第1話

文字数 2,075文字

 外田蓮江(ほかだ、はすえ)三十四歳。彼女はひょんなことから宝くじ売り場の販売員をする事となった。四か月前に体調を崩し、勤めていた郵便局を退職していた蓮江は、現在にいたっては体調も回復し、丁度新しい職を探していたところに、母方の叔母から話を持ち込まれたのだ。
 正直言って気が進まなかったが、この年齢で結婚もせずにブラブラしている彼女に、断る権利もなく、なし崩し的に受け入れる事となった。

 出勤初日。
 西笠井駅の傍にあるショッピングセンターの東口に併設されているのが、蓮江の勤める事になった宝くじ売り場だ。朝日のまぶしい光を浴びながら、九時半少し前に到着すると、待ち構えていたかのように、一人の女性が出迎えてくれた。
 彼女は自分を寿福子(ことぶき ふくこ)と名乗り、離職率の高いこの販売店に勤務して、もう三年が経つそうだ。福子は開店の準備や仕事の手順などを、手際よく教えてくれた。人当たりが良くて、とても好感が持てる。
 明らかに蓮江より年下に見え、さり気なく訊いてみると二十七だと答えた。二十代にしては飾り気がほとんどなく、メイクも薄めだが、愛らしい瞳や透き通る程の白い肌、ブラウスの上からもはっきりと判る胸のサイズや腰の括れは、中年に差し掛かった蓮江にとって輝いて映り、垂れ下がった頬と腹を恨めしくさすってみたりした。
 時計が十時を指し、カウンター前のシャッターを開けると、すぐに客が並び始め、五分もしないうちに行列ができた。窓口は二つあり『Aサイド』が寿福子のブースで『Bサイド』の方が蓮江の担当だった。だが、先ほどの行列は、どういうわけか、福子のいるAサイドの方しか出来ていない。
 理由は直ぐに判明した。彼女の名前だ。
 販売員は胸に名前の入ったプレートを付ける規則になっている。寿福子とは実に縁起のいい名前であり、正に宝くじの販売員は天職といっていいだろう。お陰でゲンを担ぐ人たちが、彼女から購入するために列を成しているという寸法だった。きっと時給も破格の待遇に違いない。後に聞いた話によると、彼女は元々冨久子という字面だったが、この仕事のために、わざわざ改名したらしい。
 そういったわけで、蓮江は主に福子のサポート役に回る。Bサイドの窓口には、Aサイドの行列に並びきれなかった、せっかちな人や、何も知らない暇な客が、たまに来るくるくらいだった。
 それでも初日を終える頃にはぐったりとなり、簡単な掃除を済ませると、疲労の色を見せながら帰宅した。

 次の日もその次の日も、相変わらず蓮江の担当するBサイドは閑古鳥が鳴き、福子のいるAサイドには行列が絶えない。
 無理もなかった。寿福子という恵まれた名前に対し、外田蓮江という名前は“ハズレ”を連想させるため縁起が悪く、宝くじの購入者には敬遠されがちだった。
 よってひと月が経過しても、蓮江は未だに福子のサポートが主な仕事だった。

 あまり乗り気では無い仕事だったので、蓮江としてはすぐに辞めるつもりだった。
 だが、最初は三か月との約束を、後任が見つからないとの理由で、ズルズルと先延ばしされ、気が付けば半年が経とうとしていた。

 販売員の仕事はシンプル極まりなく、訪れるお客様に対し、笑顔を向け、機械的に販売やくじの当選確認を行う。ピークが過ぎればお菓子を食べたり、福子と雑談を交わして時間をつぶす。まず遅れることのない定時に帰宅して、夕食、入浴、晩酌のフルコースで、日付が変わる前に就寝する。
 そんなルーティーンの退屈な日々が続いた、ある日の事だった。
 その日は木曜日で、客もまばらになった夕方の四時半頃、そろそろ閉店作業の準備に取り掛かろうとしていた矢先だった。
 レジの金額を数え、宝くじの枚数をチェックしていると、ふと四十代らしき一人の男性が蓮江の担当するBサイドのブースの前に立った。高級そうな背広を着て光る腕時計をはめている。背はそれほど高くはなかったが、彫りの深い顔と思慮深い佇まいは、なかなかの紳士に見えた。
 蓮江を見据えた男は、クジを一枚だけ欲しいと言い、カウンターに三百円を置く。くじを受け取ると、「ありがとう」と礼を言い、蓮江も「当たりますように」と返事をしながら会釈をした。これまでの経験上、クジを買う人は大抵十枚単位で購入していた。そのためバラと連番の十枚セットが用意されている。一枚単位で買う人もいない事は無かったが、少数派に限られる。
 その時は取り立てて気にすることも無かったが、次の週も、その次の週も、紳士はやって来た。決まって木曜日の夕方、四時半頃にBサイドの窓口で、一枚だけ購入するのだ。
 それが二か月も続くと、さすがに蓮江も気になりだし、ある日、思い切って理由を訊いてみた。
 なぜ隣の寿福子ではなく、自分の窓口から買うのか。なぜ毎週この時間なのか。そして、どうして一枚だけなのか――。
 本来は、お客様にプライベートな事を訊いてはならない規定になっていたが、蓮江はどうしても我慢が出来なくなっていたのである。
 しかし男はそれに答えようとはせず、苦笑いしながら帰っていった。
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