飛翔
文字数 3,299文字
城の塔からは、広がる緑とその先の山々が、良く見えた。風が、顔に優しかった。
大きな窓の前に立つ赤覇エルフの女性は、ただ、特にそれらを味わっている様子でも無かった。
「ララ様!今日も、お美しいわ!ああ、惚れ惚れしますわ!素敵過ぎて、もう!」
部屋に入って来たのは、ゆったりした赤い服を着た人間の女だった。
「そういうのを、求めてはいないんだが」
「冷たいわ!」
「黙れ」
人間の女も、美しかった。やや小柄で聡明そうな顔立ち、笑顔には、周りに広がる様な明るさが有った。
「ああ本当、その美しい腕を噛りたい!」
「やめろ」
「今日も、噛らせては頂けないのね!悲しいわ!」
赤覇エルフの女は窓から離れ、奥の壁に取り付けられた剣台に、恭しく飾るかの様に鞘ごと置かれた大振りの剣を取ると、腰に付けた。
スラリと長い、手足。動きも、しなやかだった。
一方で、男をときめかせる類いの要素もしっかり、持っていた。
やはり赤い衣服を身に着けていたが、黒と灰色の中間の様な肌に映える、力強い赤だった。上衣も足衣も、ピッタリと動き易そうだった。同時に身体の線がくっきり現れており、その気に成れば多くの男達を簡単に誘惑出来たであろうが。当人にそういった空気は、全く見えなかった。
整った、意志の強そうな鋭い顔立ち。ただ口元は、柔らかく優しげだった。
肩まで有る髪は、薄い桃色をしていた。
「三人組が、お待ちですわ」
人間の女の口調は、それまでとは全く違っていた。
「有難う」
船の上では皆、風の僕である。風が帆を押してくれて、それをどれだけ受け止められるか。
「風ってのは、魔力で無い所の此の世の諸力の中でも特に、何と言うか、こう…純粋な物の一つなんだよ」
ヒョウは、かつて、魔術で風を支配出来ないかと問われた時のアルトナルドの答えを、覚えている。
「大魔法使いなら、確かに…暫くは、船を動かせるだけの風を吹かせられるかもしれない。だがそれは、魔力によって別個に風を作り出してそれを、船にぶつけているといった話でな、実際上、魔術で船を持ち上げて動かしてます、っていうのと変わらない訳だ」
誰と、どういった状況だったかは余りもう、覚えていない。
「我々を取り巻いてる、広大にも広大な風という物を支配して吹かすなんて誰にも、出来はしない!「旧帝国」とかには風に頼らない船が有ったとも言うが、それは又別の話でな」
とにかく冬餉号は、全開にした帆で可能な限りの風を受け止めつつ、内海を進んでいた。
速さが上がる程、波の高さは変わらずとも揺れる勢いは強く成り、ヒョウは再び、その揺れに気が付いてしまっていた。
「それで…ヒョウ?」
ガイナルト船長が、口を開いた。
「とにかく自分に、任せてくれるか?」
「任せる」
船長の口調には、澱みが無かった。
「感謝する」
一瞬差が開いたものの、謎の荷貨船は直ぐに再び、近付いて来ていた。
今や隠そうともせず、戦闘態勢が取られているのが見えた。
それぞれに武器を用意し、矢盾も、固定されたりいつでも構えられる様準備されたりしていた。
統制の取れた、動きだった。挑発してきたり、嘲笑ったり叫び声を上げたりしてこないのが逆に、手強そうだった。
弓矢も、用意されていた。こちらでも出して来てはいたが、射手たり得る乗組員がいないのは、言うまでも無い。
「向こうの、船…」
アルトナルドがポツリと、口を開いた。
「指揮を取っているのは、船長、貴方と同じ出身みたいだ」
確かに、船尾側艦橋の中央に立っている、指揮を取っているとおぼしき人物は肌が、黒い様だった。そして、上衣も足衣も又、黒かった。
「こんな所で同郷に会えるとは、嬉しい限りだな」
やり取りを耳にしつつヒョウは、極めて冷静な自分を感じていたが、そういった時は、本当に冷静な訳で無い事も判っていた。
乗組員の命、乗客の命、無論自分達の命も、これからの判断と行動に掛かっているのであり、凄まじい緊張を感じていて当然だったが。
何故か、先が見える様な感覚、己のやろうとしている事への信頼みたいな物が有った。もっとも、気持ちが麻痺しているだけかもしれなかった。
突然大きな波しぶきが上がり、飛沫が飛んで来た。冷たさがヒョウには、心地良かった。
乗組員達は皆、謎の船を見つめていた。
持ち場に居れば何とかなる、とでもいうかの様だった。
「ヒョウ・エルガートと申します」
「アルトナルド・ザルトです」
ジパング人とおぼしき船客が、三人の脇に来ていた。
「エノシマと、申します…お二人の様に、上の名と下の名という訳にいきませぬが」
「船長の、ガイナルトです」
「素晴らしい、船です」
「有難うございます…此の様な状況、お詫びせざるを得ない」
「危険には、慣れております」
実際、落ち着いて見えた。武骨に、鈍重にも見える顔立ちだったが、無表情とも違う、冷静さ。
「そう見えたから、残って頂いた」
ヒョウが、言った。
「あの船の者達が襲って来るなら、得手不得手無く皆、戦わねばならぬ話と存じますが?」
「いや、それは勿論なんだけれど…とにかく、まず甲板に居て欲しいんだ」
「ほう?」
「此の男は色々思い付くんだが、話すのが下手なんだ…エノシマ殿も船長も、諦めてくれ」
アルトナルドが、口を挟んだ。
「船長!」
叫びの意味は、明らかだった。
今や、怪しい荷貨船上に居る者達は、はっきり見える様に成っていた。操船の為の者達は僅かで、大半は荒事向きの連中なのが、見て取れた。
様々な武器はどれも、大振りだった。
ドワーフ、人間、エルフ、どの人種も乗っていた。
冬餉号の倍近い数に成っていた。当初は隠れていた者達も居ると、思われた。
船尾の艦橋に立つ、指導者らしい人間の男の姿もはっきり見えて来た。背が高く細身で、手足も長かった。目立って見えるのは肌の色の為だけでは無く、強く存在を主張して来る雰囲気確かに、有った。
「極々僅かだが、感知が有る」
胸元から、対魔章印の声が響いた。
「恐らく一人、魔術の使い手が乗っておって、我が領域の者では無いが、幾らか手を出した事が有るのであろうな」
アルトナルドが、ヒョウの腕に手を掛けた。
「あれを、やるんだろう?」
「俺がやろうとしている事位、判ってない筈無いよな」
「本当お前は、変人だよ」
「有難う」
「総員!」
船長の声が、船上に響いた。
「何かヒョウに、考えが有るらしい…とにかく、任せる事にした!」
向けられた目は、期待というより無関心だった。
ヒョウは、向こうの船との距離を計っていた。
「並ばれだす前でないと、マズいぞ」
アルトナルドが、言った。
答えずヒョウは、左手を顔の前で、拝む様に構えた。薬指と小指を軽く握り、他の指は真っ直ぐ伸びていた。
「七曜星よ!」
小声だったが、周りに居る三人には、良く聞こえた。
「我が架け橋となり、我が標となり、今一度、助けとなりて…!」
それから更に幾つかの言葉を呟いたが、それらは、意味不明だった。
ヒョウはいきなり、艦橋の柵に飛び乗った。と、海の上の何も無い所に片足を、謎の船の方向へ踏み出した。
何人かの船員から、驚きの声が上がった。
普通に歩いているとしたら地面に着きそうな位まで足が下りた時、その足の下の空中に、同じ位の幅に白い炎が突然、燃え上がった。
足は、見えない何かに乗っかった様にそこで、静止した。
ヒョウは、踏み締める様にして無造作に、もう一方の足を更に、踏み出した。身体が完全に、冬餉号から離れた。同様に白い炎が燃え上がり、支えと成った。
そのままヒョウは、見えない橋の上を行くかの様に空中を、荷貨船目掛けて歩いていった。
白い炎は、足が持ち上げられると消え、踏み出した下に新たに、受け止める様に燃え上がるのだった。
荷貨船が冬餉号より少し大きい為に、一段高くなった船尾の艦橋の柵の上から空中に踏み出したヒョウの歩みは、相手の船の、中央部の低い甲板に丁度良い高さだった。
武器を構えた者達の只中に、最後の一歩でヒョウは着地した。
もっとも、空中では滑らかな歩みだったが、甲板に降り立った瞬間船が大きめに揺れた為にかなり、よろめく事と成った。
大きな窓の前に立つ赤覇エルフの女性は、ただ、特にそれらを味わっている様子でも無かった。
「ララ様!今日も、お美しいわ!ああ、惚れ惚れしますわ!素敵過ぎて、もう!」
部屋に入って来たのは、ゆったりした赤い服を着た人間の女だった。
「そういうのを、求めてはいないんだが」
「冷たいわ!」
「黙れ」
人間の女も、美しかった。やや小柄で聡明そうな顔立ち、笑顔には、周りに広がる様な明るさが有った。
「ああ本当、その美しい腕を噛りたい!」
「やめろ」
「今日も、噛らせては頂けないのね!悲しいわ!」
赤覇エルフの女は窓から離れ、奥の壁に取り付けられた剣台に、恭しく飾るかの様に鞘ごと置かれた大振りの剣を取ると、腰に付けた。
スラリと長い、手足。動きも、しなやかだった。
一方で、男をときめかせる類いの要素もしっかり、持っていた。
やはり赤い衣服を身に着けていたが、黒と灰色の中間の様な肌に映える、力強い赤だった。上衣も足衣も、ピッタリと動き易そうだった。同時に身体の線がくっきり現れており、その気に成れば多くの男達を簡単に誘惑出来たであろうが。当人にそういった空気は、全く見えなかった。
整った、意志の強そうな鋭い顔立ち。ただ口元は、柔らかく優しげだった。
肩まで有る髪は、薄い桃色をしていた。
「三人組が、お待ちですわ」
人間の女の口調は、それまでとは全く違っていた。
「有難う」
船の上では皆、風の僕である。風が帆を押してくれて、それをどれだけ受け止められるか。
「風ってのは、魔力で無い所の此の世の諸力の中でも特に、何と言うか、こう…純粋な物の一つなんだよ」
ヒョウは、かつて、魔術で風を支配出来ないかと問われた時のアルトナルドの答えを、覚えている。
「大魔法使いなら、確かに…暫くは、船を動かせるだけの風を吹かせられるかもしれない。だがそれは、魔力によって別個に風を作り出してそれを、船にぶつけているといった話でな、実際上、魔術で船を持ち上げて動かしてます、っていうのと変わらない訳だ」
誰と、どういった状況だったかは余りもう、覚えていない。
「我々を取り巻いてる、広大にも広大な風という物を支配して吹かすなんて誰にも、出来はしない!「旧帝国」とかには風に頼らない船が有ったとも言うが、それは又別の話でな」
とにかく冬餉号は、全開にした帆で可能な限りの風を受け止めつつ、内海を進んでいた。
速さが上がる程、波の高さは変わらずとも揺れる勢いは強く成り、ヒョウは再び、その揺れに気が付いてしまっていた。
「それで…ヒョウ?」
ガイナルト船長が、口を開いた。
「とにかく自分に、任せてくれるか?」
「任せる」
船長の口調には、澱みが無かった。
「感謝する」
一瞬差が開いたものの、謎の荷貨船は直ぐに再び、近付いて来ていた。
今や隠そうともせず、戦闘態勢が取られているのが見えた。
それぞれに武器を用意し、矢盾も、固定されたりいつでも構えられる様準備されたりしていた。
統制の取れた、動きだった。挑発してきたり、嘲笑ったり叫び声を上げたりしてこないのが逆に、手強そうだった。
弓矢も、用意されていた。こちらでも出して来てはいたが、射手たり得る乗組員がいないのは、言うまでも無い。
「向こうの、船…」
アルトナルドがポツリと、口を開いた。
「指揮を取っているのは、船長、貴方と同じ出身みたいだ」
確かに、船尾側艦橋の中央に立っている、指揮を取っているとおぼしき人物は肌が、黒い様だった。そして、上衣も足衣も又、黒かった。
「こんな所で同郷に会えるとは、嬉しい限りだな」
やり取りを耳にしつつヒョウは、極めて冷静な自分を感じていたが、そういった時は、本当に冷静な訳で無い事も判っていた。
乗組員の命、乗客の命、無論自分達の命も、これからの判断と行動に掛かっているのであり、凄まじい緊張を感じていて当然だったが。
何故か、先が見える様な感覚、己のやろうとしている事への信頼みたいな物が有った。もっとも、気持ちが麻痺しているだけかもしれなかった。
突然大きな波しぶきが上がり、飛沫が飛んで来た。冷たさがヒョウには、心地良かった。
乗組員達は皆、謎の船を見つめていた。
持ち場に居れば何とかなる、とでもいうかの様だった。
「ヒョウ・エルガートと申します」
「アルトナルド・ザルトです」
ジパング人とおぼしき船客が、三人の脇に来ていた。
「エノシマと、申します…お二人の様に、上の名と下の名という訳にいきませぬが」
「船長の、ガイナルトです」
「素晴らしい、船です」
「有難うございます…此の様な状況、お詫びせざるを得ない」
「危険には、慣れております」
実際、落ち着いて見えた。武骨に、鈍重にも見える顔立ちだったが、無表情とも違う、冷静さ。
「そう見えたから、残って頂いた」
ヒョウが、言った。
「あの船の者達が襲って来るなら、得手不得手無く皆、戦わねばならぬ話と存じますが?」
「いや、それは勿論なんだけれど…とにかく、まず甲板に居て欲しいんだ」
「ほう?」
「此の男は色々思い付くんだが、話すのが下手なんだ…エノシマ殿も船長も、諦めてくれ」
アルトナルドが、口を挟んだ。
「船長!」
叫びの意味は、明らかだった。
今や、怪しい荷貨船上に居る者達は、はっきり見える様に成っていた。操船の為の者達は僅かで、大半は荒事向きの連中なのが、見て取れた。
様々な武器はどれも、大振りだった。
ドワーフ、人間、エルフ、どの人種も乗っていた。
冬餉号の倍近い数に成っていた。当初は隠れていた者達も居ると、思われた。
船尾の艦橋に立つ、指導者らしい人間の男の姿もはっきり見えて来た。背が高く細身で、手足も長かった。目立って見えるのは肌の色の為だけでは無く、強く存在を主張して来る雰囲気確かに、有った。
「極々僅かだが、感知が有る」
胸元から、対魔章印の声が響いた。
「恐らく一人、魔術の使い手が乗っておって、我が領域の者では無いが、幾らか手を出した事が有るのであろうな」
アルトナルドが、ヒョウの腕に手を掛けた。
「あれを、やるんだろう?」
「俺がやろうとしている事位、判ってない筈無いよな」
「本当お前は、変人だよ」
「有難う」
「総員!」
船長の声が、船上に響いた。
「何かヒョウに、考えが有るらしい…とにかく、任せる事にした!」
向けられた目は、期待というより無関心だった。
ヒョウは、向こうの船との距離を計っていた。
「並ばれだす前でないと、マズいぞ」
アルトナルドが、言った。
答えずヒョウは、左手を顔の前で、拝む様に構えた。薬指と小指を軽く握り、他の指は真っ直ぐ伸びていた。
「七曜星よ!」
小声だったが、周りに居る三人には、良く聞こえた。
「我が架け橋となり、我が標となり、今一度、助けとなりて…!」
それから更に幾つかの言葉を呟いたが、それらは、意味不明だった。
ヒョウはいきなり、艦橋の柵に飛び乗った。と、海の上の何も無い所に片足を、謎の船の方向へ踏み出した。
何人かの船員から、驚きの声が上がった。
普通に歩いているとしたら地面に着きそうな位まで足が下りた時、その足の下の空中に、同じ位の幅に白い炎が突然、燃え上がった。
足は、見えない何かに乗っかった様にそこで、静止した。
ヒョウは、踏み締める様にして無造作に、もう一方の足を更に、踏み出した。身体が完全に、冬餉号から離れた。同様に白い炎が燃え上がり、支えと成った。
そのままヒョウは、見えない橋の上を行くかの様に空中を、荷貨船目掛けて歩いていった。
白い炎は、足が持ち上げられると消え、踏み出した下に新たに、受け止める様に燃え上がるのだった。
荷貨船が冬餉号より少し大きい為に、一段高くなった船尾の艦橋の柵の上から空中に踏み出したヒョウの歩みは、相手の船の、中央部の低い甲板に丁度良い高さだった。
武器を構えた者達の只中に、最後の一歩でヒョウは着地した。
もっとも、空中では滑らかな歩みだったが、甲板に降り立った瞬間船が大きめに揺れた為にかなり、よろめく事と成った。