第13話 【第二試合】チョークスリーパー
文字数 3,756文字
(しまった……!)
凄まじい握力で締め上げつつ、レイチェルを引き寄せようとする雷道山。その貌が醜い笑みに歪む。
「……っ!」
このまま引き寄せられて捕獲されたら一巻の終わりだ。相手は二度とレイチェルを離さずに、その怪力で締め落とすなり骨を折るなりしてくるだろう。だが既に腕を掴まれてしまったので、レイチェルの力で振りほどくのは困難だ。引き寄せに抵抗する事も不可能だ。
(……だったら!)
雷道山が物凄い力でレイチェルの身体を引き寄せる。彼女は敢えてそれに抵抗せずに、むしろ自分から相手の懐に飛び込んだ。
そしてその勢いも加味して今までローキックでダメージを蓄積させていた足の、足首部分を目掛けて全力で足刀を叩き込んだ!
「……ッ!!」
雷道山の顔が苦痛に歪み、その体勢が大きく崩れる。足で体重を支える事が出来なくなり、マットに片膝を着く。レイチェルを掴んでいた握力が緩む。その瞬間を見逃さずに素早く逃れて、雷道山の顔面に狙いを定めて全力の膝蹴りを撃ち込む。
鼻が潰れる鈍い感触。盛大に鼻血を零しながら怯んだ雷道山の背後に素早く回り込む。そして……
『おぉーーー!! これは……チョーク・スリーパーだ! 一度完全に極まれば勝負が決まるとも言われる、絞め技の原点にして頂点! ブロンディ、果たしてウェイト差のある雷道山を締め落とせるかぁっ!?』
「……! ……ッ!!」
雷道山が両手を無茶苦茶に振り回して暴れるが、真後ろに密着するレイチェルには届かない。思った通りだ。相撲レスラーは独特の体型も相まって、身体の柔軟性はそれ程高くない。完全に背中に密着してしまえば、体格の小さいレイチェルを捕捉する事は難しいはずだという予測は当たっていた。
『表』の試合では反則となる気管や喉仏を狙った締め上げだが、ここでなら問題ない。というよりそんな悠長な事は言っていられないというのが現実だ。
レイチェルを捕捉出来ないと悟った雷道山は、体格に物を言わせて立ち上がろうとする。
「……!」
完全に極まったら脱出手段がないとも言われるバックチョークだが、唯一の例外として「立ち上がってから後ろに向かって倒れ込み、その勢いのまま背中から叩き付ける」という脱出法が存在する。
だがそれは余程のウェイト差が無いと不可能な芸当であり、性別や体重(階級)によって厳密に区分されている『表』の試合に於いては、机上の空論と言われていた。
だがここは『表』ではない。今レイチェルが締め上げているのは、男性、しかも自分より遥かに体重が重い相手であり、その「机上の空論」を実践出来る条件が揃っていた。
レイチェルを背中に引っ付けたまま、雷道山の巨体が立ち上がりかける。レイチェルは激しく焦った。このまま立ち上がられてしまったら、技を解く以外になくなる。さもないと五百ポンドはあろうかというこの巨体に押し潰される羽目になる。だが……
雷道山の動きが途中でガクッと止まる。レイチェルのローキックや足刀でダメージの蓄積していた方の足から崩れたのだ!
千載一遇のチャンスだ。
レイチェルは持てる力の全てを振り絞って相手の気道を締め上げる。雷道山は苦し紛れに片膝立ちの姿勢から後ろに倒れ込んだ。
「ぐ……!」
五百ポンドの体重が圧し掛かる圧迫感にレイチェルは呻いた。しかし立ち上がった高さからの叩き付けでは無かったので、まだ何とか耐えられる範囲であった。力を緩める事無くバックチョークを継続する。
「…………!」
やがて雷道山の動きが緩慢になってきて、その後完全に止まった。
落ちたのだ。
だが演技の可能性もあるので、念の為5秒程度チョークを継続した後に、ようやく技を解除した。……雷道山は完全に白目を剥いていて、起き上がってくる事は無かった。
『お、おぉぉーーー!!! す、す、素晴らしい! ブロンディ、無事にフェイタルコンバットの二戦目を制したぞぉ! 怪力無双を誇る巨体の相撲レスラー相手に、その弱点を突いた冷静な攻めで堅実に勝利を掴んだ! 素晴らし過ぎるぅ! これでフェイタルコンバットは増々盛り上がりを見せるぞ! 皆さま! ブロンディの華麗なる勝利と次なる試合を見られる事を祝して、彼女に惜しみない拍手を送ろうではありませんか!』
――ワアァァァァァァァァァァァァッ!!!
観客達が総立ちになって拍手の雨が降る。座り込んだ姿勢で荒い息を吐きながら黙って歓声を浴びるレイチェルだが、勿論彼女の中に嬉しさや彼等への感謝などない。
だが……何か彼女にも解らない、得体の知れない達成感のような感情が僅かに沸き上がり、彼女はそんな自分の心に戸惑うのであった……
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例によってエイプリルがチャールズを引き付けている間に、レイチェルは一足先にアリーナを後にする。この方法もそろそろ限界だ。ジョンの目もあるので、何度も同じようにエイプリルが『トイレ』にチャールズだけを伴っていては怪しまれる。
何か別の接触方法を考えるべきか。可能ならブラッドに相談してみよう。そう思って廊下を歩いていると……
「レイチェル」
小声で彼女を呼ぶ声。ブラッドだ。見やると廊下の死角になっている場所に佇む彼の姿が。
「ブラッド」
レイチェルは辺りに誰もいない事を確認して、素早く側に走り寄る。
「試合はこれで三戦目だ。身体の方は大丈夫か?」
「ええ……何とか大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
これまでの試合ではいずれも苦戦を強いられているが、幸いにも骨折や脱臼といった重傷は負っていない。打撲に関しても急所に入るのは辛うじて防いでいる。それならば一日休めば充分回復する範囲内だ。
部屋に戻った後、チャールズが念入りにメディカルサポートを行ってくれているのも大きかった。現在信用のおけないチャールズだが、皮肉にもそういう面では頼りになった。
「そうか、なら良い。だが今後連中がどんな試合形式を打ち出してくるか予想が付かん。くれぐれも油断はするなよ?」
「ええ、それも勿論解ってるわ。……でももしあなたと戦う事になったら?」
ブラッドもあくまで参加選手である以上、その可能性は当然あるだろう。ブラッドは真剣な眼差しでレイチェルを見た。
「……ジュリアンの妻、そしてジュリアンの娘の母親を潰すような事はしない。もし俺と当たった時は、『途中』までは本気でやる。その後……俺の腕を壊せ」
「……!」
レイチェルは息を呑んだ。明らかに本心で言っている。
「で、でも……」
「他に道は無い。ああ、勿論壊すのはせめて左腕にしてくれよ?」
ちょっとおどけたように片目を瞑って左腕を差し出すブラッド。レイチェルは引き攣り気味に笑う。しかしブラッドは再び真顔になった。
「……まあそうなる前に連中を潰す手段を見つけられるのがベストだがな」
「……!」
レイチェルも気を引き締める。そうだ。それがそもそもの最終目的なのだ。
「何か進展はあったの?」
だがブラッドはかぶりを振る。
「いや、流石にそう甘くは無いようだ。どこも警備が厳重だ。昨日の今日ではまだ難しい」
「そう……」
確かにそれは仕方のない事かもしれない。ただ現在進行形であの『フェイタルコンバット』を戦い抜いているレイチェルとしては、一日待つという事はつまり、もう一試合勝ち抜かなくてはならないという事だ。
それを考えると暗澹たる気持ちになるのは、これもまた仕方のない事であった。
声を落とすレイチェルだが、ブラッドは解っているという風に頷いた。
「気を落とすな……という方が無理だろうが、俺の中でもある程度の計画は固まりつつある。明日には必ずそれを形にしてお前に伝えられるはずだ。だからお前は何としてでも明日の試合を勝ち残るんだ」
「ブラッド……。ええ、必ず勝つわ」
負ければエイプリルにも危害が及ぶのだ。それだけでレイチェルが過酷な試合を戦い抜く動機は充分過ぎる程であった。
「よし。探索の方の進展はなかったが……今日お前を呼び止めたのは、今後の接触手段についてだ」
「え……」
「今日もあの子がお前の旦那を引き付けてくれているのだろう? だがそう何度も連続して使える手じゃない。他の連中の目もあるしな」
「……!」
奇しくも自分が考えていた事と同じことをブラッドが考えていた事を知り、レイチェルは目を見開く。
「今日はその辺を色々調べるという目的もあってな。それでも簡単じゃなかったが、密会が出来そうな人目に付かない場所を見つけた。時間は夜の11時30分を回ったら、部屋をこっそり抜け出してこの場所に来てくれ。夜間警備の巡回ルートも伝えておく」
「な……」
一日でそんな事まで調べていたのか。ブラッドから密会場所と安全なルートを教えられながら、レイチェルはその注力ぶりに驚いていた。
エイプリルが引き付けておけるのもそろそろ限界だろうという事で、今日はそのまま解散となった。
確かにこんな短時間では碌に打ち合わせも出来ない。どこか落ち着いて話せる場所と時間が必要だった。ブラッドも同じ考えであったようだ。それをとりあえず確保できそうだという事で、それが今日の『収穫』と言えるかもしれない。
そして予想通りやってきたエイプリルとチャールズと合流し、レイチェルは明日の試合に備えて部屋へと引き籠るのであった。