(十二・三)アフターケア

文字数 1,490文字

 そんな俺の渋谷の病院へ、最低でも月に一回は来てくれ、と言ってある。手術後の経過、異変やトラブルはないかチェックしたかったし、朋子の心のケアもしたかったから。「今のところ、特に問題はありません」とのことだから電話だけでも良かったが、俺としては実際に朋子の顔を見ておきたかった。その方が安心と言えば安心。だから遠距離ではあるが、年内にもう一度会わねばと思っていた。
 熊谷に引っ越してから朋子が初めて俺の所に来たのは、クリスマスの週の朋子の休日だった。夏江と共に上京し、朋子が診察の間、夏江は渋谷を散策しているとのこと。
 俺は朋子の顔の具合、特に目、瞼、口の中、顎を入念にチェックしつつ、生活の様子を聞いた。確かに今の所、顔、肉体面での不具合はないようだ。
「先生。本当にわたし、先生には感謝で一杯です。もしあの日渋谷の街で、先生にお会いしてなかったらと思うと……」
「いいから、いいから。もう気にしない、ね。会う度にそう言われると、流石の俺も照れ臭いや。でも朋ちゃんは本当に、真面目だね」
「いいえ、わたしなんか」
「本当に困ってる事とか、ないの?俺には何でも本音で、話してくれて良いんだからさ」
「はい。そうですねぇ……」
 朋子は窓から見下ろす道玄坂界隈の人通りを眺めながら、考え込んだ。そして口を開いた。
「強いて言えば」
「うん」
「朝起きた時、やっぱり今でも、緊張しちゃいますね」
「緊張?」
「ええ。ひょっとして、元の顔に戻っていやしないかって……」
「あゝ」
 俺はため息を吐いた。
「正直、鏡を見るのが恐いんです、わたし。今でも、不安で堪りません」
 そう言う朋子に、俺は大きく頷いてみせた。
「分かる、分かる、その気持ち。でもね」
 俺は朋子の顔を見つめながら、続けた。
「みんな一緒だよ。俺が手術した人、みんなそう言ってる。うん、そうだなあ……」
 俺は沈黙し、何か良い助言はないものかと思いを巡らせた。

 朋子が沈黙を破った。
「先生。それから……」
「それから?」
「後悔ですね、後悔。やっぱり後悔してしまうことも、時々……」
「後悔か。確かに、それもあるねえ」
「後ろめたいっていうか、どうしても、後向きになってしまう自分がいます。罪悪感って言うんでしょうか」
 朋子と肩を並べ窓辺に佇みながら、俺も道玄坂の人波を見下ろした。
「でもみんな、おんなじなんじゃない?整形の有無なんか、関係なく。人間だったら、誰でもさ」
「はい」
「やっぱりみんな、多かれ少なかれ、何らかの後悔を背負ってさ。過去を引き摺りながら、それでも前を向いて歩いていこうって、必死になってる。それが人間、人生ってもんじゃないかなあ?」
「そうかも、知れませんね」
「俺だって、同じだよ」
「先生もですか?」
「ああ勿論だとも。俺にだって、そりゃ後悔のひとつやふたつは、有るさ」
「そうですか……。そうですよね、やっぱり!誰にでも有りますよね、後悔って。分かりました」
 朋子はじっと、俺を見つめながら続けた。
「だって、わたしが後悔してるなんて言ったら、手術して下さった先生だって、後悔しちゃいますよね。すいませんでした」
「そんな、良いんだよ。俺になんか、謝らなくて。これからも俺には何でも、愚痴って良いから」
「はい。有り難うございます」
「まだきみは、二十三だっけ?」
「はい」
「まだまだ、これからじゃないか。いろんなことが、これから起こる筈だよ、きみの新しい人生。だってやっと今、始まったばかりなんだから」
 大丈夫ですよ。そう言わんばかりに、笑みを浮かべながら、朋子は無言で頷いた。本当に大丈夫?不安ではあるけれど、兎に角精一杯、朋子を励まそうと俺は努めた。
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