渡した金をなんと言って両親に話せばいいかはまだ考えていなかった。
パチンコにも行く気にはならず、喫茶店であまり良くない頭をひねり、妙案を考えていた。
六時少し前に約束のレストランに入った。
すでに直美は座って待っていた。
「ごめん,もう来て待ってたんだ…早いな」
注文もまだしていないらしく、テーブルの上には水しかない。
「なんかそわそわしちゃって,早めに来ちゃったの。黒崎さんもちゃんと約束の時間よりも早めに来てくださったんですね。ありがとうございます」とキュートな笑顔で頭を下げた。
「腹減ったな。なんか美味しいもの食べようよ」
「私もお腹ペコペコ。ここのビーフシチューが美味しいらしいから頼んでいい?」
直美はお腹に手をかざしながら聞いて来た。
「私もビーフシチューを頼もうかな」
と言うと、ウエイトレスにビーフシチューにライス、サラダ,コーンスープを二人分とオレンジジュースと赤ワインを頼んだ。
「制服じゃなかったら私も赤ワイン飲みたかったのに…」と話す直美に、「まだ高校生だからダメだよ」と、まるでお父さんのように言い聞かせた。
直美も「お父さんみたい」と小声で言って笑う。
「家では赤ワイン飲んだ事あるよ。美味しかった」直美は少し顔を傾けて私に話しかけた。
(やはり直美は可愛いな)と思いながらワインをグラスに注いで直美と初めての乾杯をした。
「何に乾杯するの?」直美が聞いてきた。
「とりあえず、出会いにってことにかしとこうか」私は自分の発した言葉に少し照れながら、直美のオレンジジュースのグラスと小さな音を立てて乾杯した。
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