絶食系男子の卒業

文字数 3,104文字

大学三年生の夏。
 俺は彼女に恋をした。
 向日葵が好きで、その花のようにまっすぐに、空を見つめていたアイツ。
 いつもありったけの笑顔で、俺を見つめてくれたアイツ――。
 夏が来るたびに、俺は彼女のことを思い出すのだろう。

「なあ、ひとめぼれってあんのかな」
 バイトの昼休み、俺は隣で牛丼を食べている前田拓司に聞いてみた。
 拓司とは大学に入学したばかりの学部オリエンテーションで知り合った。たまたま一番後ろに座っていた俺の隣に座ったのが彼だった。もうその時からとても人なつこく、五分前に会ったばかりとは思えない感じで接してくれた。田舎出身だと気後れして出不精になっていた俺をいろいろ引っ張り回して――いや、引っ張り出してくれたのは拓司だ。
 それから今までなんだかんだずっと一緒に行動することが多い。今やっているブライダルやイベントのバイトも拓司に誘われ、去年から続けている。
「あん? こしひかりじゃね? 普通。じゃなかったら、ササニシキかあきたこまちか――」
「ばーか。米の品種じゃねえよ」
 やっぱりコイツに聞いたのが間違いだった。
 拓司はいつも彼女を連れているし、一夜限りのナンパ゚みたいなのもオッケーという、いわゆる恋多き男だ。ちょっと軽いんじゃないか? と感じるところはあるけれど、同性の俺から見ても男気があってカッコイイと思うくらいだから、モテるのも納得だ。

 そんなヤツとつるんでいるから俺もそんなふうに見られがちなのだが――。
 俺はというと、高校時代、彼女といえるかいえないかという関係だった女の子と疎遠になって以来、特定の相手は作っていない。
 いや、見栄を張ってしまった。

 作っていないのではなく、彼女ができなかったのだ。
 紺屋の白袴、医者の不養生、坊主の不信心――ブライダルのアルバイトをし、幸せなカップルの門出を祝い、一生の思い出となる式の手伝いをしているのに、自分の幸せとは縁遠かった。
 そもそも、恋愛に興味があまりない。面倒くさいというのとも違うのだけれど、しっくり感じられなかった。

「あー、うまかった。で? 誰にひとめぼれしたって?」
 すっかり牛丼を平らげた拓司が、俺の顔を覗き込んだ。
「べ、別に俺の話じゃねえよ」
「いや、違うね。絶食系男子の悟が自分から恋バナするなんてめったにないじゃん。つーか、初めてじゃね?」
「恋バナとか言うなよ、気持ち悪い。それに絶食系ってわけでもないし」
 いまや、草食男子の上を行くほど恋愛に興味がない男を「絶食系」というらしい。別に俺は恋愛に興味がないわけじゃないのだ。ただ、田舎の出身だからなのか、あまり早いペースについていけないというのもある。
「ウソウソ。だいたいさあ、人間なんてみんなひとめぼれするわけ。知ってるか? 動物だって昆虫だって、会った瞬間に恋愛行動に走るんだよ。人もそう。性格だの相性だの言ったって、まずひとめぼれしなきゃ相手に興味なんて持たないんだから」
「はいはい、もういいよ。行くぞ」
 俺は伝票を持って立ち上がった。
「何、おごり? 初恋記念?」
 からかい口調で言う拓司に、そのまま伝票をつきつけてやった。

 定食屋から出てきて、俺は一応、拓司に「ごちそうさま」を言った。
「替わりに夜、ビールおごれよ」と拓司は笑う。
「やだね、ワリカンに決まって……あ」
 俺の視線の向こうに彼女がいた。
 名前も知らない、勤め先も知らない。わかっているのは、ただ同じオフィスビルに通っているというだけ。
 今の俺は、彼女がふんわりと笑う横顔を見られれば、それだけでよかった。
俺が彼女の姿を見つめたまま、立ち尽くしていると、それに気付いたらしい拓司はすかさず、ツッコミを入れてきた。
「おっ、あの子か。ってどっちだよ? セミロングの方? 巻き髪の方?」
仕方ない。
自分から切り出したんだから、正直に言うしかないか。
「……セミロング」
「へええ。悟ってああいう、かわいらしいタイプが好きだったんだ。で、どこの子?」
「知らない」
「はい? どういうことだよ。合コンとかで知り合ったんじゃねえの? おまえ、まさか――」
 拓司が完全にひいているのがわかる。でも、しょうがないだろ、これが今の俺なんだから。
 俺はわざと、うんざりしたようにため息をつく。
「はいはい、おまえが思ってるとおりだよ。うちの会社が入ってるビルでちょこちょこ見かけるだけ」
「だけ?」
「そうだよ。それ以上でもそれ以下でもない」
「どこの誰かも知らないのか」
「知らねえよ」
「マジで? 声もかけてないわけ?」
「悪いか! しゃべったこともなければ、目が合ったことすらねえよ。イマドキの小学生でもそんな片思いしないって言いたいんだろ。そうだよな、気持ち悪いよな」
 俺は自嘲気味に笑った。
 恋多き男には俺のこんな気持ちは理解できないだろう。いや、中学生にでさえバカにされてしまうかもしれない。

 完全にバカにされることを覚悟していたが、拓司はいつもと同じ調子で「行くぞ」と言って、小走りになった。
「どこ行くんだよ」
 俺もポケットに手を突っ込みながらだったけれど、少し歩く速度を速める。
「追いかけるに決まってんだろうが。同じビルなんだろ? さりげなくエレベーターに一緒に乗れば、勤め先がわかるだろうが。安心しろ。俺がやってやるから」
 もともと面倒見はいいし、周りの人の様子を気にしてうまく立ち回る拓司だが、なぜかいつも以上に張り切っている。本当に俺のためなのか、それとも、このイベントそのものを楽しんでいるかはわからないが。

 彼女たちとつかず離れずの距離を保ちながら歩いていく。
 俺たちのことなど知らないんだから、すぐ後ろをついていっても問題はないのだろうが、それこそ怪しい。
 オフィスビルに到着すると、彼女たちはそのままエレベーターの列に並んだ。
 ついて行く気などなかったのだが、拓司にがっちり掴まれてしまい、そのまま列の最後尾につく。
 エレベーターがやってきて、箱からたくさんの人が吐き出される替わりに、俺たちがその箱へと入って行く。その混雑は満員電車となんら変わりはなかった。
 ふと気付くと、彼女が隣にいた。接触しすぎないように、彼女がつぶれてしまわないように、そっと隙間を作ってやる。
 と、目が合った。その彼女の唇は、小さく「ありがと」と動いた。

 エレベーターで偶然にも彼女と最接近できたものの、実際の距離が近づくことはまったくなかった。
 ただ、彼女は十五階以上の会社に勤めているらしいということしかわからない。しかも、かなり大きいオフィスビルだから、十五階以上の会社なんて山ほどあるのだ。
 俺は本当に小学生か中学生のように、彼女が朝、通勤する時間に合わせてみたり、ランチから帰ってくる彼女を遠くで待っていたり、はたまた、勤務を終えた彼女の姿をロビーで確認したりと、一歩間違えればストーカーと言われそうなほど、涙ぐましい努力をしていた。
「会ったことない? とか偶然を装ってみるとか、作り話をしてみるとか何でもいいから話せ。そしたら、合コンに持ち込んでやるから」
 拓司はいつもそんな風に言う。
 ここにきてようやく、「絶食系」ではないということを納得してくれたようだ。
 俺だって、今までそれなりに恋はしてきた。自分から告白したことだってある。
 でも、なぜか、彼女だけは軽いノリで声をかけてはいけない気がしていた。そういうところは自分でもやっかいだと思うが、仕方がない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み