9 カム・トゥゲザー

文字数 4,831文字

 彦部の家は農家です。母ちゃんは長女で、弟と妹がいます。銀行員の弟が家を継いでいます。彦部は当時では珍しい兼業農家です。これにはおんじさんとおんばさんの考えが反映しています。おんじさんは、これから紹介するように、開明的な人です。また、おんばさんは農家出身でありません。子どもたちにも農家以外の世界を見て育って欲しいとして旧制の中学校や女学校で教育を受けさせています。おんばさんはきれい好きで、都市のお屋敷のように、家には塵一つありません。幼い時のチコちゃんにとっておんばさんはいつも床掃除をしている人です。
 おんじさんは、毎日、新聞を読みます。その習慣はこの辺りでは珍しいのです。彦部に新聞配達はありません。盛岡の岩手日報本社から郵送してもらうのです。届く新聞の内容は1日遅れです。おんじさんはそれを虫眼鏡で丹念に読みます。老眼鏡ではざっと眺めてしまい、きちんと理解できないと思うからです。
 母ちゃんの妹は足が少し不自由です。戦前、子どもに障碍があると、家の中に閉じこめてしまう家長も少なくありません。けれども、おんじさんは違います。おんじさんは障碍のある娘に自転車の乗り方を教え、裁縫を習わせています。また、音楽に触れさせ、情操が豊かになるようにさせています。女性や障碍者も一人の人間として自立して生活していくべきだと考えているからです。
 戦前、家長の権威と権力は家の中で絶対的です。身体障碍ではないのですが、戦前の障碍に関する認識を理解できますので、精神障害をめぐる状況を紹介しましょう。1900年、「精神病者監護法」が制定されます。精神障害者の保護に関する最初の法律です。これにより、家長の責任で自宅や敷地内に精神障害者を監置し、それを行政管理する制度が始まります。多くの私宅監置では障碍者に治療もなく、非衛生的な環境に放置するという有様です。その悲惨な状況を、精神科医の呉秀三東京帝国大学教授は、『精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察』(1918)の中で、「わが国十何万の精神病者はこの病を受けたるの不幸のほかに、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」と述べています。
 むしろ、明治以前の方が障碍者に社会的理解があります。17世紀に活躍した八橋検校を見れば、それが分かります。
 八橋検校は名を城秀と言い、江戸前期を代表する音楽家です。「検校(けんぎょう)」は名前ではありません。役職です。前近代は身分・職能によって秩序づけられた社会です。視覚障碍者には盲官という官職が用意されているのです。視覚障碍者は音楽やあんま・針・灸などで社会において活動します。しかも、彼らは当道座という自治組織を結成しています。検校は座をまとめる盲官の最高位です。特別の頭巾・衣類・杖などの所有が許され、大名並みの地位が保障されています。他に盲官では位階順に別当・勾当・座頭などがあります。
 また、前近代の日本には「福子伝説」と呼ばれる言い伝えがあります。障碍者は家に福をもたらす幸運の人間だという内容です。この伝説を踏まえた昔ばなしもあります。障碍者がいると、家族がまとまり、助け合う気持ちが強くなり、懸命に働くから、家内安全・商売繁盛というわけです。
 付け加えると、寺子屋で読み・書き・そろばんを習う子どもの中に、身体障碍者の比率が高かったとされています。識字能力があれば、身体が不自由でも、暮らせる場を確保しやすいからです。また、家だけでなく、近世では共同体も障碍者に配慮しています。村や町、長屋などの人々が助け合い、環境を整備して、障碍者が暮らしにくくないように心掛けるのです。さらに、寺院や庄屋などが障碍者の面倒を見ることもあります。お互い様と信頼の関係が強化・蓄積されていくのです。
 近世には地縁血縁以外に、知縁とも言うべきネットワークがあります。趣味によってつながる人間関係です。音楽はもちろん、俳句や算術などさまざまです。こうした輪に障碍者も参加しています。天然痘により両手に障碍を負った上田秋成はこのような人たちの一人です。
 もちろん、すべての障碍者が共同体内に受け入れられていたわけではありません。中には物乞いや乞食になる人もいます。時代の限界はありますが、近世社会は障碍者と健常者が想像以上に共生しているのです。
 おんじさんはそうした伝統を帯びつつ開明性も持った人と言えるでしょう。そんなおんじさんは蓄音機で歌の練習をよくしています。部屋からかすかに耳に届く歌声は、正直言って、藤山一郎やディック・ミネ、灰田勝彦、霧島昇には聞えません。NHKのラジオ番組『のど自慢』に出るのがおんじさんの夢です。盛岡が会場になったことがあります。おんじさんははりきって予選を受けに出かけています。帰って来た時、「なんじょだったすか?」と家族に尋ねられて、こう答えています。「うん~、あどもう少しだった」。その後も、いつでも出場できるように歌の練習を欠かさず続けているのです。
 彦部のおんじさんにとって、一番大切なのはお盆です。お盆では、墓参りをしてお寺でお経をあげてもらいます。おんじさんはできるだけ大勢でこのことをしたいのです。お寺に入る時に、履き物を脱ぎます。大勢なら、玄関口がその履き物でいっぱいになります。その光景を目にした他の人たちが「ほお、佐々木さんどごはこったに大勢で来てらのが!たいすたもんだな~」と噂話をします。おんじさんはそれを聞くのがたまらなく嬉しいのです。

Here come old flat top
He come grooving up slowly
He got joo joo eyeball
He one holy roller
He got hair down to his knee
Got to be a joker he just do what you please.

He wear no shoe shine
He got toe jam football
He got monkey finger
He shoot Coca-Cola
He say I know you, you know me
One thing I can tell you is you got to be free
Come together right now over me

He bag production
He got walrus gumboot
He got Ono sideboard
He one spinal cracker
He got feet down below his knee
Hold you in his armchair you can feel his disease
Come together right now over me

Right!
Come
Come...
Come...
Come...

He roller coaster
He got early warning
He got Muddy Water
He one Mojo filter
He say. "One and one and one is three"
Got to be good looking 'cause he so hard to see
Come together right now over me

Oh!
Come together
Yeah
Come together
Yeah
Come together
Yeah
Come together
Yeah
Come together
Yeah
Come together
Yeah
Come together
Yeah
Ahh
Come together
Yeah
Come together...
(The Beatles "Come Together")

 チコちゃんもお盆が大好きです。チコちゃんの服はいつもなら姉ちゃんのおさがりがほとんどですが、この時はきれいな着物が着られます。また、新しい鼻緒の下駄も履けます。おんじさんの晴れの場を演出するためにも、履物の鼻緒はお盆の前に交換するのがいつものことです。ちなみに、下駄の歯が減らないように、自転車の古チューブを当てて補強してあります。一度買うと、鼻緒を交歓すれば、結構、長く下駄は履けるのです。
 けれども、お墓やお寺まで遠いので、歩くのが大変です。チコちゃんはいつも途中で疲れてしまいます。すると、おんばさんが「後からいいもんかせでやるがらな。我慢すてな。もうすぐだがらな」とやさしく声をかけてくれます。
 チコちゃんも頑張りますが、小さいので、疲れて動けなくなってしまうことがあります。すると、おんばさんは「クニ!チコのごど背負ってやれ」」と最後列で歩いているクニを呼ぶのです。
 クニというのは使用人です。20代半ばくらいの男性で、実は、身元不明の流れ者です。チコちゃんの地域の方言で言うと、「ほいど」です。ある日、突然、彦部に現われて、野良仕事を手伝うから家に置いてくれないかとおんじさんに頼みこみます。おんじさんはおおらかな人ですから、納屋に住まわせることにします。
 終戦直後、戦争によって家族や家をなくし、各地を放浪する人が少なくありません。その中には戦災孤児もいます。そうした流れ者が地方の旧家を尋ねて、仕事をする代わりに置いてもらうこともあります。当時の農業は機械化されていませんから、人手が要ります。しかも、衣食住を提供するだけで、彼らには賃金を支払う必要がありません。もし盗みなどよからぬ下心を持っていたとしても、納屋や馬小屋に住まわせておけば、その被害も大したものではありません。ですから、休暇の方としても流れ者を家に置くことにメリットがあるのです。
 クニもそうした流れ者の一人です。本当は、チコちゃんはクニに背負われたくありません。汚く見えるし、臭そうだからです。それでも耐えきれなくて、クニの背中でお寺まで行くことになってしまうのです。
 人間が生きていくには、住だけでなく、衣と食も必要です。衣はおんじさんのお古です。それでも、馬子にも衣裳で、現われた時よりもクニは立派に見えます。最初におんじさんに頭を下げた頃のクニは、ぼろきれを巻きつけただけの恰好をしていたからです。
 彦部ではクニにも食事を出します。けれども、家族と一緒に食卓を囲むことはできません。その部屋の片隅で食べます。
 もっとも、関係者が「クニ卵事件」と呼ぶ出来事も起きています。おんばさんは、おんじさんに内緒で、チコちゃんの母ちゃんに米や野菜、卵などの食料品を融通しています。それを運ぶ極秘任務を担ったのがクニです。
 ご苦労だったと母ちゃんは、ある日、いつものように運搬して来たクニを食事に招きます。その時は卵が食卓に並びます。チコちゃんの家は7人家族ですが、卵はいつも5個です。子どもたちにやりたいと父ちゃんと母ちゃんが食べないからです。
 ところが、卵5個を1個ずつ割って器に入れて家族の前に置いたはずなのに、4個しかありません。何度数えても数が合いません。首を傾げていた母ちゃんがハッとしてクニの方に顔を向けます。自分の前の空の器を見つめていたクニは固く口を閉じたまま、チコちゃんたちのそれを覗きこむようなしぐさを始めます。チコちゃんは母ちゃんの間違いに乗じて見せたクニの素早い動きにあっけにとられてしまうのです。
 そんなクニは、ある日、姿を消します。現われた時と同じように、突然のことです。挨拶もありません。結構、長くいましたが、いなくなったからと言って、彦部でクニの話をすることもありません。そんなものだからです。チコちゃんも、その後、クニが東磐井郡の方にいると風の噂で聞いたくらいです。

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