第一話 前編 米子タクシーじゃありません
文字数 2,208文字
もうどのくらい歩いたろう?
こんな山奥に来てしまったけど……。
これから、どうしよう??
目的もないし、あてもない。こんなとこにいても何もない。
立ち尽くしてボーッとしていると、一台の車が近くの林道 を走って来た。
この道、見た目だけは立派なんだけど、さっきまで、車のただ一台も通らなかった。なのに……? 不思議。車もそうは通らないような、そんな凄 い山奥なのに。
黒い車で、セダンとかいうタイプなんだと思う、私も車のことはよく分からないけど。どうやらタクシーらしい。屋根の上にも、なんていうのだろう? 電気がつく
そのまま通り過ぎるだろうと思ってた。なのになぜか、通り過ぎるのではなくて、減速して、そして――私の前で停まった。
車体には『㈱迷子タクシー』と書いてある。法人タクシーなのはいいけど、とても変わった社名だ。もしかして『米子 』の見まちがいか、という気がした。『米子タクシー』なら普通にあるだろう、地名か人名かなんかで。けれど『(東京)』とも書いてあるから、地名じゃなさそうだ。だとしても、東京からだとすると、ずいぶんと遠くから来たみたいで。そのことも不思議だった。
そんなことを思っていたら、ドアがパカッと開 いて。
「お嬢 さん? だいじょうぶ? 乗っていきますか?」
運転手さんが私に呼びかけてきた。声の感じ、たぶん、三〇代くらいの女の人のようだ。
「あっ、私、おかね、もってませんので!」
私が断ろうとすると、
「いいのよ、いいのよ、乗っていきなさい。こんな山奥にいてもしょうがないでしょう? 送っていくから!」
運転手さんはそう言う。
私はちょっと……一〇秒くらいか、悩んだ。こんな通りすがりの知らない車に乗って、平気なんだろうか。けれど、ここにずっといても……なんにもならない。
それに――
もう、どうでもよかった。
私は、そのタクシーに乗せてもらうことにした。
私が乗るとドアはバタンと閉まって、タクシーは走り出す。
「ホントにいいんですか?」
私は再び尋 ねたけれど、
「いいんですよ。とりあえずとにかく、ここから出ましょう?」
運転手さんは、メーターのカウントは動かさないで、【貸切】に切りかえた。
「これでもう、おかねは頂きませんから」
車内には、運転手さんの顔写真と氏名、身分証が掲げてある。うん、本物のちゃんとしたタクシー会社だ。だから、たぶんだけど、心配はしなくていい……かな? それと運転手さん、米子さんじゃないみたいだ。
運転手さんが前に向き直ると、タクシーは滑り出すように速度をあげた。
タクシーは山奥をずっと走ってる。道が曲がりくねってはいるけど、景色が変わった気がしない。
私は訊 いた。
「このへん、詳しいんですか?」
「この辺りは時々、来ることがあるんですよ」
と、運転手さんはバックミラー越しに私のほうをチラッと見て言った。
「こんな山奥にもお客さん、いるんですね」
「ええ。意外に思うかもしれませんけど、実はけっこういらっしゃるんですよ」
ちょっと驚いた。私みたいな人、ほかにもいるんだ。
「へえ、そうなんですか。だから、道、わかるんですね」
「こう見えても五年くらいはやってますから。まあそれでも、この業界では新人みたいなもんですけど」
自慢げでもなければ、謙遜 でもない、淡々とした感じ。
積んである無線機から、地名だろうか、私の知らない言葉が聞こえてくる。お客さんがいるところにタクシーを向かわせるためのようだ。無線機の声に気づいた運転手さんは、音量を小さくした。
「こういうこと訊くと失礼かもしれませんけど……知らない道を走るってこと、あるんですか?」
「ありますよ、ありますよ! けど、いまの時代はコレ! ナビ付いてますから! イザというときも安心!」
運転手さんは軽いノリで、脇にある車載 ナビを指して自信ありげに言った。なんだかどっかの通販番組に出てる社長さんみたいに。
「そうなんですね、それなら経験が浅い人でもなんとかなりますよね」
「そうそう、そうなんですよ。いまでもたまーに、お世話になること、ありますから」
「会社にベテランさんはいらっしゃらないんですか? なんでも知ってます、みたいな」
「独立して、フツーの個人タクシーを開業される先輩が多いですね。ウチはけっこう、体力も精神力も要 りますから。コレ、若い人でないと難しいんですよね」
「ああ、そうなんですね、タクシーのお仕事って」
「そうなんですよ」
そして、ふっと改めて気づいて、いまさらだけど私は、運転手さんに伝えた。
「あっ、私、おかね、もってないんで。いいですよ、そんな丁寧 な言葉遣 いされてなくたって」
「いえいえ。アナタは若いけど、立派な人でしょうから」
「えっ? そんなことないですよ、全然っ!」
全否定したら……。
「いやいや、こうやってかれこれ五年もやってると、アタシだって見れば分かるんですよ、いろんなお客さん乗せてきましたから」
そう言われた私。なんと返したらいいか分からなくって、黙 ってしまった。
タクシーは相変 わらず林道を走っている。けれど、峠 を越えたのか、少し下り坂。
「ところで、こんなところまで、なんでいらしゃったんですか? あっ、いえ、言いづらいことだったら、いいんですけど……」
一呼吸おいて、私。
「それは……長年病気だった母が、最近亡くなりまして……」
スッ――車内が静かになった。
〈後編につづく〉
こんな山奥に来てしまったけど……。
これから、どうしよう??
目的もないし、あてもない。こんなとこにいても何もない。
立ち尽くしてボーッとしていると、一台の車が近くの
この道、見た目だけは立派なんだけど、さっきまで、車のただ一台も通らなかった。なのに……? 不思議。車もそうは通らないような、そんな
黒い車で、セダンとかいうタイプなんだと思う、私も車のことはよく分からないけど。どうやらタクシーらしい。屋根の上にも、なんていうのだろう? 電気がつく
アレ
が付いてる。そのまま通り過ぎるだろうと思ってた。なのになぜか、通り過ぎるのではなくて、減速して、そして――私の前で停まった。
車体には『㈱迷子タクシー』と書いてある。法人タクシーなのはいいけど、とても変わった社名だ。もしかして『
そんなことを思っていたら、ドアがパカッと
「お
運転手さんが私に呼びかけてきた。声の感じ、たぶん、三〇代くらいの女の人のようだ。
「あっ、私、おかね、もってませんので!」
私が断ろうとすると、
「いいのよ、いいのよ、乗っていきなさい。こんな山奥にいてもしょうがないでしょう? 送っていくから!」
運転手さんはそう言う。
私はちょっと……一〇秒くらいか、悩んだ。こんな通りすがりの知らない車に乗って、平気なんだろうか。けれど、ここにずっといても……なんにもならない。
それに――
もう、どうでもよかった。
私は、そのタクシーに乗せてもらうことにした。
私が乗るとドアはバタンと閉まって、タクシーは走り出す。
「ホントにいいんですか?」
私は再び
「いいんですよ。とりあえずとにかく、ここから出ましょう?」
運転手さんは、メーターのカウントは動かさないで、【貸切】に切りかえた。
「これでもう、おかねは頂きませんから」
車内には、運転手さんの顔写真と氏名、身分証が掲げてある。うん、本物のちゃんとしたタクシー会社だ。だから、たぶんだけど、心配はしなくていい……かな? それと運転手さん、米子さんじゃないみたいだ。
運転手さんが前に向き直ると、タクシーは滑り出すように速度をあげた。
タクシーは山奥をずっと走ってる。道が曲がりくねってはいるけど、景色が変わった気がしない。
私は
「このへん、詳しいんですか?」
「この辺りは時々、来ることがあるんですよ」
と、運転手さんはバックミラー越しに私のほうをチラッと見て言った。
「こんな山奥にもお客さん、いるんですね」
「ええ。意外に思うかもしれませんけど、実はけっこういらっしゃるんですよ」
ちょっと驚いた。私みたいな人、ほかにもいるんだ。
「へえ、そうなんですか。だから、道、わかるんですね」
「こう見えても五年くらいはやってますから。まあそれでも、この業界では新人みたいなもんですけど」
自慢げでもなければ、
積んである無線機から、地名だろうか、私の知らない言葉が聞こえてくる。お客さんがいるところにタクシーを向かわせるためのようだ。無線機の声に気づいた運転手さんは、音量を小さくした。
「こういうこと訊くと失礼かもしれませんけど……知らない道を走るってこと、あるんですか?」
「ありますよ、ありますよ! けど、いまの時代はコレ! ナビ付いてますから! イザというときも安心!」
運転手さんは軽いノリで、脇にある
「そうなんですね、それなら経験が浅い人でもなんとかなりますよね」
「そうそう、そうなんですよ。いまでもたまーに、お世話になること、ありますから」
「会社にベテランさんはいらっしゃらないんですか? なんでも知ってます、みたいな」
「独立して、フツーの個人タクシーを開業される先輩が多いですね。ウチはけっこう、体力も精神力も
「ああ、そうなんですね、タクシーのお仕事って」
「そうなんですよ」
そして、ふっと改めて気づいて、いまさらだけど私は、運転手さんに伝えた。
「あっ、私、おかね、もってないんで。いいですよ、そんな
「いえいえ。アナタは若いけど、立派な人でしょうから」
「えっ? そんなことないですよ、全然っ!」
全否定したら……。
「いやいや、こうやってかれこれ五年もやってると、アタシだって見れば分かるんですよ、いろんなお客さん乗せてきましたから」
そう言われた私。なんと返したらいいか分からなくって、
タクシーは
「ところで、こんなところまで、なんでいらしゃったんですか? あっ、いえ、言いづらいことだったら、いいんですけど……」
一呼吸おいて、私。
「それは……長年病気だった母が、最近亡くなりまして……」
スッ――車内が静かになった。
〈後編につづく〉
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