第5話 完結

文字数 1,223文字

 家に向かうも足が向かず、ふらつきながら街を彷徨(さまよ)うと、いつのまにか、新島と初めてデートしたあの喫茶店に辿り着いていた。彼との想い出が胸に浮かび、中に入ってみると、あのテーブルに腰を下ろす。注文を取りに来たウェイトレスに、今日の日替わりを訊いてみるとペペロンチーノと返事が来た。日替わりランチを辞めて、蓮江は思い出深いナポリタンを頼んだ。しかし、いざ運ばれてきた皿を目の前にすると、一口入れただけで目が潤み、半分も食べないうちに会計を済ませ、店を去った。

 他に行く当てもなく、何気なくバスに乗ると、座席に座った途端にメールが着信した。見ると送り主は新島からだった。もたつく手でそれを開くと、放心状態になった彼女の手から携帯が滑り落ち、音を立てて床に転がった。
 文面には『すまない、君を裏切ってしまった。もう合わせる顔が無い』とあった。
 私を裏切ったとはどういう意味なのか。別れるにしてもちゃんと説明して欲しい。他に好きな人が出来たのであれば、きっぱりと諦めるつもりだ。
 ――そんな思いが頭を支配すると、再び涙がこぼれた。

 その日から更に一週間が経ち、新島との再会を諦めかけていた頃だった。
 仕事を終え、家に向かう途中、なんと玄関の前に新島の姿が見えた。
 全身が一気に凍りつき、どうしていいか判らずに戸惑っていると、彼は蓮江に気づいた様子で走り寄ってきた。
 抗いながらも「すまなかった」と懸命に謝る彼の腕に抱かれ、久しぶりのぬくもりに、人目もはばからず歓喜の涙を流した。
 それから家の中へと招き入れると、居間のソファーに座らせた。出されたお茶に手を付けようとせず、新島はまっすぐな視線で蓮江を見据える。これまでの事を説明して欲しかったが、それを聞いてしまえば、目の前の彼が突然消えてしまうのではないか、という幻想に捕らわれ、口を利けずにいた。
 沈黙が続く。
 やがて俯いた顔を上げると、新島は神妙な顔で静かに口を開いた。
 だが彼の話はメールの文面と同じで、「申し訳ない」や「君を裏切ってしまった」を繰り返すばかりで、肝心な事は何一つ話そうとはしない。
 業を煮やした蓮江は、思い切って彼の店を探したことを打ち明けた。
 新島の顔はみるみる蒼ざめ、緊張の色を見せると、やがて観念したのか、その重い口を開いた……。

 半年後、二人は飛行機の中にいた。
 前日の結婚式を終え、ハワイへのハネムーンの途中だった。CAの運んできたシャンパンに舌鼓を打つと、新島の姓になったばかりの蓮江は、飛び切りの笑顔を彼に向けた。
「あのね、どこで宝くじを買おうがあなたの自由なのよ。裏切りでも何でもない。それを隣町の店でもクジを買っていて、その中から一等が当ったところで、私に義理を感じたとしてよ、それくらいのことで別れようとするなんて、どうかしてるわ。それより、実はその年齢で職業がユーチューバーだったことの方が驚きよ。さすがに本当の事なんて、恥ずかしくて言えないわよね」


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