クー・カザル
文字数 2,724文字
クー・カザルの始まりは「旧帝国」に、遡る。
湾内、二つの大河の河口周りであるから港町の発達は自然であるのは、言う迄も無い。
前にも述べた通り、街の色々については旧帝国の遺産に多くを、頼っている。
街を二つに分ける紙屑川の流れに架かる「一の橋」の土台も、旧帝国が残した。
要塞。光の神々の、神殿。魔術院の、建物。市壁の土台も、かつての帝国による。
しかし、それらよりは遥かにみすぼらしかったが、街の輝き、現在を最も彩るのはやはり、商いとその為の様々な仕事に関わる建物達である。
お金が動く、街。
「旧帝国」には勿論、自由都市など有る筈も無かった。領土の隅々まで行き届いた統治と管理の網目こそ、帝国である。
貴方が、例えば紙屑川を下って来た旅人だとしたら、市壁を越えると直ぐの船着き場で下ろされる可能性が、高い。旅客用の場は、余り中心地に無い。それ自体で収益をもたらさない旅人は、荷物より格が低い。
東岸か西岸かは、利用した船次第であろう。
上陸すると目に入るのは、広めの石畳の路地、安作り、傾いた様にも見えるがその割に、高さの有る家並み。
川の西側、旧市街の方が立派ではあるが。とはいえ、たかが知れている。
街の様々な臭いを最初は、キツく感じるかもしれない。
道の広さも石畳も、まず、様々な荷を運ぶ為の物である。
旅人には目もくれず行き交う、三大種族入り交じった人々。一方で、近寄って来る物売りや客引き。宿に案内せんと声を掛けて来る者達は、ただ、意外にぞんざいでもあったりする。それだけ、多くの行き来、多くの旅人が有る。満室で断る事態の方が多かったりするのであるから、腰が低くはならないという物である。
南西に目を向ければ、家並みの上に姿を覗かせる要塞の分厚い建物は、大体何処からでも見える筈である。魔術院の塔の、屹立する薄青く細い姿にも気が付くであろう。
走り回る鼠達も、自由を享受している様に見える。
宿屋は、東半分に多い。殆どは、とにかく最低限を揃えただけの部屋である。しかし、決して粗雑な扱いというだけでも無い。どの宿も街の様々、精通している。必要としている便宜に大抵、何かしら対応してくれる。
謝礼無しに、という事はまず無い。
要塞の正門前の広場を片方の端とし、一の橋と繋がり、東西両方の街の真ん中を貫く、中央通り。
街の人々にも、生活が有る。市場も、有る。
旧市街には旧市場が、東側の街には新市場が有る。
魚市場は、東側の街の外れに有りつつ、特別な活気である。交易、という事でまず語られるが、セトの海は、極めて豊かな漁場でもある。
クー・カザルは毎日、多くの漁船が入港する街でもある。
様々な変遷を経て、現在のクー・カザルを築いたのは、ザハクである。
河口の街の様々な管理、商取引。
内海の沿岸に在りつつ豊かでは無い小国にとって、港町は重要なる稼ぎ手であった。
しかし、川沿いの交易、セトの海の交易、人々の行き来。複雑なる管理を取り扱える者達は、それによって王の支配から独立出来る力を、蓄えていく事にも成った。
港町の価値は余りに、高かった。イシカアも、他の諸国も四王国も、クー・カザルを欲した。
イシカアとザハクに、戦いが起きた。旗印は、クー・カザルの取り合いでは無かった。
クー・カザルの人々は、必ずしもザハクに付こうとしなかった。ザハクの国民では無く、クー・カザルの民に成っていた。
ザハクの王は、街の運営に於て余りに強圧的であり、収奪的であった。
各国も、それとなくイシカアを後押しした。街を起こした国の手を離れれば、他の国にも関わる機会が増えそうだからである。
クー・カザルのイシカア時代が、始まった。しかし、長くは無かった。街に対する扱いは、ザハク時代とさして変わらなかった。
いずれにせよ、ザハクとしては奪われた街を取り返さんとするのが、当然である。
再び、戦いが起こった。
周りの国々も今度は、ザハクに付いた。
再びクー・カザルは、ザハクの街と成った。
イシカアも、諦めなかった。
クー・カザルの人々にとっては、どちらも良き主では無かった。
次に起きた戦いの裏には、クー・カザルが居たとも言われる。他の国々も、その先に待っていた物を期待していたのであろう。
容易に決着は、付かなかった。
周りの国々が、介入した。
「青き枝の条約」が、結ばれた。クー・カザルは、どの国にも属さない自由都市と成り、言い換えれば、どの国も自由に行き来出来る街と成った。自治に、委ねられた。
何処の国であれ、その自由と自治を侵さんとする者に対しては他の諸国が、一致して当たる事とされた。
自由都市クー・カザル。
統治するのは、市会と商会である。
様々な形で、市民の中から選ばれた議会の者達。そして、街の存在理由である所の様々な商業活動に勤しむ、者達。
街を動かすのは、市会である。
市会を動かしているのは、商会であった。
権力闘争も、無論有った。
貴方がもし、セトの海を運ばれて来た荷物であるなら、港に入る前に暫く、待たされるであろう。
荷捌きは、施設の都合、段取りの都合等色々有って、船が辿り着きさえすれば、とはいかない。
しかし、いずれは多くの荷揚人が乗り込んで来る。貴方も船倉から、運び出されるであろう。
そのまま、渡し板を使って運ばれていくかもしれない。
吊り下げられて一旦、小舟に移される場合も有る。
吊り上げ機を使って一気に、陸上まで運ばれるかもしれない。
船から直接別の船へという事も有り得るが、大抵は一旦、陸揚げされる。
そこで終わりでは、無い。
様々なる者達が貴方を、調べていく筈である。
表記や番号が合っているか、照らし合わせる者も居る。
中身が適正であるのか、確かめる者も居る。
所定の場所に、正しく運ばれているか確認する者も居る。
色々調べた者達が正しかったかどうか、調べる者も居る筈である。
貴方が旅人であったなら途中でうんざりし、苛々して来るであろう。ただ、貴方は荷物なので幾ら時間が掛かろうと、気にはしない筈である。
勿論、貴方を取り扱っている者達は大分、苛々しているであろう。
しかし、いつかは終わりが有る。その後は、何処かの倉庫に運ばれる可能性、高い。
船着き場の直ぐ奥には、市壁ででもあるかの様に倉庫が、連なっている。
家並みは安作りだが、倉庫は分厚く、明らかに大金を投じて作られている。
やはり、荷貨の方が扱いは良い。
実際、クー・カザルでは命は、安かった。
もう一つの街の統治者である、裏社会の者達。各国で禁制な物も、自由都市を享受していた。
クー・カザルの裏社会には、大きく分けて三つの集まりが有った。
湾内、二つの大河の河口周りであるから港町の発達は自然であるのは、言う迄も無い。
前にも述べた通り、街の色々については旧帝国の遺産に多くを、頼っている。
街を二つに分ける紙屑川の流れに架かる「一の橋」の土台も、旧帝国が残した。
要塞。光の神々の、神殿。魔術院の、建物。市壁の土台も、かつての帝国による。
しかし、それらよりは遥かにみすぼらしかったが、街の輝き、現在を最も彩るのはやはり、商いとその為の様々な仕事に関わる建物達である。
お金が動く、街。
「旧帝国」には勿論、自由都市など有る筈も無かった。領土の隅々まで行き届いた統治と管理の網目こそ、帝国である。
貴方が、例えば紙屑川を下って来た旅人だとしたら、市壁を越えると直ぐの船着き場で下ろされる可能性が、高い。旅客用の場は、余り中心地に無い。それ自体で収益をもたらさない旅人は、荷物より格が低い。
東岸か西岸かは、利用した船次第であろう。
上陸すると目に入るのは、広めの石畳の路地、安作り、傾いた様にも見えるがその割に、高さの有る家並み。
川の西側、旧市街の方が立派ではあるが。とはいえ、たかが知れている。
街の様々な臭いを最初は、キツく感じるかもしれない。
道の広さも石畳も、まず、様々な荷を運ぶ為の物である。
旅人には目もくれず行き交う、三大種族入り交じった人々。一方で、近寄って来る物売りや客引き。宿に案内せんと声を掛けて来る者達は、ただ、意外にぞんざいでもあったりする。それだけ、多くの行き来、多くの旅人が有る。満室で断る事態の方が多かったりするのであるから、腰が低くはならないという物である。
南西に目を向ければ、家並みの上に姿を覗かせる要塞の分厚い建物は、大体何処からでも見える筈である。魔術院の塔の、屹立する薄青く細い姿にも気が付くであろう。
走り回る鼠達も、自由を享受している様に見える。
宿屋は、東半分に多い。殆どは、とにかく最低限を揃えただけの部屋である。しかし、決して粗雑な扱いというだけでも無い。どの宿も街の様々、精通している。必要としている便宜に大抵、何かしら対応してくれる。
謝礼無しに、という事はまず無い。
要塞の正門前の広場を片方の端とし、一の橋と繋がり、東西両方の街の真ん中を貫く、中央通り。
街の人々にも、生活が有る。市場も、有る。
旧市街には旧市場が、東側の街には新市場が有る。
魚市場は、東側の街の外れに有りつつ、特別な活気である。交易、という事でまず語られるが、セトの海は、極めて豊かな漁場でもある。
クー・カザルは毎日、多くの漁船が入港する街でもある。
様々な変遷を経て、現在のクー・カザルを築いたのは、ザハクである。
河口の街の様々な管理、商取引。
内海の沿岸に在りつつ豊かでは無い小国にとって、港町は重要なる稼ぎ手であった。
しかし、川沿いの交易、セトの海の交易、人々の行き来。複雑なる管理を取り扱える者達は、それによって王の支配から独立出来る力を、蓄えていく事にも成った。
港町の価値は余りに、高かった。イシカアも、他の諸国も四王国も、クー・カザルを欲した。
イシカアとザハクに、戦いが起きた。旗印は、クー・カザルの取り合いでは無かった。
クー・カザルの人々は、必ずしもザハクに付こうとしなかった。ザハクの国民では無く、クー・カザルの民に成っていた。
ザハクの王は、街の運営に於て余りに強圧的であり、収奪的であった。
各国も、それとなくイシカアを後押しした。街を起こした国の手を離れれば、他の国にも関わる機会が増えそうだからである。
クー・カザルのイシカア時代が、始まった。しかし、長くは無かった。街に対する扱いは、ザハク時代とさして変わらなかった。
いずれにせよ、ザハクとしては奪われた街を取り返さんとするのが、当然である。
再び、戦いが起こった。
周りの国々も今度は、ザハクに付いた。
再びクー・カザルは、ザハクの街と成った。
イシカアも、諦めなかった。
クー・カザルの人々にとっては、どちらも良き主では無かった。
次に起きた戦いの裏には、クー・カザルが居たとも言われる。他の国々も、その先に待っていた物を期待していたのであろう。
容易に決着は、付かなかった。
周りの国々が、介入した。
「青き枝の条約」が、結ばれた。クー・カザルは、どの国にも属さない自由都市と成り、言い換えれば、どの国も自由に行き来出来る街と成った。自治に、委ねられた。
何処の国であれ、その自由と自治を侵さんとする者に対しては他の諸国が、一致して当たる事とされた。
自由都市クー・カザル。
統治するのは、市会と商会である。
様々な形で、市民の中から選ばれた議会の者達。そして、街の存在理由である所の様々な商業活動に勤しむ、者達。
街を動かすのは、市会である。
市会を動かしているのは、商会であった。
権力闘争も、無論有った。
貴方がもし、セトの海を運ばれて来た荷物であるなら、港に入る前に暫く、待たされるであろう。
荷捌きは、施設の都合、段取りの都合等色々有って、船が辿り着きさえすれば、とはいかない。
しかし、いずれは多くの荷揚人が乗り込んで来る。貴方も船倉から、運び出されるであろう。
そのまま、渡し板を使って運ばれていくかもしれない。
吊り下げられて一旦、小舟に移される場合も有る。
吊り上げ機を使って一気に、陸上まで運ばれるかもしれない。
船から直接別の船へという事も有り得るが、大抵は一旦、陸揚げされる。
そこで終わりでは、無い。
様々なる者達が貴方を、調べていく筈である。
表記や番号が合っているか、照らし合わせる者も居る。
中身が適正であるのか、確かめる者も居る。
所定の場所に、正しく運ばれているか確認する者も居る。
色々調べた者達が正しかったかどうか、調べる者も居る筈である。
貴方が旅人であったなら途中でうんざりし、苛々して来るであろう。ただ、貴方は荷物なので幾ら時間が掛かろうと、気にはしない筈である。
勿論、貴方を取り扱っている者達は大分、苛々しているであろう。
しかし、いつかは終わりが有る。その後は、何処かの倉庫に運ばれる可能性、高い。
船着き場の直ぐ奥には、市壁ででもあるかの様に倉庫が、連なっている。
家並みは安作りだが、倉庫は分厚く、明らかに大金を投じて作られている。
やはり、荷貨の方が扱いは良い。
実際、クー・カザルでは命は、安かった。
もう一つの街の統治者である、裏社会の者達。各国で禁制な物も、自由都市を享受していた。
クー・カザルの裏社会には、大きく分けて三つの集まりが有った。