悲しい嘘

文字数 5,050文字

旅行から帰ってからも光希は、多くの女の子がそうなってしまうような――(と、拓司から聞いている)度を超えた親密さを見せたり、俺を自分のモノのように扱ったりということはなく、前と変わらず、俺に接してきた。
 ただ、二人きりの時、その空気感は以前と確実に変わった。
 拓司に言わせると、「やったかやらないかの違い」らしいけれど、そんなレベルのものではないと、少なくとも俺はそう感じていた。
 でも、それがいけなかった。
 俺の方が、光希に甘えていたのだ。

「できない約束はしないで」
 光希の瞳はとても悲しげで、それでいて、その口調には凛とした空気があった。
 それが俺の胸を締め付けた。

 旅行する前だったか、花火大会に行こうという話になった。
 人が多いから大丈夫かな……と彼女は心配していたのだけれど、俺は「花火がよく見える部屋をとれば大丈夫!」と押し切ったのだ。音は聞こえないかもしれないけれど、ホテルの部屋で見る花火が、とても贅沢なもののように思え、満足していた。
 でも、その日に結婚式が入ってしまったのだ。
 大安だったせいか、式が多くて配膳係の数が足りなくなった。だから、アルバイトであっても、経験のある俺たちが駆り出されることになったのだ。 
「いや、ホントに悪いと思ってる。でも、バイトだけど、これが俺の仕事なんだよ。俺がそういう仕事してるのはわかってほしいんだけど……」
「それはわかってる。幸せになる人を祝福する、そのお手伝いをする素敵な仕事だってことも」
「だったら……」
「わかってる。わかってるの。でも……それでも、守れないかもしれない約束はしないでほしかった」
「それは……ホントにごめん。これからそんな軽はずみなこと、絶対しないから」
 俺は平謝りをするしかなかった。
「ううん、私も……ヘンなところにこだわるなんてしょうもない女だよね。ごめんね」
「いや、今回は本当に俺が悪かった。でも……ちゃんと指摘してくれて嬉しかったよ」
 俺がそう言うと、ようやく光希は笑顔になった。

「俺も駆り出されてなかったら代わってやったんだけどな~」
 俺の話を聞いた拓司が、そんなふうに言ってくれた。
「いや、そういう話じゃなかったんだ、今回は。俺のスタンスの問題だ」
「そっか」
「そうなんだ」
「おまえ……本気なんだな」
 拓司の言葉に俺は頷いた。
「先になるかもしれないけど、将来のこと、ちゃんと考えようと思ってる」
「そっか。お前にしては一大決心だな」
「ん……」
「よし、じゃあ、景気づけに今日は俺がおごってやる!……ただし、ビール一杯な」
「ケチくせえなあ」
「何言ってんだよ。俺のプロポーズ名言アドバイスつきだぞ」
「おまえ、どんだけプロポーズしてんだよ、学生のくせに」
「それだけは聞かないでくれ」
 俺は今、幸せの絶頂にいた。

 俺は家に光希を招待することにした。
 この歳で、一人暮らしをしていて、何を今さら……と思われそうだが、光希がうちに来るのは初めてだ。もちろん、俺も彼女の部屋に行ったことはない。
 高校生かと自分で自分にツッコミを入れたくなるけれど、なんとなく、その機会を失っていた。でも、だからこそ、今日は特別な日を演出できると思う。

 何を隠そう、俺は料理が得意だ。
 母親が働いていたせいもあって、家事は苦にならない。
 濃い味が苦手な光希のために、和食中心のメニューにしてみた。麺好きな彼女だから、そば寿司も添えてみる。
 そして、我ながらキザだと思うが、テーブルには向日葵を中心に作ってもらったブーケを飾った。
 準備万端。あとは光希の来るのを待つだけだ。

 ほどなくして、光希はやってきた。
「八百屋さんで目が合っちゃって。私、スイカに弱いみたい」と、大きなスイカを抱えている。普段は汗をかかない彼女の額にも、うっすらと汗がにじんでいた。
「これ全部、悟が作ったの? すごい! おいしそう!」
 光希は目を丸くしながら、とても喜んでくれた。
 そして、その言葉どおりに、よく食べ、よく笑った。

「あー、おいしかった。ごちそうさま」
 光希の言葉をきっかけに、俺は「じゃ、スイカ切ろうか」と立ち上がった。
 大きなスマイルカットにしてみる。小さい頃、これにむしゃむしゃとかぶりつくのが憧れだった。
「これって食べにくいんだけど、最初に歯形をつけるのがたまらないんだよね。真ん中、甘いし」
「だろ? なのに、うちの母ちゃん、いつも小さく切っちゃうんだよな~」
「あ、うちもそうだった」
 やっぱり光希も同じ思いでいてくれたのだと、俺は少しはしゃいでいた。
 シャリシャリと音を立てて食べ終え、俺は口元を拭った。

「ねえ俺の実家……一緒に行かない?」
「えっ?」
 スイカの種と格闘していた光希が、顔をあげた。
「うん。ちゃんと就職してからじゃなきゃなんともいえないけど……将来のことも考えてる」
 光希は俺の顔を見たまま、固まっている。
 学生の分際で何を言ってるんだという感じだったか。
 それとも、そんな大事なことをこんなにあっさりいうなという感じだっただろうかと反省する。
「あ、もっとロマンチックにすればよかったよね。俺んちでスイカ食べてる時じゃダメだよな。あ~、気がきかなくてごめん。そういうの、得意じゃなくて――」
 すると、光希の目からはらはらと涙がこぼれた。
「あーあーあーあ、ごめん! やり直し。こういうの、再チャレンジとかないのかもしれないけど、また今度、改めてさせて」
 俺はすっかりうろたえてしまった。
「そうじゃないの」
「えっ?」
 今度は俺が聞き返す番だった。
「……嬉しくて……ありがとう。私なんかに……」
「いや、光希だからだよ。こんな気持ちになったの初めてだ」
「でも……少し待ってもらってもいい?」
「うん。待つよ。一生のことだしさ、よく考えてみて」
「ありがとう」
 穏やかな時間――こんな日がずっと続けばいい。俺はそう思っていた。
 
 光希のイメージは夏だ。だから、もし、数年後でも本当に結婚するなら夏がいい。
 出会いが夏だからか、二人の新しい時間を始めるには、この季節がふさわしいと思うのだ。

 光り輝く空の下でのガーデンウェディング。
 真っ白なウェディングドレスを身につけた光希。
 彼女のはにかんだ顔。
 向日葵のブーケ。
 友人たちの笑顔。
 そんな風景を、目を細めて眺めている俺。

 頭に浮かぶのはいつもそんなシーンだった。
 拓司に言うと笑われそうなのでそこまでは話していないが、とりあえず自分の思いを伝えたということだけは伝えておいた。
「絶食系男子、卒業だな」と拓司は笑って言ってくれた。

 そんなプロポーズまがいのことをしてから、俺たちの関係は確実に進展していた。
 少なくとも俺は、以前よりも彼女のことが好きになっているし、より具体的に、彼女との未来が想像できるようになっていた。
 そして、光希の笑顔もさらに増えた気がする。
 彼女は、海沿いや自然の多い場所に行っては「こんなところに住んでみたい」と言ったり、インテリアショップをのぞいては「ああいう部屋に憧れる」とはしゃいだりしていた。
 そんな姿を見ていると、光希からきちんとした返事をもらわなくとも、すでに、彼女と新生活を始める準備をしている錯覚におちいった。
 光希さえ嫌じゃなければ、俺が大学を卒業したら一緒に暮らし始めてもいいだろう、そうしたいとさえ思っていた。

 でも、多分。
 光希という女の子は、なし崩し的に行動したり、流されるままに何かを始めたりするタイプではない。
 将来のことを考えてちゃんとつきあうけじめとして、告白のやり直しをしようと思い、海沿いのレストランを予約した。
 二人が出会った場所にほど近い、清潔感のある店だ。周りには緑が多くてゆったりしている。今まで歩いてきた暑さを忘れさせてくれるほどだ。
 レストランはガラス張りになっていて芝のひかれた庭が見渡せる。光は差し込んでくるものの、さりげない日よけのおかげでまぶしさや暑さは感じなかった。

 光希には「記念スポットに行こう」とだけ伝えたのだけれど、俺の思いをきちんと受け止めてくれた。
 いつものようなカジュアルな服装ではなく、爽やかな白い麻のワンピースを着てきてくれた。
「素敵なお店だね」
 そう言って笑う光希の顔を一生忘れない。俺はそう思った。

 シャンパンが運ばれてきた。グラスはキンキンに冷やされているようだ。
 いつもみんなで集まる時などはビールで乾杯するのだが、今日は特別だ。お互いにちょっと気取ってみるのもいいかもしれない。そんなことも、後で笑い話になるだろう。
 乾杯のシャンパンはキリッてと冷えていて、とても美味しかった。
 そして、料理も。
 カジュアルフレンチというのか、フレンチの創作料理というのか。とにかく、こういうのを上品な味というのだろう、拓司と一緒に食べるカレーや丼めしとは対照的な感じがした。
「いいね、ここ」
 自然に言えた。
「結婚式場に」という言葉は付け足せなかったけれど……。
「おいしいね。……けど」
「ん?」
「もうやめない? 恋愛ごっこ」
 光希の低い声に、俺は耳を疑った。自分でもみっともないくらいうろたえているのがわかった。
「え? どういうこと?」
「こういう、いかにもみたいの、好きじゃないの。なんか、恋に恋してるって感じじゃない?」
 声はいつもどおりに戻っていたものの、



「だから、こういう、いかにもみたいの好きじゃないんだけど。なんか恋に恋してる感じっていうか」
「あ、ごめん……。ほら、この前、スイカ食ってる時に真面目な話ししちゃったじゃん? だから、なんていうか……思い出に残るものにしたいなって思って」
 俺が謝ると、光希は大きくため息をついた。
「そういうとこ、実はもう、うんざりなんだよね。それって私のこと、ちゃんと見てくれてないってことでしょう?」
「そ、そんなことないよ。俺は光希のこと――」
「だって私、記念日とか思い出作りとかそういうの嫌いだよ。写真も嫌い」
「それは――」
「理想ばっかり追い求めるのも嫌い」
「そっか……そうだったんだ」
「それに、せっかくだけど、別に私、悟との将来のことなんて考えてないから」
「えっ?」
「ちょっと寝たぐらいで、勘違いしないでほしいんだよね。ほら、ひと夏の恋ってやつ? 出会って、わーって盛り上がって、夏が終われば、じゃさよなら、みたいな」

 光希に、誰か別人格が乗り移っているかのようだった。少なくとも俺にはそう見えた。
 いったい何があったというのだろう。
「どうした?」と聞こうとして、光希を見ると――彼女は必死に涙をこらえていた。鼻が赤く、今にも大粒の涙がこぼれそうだ。
 なぜそんなにまでして、俺を否定するのか。

 その涙を見て、俺はふと思い出した。
 付き合い始めたばかりの頃、光希は言ったのだ。

「約束しよ? 私たちが別れる時は、お互い嫌いになって、すっぱり忘れようね」
「別れてもお友達とか、きれいな思い出は残しておこうねとか、そういうのイヤなの」

 そうか。光希は俺と別れようとしているのだ。 
 そのために、俺と過ごしたこの夏を全否定しようとしている。
なぜだろう。知らず知らずのうちに光希を傷つけてしまったのだろうか。
 しかし、光希のことだ。とことん考え抜いてのことなのだろう。俺も覚悟を決めた。

「光希……」
「そんなふうに呼ばないで!」
「ごめん」
「謝らないでよ」
「あ、ごめん」
「だから!」
 光希は人目もはばからず、ポロポロと涙を流していた。
 ウェイターが料理を持ってきたけれど、説明もせずに、そそくさと去っていくほどに。
「本当は、麺類なんて好きじゃないし、海だって好きじゃなかったんだから」
「ん」
「夏だって好きじゃない」
「ん」
「向日葵だって……スイカだって好きじゃないんだから」
「ん。わかった」
 俺も多分、言いながら泣いていた。
 そんな俺の顔を見た光希は、さらに泣いた。
「ごめん……さよなら」
 光希はそのまま去って行った。
 俺は彼女を追いかけることなく、運ばれてきた料理を光希の分までひたすら食べ続けた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み