第2話
文字数 1,642文字
そんなことを考えている僕を置いて、前に立つ奇妙な人は一人話し始めた。
「ああ、僕のことはイズミとでも呼んでくれればいいデス。君とは友人になりたいわけではないのデ、名前はあまり問題ではなイ」
「はぁ」
いきなり入ってきて感じの悪い人だ。人生これからの僕でもそう感じる無愛想さだった。そんな彼は僕をそっちのけで一人語り始める。彼はそんな、とても自己中心的な人のようだった。
「それでは早速本題に入らせてもらいマスよ、アナタの寿命はあと長くて七ヶ月、ほぼ半年くらいですねデスね」
うっ。
頭では分かってはいても他人から突然言われる心の準備はできていないものだ。それも、情報を知り得ない赤の他人から言われるのは特に気分の悪いことだった。
そこで僕は不信感を爆発させた。それは相手方にも伝わったらしい。
「まあまあ、ワタクシたちはアナタの心配をいたずらに煽るだけ煽ってアナタが戦慄するのを見るのを楽しみにしてるんじゃあありませン。他に目的がちゃんとございマス」
「これを——」
そう言って彼が左手に持っていた黒い革鞄から取り出したのはどこまでも不釣り合いな透明なケースに入った赤いボタンだった。見たところそれ以外は入っていないようだ。何のための革鞄か。
大きさは手のひらの四分の一ほど。ケースの底は黒く塗られていて、にょきっと赤いボタン部分が伸びているように見えた。
とても安っぽい。言ってはいけないのだろうが第一印象はそうだった。あんなに高級そうなのりの効いたシャツを着て、漆黒のマフラーを巻いて、ピカピカの皮鞄を持っているくせにての上にあるボタンだけはどこまでも安っぽい。
「こらこら」
そんなことを考えていると男の人——イズミさんだったか——に怒られた。
「そんな失礼なことを考えないでくだサイね。確かにこのボタンの生産にかかるコストはプラスチックの費用だけデスし、安い。ワタクシとは不釣り合いだというのもわかりマス。デスが、これはアナタが喉から手が出るほど欲しい代物でしょウ?」
イズミと名乗る男は、そう低く誘うように言った。
喉から手が出るほど、欲しい。そう効いてぱっと思い浮かんだのは現在手の中にある文庫本、その作者の新作だった。作者は遅筆だからそんなことは万に一つくらいくらいしかないのだけれども、それが叶うものならば欲しい現時点での願いである。
「本当にそれだけデスか」
目を細め、パイプ椅子に腰を下ろして足を組んだイズミさんの姿に目が吸い込まれた。
沈黙は僕の不安を掻き立てる。
「このボタンは、押すことでアナタに1番近い場所にいる人間の余命を、アナタのものに還元しマス」
つまり、ボタンを押したら、今ならばイズミさんの寿命が僕のものになるということだ。
「普通、人間の平均寿命は日本なら八十歳近くありマスね。だいたい成人二人の横でボタンを押したら、アナタは健康な人よりも長生きできる計算デスよ」
そう言っておどけて見せた。そんな普通の人なら喜んでもらいそうなもの、自分では使いたくないのだろうか。何にしろ、僕には関係のないことだ。
「いらないよ」
思いの外大きな声が出た。イズミは驚いたようだった。
「僕には、そのボタンは必要ない。出ていってくれるかな」
「あなたは、何もわかっていない」
その声を聞いたイズミさんは目を皿に細め、大きく息を吐いた。首を数回横に振る。
「分かっていないのはどちらカナ」
彼の声はぞっとするほど冷たかった。
「僕のことだ。あなたにわかるはずがないだろう」
「自分のことが自分にしかわからないというのは単なる傲りデス。他人から見た自分は偏見だと決めつけテ、自分の主観だけを押し通しているだけ。こういえばよくわかりマスね」
言葉が、続かない。
イズミは立ち上がる。その腰に手を当て、前屈みになってこちらを覗き込んだ。僕は思わず目を逸らす。
「アナタ、死にたくないのでしょう?」
その言葉は、ぼんやりと、モヤモヤに僕の中に溶け込んで、少しずつ基盤に溝を入れる。そして、僕を揺らした。
「ああ、僕のことはイズミとでも呼んでくれればいいデス。君とは友人になりたいわけではないのデ、名前はあまり問題ではなイ」
「はぁ」
いきなり入ってきて感じの悪い人だ。人生これからの僕でもそう感じる無愛想さだった。そんな彼は僕をそっちのけで一人語り始める。彼はそんな、とても自己中心的な人のようだった。
「それでは早速本題に入らせてもらいマスよ、アナタの寿命はあと長くて七ヶ月、ほぼ半年くらいですねデスね」
うっ。
頭では分かってはいても他人から突然言われる心の準備はできていないものだ。それも、情報を知り得ない赤の他人から言われるのは特に気分の悪いことだった。
そこで僕は不信感を爆発させた。それは相手方にも伝わったらしい。
「まあまあ、ワタクシたちはアナタの心配をいたずらに煽るだけ煽ってアナタが戦慄するのを見るのを楽しみにしてるんじゃあありませン。他に目的がちゃんとございマス」
「これを——」
そう言って彼が左手に持っていた黒い革鞄から取り出したのはどこまでも不釣り合いな透明なケースに入った赤いボタンだった。見たところそれ以外は入っていないようだ。何のための革鞄か。
大きさは手のひらの四分の一ほど。ケースの底は黒く塗られていて、にょきっと赤いボタン部分が伸びているように見えた。
とても安っぽい。言ってはいけないのだろうが第一印象はそうだった。あんなに高級そうなのりの効いたシャツを着て、漆黒のマフラーを巻いて、ピカピカの皮鞄を持っているくせにての上にあるボタンだけはどこまでも安っぽい。
「こらこら」
そんなことを考えていると男の人——イズミさんだったか——に怒られた。
「そんな失礼なことを考えないでくだサイね。確かにこのボタンの生産にかかるコストはプラスチックの費用だけデスし、安い。ワタクシとは不釣り合いだというのもわかりマス。デスが、これはアナタが喉から手が出るほど欲しい代物でしょウ?」
イズミと名乗る男は、そう低く誘うように言った。
喉から手が出るほど、欲しい。そう効いてぱっと思い浮かんだのは現在手の中にある文庫本、その作者の新作だった。作者は遅筆だからそんなことは万に一つくらいくらいしかないのだけれども、それが叶うものならば欲しい現時点での願いである。
「本当にそれだけデスか」
目を細め、パイプ椅子に腰を下ろして足を組んだイズミさんの姿に目が吸い込まれた。
沈黙は僕の不安を掻き立てる。
「このボタンは、押すことでアナタに1番近い場所にいる人間の余命を、アナタのものに還元しマス」
つまり、ボタンを押したら、今ならばイズミさんの寿命が僕のものになるということだ。
「普通、人間の平均寿命は日本なら八十歳近くありマスね。だいたい成人二人の横でボタンを押したら、アナタは健康な人よりも長生きできる計算デスよ」
そう言っておどけて見せた。そんな普通の人なら喜んでもらいそうなもの、自分では使いたくないのだろうか。何にしろ、僕には関係のないことだ。
「いらないよ」
思いの外大きな声が出た。イズミは驚いたようだった。
「僕には、そのボタンは必要ない。出ていってくれるかな」
「あなたは、何もわかっていない」
その声を聞いたイズミさんは目を皿に細め、大きく息を吐いた。首を数回横に振る。
「分かっていないのはどちらカナ」
彼の声はぞっとするほど冷たかった。
「僕のことだ。あなたにわかるはずがないだろう」
「自分のことが自分にしかわからないというのは単なる傲りデス。他人から見た自分は偏見だと決めつけテ、自分の主観だけを押し通しているだけ。こういえばよくわかりマスね」
言葉が、続かない。
イズミは立ち上がる。その腰に手を当て、前屈みになってこちらを覗き込んだ。僕は思わず目を逸らす。
「アナタ、死にたくないのでしょう?」
その言葉は、ぼんやりと、モヤモヤに僕の中に溶け込んで、少しずつ基盤に溝を入れる。そして、僕を揺らした。