最終話 愛する者、守る者

文字数 2,796文字

 綺羅びやかな照明がリングの上にスポットを当てていた。アリーナには大勢の観客が詰めかけ、リング上で戦う二人の選手の一挙手一投足に沸き立つ。更にリングを仕切るケージの外側には両選手のセコンド、そして試合の模様を撮影しているカメラマン達が控えている。

 リング上にはグローブを嵌め、試合用のコスチュームを身に纏った二人の女が、ファイティングポーズを取って荒い息を吐きながら向き合っていた。


 向き合う選手の一人は……金髪を引っ詰めて、露出度の高いコスチュームに身を包んだレイチェルであった。


 栄えある格闘団体GFCでの、『産休』から復帰後の大事な一戦である。絶対に落とす訳には行かなかった。相手はジャスミンという、レイチェルよりもやや大柄なアフリカ系の女性であったが、『同性』でしかも『同階級』の相手だ。あの地獄のフェイタルコンバットの事を考えたら、恵まれすぎているとさえ言える条件だ。彼女の中に恐れや緊張は微塵も無かった。

「シッ!!」

 レイチェルは自分から果敢に攻め掛かる。ジャブの連打からのストレートを狙っていく。相手はかなり息が上がっており、レイチェルの猛攻の前にひたすら防御に徹していた。

 ローキックで相手の脛を打ち据える。ジャスミンの体勢が崩れた。レイチェルはその隙に相手と組み合って首相撲の体勢に移行する。忽ち膝蹴りの応酬になるが、多少の苦痛など物ともせずに強引に相手をフェンスまで押し切る。

 フェンスに背中を打ち付けられたジャスミンが焦る。そこにレイチェルのエルボーが額にヒット。ジャスミンの額が切れて流血する。観客席が沸き立った。

 ジャスミンは額から血を流しながら狂ったように膝蹴りを叩き込んでくるが、レイチェルは構わずに組み付いて、相手を引き込むようにして背負投げを決めた!


 投げられたジャスミンと一緒にマットに倒れ込む。レイチェルは相手に態勢を立て直す隙を与えず背中に取り付くようにして寝技に持ち込む。勿論ジャスミンもこちらの狙いを悟って、そうはさせじと暴れる。

 今度は寝技の応酬となるが、あのバトルロイヤルでのバシマコフ相手の寝技合戦に比べれば何の事はない。レイチェルは巧みに相手の力を受け流しながら押さえ込み、完全にバックを取る事に成功した。

 そこから相手をうつ伏せに押さえつけつつ、バックチョークを極める! 流れるような鮮やかな技術に、観客もアナウンスも感嘆の叫びを上げる。もうこの時点で勝敗は決したようなものだ。案の定、ジャスミンがレイチェルの腕にタップしてきた。


 フェイタルコンバットではタップなど認められなかった。相手を破壊するか、完全に締め落とすまで試合は続く。このジャスミンは自分がどれだけ恵まれた安全な環境で試合をしているか知らないのだ。レイチェルはそれを羨ましく思いつつ、レフェリーがストップを掛けてきたので、『仕方なく』技を解いた。


『勝者は青コーナー、レイチェル"ブロンディ"スチュアート(・・・・・・)!! 一年間の産休明けとは思えない程の圧倒的強さを見せつけたぁっ!!』


 レフェリーに手を掲げられレイチェルの勝利が宣言される。順調な滑り出しであった。ジャスミンとハグをしてから両手を上げて歓声に応えるレイチェル。ケージの扉が開き、双方のセコンドがリングに駆け上がってくる。真っ先に飛び込んできたのは……

「ママぁ! おめでとう!」
「エイプリル!」

 今年で八歳、小学校三年生になった愛娘のエイプリルであった。レイチェルは屈み込んで、突進してきたエイプリルを抱き止める。

「ありがとう、私の可愛い天使! あなたの応援のお陰よ!」

「ふふ! 私だけじゃないでしょ?」

 エイプリルは明るく笑いながら後ろを振り向いた。そして視線の先にいる人物を呼んだ。

パパ(・・)ッ、早くっ! ほら、ジューンも!」

 そこにいたのは片方の腕に幼児を抱き抱えた、一人の頑健な男性であった。

「レイチェル、見事だった。いいリスタートを切れたな」

「ええ、ブラッド(・・・・)、ありがとう! あなたのお陰よ! 勿論ジューンもね!」

 それは、あの島で共に地獄を乗り越えた男性、ブラッドであった。

 彼が抱き抱えているのは、レイチェルと彼の間に出来た一歳になる娘、ジューンであった。エイプリルにとっては異父妹に当たる。

 レイチェルは喜色満面でブラッド……夫とキスを交わし、もう一人の小さな愛娘のほっぺたにも口づけした。



 島での脱出時、一時危篤状態に陥ったブラッドだったが、FBIの応急処置が間に合い、奇跡的に一命を取り留めた。そうなれば元が鍛えられた格闘家である彼の事、回復は早かった。

 そして退院してきたブラッドとレイチェルは、退院祝いの夜、正式に結ばれた。その後ブラッドはオーストラリアからアメリカに移住し、そのままレイチェルと結婚。

 それから程なくして、レイチェルが身籠った事が判明。『産休』に入り、無事にジューンを出産した。その後はコーチとなったブラッドの指導の元トレーニングを積んで、今日こうして格闘家として再出発を切る事が出来たのであった。




 これが今のレイチェル達の現状。二人はチャールズのジムを買い取ってオーナーを兼任。ブラッドは選手としては一線を退き、ジムのオーナー兼トレーナーに就任した。

 彼はチャールズとは違って堅実であり、それでいてトレーナーとしての技術も確かなので、レイチェルの知名度や実績と相まって、ジムの経営は至って好調であった。 

 因みにチャールズの行方はルーカノスと同じく、未だに不明のままだ。尚それだけでなく、あのフェイタルコンバットに参加した闇格闘家達も殆どが一斉検挙の際には姿を消しており、ブラッドが警察の友人から聞いた所によると、ルーカノスと行動を共にしている可能性が高いとの事。身辺には十分注意するように警告されたが、結局何事もないまま二年間が過ぎた。

 インターポールやFBIは未だにルーカノスの行方を追っている状況だ。そんな中ではルーカノスも組織の力が無ければそこまで無体な事は出来ないのだろうとレイチェルは安心した。



 概ね、今の彼女を取り巻く現状は、彼女にとっては幸福と呼べるものだった。愛する夫と愛しい二人の娘、そして格闘家として順調なキャリア。

 多くを望むべきではない。今ある幸せを守る事が出来れば、それだけで彼女には充分であった。あの地獄のフェイタルコンバットを必死に生き抜いて手に入れたささやかな幸福。

 万が一この幸せを壊そうとする者が現れたら、彼女は再び全力で戦うだろう。愛する者達、そして自らの心の安寧を守る為だけに……


「さあ、皆。帰りましょうか。私達の家に……!」

 エイプリルとブラッドは笑って頷く。幼いジューンはキョトンとしている。

 そうしてレイチェルは観客達の歓声とスポットライトの中、愛する家族達と腕を組んでアリーナから退場していくのであった……



Fin
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