スマイルカットの夢

文字数 4,002文字


「なーんちゃって、びっくりした? 悟ってば本気にしてるんだもーん」
 こんな風に、光希が笑って現れるのをひたすら想像していた。
 でも、光希は二度と俺の前に姿を現さなかった。
 残暑は厳しかったが、それでも時折、秋の気配を感じさせるような9月になっていた。

「で? それから会ってないわけ?」
 拓司に言われ、俺は頷いた。
「はぁ。おまえはそれで納得しちゃってるわけ? おまえの気持ちは?」
 畳みかけるように言われ、俺は考えた。
 もちろん俺は光希と別れたくなんかない。何か嫌いなところがあるのなら、直そうと努力もする。
 でも、光希が本当に俺と別れたいと思うなら、それを尊重したいとも思うのだ。
「でもさ、おまえが心残りに思うなら、もう1回会って、きちんと話すべきなんじゃねーの? ま、すぐに切り替えるっつーなら、合コンとか企画してやるけど。せっかく絶食系卒業したんだしさ」
 俺を気遣って言ってくれる拓司に、俺は心の中で感謝をした。

 しかし、光希はすでに、携帯電話の番号もメルアドも変えていた。ラインもやめてしまったようだ。
 ストーカーか! と自分にツッコミを入れながらも、光希の行き帰りの時間に合わせて待ち伏せもしてみた。
 それでも会えず、しまいには光希の派遣先であった会社も訪ねてみた。
 でも、「そんな人間はいない」と突っぱねられてしまった。
 唯一の頼みの綱である麻衣ちゃんも、派遣期間が終わったのか、ビルで会うことも姿を見かけることもなくなっていた。

「しゃーないな。失恋の傷は恋でしか直せないっていうしな。俺が新しい女の子、紹介してやるよ」
 拓司が盛り上がった。
「いいよ、別に」
「そんなこと言うなって。おまえ、そこそこイケてるよ。ま、俺には劣るけどさ。おまえと合コンしたい子なんていっぱいいるんだよ。じゃ、明後日な」

 気が進まなかったが、拓司に押し切られるようにして、合コンに参加した。
 でも、女の子と話せば話すほど、光希のことを思い出してしまう。
 何か女の子が言葉を発するたびに、彼女だったらこういうだろうな、こういう顔をするだろうなと光希と比べてしまうのだ。
「ごめん、帰るわ……」
 俺は拓司にそう告げ、店を出た。

 店を出た俺は、繁華街を、ただぼんやりと歩いた。
 ここに光希がいたら、目の前の風景は大きくかわるのに。
 ここに光希がいたら、俺の気持ちも晴れやかになるかもしれないのに。

 ふらふらと歩いていると、ふと、道路の向こう側の女の子と目が合った。
「悟くん……」
 麻衣ちゃんだった。
「麻衣ちゃん……」
 俺はそのままふらふらと麻衣ちゃんに近づいていった。
「久しぶり」
「久しぶりだね、悟くん」
 そう言ってはくれたが、俺と目を合わそうとはしなかった。
「光希は? 光希も元気にしてる?」
 失礼だと思いつつも、こらえられなかった。
 と、麻衣ちゃんはいきなり泣きだした。

 俺と麻衣ちゃんは、オフィスビル近くの噴水のある公園に場所を移した。
 日が暮れてから間もないのに、肌にあたる風が涼しく感じる。
「少ししか経ってないのに……懐かしいな、ここ。よくお弁当食べたな……」
 麻衣ちゃんがベンチに腰をかけた。
「いつ、ここでの派遣期間終わったの?  今はどこで働いてるの?」
 何の気なしに聞くと、麻衣ちゃんは「えっと……」と戸惑いをみせ、それから、覚悟を決めたように、俺に向かって「ごめんね」と謝った。

「何? どうしたの、麻衣ちゃん。あ、俺、別に探ろうとしたわけじゃなくて」
「ううん、ううん、ごめん」
「いやいや、もし、光希に口止めされてるとかだったら、全然言わなくていいから。もう俺とは終わったんだし、こんなことで、光希と麻衣ちゃんの友達関係が崩れてもアレじゃん?」

 俺が言うと、麻衣はブンブンと首を振った。
「違うの……」
「えっ?」
 俺が聞き返すと、麻衣ちゃんは「ごめん!」と天を仰ぐように言い、それからこちらに向き直った。

「光希……亮子ね、重い病気にかかってたの」

「亮子? 亮子って誰?」
「井上亮子……光希の本当の名前なの」
 わからない。
 あの光希が? あの元気でいつも笑顔だった光希が重い病気だった?
 俺は心も体もバラバラにされた気分だった。理解がまったく追いつかない。
「……どういうこと?」
「私たちね、本当は派遣仲間じゃなくって、中学からの友達なの」
 麻衣ちゃんは俺の問いには答えず、そんなことを言った。
 なぜ光希は昔からの友人であることを隠したりしたんだろう。いや、その前になぜ名前を偽ったりしたのだ?
 すべてがわからないという思いが顔に出ていたのだろう。
 麻衣ちゃんはもう一度「悟くん……もう私黙ってられない」と言い、ぽつりぽつりと語りだした。

「ゴールデンウィーク前だったかな、亮子が突然うちに来たの。なんとか、あのビルで働きたいから協力してくれないかって」
 麻衣ちゃんは俺たちの会社が入っているビルを指さした。
「私もちょうど派遣期間が切れたとこだったし、いいよって軽く受けたの。でも何で? って聞いたら、『最期に素敵な思い出を作りたいから』って」
 そこで光希――亮子は自分が余命わずかであることを告白したのだという。だから、残りの人生を好きなようにすごしたい、と。
「それで……そんなことで名前まで?」
「そんなことじゃないよ。亮子は悟くんの前では、明るくて元気いっぱいの――そう、光があふれる向日葵のような女の子でいたかったんだよ」
 俺は思わず麻衣ちゃんの顔を見た。
 なぜ光希は俺のことを知っていたのだろう?
「病院の行き帰りにね、よく悟くんを見かけてたんだって。誠実そうで、いつも笑顔で、人を幸せにする仕事をしている人だって」
「……ブライダルのバイトしてたからか」
「レストランでも、お客さんのクレームにすごくきちんと対応してたって……」
「そんなこと……」
「詳しくは聞いてないけど、とにかく悟くんの人柄に魅かれたみたい。だから、エレベーターで守ってもらった時、本当に喜んでた。それで話す勇気が出たって。だから、あの海も偶然じゃないんだ。たまたま、拓司くんがウチの会社で車買ってくれたでしょう? その時、話してるの聞いちゃって。それで」
「あいつ、声デカいからなあ……。ま、そのおかげで光希と知り合えたわけだけど」
 俺の言葉に、ようやく麻衣ちゃんは笑顔になった。

「あ、そうだ。これ……」
 別れ際、麻衣ちゃんはバッグ゙から一枚の写真を撮りだした。
 初めて海で出会った日、四人で撮ったものだった。
 そこには見慣れた光希の笑顔があった。
 光希の思い出は、向日葵畑で撮った写真と、この写真の二枚だけだ。

 それでも結局、今、光希――俺はどうしても亮子とは呼べない――がどこにいるのか、どうしているのか、麻衣ちゃんに確認することはできなかった。
 それに、もし聞いたとしても、麻衣ちゃんは話してくれなかっただろう。

 拓司からは、気になるなら確かめる方法はいくらでもあると言われたが、光希が俺とは会わないと決めた以上、無理強いはしたくない。
 泣いてまで俺と別れようとした気持ちを、無駄にしたくなかった。
 それに……光希が今、この世に存在するのかどうか尋ねることさえ、彼女に失礼な気がしていた。光希はたしかに存在した。
 そして、今も俺の心の中にいる。
「ま、知ってほしくないこと、知りたくないこともあるだろうしな、お互いに」
 これまた情けないけれど、拓司の言うとおりだ。
 本当は事実を知るのがこわかったんだ。
 
 こうなったら光希にとことん嫌われよう。
 俺はアイツと撮った二枚の写真を持ち、光希が一番嫌いだった思い出をたどる作業を始めた。

 オフィスビルで見かけるようになった頃、名前も知らない彼女をずっと見つめていた。
 エレベーターで出会い、そして夏の初め、キラキラ光る海岸で再会した。
 初めての待ち合わせ。初めてのデート。初めてのキス。
 
 江ノ電に乗っていると、「夏の匂いがする」とはしゃいだ光希の声がよみがえってくる。
 夏が好きで、花火が好きで、おまつりが好きで、向日葵が好きでスイカが好きな光希。
 初めての旅行、初めてのケンカ、そして、初めての夜。
 光希はいつも俺に対して、まっすぐに全力でぶつかってきてくれた。
 なのに、何で気付かなかったんだろう。アイツが苦しんでいたこと。アイツが言えなかったこと――。俺は光希の支えになってあげられたんだろうか。
 
 稲村ケ崎についた。
 ここで好きなものを言い合った。途中で「好きだけど嫌いなものを言うゲームじゃない」と光希は言ったけれど、それも楽しかった。
 あの時、俺は、アイツを一生守っていこうと心に決めた。
 でも、ここで光希は「別れる時は嫌いあって、きれいさっぱり忘れよう」と言ったのだ。 あの時は何を言ってるんだと思ったけれど、今なら少しわかる気がする。

 でもな、光希。
 おまえは一つだけ勘違いをしている。
 忘れようとすればするほど、人の心には残るものなんだ。
 写真がなくたって、いや、なければそれだけ、心の記憶にとどめようとするものなんだよ。

 だから、忘れないよ。
 光希は俺の知らない向日葵が咲き乱れる国に、長い旅をしに行ったんだと思うことにする。
 もし、旅の途中でスイカが食べたくなったら、日本に帰ってくればいい。
 その時は、またスマイルカットにしてあげる。
 それまで、俺は今まで逃げていた、自分の「これから」を考えて、真面目に就活をするよ。

 そして、光希と撮った二枚の写真をその場に残し、思い出の海をあとにした。
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