(十五・一)朋子、決意

文字数 2,080文字

 初めて目と目が合った瞬間から、恋に落ちた朋子と三上のふたり。
 その後も三上は、朋子会いたさの余り東京へは殆ど帰らなかった。週末は勿論、平日でも定時退社した日は、必ずダイエーへせっせと足を運んだ。それにより朋子の勤務状況も分かった。朋子の休暇日は平日で、土、日、祝日は必ず出勤している事等々。
 朋子さんに会いたい。一目でも朋子さんの顔が見たい。そして可能なら、親しくなりたい……。
 そんな一途な想いが、今迄恋愛に対して消極的だった三上を変えた。三上は大胆にも、必ずいつも朋子のレジに並んだ。たとえ朋子のレジが混んでいて、他のレジが空いていてもである。そんな時は俯いて、わざと気付かない振りをして誤魔化した。
 だがいざ自分の順番になり朋子の前に立つと、緊張し口は思うように動かなかった。
「いらっしゃいませ」
「はい」
 朋子の店員としての事務的な挨拶に、ぽつりと一言返すので精一杯。本当は天気のことでも商品のことでも、兎に角何でもいいから話がしたい。思い切って話し掛けたい……。だが出来なかった。勿論恋愛経験が少ないということもあり、なかなか店員と客という関係から抜け出せなかった。それでも次の日にはやっぱり、朋子のレジの列に並んだ。まったくひたむき、一途な三上青年、否中年おやじであった。

 一方の朋子。三上同様、恋愛経験の乏しい朋子ではあったが、流石に三上が自分を意識しているのは分かった。何しろ朋子のレジにばかり並ぶのだから、幾ら鈍感でも気付かない訳がない。そして朋子もまた、三上を意識していた。意識しドキドキしワクワクし、少女のようにときめいていた。
 今日はあの人、来てくれるかしら。そしてわたしのレジに、並んでくれるのかしら……。
 しかし朋子とて、恋愛には不慣れである。それに立場はあくまでも、お客と店員。客である三上に軽々しく話し掛けるなど、出来る筈がない。レジ自体忙しいし、周囲の目も気になる。それにそもそも三上がどんな反応を見せるか、不安でもあった。
 確かに自分を意識してくれているようには思えるけれど、勘違いかも知れない。男心を解したことのない朋子に、三上の本心など見当もつかない。一応既婚者でないことは左手薬指を見て確認済みではあるが、はっきりしているのはそれ位。
 という訳で、朋子のテンションは上がったり下がったりのジェットコースター状態。三上がやって来る夕方が近付くにつれ、落ち着かず、そわそわドキドキ。それでもせっせとレジ業務をこなしていると、遂に自分のレジの列に三上が登場。朋子は歓喜と興奮と不安の渦の中である。
 三上の前の客をさばき、そしていよいよ三上とのご対面。しかし三上同様、朋子もこちこちの緊張状態。従ってレジ係としての、最低限の受け答えをするので精一杯。
 こうしてお互い不完全燃焼のまま、一日また一日と、朋子と三上の前を時間だけが過ぎていった。

 しかしこんな日々が続いて三ケ月が経過した、八月の或る日のことである。朋子は、自らの心の原点に立ち返る心境に至った。なぜかと言うと、きっかけがある。
 それは休日の夜に、夏江と見ていた或るTV番組。特撮ヒーローの特集番組で、ウルトラマンや仮面ライダーが登場した。ふたりは何となく、胸騒ぎを覚えた。ウルトラマンのシーン。まさかダダ星人なんて、出て来ないでしょうね?内心ハラハラしながら、見ていた夏江と朋子のふたり。しかし案の定、ダダ星人がしっかりとTV画面に登場してしまったのである。ありゃりゃ。焦ったふたりは、一瞬沈黙……。
「あーあ、疲れちゃった。朋ちゃん、もう寝ましょう」
「うん。そうしよう」
 白々しくさっさとTVを消すと、夏江と朋子のふたりは各々の部屋に引っ込んだ。
 しかしひとりになった朋子は、三上のことで浮かれていた自分を、冷静に見つめ直した。
 わたしは一体、何をしているのだろう?男の人なんかを、好きになったりして。そんな恋愛感情なんかに、現(うつつ)を抜かしてちゃ駄目じゃない……。
 必然的に朋子の胸には、忘れていた後悔と罪悪感が甦った。
 ばかね、わたし。何やってんだろ?しっかりしなきゃ、駄目じゃない……。
 鏡に映る自分の顔に向かって、何度も何度も繰り返しそう呟いた。そして三上に夢中になっていた自分を責めた。ぼろぼろ涙が溢れて来た。
 わたしは恋なんかしちゃ、駄目なの。誰かを好きになったり、好きになってもらおうなんて、望んじゃいけないのよ。そんな資格なんか、わたしには、ないんだから。分かってんの、ねえ、あんた?
 厳しくただ厳しく、自分を罵る事しか出来なかった。朋子の顔は痛々しい程に、涙でいっぱいに濡れていた。涙は頬を伝い、唇を顎を伝い、零れ落ちて床を濡らした。
 だって、あの人は。あの人は、わたしの本当の顔を、知らない……。
 その現実が、朋子に重く伸し掛かった。涙に濡れ、目を充血させながら、朋子はそして決心した。
 あの人のことはもう、諦めよう。そしてもしあの人が本当に、こんなわたしに、好意を持っていてくれたとしたら……。わたしのことなんか、さっさと忘れてもらおう。
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