二人の世界

文字数 4,545文字

俺たちは昼食時間に待ち合わせをしたりしない。
 特にそう決めたわけではないけれど、まず、お互いに自分の時間も尊重した方がいいと思ってる。
 それに、これから先もずっと一緒にいることを考えると、付き合っているこの瞬間に会える時間というのを大切にしたいと思ったからだ。

 そんな話を拓司にしたら、「おまえなー、光希ちゃん、遠慮して言わないだけじゃねえの?」とどつかれた。
「でも……」と反論しようとする俺の言葉を遮り、さらに畳みかけてくる。
「だって考えてもみろよ。平日にカフェで待ち合わせしてみたいって言ったんだろ?」
「まあ、そうだけど。でも、それは人混みが苦手だっていうから……」
 だから、わざわざ平日の午前中に待ち合わせをしたのだ。ランチタイムの街なかなんて、歩けたものではないだろう。それを証明するかのように、彼女はお弁当を持参し、会社の会議室で食べているらしい。
「だいたいおまえは極端なんだよ。苦手っていうのは、あんまり得意じゃないってことだろ」
「そのくらい、わかってるよ」
「いいや、わかってないね。その言葉の後ろで、おまえとだったら大丈夫。たまにはお昼も一緒に食べようって思ってるのを感じろ」
「感じろって言われたって……」
「じゃあ聞くけど、悟は光希ちゃんに会いたくないのか」
 いや、会いたい。昼も夜も。
 ただ隣に座っているだけでもいいから。
 拓司は俺の表情から気持ちを読み取ったらしく、頭をパンとはたいてきた。
「ほらみろ? おまえだって、その気持ち口にしてないんだろ? なら、相手の言葉を100%信じるな」

 拓司に言われたから、というのはちょっとシャクだったが、光希を誘うと、「いいの!?」と彼女は目を輝かせた。
 一つだけ、拓司に勝ったなと思ったのは、光希が「麻衣も一緒でもいい?」と聞いてきたことだ。いつもランチに付き合ってもらっているから、と。

ということで、結局、拓司も誘い、四人で昼食をとることにした。
「ここでよかった?」
 俺が選んだのは、冷し中華が有名な店だ。
 念のため、座敷の個室を予約しておいた。
「私のために個室……ありがとう」
 光希は俺の意図をちゃんとくみ取ってくれた。
 麻衣ちゃんも、「外で冷し中華食べるのなんて、久しぶりです!」と喜んでくれている。
「まあ、おまえにしては上出来だったな。ただ……これはいただけないな」
 拓司が、冷し中華の上に乗ったスイカを指さす。
「どうして! これがいいんだろうが」
「え~、私も苦手かも」と麻衣が笑う。
 ただ、光希だけはニコニコと笑いながら、みんなのやり取りをみていた。
「光希ちゃんはどうなの? スイカ好き?」
 拓司がすかさず光希に聞いた。
「スイカは好きだけど……冷し中華に乗ってるのは苦手、かな」
「だよねだよね? ほら、おまえだけだぞ、このスイカがいいなんて言ってるの」
「そうかなあ。ないはずのところに、ちょこっと乗っかってるのがいいと思うんだけどなあ」
 俺は口をとがらせた。
 すると、光希は「あ、そういうのだったら好きかも」と身を乗り出した。
「え、どういうこと? パセリみたいなこと? あってもなくてもいいけど、あると彩りよくていいなみたいな?」
 拓司の質問に、光希は「それともちょっと違うんだけど……」とはにかみ、そして続けた。
「なんかね、普段ならきっと出会わないものどうしが出会う。そこには驚きだったり違和感があったりするんだよね。でも、そういうのがあるから、生きているのが楽しいって思えたりするっていうか……」
 俺は頷いた。が、本当はわかるようなわからないような、不思議な気持ちだった。
「それに、悟くんがスイカに似てるしね」
「えっ?」
 麻衣がいたずらっぽく笑う。
「ちょっと麻衣!」
 言いながら、光希は恥ずかしそうに顔を伏せた。
「え、どういうこと? 俺、こんなシマシマ?」
「おぉ。そう言われてみれば似てる似てる。ツラの皮が厚くて、意外と一部しか使い物にならないとことか」
「アホ。皮だって漬物とかになるんじゃ」
 言いながら、俺は拓司をこづいた。
「もう! 違うってば~」という笑う光希に、麻衣は「言っちゃえば?」とそそのかした。
 それでも光希はもじもじしている。麻衣が代わりに口を開いた。
「見た目と中身が全然違ってるし、食べる場所によっても味わいが違うって。ね? そうでしょ?」
「それっていいの悪いの?」
「もちろんいい意味に決まってるでしょ!」
 麻衣にバンと背中を叩かれた。思わず、げほっと咳き込む。
 その時、光希が時計を見た。
「私、そろそろ……」
「あ、そか。じゃ、また明日ね」
 麻衣の言葉をきっかけに、光希は立ち上がった。
「どした?」
「うん、ちょっと用があって」
「じゃ、途中まで送っていくわ」
 俺も立ち上がり、拓司に「ごちそうさま」と言った。
「わかったわかった。じゃね、光希ちゃん、気をつけて」
 拓司と麻衣ちゃんに手を振り、俺たちは店を後にした。

「ごめんね、あんなこと……」
 歩きながら、光希が言った。
「別に、全然気にしてないよ。というか、むしろ嬉しかった。俺、あんなこと言われたの初めてだったし」
 そう言うと、光希はパッと笑顔になった。
「今日の冷し中華、おいしかった! 今まで食べてきた中で一番かも。一生忘れないと思う」
「おおげさだな、光希は」
 言いながら、俺の頭にふとある思いが浮かんだ。
「なあ光希」
「何?」
「旅行しようか、二人で」
 光希を見ると、彼女は驚いた顔で俺を見上げていた。


「向日葵がたくさん咲いているところに行きたい」と光希は言った。
「いいよ。探しとく」
 返事をしながら、俺の頭には、テレビで見た一面の向日葵畑の景色が浮かんでいた。たしか、会社にあったブライダル雑誌でも、そんな特集を組んでいたのを思い出す。
 でも……と、彼女は一つだけ条件をつけてきた。
「できれば、あんまり有名じゃないところがいいな」

 俺にしては頑張ったと思う。彼女の希望の場所を探すのは大変だったけれど、彼女が有名じゃないところと言ったおかげで、予約がすんなり取れた。
 向日葵がきれいに咲く時期は限られているから、有名なところは夏の終わりでないと、空いていなかったのだ。
 俺の選んだ場所――それは香川県だった。

 飛行機がとても久しぶりだという彼女は、乗っている間、少し顔をこわばらせていた。
 体調が悪いのかと心配したが、飛行機を降りるとけろっとした顔をしていたので、気にも留めなかった。
 それどころか、レンタカーで田舎道を走ると、今までみたこともないようなはしゃぎっぷりを見せた。
「私、こういうところ、大好き!」
「光希は好きな景色がいっぱいあるんだな」
 嫌いなものが多く、文句ばかり言っているよりも、たくさんのものが好きで、ニコニコ笑っている方がいい。
 俺はそんな光希の横顔を微笑ましく見つめていた。

 仲多度郡まんのう町まで車を走らせた。
 いたるところに、「ひまわりの里」ののぼりが立っている。
「ついたよ」
 車から降りた光希は、顔をあげると息をのんだ。
 一面のひまわり畑――そこにはおよそ二五万本の向日葵が植えられている。
「すごい! すごいね。ね、入ってもいいのかな」
 光希のはしゃいだ声に、係の人が「どうぞどうぞ」と道を示してくれた。

 満開の向日葵は夏の日差しを浴び、キラキラと輝いている。
 その向日葵に囲まれた光希は、ひときわ鮮やかに見えた。
 俺はまぶしくそれを見つめながら、また心のシャッターを押した。
「撮りましょうか」
 さっきの係の人がポラロイドカメ太を持ち、声をかけてくれる。
 俺はどうしようかと一瞬迷ったが、光希に「どうする? 撮ってもらう?」と尋ねた。
 思いがけず、「わ、嬉しい。お願いします!」との声が返ってくる。
 俺は「じゃ、一枚だけ」と係の人にお願いし、光希の隣に並んだ。
「撮りますよ――」と声がかかった時、光希がぴたっと俺にくっついてきた。
 それは、俺と光希二人にとって初めての1枚だった。

 もう一つ。
 今日は俺たちにとって初めての夜になる。
 そのことに、俺は柄にもなく、緊張していた。

 夏休みだからか、宿は子供連れが多く、賑やかだった。
 大広間で夕食をとっていると、周りでは小さい子がちょろちょろと走りまわったりしている。光希はその様子を、目を細め、微笑みながら眺めていた。
「奥さま、お酒のおかわりはいかがでしょうか」
「え、あ、はい、お願いします」
 ウェイターの突然の問いかけに光希は慌てている。
 配膳の仕事をしていると、お客さんのだいたいの関係はわかるのだが、宿帳に書かれたとおりに接しなければいけないという鉄則がある。
 俺は宿帳に、光希を妻と書いていた。
 古くさいと言われるかもしれないが、なんとなく、周囲に婚前旅行と思われるのが嫌だったからだ。特に、光希とは、そういう一過性の間柄だと思われたくなかった。
 
 温泉にゆっくりつかり、部屋に戻ると、光希はまだ戻ってきていない。
 こういう時、どうしたらいいのだろう。
 ベッドで待っているのも露骨だろうし、かといってテレビを見ているのも違う気がする。
 俺は冷蔵庫を開けた。
 ビールを取ろうとし、少し迷ってコーラを選ぶ。
 窓を開け、風にあたりながらコーラを飲んでいると、光希が戻ってきた。
 Tシャツに短パンというカジュアルな服装だけれど、その透明感に俺は釘付けになった。自分の身体が反応しそうになるのを、ありったけの理性で抑える。

「お風呂から星が見えて、素敵だったね。見えた?」
 濡れた髪を上品に拭きながら、光希が言う。
 ちょっと照れたようなその仕草がたまらず、「見えたよ」と言いながら、彼女に近づき、そっと抱き寄せた。
 光希の身体がこわばっているのがわかる。その緊張感が俺にも伝わってきた。
 細く、白く、力を入れたら壊れてしまいそうな彼女。
 俺は大切な物を扱うように、ゆっくりと背中をさすり、頭をなでてやった。
 光希の身体から力が抜け、次第に熱を帯びていった。

 そのまま、ベッドへと誘い、彼女を横たえる。
 そっとキスをしただけで、光希は敏感に反応した。
 そんな彼女が愛おしく、あちこちに俺の痕跡を残したくなる。
 キスをするたび、光希は俺にしがみついてきた。
 恥じらいを見せていた彼女の体の芯は、とても熱く、潤っている。
 湿り気を帯びた吐息。それが色っぽさを増幅させていた。

「自由に、光希が気持ちいいようにすればいいよ」
 彼女の心を開放したくて、俺は言った。
「悟……私のこと……好き?」
「もちろん」
「……好きって言って」
「好きだよ。今まで出会った誰よりも」

 俺は彼女の中で、自由に、熱く、動いた。
 光希も、多分、そうだったと思う。

「私のこと、忘れないで……」
「あたりまえだろ。ずっと一緒だよ……」
 俺と光希は、そのまま、光の世界に溶けた――。
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