第6話 【初戦】非合法の洗礼

文字数 4,718文字

 その後『開会式』を終えて控室に戻ってきたレイチェル。この日は開会式のみで実際の試合は明日からとの事。

「これは確かに予想外だったね……。この大会が非合法な物だという前提を忘れていたな」

 チャールズが難しい顔で腕を組んで唸っている。彼等もこの部屋のTVで開会式の様子は見ていたらしい。

「マ、ママ……男の人と喧嘩するの? みんな、ママよりおっきい人ばっかりだったよ……?」

 エイプリルが不安に震える瞳で見上げてくる。レイチェルは彼女を安心させるように努めて笑顔を作る。

「大丈夫よ、エイプリル。ママが絶対に負けないの知ってるでしょ? あなたが応援しててくれるならママは無敵よ」

「う、うん……」
 それでもまだ不安げなエイプリル。これは当然の事であって、この不安を完全に払拭する事は出来ないだろう。  

「試合形式や対戦カードは明日当日に発表されるみたいだ。今日はコンディションの調整に努めるべきだね」

「そう、ね……」

 チャールズの勧めに従って調整とイメージトレーニングに努める。食事はラウンジで摂る事も出来るようだが、奇異の目に晒されたくなかったのと、エイプリルの安全を考えて部屋に持ってきてもらった。

 数日ぶりにエイプリルを交えた家族全員での食事に、明日から過酷な試合が待っている解っていても、レイチェルの心は暖かい気持ちに満たされるのであった。



  
 そして翌日。遂に試合の日がやって来た。レイチェルは第一試合に出る事が決まっており、呼びに来たジョンに促されてアリーナへと向かう。既に昨日と同じ試合用のコスチュームに着替え、金髪を編み込んで束ねて準備は万端だ。

 セコンドとしてチャールズだけでなくエイプリルも同行を許可された。レイチェルとしては相手が男性となるとどうなるか解らなかったので、そんな姿を娘に見せたくないという気持ちがあったが、反面エイプリルに近くで見守ってもらえれば百人力でどんな相手にだって勝てるという思いもあった。

 結局エイプリル自身の希望もあって「セコンド」として付く事になったのだ。

「あなたは今大会の特別ゲストであり、通常の賭けの対象からは切り離されています」

 アリーナへ向かう道すがらジョンが話しかけてくる。

基本(・・)はトーナメント方式になっていますが、良くも悪くも今大会の主役(・・)はあなたであり、あなたの動向(・・)によっては試合形式そのものが変更となる可能性もあります」

「ど、動向……?」

 レイチェルが不安げに聞くとジョンは薄ら笑いを浮かべた。

戦績(・・)と言い換えても構いませんが……まあ全てはあなたが、まずはこの試合に勝てたらの話になります。負ければどの道そこで終わりです。まずは全力でこの試合に勝つ事だけを考えて下さい」 

「…………」
 どうやらそれ以上詳しく語る気はないらしい。気にはなるが確かに今は目の前の試合に集中しなくてはならない。レイチェルは気持ちを切り替えた。


 やがてアリーナに到着すると昨日と同じく眩い照明と、仮面を着けた満場の『観客達』の視線が一斉に出迎えた。熱狂的な歓声が沸き上がる。

「……ッ!」
 異様な雰囲気と熱気にエイプリルが怖がってレイチェルの腰にしがみついてくる。

「マ、ママ……この人達……怖い」
「大丈夫よ、エイプリル。ママが付いてるわ」

 しっかりと娘を抱きしめて安心させてあげる。そして熱狂と好奇の視線に晒されながらリングまで歩いていく。

「さあ、ブロンディ。僕から言える事はもう何もない。とにかく全力で戦って、必ず勝つんだ」

「ええ、ありがとう、チャーリー」

 最後に衣装などのチェックをしながらチャールズが励ます。レイチェルは不安げに見上げてくる娘に笑顔を向ける。

「それじゃ行ってくるわね。大丈夫、ママは必ず勝つわ。だから……しっかり見守っていて、私の可愛い天使」

「う、うん……。ママ、私、信じてる! お祈りしてるから……負けないで」

 レイチェルは身を屈めて娘と、ハグとキスを交わす。そして後ろ髪を引かれるような思いで開いたケージからリングの中へと踏み込んだ。


 これでもう後戻りは出来ない。レイチェルは自分を鼓舞するように、指ぬきのグローブに包まれた拳を打ち鳴らした。

 次は「対戦相手」が登場する。誰が来てもおかしくはない。レイチェルは緊張しつつ、リングの上で待ち構える。

 するとレイチェルが通ってきたのとは反対側の通用口に照明が点いた。そこには白を基調とした道着を纏った東洋人の男性が立っていた。両手、両足には青っぽい防具を装着している。空手とは違う道着、スタイルだ。これは……

(確か、テコンドーの……)

 開会式の時は一人一人の名前を憶えている余裕は無かったが、その道着は憶えていた。間違いない。空手とは似て非なる足技中心の格闘技だ。韓国の国技にもなっていたはずだ。

 東洋人の男がリングに上がって来た。比較的細身だが、道着の下から覗く肉体は充分鍛えられているようだ。身長は白人のレイチェルよりやや高い程度。東洋人としては大きい方だろうか。

 リングに二人の選手が揃った事でケージのドアが閉じられる。同時にアリーナ中に響き渡るアナウンスが流れる。


『紳士淑女の皆様! お待たせ致しました! これより我々「パトリキの集い」が開催する無差別格闘大会の第一試合を開始致します! 今大会では会員の皆様のご要望にお応えして、今までにない特別ゲストに参加して頂きました! それでは改めてご紹介します! ブルーコーナーは総合格闘技団体GFCの所属選手にして、その華ともいえる美しき新進気鋭の女子ファイター、レイチェル・"ブロンディ"・クロフォーーーーーードッ!!』


 ――ワアァァァァァァァァァァァァッ!!!


 再びの熱狂。公式の試合ではここで観客に礼をしたり手を振って歓声に応えたりするのだが、この連中相手にそんな事をする気にはならなかった。ただ目の前の相手を油断なく見据える。

 アナウンスが対戦相手の紹介に移った。


『続きましてレッドコーナーです! 韓国出身、テコンドーの寵児! テコンドーの世界大会で何度も優勝を飾りながら、度重なる暴行事件によって協会から追放された堕ちた英雄! キム・ジュウォンだぁぁぁっ!!!』


 ――ワアァァァァァァァッ!!

 韓国人……キムが、こちらは歓声に対して礼で応えていた。キムは英語は喋れないようで、無言でマウスピースを口に嵌めた。ただその切れ長の目がレイチェルの顔や、衣装から剥き出しの身体に向けられた後、笑うように歪められたのは解った。

「……!」
 レイチェルは肌が粟立つような感触を覚えたが、グッと堪えて自身もマウスピースを嵌める。


『両者準備は良いか!? それでは第一試合……始めェェェッ!!!』


 試合開始のゴングと共に、いよいよレイチェルにとっての人生最大の正念場がスタートした。

 レイチェルは相手から目を逸らさずに、回り込むような軌道で自分から接近する。テコンドーは打撃系の格闘技だ。レイチェルに勝機があるとしたら組み付いての寝技しかない。

 だが彼女がそう来ることは当然相手も読んでいて……

 キムがバックステップで距離を取ったかと思うと、追走するレイチェルに一瞬だけ背中を向けた。

(え……?) 

 と思った次の瞬間には、身体ごと回転させるような猛烈な勢いの回し蹴りが側面から襲い掛かった!

「ッ!?」
 レイチェルに出来たのは咄嗟に両腕を上げてガードの姿勢を取る事だけだった。次の瞬間、腕越しに凄まじい衝撃を感じて、彼女は身体ごと薙ぎ倒されていた。

「がはっ……!」

 攻撃をガードして強引に組み付こうとしたのだが、そのガードごと蹴り倒されてマットに転がる羽目になった。両腕は痛みと衝撃で痺れている。

(これが……男性の、格闘家の蹴り……!)

 早速非合法試合の洗礼を浴びるレイチェル。観客が無様な彼女の姿に歓声と嘲笑に沸き立つ。エイプリルの悲鳴が耳に届いた。

 キムが倒れているレイチェルに向かって、ほぼ垂直方向に大きく脚を振り上げる。かかと落としだ!

「……っ!」
 考えるより先に身体が動いた。横に転がって振り下ろされる『凶器』を避けた。寸前までレイチェルの身体があった場所にキムの踵が物凄い音と共にめり込んだ。あれをまともに受けたら下手すると勝負が決まっていただろう。

 レイチェルは横転しながら急いで身体を起こして立ち上がる。キムは何故かそれ以上追撃してこなかった。

「はっ……! はっ……! ふぅ……!」

 必死に呼吸を整える。キムはそんな彼女の様子をニヤニヤと笑いながら眺めている。レイチェルはそれを認めてカッとなった。


 激情を力に変えて再び前進する。とにかく組み付くのだ。それしか勝機は無い。今度は相手の蹴りを受けようとはせずに回避する事に集中する。

 ガードの姿勢のまま慎重に距離を詰める。キムは軽く片脚を上げるような構えのまま悠然と佇んでいる。しかしレイチェルが更に距離を詰めると、キムは体勢を変えて猛然と蹴りを放ってきた。

(来るっ!)

 コロチャギと呼ばれる、弧を描くようにして踵から蹴り込むソバットのような蹴りだ。それがレイチェルの側頭部を狙って迫る。だが充分に警戒していたレイチェルは辛うじて反応する事が出来た。

 上体のみを後方にスウェーさせて蹴りを回避する事に成功した。彼女の目の前をキムの足が横切る。

(……今だっ!)

 相手は蹴りを空振りして隙だらけだ。組み付く前に牽制のジャブを放とうと逸らしていた上体を戻す。そこで気付いた。キムが少しも慌てておらず、むしろその口の端を吊り上げている事に。

「……っ!?」
 気付いた時には手遅れだった。反射的に腕を上げたのは奇跡だった。直後に最初のコロチャギとは反対側からキムの蹴りが叩き付けられた!

「っあ……!」
 衝撃で大きくよろけて片膝を着いてしまう。

 キムはコロチャギを躱された直後に膝関節の動きだけで即座に往復の蹴りを放ったのだ。トルリョ・チャギと呼ばれるフェイント技だ。

「く……」
 膝を着いた姿勢で呻く。二度の強力な蹴りの衝撃で視界が揺れる。腕が痺れる。

「ママ!? ママ、立ってっ!」

 外からエイプリルの叫び声が届く。だがその声に反応するよりも早く、無情にもキムの追撃が。大振りな動作からの後ろ回し蹴りだ。だが片膝を着いた姿勢のレイチェルは回避動作を取れずに、ただガードする事しか出来なかった。

 衝撃。

「あぁぁっ!」

 吹っ飛ばされるようにマットに倒れ込むレイチェル。観客席も再び沸き立つ。


『おぉーーー!!! ブロンディ、再びマットに沈んだぁ! ジュウォン選手の多彩な足技の前に手も足も出ないブロンディ! 素晴らしい(・・・・・)試合展開だ! 皆これを見に来た! 『表』の試合ならここで決着が着いてもおかしくない! だがレフェリーもいないこの試合にストップはない! どちらかが完全にリタイヤ(・・・・)するまで試合は終わらない! どうする、ブロンディ!? この危機を乗り越えられるのかぁっ!!?』


 ―ワアァァァァァァァァァァァァッ!!!


 アナウンスの煽りに観客のボルテージはマックス状態となる。レイチェルが苦戦し苦痛に喘ぐ姿を見て喜んでいるのだ。悪趣味極まる試合。味方は誰もいない。いや……

「ママぁぁっ!!」
「……!」

 その悲痛な叫び声に、レイチェルはカッと目を開いた。そうだ。負ければ自分だけでなくエイプリルの命もないと脅されているのだ。こんな所でいつまでも寝ている訳には行かない。

「く……おぉぉっ!!」

 気合を入れて強引に身を起こす。キムは追撃してこなかった。ふらつきながらどうにかファイティングポーズを取るレイチェルの姿をニヤニヤしながら眺めている。
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