10 グーニーズはグッド・イナフ

文字数 7,873文字

Traveling in a fried-out combie
On a hippie trail, head full of zombie
I met a strange lady, she made me nervous
She took me in and gave me breakfast
And she said,

"Do you come from a land down under?
Where women glow and men plunder?
Can't you hear, can't you hear the thunder?
You better run, you better take cover. "

Buying bread from a man in Brussels
He was six-foot-four and full of muscles
I said, "Do you speak-a my language?"
He just smiled and gave me a vegemite sandwich
And he said,

"I come from a land down under
Where beer does flow and men chunder
Can't you hear, can't you hear the thunder?
You better run, you better take cover. "

Lyin' in a den in Bombay
With a slack jaw, and not much to say
I said to the man, "Are you trying to tempt me
Because I come from the land of plenty? "
And he said,

"Do you come from a land down under?
Where women glow and men plunder?
Can't you hear, can't you hear the thunder?
You better run, you better take cover. "
Yeah!

Living in a land down under
Where women glow and men plunder
Can't you hear, can't you hear the thunder?
You better run, you better take cover!

Living in a land down under
Where women glow and men plunder
Can't you hear, can't you hear the thunder?
You better run, you better take cover!
(Men at Work “Down Under”)

 「やった~、上った~、こえ~」。多少ふらつきながらも、自転車は坂を上りきります。いつもできているとはいえ、やはりいつも通りタフな坂道です。
 坂を登ったら、後は平らな直線が続きます。家までは400mもありません。大正橋の向こう側と違い、この通りには店もあまりありません。けれども、ここだけでも日常の買い物だけなら事足ります。向かって右側に、まず自転車屋があります。少し行くと床屋、その向かい側に「きく藏さん」と呼ばれる雑貨屋があります。兄ちゃんたちは冰やウナギで稼いだ1円で飴玉を買っています。この店は奥でせんべいも焼いています。きく藏さんは、売り物にならない切れ端を店に来た子どもたちにあげるのです。ですから、チコちゃんはきく藏さんへおつかいに行くのが大好きです。
 きく藏さんのすぐ先に豆腐屋、床屋から30mくらい先に魚屋があります。魚屋の隣が製材所です。製材所の広い敷地の脇に佐藤自転車店があります。店はそれくらいで、他は住宅が並んで立ち、その間から田畑が広がって見得ます。チコチャンの家族が今の住宅に移ったのは2年半前です。この間に畑の見える範囲が狭くなっています。ゆっくりですが、家が増えています。

 家屋を建設することにたとえるならば、「道に志す」とは、土地を選び資材をあつめてきりもりして住宅を完成させようといつも意欲を持ちつづけることであり、「徳にもとづく」とは、計画がすべて完成し、生活の根拠ができたことであり、「芸に遊ぶ」とは内装を施して住宅を美しく仕上げることである。詩を朗誦し書物を読み、琴をつまびき射的を習うということなどは、実践主体を調教して道に習熟させる方法である。もしも、道を志向しないで芸にうつつをぬかすようでは、もののわからぬ子供が、先に住居をつくることもしないで、やみくもに絵画を買い込んでは正門に掛けようとするようなもので、いったい、どこにかけようというのかね。
(王陽明)  

 チコちゃんは、小学校に入学する時、彦部から家に戻ってきます。けれども、その後も、夏休みや冬休み、春休みなど休みがある度に、彦部で暮らしています。それどころか、週末になると、彦部に行くのです。家から彦部までは歩いて1時間程度です。半ドンの土曜日、学校が終わると、彦部に向かいます。日曜日丸々いて、月曜日、朝食をとる場合もとらない場合もありますが、朝6時くらいにおんばさんにせかされて彦部を出て、7時頃に家に戻って来て登校するのです。チコちゃんが彦部に泊まっていれば、食費を始め家の生活費がその分浮きます。母ちゃんとすれば、助かるのです。また、チコちゃんも彦部に行くのが好きです。石鳥谷や新堀には友だちもあまりいなかったからです。よく言えば別荘通い、悪く言えば単身赴任のこうした生活は中学入学まで続きます。
 彦部には男の二人兄弟がいます。兄が正男、弟が義男と言います。二人合わせて正義の男です。義男はチコちゃんと同い年で、よく一緒に遊びます。
 義男は無口です。一方、チコちゃんはおしゃべりです。でも、とりとめもないことをへらへらと話すタイプではありません。チコちゃんは合理的ですから、必要なことを口にします。ただし、関連事項の話が多くなるのです。チコちゃんが話し出すと、どんどんどんどん横にずれていきます。会話をしてもチコちゃんが方的にしゃべるだけです。義男は合図地さえせず、ただ黙って聞いています。
 義男はウサギやドジョウなど生き物を捕まえるのが得意です。チコちゃんは、義男がウサギ狩りの罠をしかけに山に行く時、一緒について行きます。捕まえたウサギは食用です。まだ小さい時は、餌を与えて大きくなるまで待ちます。
 ウサギ狩りは冬にします。ウサギは夏の暑さが苦手で、冬の方が活動的だからです。山の斜面の雪を掘って、ほら穴を作ります。その穴の中にネズミ捕り器の大きいものを置きます。ウサギがほら穴に入ると、蓋が閉まって籠に閉じ込められるというわけです。
 義男が罠をしかけるのをチコちゃんは見ながら話しかけます。
 「義男、これでウサギ捕れんのか?」
 「……」
 「ウサギが巣にすんべど思って穴さ入るど、ネズミ捕りさ入ってすまって、蓋がバタンと行ぐんだな?」
 「……」
 「ウサギは前さピョンピョン跳ねるども、後さ下がれねずもな?」
 「……」
 「なあ、義男、お前、ウサギの目がなして赤えが知ってらが?」
 「……」
 「泣きすぎだがらだど。泣くど目が赤ぐなるべ。泣いで泣いで泣きすぎで目が赤ぐなってしまったんだど。おもしぇな?」
 「……」
 「おんばさんが、そう言ってらった」。
 「……」
 「おんばさんがね、こったな話っこすてくれだった。聞ぎでか?」
 「……」
 「『ウサギと太郎』って話っこだ」。
 「……」
 「昔々、父っつぁまと太郎が住んでらったど。二人の家の近ぐの林さ、性悪のウサギ棲んでらったど」。
 「……」
 チコちゃんは義男と会話をするのが大好きです。義男は自分の話を邪魔しないからです。
 なお、すべてのウサギの目が赤いわけではありません。それは白いウサギに見られる特徴です。メラニン色素を欠いたアルビノ、いわゆる白子はそれがありません。そのため、虹彩などの目の各組織にも色がつかずに透明になります。それにより血管がすけて見えることにより、目が赤いのです。
 ウサギの眼は顔の両側についているため、視野が広く、360度方向が見えます。これにより敵の接近を素早く察知し、逃げることができます。反面、両眼で対象を捉えることが困難ですから、遠近感が取れません。視野が広くてすばしっこいウサギを人間が捕まえるなら、罠をしかける方が得策です。
 その罠にイタチがかかることがあります。そういう時は動物の毛皮を扱う業者に売りに行きます。けれども、子どもだと思って業者は足元を見るのです。「こづはちょっと毛並み悪いな」とか「ちょおと小せな」とか言って、値切ります。義男は無口だから黙って言い値で売ってしまいます。チコちゃんはとても気が強いので、その姿が歯がゆくてなりません。
 チコちゃんの気の強さは街でも有名です。ケンカになったら、絶対に引きません。相手が家に逃げると、追いかけて、その外から「出て来―!」と叫びます。「ボーっと生きてんじゃねーよ!」なんてカッとした時のチコちゃんに比べればかわいいものです。頭に来たチコちゃんが走り出そうとするバスの前に立ちふさがって吠えると、その姿に運転手がたじろぐほどです。ケンカは体の大きさではなく、肝っ玉でするものです。
 ドジョウすくいは田植えの後で、苗代の用が済んだ後にします。田植えの時は、チコちゃんも手伝います。それは一家総出の仕事です。女の子どもが苗代を畔まで運び、男の子どもがそれを田の中にいる大人に投げます。チコちゃんが運び、正男と義男が苗を投げるのです。お父とさんなど男の大人が苗を受け取り、手渡されたお母さんを始め女なの大人がそれを植えます。もっとも、おんじさんときたら、始まったばかりなのに、一休みと称してヤカンから一杯やって真っ赤になっています。子どもも大人も一緒になって稼ぐのです。隣の家も同じです。
 田植えが終わると、チコちゃんたちは苗代でドジョウ捕りをします。苗代は、田植えができるまでの間、イネの苗を育てるのに使う狭い田んぼです。苗代の泥をスコップですくい、それを脇の平らなところに落とします。もしその中にドジョウが入っていると、驚いて跳ね回ります。それを急いで捕まえるのです。
 ドジョウは他でも捕れます。彦部の家は周りの土地に比べて少し高くなっています。家から少し降りると、土水路があります。この底の泥にドジョウが潜んでいるのです。
 一人が棒切れを持って上流、他は下流にドジョウすくうための笊をセットします。これで準備完了です。激しく棒を上下させて泥に突き刺します。ドジョウが驚いて中から飛び出し、笊の方に向かって逃げ出します。こうやってドジョウがすくえるのです。
 ドジョウすくいの主役は義男です。義男は暴れるドジョウを器用にすくいます。棒切れを上下させるのは力が要りますから、一番年上の正男の役目です。チコちゃんは下流の方にいて、応援の役目です。農作業で応援は大切です。歌に合わせて作業をするからです。
 魚は自分の身を守るために、粘液を出します。うろこが小さい、もしくはない魚はそれをより多く分泌します。ドジョウはうろこが小さいタイプに属します。そのドジョウは微生物の多い泥の中に棲んでいます。また、鳥にも狙われています。こうした状況から身を守るためにドジョウは粘液が多く、ヌルヌルして手で捕まえにくいのです。
 すくったドジョウは桶やブリキのバケツに入れて家に持ち帰ります。井戸の水を注ぎ、ドジョウに泥を吐かせます。泥吐きは3日くらいかかります。その間、大豆も一緒に入れます。これは餌になります。せっかく捕まえたのに、3日間も絶食していてはドジョウも痩せてしまいます。このドジョウはおんばさんがすり身にします。養殖ではありませんから、大きさに斑があります。けれども、すり身にすれば、それが解消できます。それに、チコちゃんも姿がわかる食べ方は苦手です。これをつみれにして汁に入れて家族みんなで食べるのです。自分たちで獲ったものを食べるというのは、苦労した甲斐があるので、格別です。

Here we are hanging on the strains of greed and blues.
Break the chain and we break down

Oh
it's not real if you don't feel it.
Unspoken expectations
ideas you used to play with

They're finally taking shape.

What's good enough for you is good enough for me

It's good enough
it's good enough for me.

Now you say you're starting to feel the push and pull
Of what could be and never can.
You mirror me stumbling through
those old fashioned superstitions
I find too hard to break
or maybe you're out of place.
What's good enough for you is good enough for me

It's good enough
it's good enough for me.
Good enough for you is good enough for me

It's good
it's good enough
it's good enough for me.

Old fashioned superstitions I find too hard to break

Or maybe you're out of place.
What's good enough for you is good enough for me ...

Good enough for you is good enough for me

It's good
it's good enough
it's good enough for me.
Good enough for you is good enough for me
it's good enough.
(Cyndi Lauper “The Goonies 'R' Good Enough")

 ドジョウやウサギを捕まえることだけでなく、子どもたちだけでする小さな冒険があります。それは元朝参りです。元朝参りは子どもたちだけでするものと決まっています。
 当時、元朝参りは旧暦の大みそかにしています。高度経済成長まで、旧暦で行事を行う地域が少なくありません。東京を始め都市が新暦に代わっても、地方は昔ながらの旧暦を使っています。しかし、テレビが地方に普及し手からこの事情が変わります。『紅白歌合戦』や『ゆく年くる年』を家族で見るようになってから、地方も中央の暦に合わせていくことになります。
 旧暦の大みそかはだいたい新暦の2月半ばです。旧暦には12月31日がありません。12月30日の次の日が1月1日です。この日が旧正月と呼ばれています。旧暦12月30日の夜、子どもたちだけで踏み固められた雪道を歩いて神社やお寺を目指すのです。
 チコちゃんの家族は、新堀に引っ越す前、大正橋商店街の通りの一つ奥に入った賃貸住宅に住んでいます。その近くに新興製作所の石鳥谷工場があります。元朝参りの時、個々が集合場所になります。新興製作所の工場長の奥さんは八戸出身です。実家から魚介類が送られてきます。大みそかの夜に工場に行くと、工員たちが薪ストーブの上でイカを焼いていて、いい香りがします。
 製作所の傍に農協があって、その前に広場があります。兄ちゃんたちがよくそこで野球をしています。兄ちゃんたちは時間と場所があればすぐに野球を始めます。赤バットの川上と青バットの大下は男の子たちの憧れの的で、野球は戦後を象徴する風景です。父ちゃんも野球が大好きです。高校野球のシーズンになると、仕事そっちのけで球場に見に行っています。
 元朝参りは0時に目的地に着かなければならないので、集合時間は夜です。チコちゃんは時間にルーズではありません。けれども、集合場所が近いので、約束の時間ギリギリに家を出ます。すると、もうみんな集まっています。
 「あ、チコちゃんが来た」とさっちゃんの声がします。さっちゃんは一つ年上の元気な女の子です。チコちゃんは「ごめん、ごめん」と言いながら、急いでみんなの元に向かいます。上級生が全員いることを確認して出発します。目的地は石鳥谷の熊野神社や新堀の八幡神社です。
 踏み固められた雪道を子どもたちは一列になって滑らないように気を付けて歩きます。当時は街灯もわずかで、屋内の照明も暗く、テレビなど音の出る電化製品もあまりありません。子どもたちはどこまでも黒に近い青みがかかった世界を前に進んでいきます。耳には自分たちが発する音しか聞こえません。規則正しいザックザックという足音に、時々、鼻をすすったり、咳やくしゃみをしたりする音が混じります。時には、自分たちを奮い立たせるために、みんなで歌うこともあります。
 神社に到着した時の子どもたちはみんな笑顔です。途中音を上げそうになった子も達成感で顔がほころびます。順番に参拝をしておみくじを引きます。「何お願いした?」とか「おみくじ、大吉だっか?」とかお互いに尋ねたり、「内緒だ」とか「何でもいがえ」とか答えたりします。一通り話が済んだら、また元来た道をみんなで戻り、家に帰ります。行きと違って、帰りは足取りは軽いものです。元朝参りは、子どもにとって、こんな小さな冒険の機会なのです。
 文学や映画では、日常的行動に非日常的事件が侵入することを「冒険」として物語にしがちです。そこに登場する子どもたちの描写も物語を盛り上げるために個性という名の役割を持たせて類型的です。スティーヴン・キングの子どもを主人公にした小説を思い起こせば、よくわかるでしょう。けれども、いつも通りのことをいつも通りにすること自体がどこにでもいそうな子どもには「冒険」なのです。

歩こう 歩こう わたしは元気
歩くの大好き どんどん行こう

坂道 トンネル 草っ原
一本橋に でこぼこ砂利道
クモの巣くぐって 下り道

歩こう 歩こう わたしは元気
歩くの大好き どんどん行こう

ミツバチ ブンブン 花畑
ひなたに とかげ ヘビは昼寝
バッタがとんで 曲がり道

歩こう 歩こう わたしは元気
歩くの大好き どんどん行こう

キツネも タヌキも 出ておいで
探検しよう 林の奥まで
友だちたくさん うれしいな
友だちたくさん うれしいな
(大橋のぞみ『さんぽ』)
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