第1話 美女ファイター

文字数 3,339文字

 眩い照明に照らされた大きなホール。そのホールに設けられた席一杯に詰めかけた観客(・・)や関係者達が熱心に見つめるのは、ホールの中央にある八角形(・・・)のゲージに覆われたリング。

 そのリングの中、お腹と太ももがむき出しの黒のセパレートとアンクルサポーター、オープンフィンガーグローブという出で立ちのレイチェルは、対戦相手(・・・・)と拳を構えて向き合っていた。

 相手はデボラとかいう6フィート近くある筋肉質の女で、まるで男のような顔つきだ。その厳つい顔は大量の汗と傷からにじみ出る血でとても見れた物ではなくなっていた。

 肩で荒々しく息をしている。かなり消耗しているようだ。だが疲労しているのはレイチェルの方も同じであった。同じく肩で息をし、汗が白い肌をとめどなく伝い、束ねている金色の髪が乱れて額に垂れ下がってくる。

 既に最終の三ラウンド目(・・・・・・)。お互い体力は限界であった。


「ふっ!」

 デボラがジャブを打ち込んでくる。試合開始当初と比べて全く切れの無いパンチ。レイチェルがそれをスウェーして躱すと相手はそのまま前に踏み込んでストレートを放ってきた。

 屈み込んで回避しつつ、相手の脇腹にボディーブローを叩き込む。

「……!」
 デボラの顔が苦痛に歪む。しかし後退する事無く強引に距離を詰めてきて、レイチェルに組み付いた!

「く……!」
 レイチェルは焦って肘打ちや膝蹴りを叩き込むが、デボラは手を離す事無くリングのゲージまで突進し、レイチェルの背中が金網に押し付けられる。

 デボラは足を引っ掛けて寝技に持ち込もうとしてくる。転ばされるのはマズい。判定はレイチェルの方が有利なので向こうは何としてもサブミッションを極めるか、マウントを取ってポイントを稼ぐのが狙いだ。そうはさせじとレイチェルも全力で抵抗する。

 だが膂力では体格に勝る相手の方が有利だ。そのパワーで強引に押し倒される。観客席が沸いた。

 レイチェルは肘で相手の脇腹を打ち、拳で相手の横顔を殴る。だが押さえ込まれた密着の体勢では大した力が出るはずもなく、デボラは鼻血で汚れた顔を凶悪に歪めて強引にレイチェルの上に圧し掛かりマウントを取ろうとする。マウントを取られたら一気に判定が傾く。最悪TKOの可能性もある。それだけは阻止せねばならない。

 レイチェルは膝を折り曲げてデボラの腹の下に割り込ませ、マウントを取られまいとする。すると苛立ったデボラが不完全なマウントのままレイチェルの顔を殴りつけてきた。

 浴びせられる連打。観客席が増々興奮に包まれ、実況もこれで勝敗は決したかのようにまくし立てている。だがこれは……チャンスでもある。レイチェルは努めて冷静にパンチの雨に耐えながら機会を待つ。

 デボラが打ち疲れたのか、若干パンチの勢いが弱まる。レイチェルはその隙を逃さず相手のパンチを受け止めると、その腕に自分の両腕を巻き付けた。そして相手の腹の下に潜り込ませていた両脚を一気に伸ばして、相手の首を挟み込む!

「……ッ!」
 事態を悟ったデボラが目を剥くがもう遅い。

「――おぉぉっ!!」

 レイチェルはデボラの腕を取ったまま、両脚をデボラの頭ごとマットに叩きつける。そしてそのまま裏十字固めの体勢に移行する。

 再び観客席やアナウンスが大興奮に包まれる。デボラは必死に逃れようとするが、レイチェルもここが勝負所と解っているので、死んでも離すものかとばかりに極めた腕を引き絞る。

 拮抗は一瞬であった。腕が折れる恐怖を感じたのか、デボラがもう一方の手でレイチェルの脚にタップする。

「そこまでっ!」

 覗き込んでいたレフェリーが即座にストップを掛ける。それを認めてレイチェルは技を解いた。

 ゴングが鳴った。決着だ。観客席とアナウンスが一層のボルテージに包まれ、立ち上がって拍手している観客もいた。


「はぁ……! はぁ……! はぁ……! ふぅ……!」

 レイチェルはそんな周囲の状況に気を配る余裕が無い程消耗していた。試合は終わったが立ち上がる事が出来ずに、仰向けになったまま荒い息を吐く。

 対戦相手であったデボラが、仏頂面ながら手を差し出してくる。レイチェルはその手を取って何とか起き上がり、互いにハグを交わした。試合が終われば遺恨なく互いを讃え合う。スポーツマンシップというヤツだ。

 ゲージの入り口が開き、双方のチームメイト達が中に駆け込んでくる。レイチェルも道場仲間達に囲まれ、口々に賞賛と祝福を受ける。

 そしてレフェリーによる判定。レイチェルはデボラと並んでレフェリーを挟むように立つ。今回はポイント判定ではなくギブアップを取ったので結果は既に解っている。アナウンスの声が響き渡る。


『グレイテスト・ファイティング・チャンピオンシップ、予選第2試合の勝者は……』


 レフェリーがレイチェルの手を掲げる。


『レイチェル・"ブロンディ"・クロフォーーーーーードッ!!!』


 ――ワアァァァァァァァッ!!!


 観客席からの歓声を背に、チームメイト達が再び駆け寄ってくる。

「ははは! やったな"ブロンディ"! 栄えあるGFCでの初試合を勝利で飾れた! この意義はとんでもなく大きいぞ! 君は最高だ!」

 喜色満面でレイチェルに抱き着いてくるのは、彼女が所属する道場の経営者(マネージャー)であり、彼女の『夫』でもあるチャールズ・I(イアン)・クロフォードだ。

 レイチェルは苦笑した。彼がここまで喜ぶのはある意味で当然だ。

 このGFCはMMA(総合格闘技)の団体としては世界随一であり、この団体の主催するイベントに出場できただけでも注目度は段違いだ。ましてやレイチェルはGFCには今回が初出場であり、チャールズの言う通りそれを勝利で飾れたのは大きい。

 レイチェルは現在二十六歳。テキサス出身の若き美女(・・)ファイターとしてそれなりに有名ではあったが、いかんせんホームである道場(ジム)がテキサスの片田舎にある弱小道場であったので、中々大きい試合に出場する機会に恵まれなかった。

 だが小さい団体の試合でコツコツと実績と知名度を上げ続け、美しさ、華やかさと実力を兼ね備えた選手として名が知れるようになり、二ヶ月程前、遂に天下のGFC女子部門からオファーが掛かったのであった。

 衛星放送で全国中継されるし、ファイトマネーも小団体のそれとは段違いだ。尤もそれは税金だけでなく、チャールズの浪費癖(・・・)によって殆ど残らないだろうが……

「ええ、ホントね、チャーリー。でも有名になるんだから、今度こそジムの経営も真面目にやってよね……?」

 レイチェルがそう言うと、チャールズは露骨に顔を顰めた。

「解ってるさ。この目出度い場所で今そんな事言わなくてもいいだろ?」

 だが釘を刺しておかないと、彼はまた何を仕出かすか解らない。レイチェルが重ねて忠告しようとした時――


「――ママ(・・)ッ!」


 格闘技のリング上には不釣り合いな、幼い少女(・・・・)の声が響く。レイチェルは即座に破顔した。

「エイプリル!」

 今年で六歳になるエイプリルが、母親譲りのブロンドを靡かせながらトテトテと走ってきた。レイチェルは身を屈めて両手を広げ、飛び込んできた娘を抱き留めた。

「おめでとう、ママ!」

「ありがとう、私の可愛い天使! ママが勝てたのはあなたのお陰よ!」

 娘を抱き上げながらそのスベスベの頬にキスをする。エイプリルはくすぐったそうに目を細めて笑った。リング上にいた他の関係者達や外の観客達が微笑ましそうにこの光景を見ている。

 娘の生活の為、そして娘に誇れる人間でありたいという思いがレイチェルの原動力となっているので、エイプリルのお陰で勝てたというのもあながちお世辞ではないのだ。


 レイチェルは娘を抱き上げたまま、スタッフのインタビューに応じる。そして最後に娘と一緒に観客の声援に手を振った応えた。

 順風満帆と言えた。注目度が上がり相手も手強くなるだろうが、これから増々努力してもっと実績を上げていけば、ファイトマネーも増え、知名度が上がればスポンサーだって付くかも知れない。

 これからそんなバラ色の未来が自分達を待っている……。この時点(・・・・)では、レイチェルはそう思い込んでいた。

 そしてそれが自身の予想もしなかった形で裏切られる事になると彼女が知るのは、もう少し先の話であった……
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