向日葵の笑顔
文字数 4,481文字
梅雨明け間近になった七月の最初の日曜日、珍しく「茅ヶ崎までドライブしようぜ」と拓司に誘われた。
ヤツは新車を購入したばかりだから、運転したくてたまらないらしい。
「男二人かよ。どうせなら彼女誘えよ」
俺は言ったが、拓司は「いいじゃん、たまには野郎二人ってのも気ィ使わなくてさ」と笑った。そんなことを言って、どうせ、新しいデートコースの下見をするつもりなんだろう。
七月に入ったとはいえ、海岸に出ると、まだ肌寒ささえ感じる。
俺たちは何をするでもなく、缶コーヒーを一本だけ手にし、座って海を眺めていた。
「よかったのか? 彼女連れてこなくて」
俺が聞くと、拓司は「大丈夫、フォロー済み」と親指を立てた。プレイボーイはマメな気遣いがないとやっていけないらしい。
「悟こそ、どうすんだよ、彼女のこと。このままでいいのか」
「まあな、性格とかわかんねーし。だったら見てるだけでもいいかななんて」
大の男が何を言ってるんだという感じだが、これは本音だ。
以前の恋愛でフェイドアウトしてしまったのがトラウマになっているのか、それとも、彼女に対してだけそう思うのかは、今はわからない。だから絶食系と言われてしまうのかもしれない。
「そうだな。ああいうタイプ゚はさ、清楚に見せておいて、意外とイケイケだったりするもんだ」
拓司がしたり顔で言った。
「そうかもな」なんて曖昧に頷いてみせたが、俺自身は、彼女をそんなふうには見ていない。それよりも「この子とは絶対相性がいい」という根拠のない自信さえ持っていた。自分が今後どうやって生きていくかのビジョンも、就活を始めるにあたっての軸になるようなものも何もないのに。
その時だ。
「……オイ、あの子……?」
拓司の視線の先を見ると、彼女がいた。
いつも一緒にいる友達と二人で、海を眺めている。
「あ……」
心臓が急にバクバクしはじめる。
光の中の彼女が、とてもまぶしく見えた。
思いがけない再会に、俺は文字どおり、口をポカンと開けていたと思う。
「わ、ホンモノ……」
髪型はセミロングではなく、ボブになっていたけれど、まさしく彼女だ。
「バーカ。何言ってんだよ。早く声かけろよ」
拓司が俺の脇腹をひじでつついてくる。
「なんだよ。やめろよ」
俺は拓司の腕を振り払いながらも、どうすることもできないでいた。
第一、彼女はまだこちらの存在に気付いていないのだ。いきなり声をかけたら、変に思うかもしれない。エレベーターの一件だって覚えてないかもしれないじゃないか。いや、万が一覚えていたとしても、あの時の男が俺だってわからないかもしれない。
「ったく、何ぐちゃぐちゃ言ってんだよ、悟は。おまえ、仕事はけっこうバリバリやるくせに、彼女のことになると、ホントにダメなやつになるな」
悔しいけど、今の俺には何も言い返せない。
その時、彼女たちが立ち上がった。
「ヤバいぞ、ほら。あ、もしかして、俺いない方がいいか? なんならどっかに隠れるから――って、そんなとこないか」
俺以上に拓司が慌てて、腰を浮かせている。本当にいいヤツだ。いつも憎まれ口ばっかりたたくけど、こんな時に良さを実感する。
その時、彼女がこちらを振り返った。
目が合った。
と、彼女がパッと笑顔になる。それは向日葵の花が咲いたような、明るい満面の笑みだった。
「あ……」
彼女たち二人がこちらに近づいてくる。
本当はすぐにでも立ち上がって挨拶をしたいのだが、情けないことに膝がガクガクして力が入らない。
「こんにちは」
「あ、どうも……」
平静を装おうとするあまり、ぶっきらぼうになってしまった。
「あれ? 知り合い? おまえ、こんな可愛い子たち、なんで俺に紹介してくんねえんだよ」
拓司が軽いノリで言いながら、さりげなく俺を立ち上がらせてくれた。このソツのなさは、本当に役者にでもなれるのではないかと思う。
「いえ、あの、この前、エレベーターで助けていただいて……覚えてますか?」
彼女に顔を覗き込むように言われ、つい、後ずさりしてしまう。覚えてるに決まってるじゃないか。でも、これ以上近づかれたら、俺は理性を失ってしまうかもしれない。
「あ、それはもちろん。いや、でも、助けたなんて……」
動揺し、声がうわずってしまった。心臓が口から飛び出しそうとは、こういうことを言うのかとヘンなところに感心する。
「いえ、あの時はありがとうございました。私、人混みが苦手なんです。ね?」
彼女は、隣の友達に言った。その友達はいつもよりナチュラルな巻き髪だ。いつもの印象よりも柔らかく見える。
「そうなんです。この子、都会よりは田舎好きで――あ、せっかくだし……」
彼女の友達が言いかけたのを、拓司が止めた。
「ちょっと待った。それ以上、女の子に言わせては男がすたる。お嬢さん方、お茶でもしませんか?」
拓司が気取った口調で、彼女たちを誘ってくれた。
「なんだよそれ」
ツッコミを入れながらも、俺は心の中で拓司に感謝をした。
俺たちは拓司の車に乗り、カフェを求めて移動した。
「車、もしかして、ウチの店で買いました?」
彼女の友達が言った。
「ウチの店って?」と拓司が聞き返す。
「支店のシールが貼ってあったから……あ、ウチの店って言っても、私たちは派遣で受付やってるだけなんですけどね」
彼女たちは俺たちと同じオフィスビルにある輸入車販売会社に勤めていたのだ。 拓司はそこで、偶然、この車を購入していたというわけだ。
彼女は、拓司と彼女の友達が話している間、ずっとニコニコとしながら、窓の外を眺めていた。
国道沿いのおしゃれなカフェに入ると、拓司は「やっぱり、せっかくだし、交互に座ろうよ」と仕切りだした。
「合コンかよ」と言いながらも、俺は彼女の隣に座る。ふんわりと夏の匂いがして、ドキっとした。
改めて俺たちは自己紹介をした。
彼女の名前は度会光希。俺たちより二つ上の二三歳だった。セミロングよりも、今ののボブヘアの方が光希に合っていると、そう思った。しかし、それを言えるほど心臓は強くない。
そして光希の友達は、穂高麻衣ちゃんといった。
「光希ちゃんと麻衣ちゃんか~。これからよろしくね。俺たちはバイトだけど、せっかく同じビルに勤めてるんだしさ、ランチとかしようよ。ね、連絡先教えて。あ、俺たち年下だけど、タメ口でもいい?」
拓司がどんどん攻めていく。本当に拓司に爪の垢でも煎じて飲みたいところだ。
でも、光希たちはそんな拓司の軽いノリにも応じてくれ、俺はめでたく連絡先を交換できた。
東京まで、拓司の車で帰ることになった。
「俺ができるのはここまでだぞ。あとは自分で何とかしろ」
車に乗る間際、拓司が俺に囁いた。
「わかってる。サンキュ」
俺は大きく深呼吸をした。
拓司の最後のおせっかいで、俺と光希が後部座席に並んで座らされた。
拓司と麻衣は気が合うらしく、会話に花を咲かせている。
一方の俺たちはというと、その会話に時々加わったり、外の景色について話をしたりしていた。二人とも饒舌なタイプではないけれど、会話のないことが気づまりにはならなかった。きっとそれは、相性が合うからだ――と、そう信じたい。
その時、肩にかすかな重みを感じた。
見ると、疲れたのか、光希は眠ってしまったようだった。
俺は少しだけ彼女に近づいて、首をラクにしてやる。
右肩が熱い。車が揺れるたびに感じる彼女の匂いが心地よかった。
どのくらい時間が経っただろう。
光希が目覚め、ハッと俺から離れた。肩にじんわりと彼女の重みが残っている。
「ごめんなさい、私、寝ちゃって――あの……重かった?――」
その仕草がとてもかわいらしく、俺はうろたえる光希の手を思わず握ってしまった。
「え……?」
心臓をバクバクさせつつも、握った手に力を込める。
と、彼女も俺の手を握り返してきた。
思わず光希を見ると、彼女は恥ずかしそうに俯いていた。
そのまま、俺たちは手をつないだまま、車に揺られていた。
「ええっ? それだけかよ」
俺は昨日のことを拓司に報告した。
光希と俺の家が近いことが判明したせいで、家の近くのコンビニで降ろされた。その後、俺は彼女を家まで送り届けたのだ。
「つきあおうとか言わなかったわけ?」
「うん……」
「キスの一つもしなかったわけ?」
「まあ……」
「ダメだこりゃ。おまえはどこまで慎重なんだよ。俺なら、何も言わずに押し倒すんだけどな」
拓司は完全に呆れている。
でも、仕方がない。なんだか、光希だけは他の女の子と同じように扱ってはいけない気がしてならない。
「おまえには感謝してるよ」
「感謝とかしてくれなくていいから、頑張れよ。そのかわり、彼女とうまくいったらビールおごれ」
拓司が笑う。俺は本当にいい友達を持った。
と、その時、メールの着信音があった。光希からだ。
「昨日は送っていただいてありがとうございました。お礼といってはなんですが、今度の土曜日、なな亭でお食事しませんか?」
なな亭というのは、ちょうど俺の家と光希の家の間ぐらいにあるこじゃれた焼き鳥屋だ。
「ちぇっ、その近くまで送ったの俺なんですけど」
メールを覗き込んだ拓司がふてくされる。
「そんなこと言うなよ~」
「情けない声だすなよ。冗談だって。悟、わかってるな、土曜日が勝負だぞ。彼女はおまえに気がある。あとは、ケジメだけだ」
そんなこと、俺だってわかってる。でも――。
そして土曜日。
俺はこの日が来るまで、落ち着かない日々を過ごした。
でも、そんな気持ちは彼女の顔を見たとたん、ふっとんだ。
二人きりの時の光希はとても快活で饒舌だった。焼き鳥をおいしそうに食べ、コロコロとよく笑った。
その日、俺たちはいろいろな話をした。どんな子供だったか、大学のこと、就職のこと、そして家族のこと。今まで彼女と出会わなかった時間を埋めるかのように。
「ありがとう。今日はとっても楽しかった」
光希が笑顔で俺を見上げる。
「いや、こちらこそ。ごちそうになっちゃって」
違う、俺の言いたいことはこんなことじゃない。
「ううん、今日のはお礼だから。でも、また――」
ダメだ。光希にこれ以上言わせたらいけない。俺にだってそのくらいのプライド゙は残っている。
俺は勇気を振り絞って、彼女の手を掴むと、一気に抱き寄せた。
柔らかな光希の身体が俺の腕の中にある。
その事実に俺の心臓は高鳴っていた。
「あのさ……俺……え?」
気がつくと、光希は泣いていた。
「え、あ、ごめん。俺、なんか――」
「ううん、嬉しいの。悟くんがなんかあったかくて――」
俺は光希を抱きしめ、そして、そっとキスをした。
それは、俺たちの夏の始まりだった――。
ヤツは新車を購入したばかりだから、運転したくてたまらないらしい。
「男二人かよ。どうせなら彼女誘えよ」
俺は言ったが、拓司は「いいじゃん、たまには野郎二人ってのも気ィ使わなくてさ」と笑った。そんなことを言って、どうせ、新しいデートコースの下見をするつもりなんだろう。
七月に入ったとはいえ、海岸に出ると、まだ肌寒ささえ感じる。
俺たちは何をするでもなく、缶コーヒーを一本だけ手にし、座って海を眺めていた。
「よかったのか? 彼女連れてこなくて」
俺が聞くと、拓司は「大丈夫、フォロー済み」と親指を立てた。プレイボーイはマメな気遣いがないとやっていけないらしい。
「悟こそ、どうすんだよ、彼女のこと。このままでいいのか」
「まあな、性格とかわかんねーし。だったら見てるだけでもいいかななんて」
大の男が何を言ってるんだという感じだが、これは本音だ。
以前の恋愛でフェイドアウトしてしまったのがトラウマになっているのか、それとも、彼女に対してだけそう思うのかは、今はわからない。だから絶食系と言われてしまうのかもしれない。
「そうだな。ああいうタイプ゚はさ、清楚に見せておいて、意外とイケイケだったりするもんだ」
拓司がしたり顔で言った。
「そうかもな」なんて曖昧に頷いてみせたが、俺自身は、彼女をそんなふうには見ていない。それよりも「この子とは絶対相性がいい」という根拠のない自信さえ持っていた。自分が今後どうやって生きていくかのビジョンも、就活を始めるにあたっての軸になるようなものも何もないのに。
その時だ。
「……オイ、あの子……?」
拓司の視線の先を見ると、彼女がいた。
いつも一緒にいる友達と二人で、海を眺めている。
「あ……」
心臓が急にバクバクしはじめる。
光の中の彼女が、とてもまぶしく見えた。
思いがけない再会に、俺は文字どおり、口をポカンと開けていたと思う。
「わ、ホンモノ……」
髪型はセミロングではなく、ボブになっていたけれど、まさしく彼女だ。
「バーカ。何言ってんだよ。早く声かけろよ」
拓司が俺の脇腹をひじでつついてくる。
「なんだよ。やめろよ」
俺は拓司の腕を振り払いながらも、どうすることもできないでいた。
第一、彼女はまだこちらの存在に気付いていないのだ。いきなり声をかけたら、変に思うかもしれない。エレベーターの一件だって覚えてないかもしれないじゃないか。いや、万が一覚えていたとしても、あの時の男が俺だってわからないかもしれない。
「ったく、何ぐちゃぐちゃ言ってんだよ、悟は。おまえ、仕事はけっこうバリバリやるくせに、彼女のことになると、ホントにダメなやつになるな」
悔しいけど、今の俺には何も言い返せない。
その時、彼女たちが立ち上がった。
「ヤバいぞ、ほら。あ、もしかして、俺いない方がいいか? なんならどっかに隠れるから――って、そんなとこないか」
俺以上に拓司が慌てて、腰を浮かせている。本当にいいヤツだ。いつも憎まれ口ばっかりたたくけど、こんな時に良さを実感する。
その時、彼女がこちらを振り返った。
目が合った。
と、彼女がパッと笑顔になる。それは向日葵の花が咲いたような、明るい満面の笑みだった。
「あ……」
彼女たち二人がこちらに近づいてくる。
本当はすぐにでも立ち上がって挨拶をしたいのだが、情けないことに膝がガクガクして力が入らない。
「こんにちは」
「あ、どうも……」
平静を装おうとするあまり、ぶっきらぼうになってしまった。
「あれ? 知り合い? おまえ、こんな可愛い子たち、なんで俺に紹介してくんねえんだよ」
拓司が軽いノリで言いながら、さりげなく俺を立ち上がらせてくれた。このソツのなさは、本当に役者にでもなれるのではないかと思う。
「いえ、あの、この前、エレベーターで助けていただいて……覚えてますか?」
彼女に顔を覗き込むように言われ、つい、後ずさりしてしまう。覚えてるに決まってるじゃないか。でも、これ以上近づかれたら、俺は理性を失ってしまうかもしれない。
「あ、それはもちろん。いや、でも、助けたなんて……」
動揺し、声がうわずってしまった。心臓が口から飛び出しそうとは、こういうことを言うのかとヘンなところに感心する。
「いえ、あの時はありがとうございました。私、人混みが苦手なんです。ね?」
彼女は、隣の友達に言った。その友達はいつもよりナチュラルな巻き髪だ。いつもの印象よりも柔らかく見える。
「そうなんです。この子、都会よりは田舎好きで――あ、せっかくだし……」
彼女の友達が言いかけたのを、拓司が止めた。
「ちょっと待った。それ以上、女の子に言わせては男がすたる。お嬢さん方、お茶でもしませんか?」
拓司が気取った口調で、彼女たちを誘ってくれた。
「なんだよそれ」
ツッコミを入れながらも、俺は心の中で拓司に感謝をした。
俺たちは拓司の車に乗り、カフェを求めて移動した。
「車、もしかして、ウチの店で買いました?」
彼女の友達が言った。
「ウチの店って?」と拓司が聞き返す。
「支店のシールが貼ってあったから……あ、ウチの店って言っても、私たちは派遣で受付やってるだけなんですけどね」
彼女たちは俺たちと同じオフィスビルにある輸入車販売会社に勤めていたのだ。 拓司はそこで、偶然、この車を購入していたというわけだ。
彼女は、拓司と彼女の友達が話している間、ずっとニコニコとしながら、窓の外を眺めていた。
国道沿いのおしゃれなカフェに入ると、拓司は「やっぱり、せっかくだし、交互に座ろうよ」と仕切りだした。
「合コンかよ」と言いながらも、俺は彼女の隣に座る。ふんわりと夏の匂いがして、ドキっとした。
改めて俺たちは自己紹介をした。
彼女の名前は度会光希。俺たちより二つ上の二三歳だった。セミロングよりも、今ののボブヘアの方が光希に合っていると、そう思った。しかし、それを言えるほど心臓は強くない。
そして光希の友達は、穂高麻衣ちゃんといった。
「光希ちゃんと麻衣ちゃんか~。これからよろしくね。俺たちはバイトだけど、せっかく同じビルに勤めてるんだしさ、ランチとかしようよ。ね、連絡先教えて。あ、俺たち年下だけど、タメ口でもいい?」
拓司がどんどん攻めていく。本当に拓司に爪の垢でも煎じて飲みたいところだ。
でも、光希たちはそんな拓司の軽いノリにも応じてくれ、俺はめでたく連絡先を交換できた。
東京まで、拓司の車で帰ることになった。
「俺ができるのはここまでだぞ。あとは自分で何とかしろ」
車に乗る間際、拓司が俺に囁いた。
「わかってる。サンキュ」
俺は大きく深呼吸をした。
拓司の最後のおせっかいで、俺と光希が後部座席に並んで座らされた。
拓司と麻衣は気が合うらしく、会話に花を咲かせている。
一方の俺たちはというと、その会話に時々加わったり、外の景色について話をしたりしていた。二人とも饒舌なタイプではないけれど、会話のないことが気づまりにはならなかった。きっとそれは、相性が合うからだ――と、そう信じたい。
その時、肩にかすかな重みを感じた。
見ると、疲れたのか、光希は眠ってしまったようだった。
俺は少しだけ彼女に近づいて、首をラクにしてやる。
右肩が熱い。車が揺れるたびに感じる彼女の匂いが心地よかった。
どのくらい時間が経っただろう。
光希が目覚め、ハッと俺から離れた。肩にじんわりと彼女の重みが残っている。
「ごめんなさい、私、寝ちゃって――あの……重かった?――」
その仕草がとてもかわいらしく、俺はうろたえる光希の手を思わず握ってしまった。
「え……?」
心臓をバクバクさせつつも、握った手に力を込める。
と、彼女も俺の手を握り返してきた。
思わず光希を見ると、彼女は恥ずかしそうに俯いていた。
そのまま、俺たちは手をつないだまま、車に揺られていた。
「ええっ? それだけかよ」
俺は昨日のことを拓司に報告した。
光希と俺の家が近いことが判明したせいで、家の近くのコンビニで降ろされた。その後、俺は彼女を家まで送り届けたのだ。
「つきあおうとか言わなかったわけ?」
「うん……」
「キスの一つもしなかったわけ?」
「まあ……」
「ダメだこりゃ。おまえはどこまで慎重なんだよ。俺なら、何も言わずに押し倒すんだけどな」
拓司は完全に呆れている。
でも、仕方がない。なんだか、光希だけは他の女の子と同じように扱ってはいけない気がしてならない。
「おまえには感謝してるよ」
「感謝とかしてくれなくていいから、頑張れよ。そのかわり、彼女とうまくいったらビールおごれ」
拓司が笑う。俺は本当にいい友達を持った。
と、その時、メールの着信音があった。光希からだ。
「昨日は送っていただいてありがとうございました。お礼といってはなんですが、今度の土曜日、なな亭でお食事しませんか?」
なな亭というのは、ちょうど俺の家と光希の家の間ぐらいにあるこじゃれた焼き鳥屋だ。
「ちぇっ、その近くまで送ったの俺なんですけど」
メールを覗き込んだ拓司がふてくされる。
「そんなこと言うなよ~」
「情けない声だすなよ。冗談だって。悟、わかってるな、土曜日が勝負だぞ。彼女はおまえに気がある。あとは、ケジメだけだ」
そんなこと、俺だってわかってる。でも――。
そして土曜日。
俺はこの日が来るまで、落ち着かない日々を過ごした。
でも、そんな気持ちは彼女の顔を見たとたん、ふっとんだ。
二人きりの時の光希はとても快活で饒舌だった。焼き鳥をおいしそうに食べ、コロコロとよく笑った。
その日、俺たちはいろいろな話をした。どんな子供だったか、大学のこと、就職のこと、そして家族のこと。今まで彼女と出会わなかった時間を埋めるかのように。
「ありがとう。今日はとっても楽しかった」
光希が笑顔で俺を見上げる。
「いや、こちらこそ。ごちそうになっちゃって」
違う、俺の言いたいことはこんなことじゃない。
「ううん、今日のはお礼だから。でも、また――」
ダメだ。光希にこれ以上言わせたらいけない。俺にだってそのくらいのプライド゙は残っている。
俺は勇気を振り絞って、彼女の手を掴むと、一気に抱き寄せた。
柔らかな光希の身体が俺の腕の中にある。
その事実に俺の心臓は高鳴っていた。
「あのさ……俺……え?」
気がつくと、光希は泣いていた。
「え、あ、ごめん。俺、なんか――」
「ううん、嬉しいの。悟くんがなんかあったかくて――」
俺は光希を抱きしめ、そして、そっとキスをした。
それは、俺たちの夏の始まりだった――。