(五・一)高校、初恋

文字数 1,873文字

 智子去りし後、朋子はキリスト教に興味を抱いた。尤も信仰をしたい訳ではなく、神という存在が漠然と気になっていた。
 神とは何なのか。
 もしもこの世に本当に神が存在するのなら、なぜ神様はわたしなんか、創造したのだろう?なぜわたしのこの醜さを、この孤独な人生を、救ってくれないのだろう?
 そんな訳で、朋子はミッション系の女子校である聖星学院高校を受験し、普通科に入学した。学校は渋谷にある為、山手線で通学した。マスク着用は今までと変わらず、電車内では目立たないよう、いつも俯いていた。
 高校では、いじめられることもなく、特別視されたり、タブー扱いされることもなかった。みんな普通に、朋子と接した。
 授業ではキリスト教の科目もあり、音楽の授業では賛美歌も歌った。校庭の中央にモダンなチャペルがあり、誰でも自由に礼拝出来る。ステンドグラスに囲まれたチャペル内部は色鮮やかではあったけれど、多少薄暗く陰気に思えた。神についてクラスメイトたちと熱心に語り合うことはあっても、朋子に信仰心が芽生えることはなかった。また自ら進んでチャペルに足を運び、礼拝するということもなかった。
 そんな朋子だったが、キリスト教に関して、ひとつだけ心に決めていることがあった。
 もしも自分の前に信頼出来るクリスチャンが現れたら、聞いてみよう。なぜ神様はわたしに、こんな重い十字架を背負わせたのか、と。
 しかし待ち人は、なかなか現れなかった。聖星学院の生徒たちはみな真面目だが、苦労知らずのお嬢様ばかり。教師たちにしても口では立派なことを言うけれど、現実の世の中にとても立ち向かってゆけそうにない理想論ばかり。

 そんな或る日、朋子はクラスメイトの福泉愛に誘われ、彼女が通う目黒の教会の日曜学校に出掛けたのだった。愛ちゃんがそんなに熱心に誘ってくれるのなら、一度位行ってみようか。終わったら、さっさと引き上げればいい……。朋子はそんな軽い気持ちで、参加した。
 ところがミサが終わるや、福泉愛を始め同年代の女子、男子が朋子を取り囲み、熱烈に歓迎したのだった。それは社交辞令や義務感などではなく、心から朋子との出会いを喜んでいるようだった。これには朋子も驚いた。なんて良い人たちなんだろう。こんなやさしい人たちが、この世にいたなんて。
 朋子は直ぐに心を開き、問われるまま皆に、過去の苦労話を語って聞かせた。
「そうだったのですか。とても辛い思いをされて来たんですね」
「大変でしたね。ぼくなんか、とても耐え切れなかったと思います」
「中学の時のお友だちの信仰とやさしさが、雪川さんを救ったんですね。素晴らしい」
「そして今日、福泉さんのお誘いで、わたしたちの救世主の元へ来られた。これは偶然ではありません。きっと神様が、導いて下さったのですよ。本当に良かったですねえ」
「そうかも、知れませんね」
 朋子は疑念を抱きながらも、努めて笑顔で答えた。
「わたしたちも雪川さんに会えて、とっても嬉しいです。これからも、是非来て下さいね」

 そんな純真で快活な、若きクリスチャンたち。その中にあって、ひとり寡黙ではあるけれど、さっきから熱心に朋子の話に耳を傾ける男子高校生がいた。彼の存在に、朋子はときめきを覚えた。つまり異性として、朋子は彼を意識したのである。そして彼とは、福泉愛の兄、高三の福泉誠であった。
 スラーっとした長身で、色白の肌、上品な笑顔。妹の愛をそのままショートカットにしたような、美少年だった。初めて誠と目が合った時、朋子は思わずドキッとし、頬が火照った。と同時に胸に、切ない痛みが走った。それは朋子にとって、生まれて初めての経験だった。
 どうしたんだろう、わたし……。
 知らず知らずのうちに男の子に対しても警戒を抱き、恋愛も意識的に避けて来た朋子だった。男の子が、わたしなんかを好きになる筈がない。今日まで頑なに、そう自分の心に言い聞かせて来た。
 しかし福泉家は、熱心な信仰一家である。誠とて同様。自分たちの信仰に導くことが、他人を幸福にする、救済することだと信じてやまない。従って誠は妹の愛と共に、朋子を救って上げたいと神に願うのだった。その為に自分に出来ることは、何でもしたい、と。
 誠は、熱心に朋子を誘った。日曜学校は勿論、その後に福泉家で催す聖書の勉強会にも招いた。誠の気分を害したくない朋子に、断れる筈はなかった。誠に誘われるまま、朋子は参加した。ひと月、ふた月と過ぎ、毎週のように誠と顔を合わせた朋子は、誠の虜になった。そしてとうとう、誠を好きになり、恋をしてしまったのである。
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