第46話 祝福

文字数 3,368文字

 マイクを握った遥香の指示が、パークタワー東京のボールルームの四方に飛んでいる。大勢の専門スタッフが、その指示に従って会場を仕上げていく。これが初めての指揮にも関わらず、遊んでいるスタッフは一人もいない。
 私はその様子を見ながら満足気に「よし」と頷いた。隣では心配した梅川が、取締役の控室から出てきて、こちらもまた感心したように遥香の姿を見つめていた。
「本当にこれで良かったんだな」
 梅川の自分に言い聞かせるような呟きに、「これ以上の体制は考えられませんよ」と私が返す。
 今年の株主総会は、『創業者一族の抱いた不信感』というタイトルで、週刊誌に掲載されたリーク記事の影響で、世間では例年以上の注目を浴びている。高倉和江と美枝はその記事に関してノーコメントを貫いている。真偽を知りたくて押し寄せるマスコミに対し、「全ては株主総会後に分かります」と答える遥香の姿は、ネット上では『美人広報』としてファンもつくほどだった。
 『創業者一族の反乱』、『お家騒動』、『外国人社長の限界』など、興味本位に注目されながらも、高倉家の沈黙と遥香のがんばりで好意的な雰囲気が醸成できてはいるが、全ては今日の株主総会に掛かっている。梅川の心配も無理はなかった。
 渦中のロスは既にアメリカで新しい道を邁進している。日本を発つ時には私に全てを託し、「我が盟友」と信頼の言葉を贈って去って行った。
 全ての準備が終わったのか、インカムから「開場」と遥香の声が聞こえてきた。歴史的な総会に立ち会おうと集まった、三千人を超える株主が少しでも前の席に座ろうと、定刻にはまだ時間があるにも関わらず足早に入場してきた。
 開場から三十分後、株主が自席をしっかり確保して落ち着いたころ、オープニングに用意された映像と音楽が会場を包み、不安と期待が交錯する総会が始まった。
 昨年は高階が議長の任に就いたが、今年は遥香のイメージ戦略に従って、フェリックスが壇上に立った。会場には日本人株主に対応して通訳用のレシーバーが配られ、ネット配信の映像には通訳音声がミックスされる。
 フェリックスは堂々と開会を宣言し、議案説明の前に一本のビデオ上映を提案した。そのビデオには五月に開催された経営会議でアジャイル賞を受賞し、既に日本を後にしたロスの姿があった。
「株主の皆さん、一年に一回しかない株主総会で、皆さんにお会いできないことを大変残念に思います」
 ビデオには、ロスの肉声に合わせて、日本語の字幕が入っていた。
「私は僅か一年でしたが、TECGで経営者として働けたことを誇りに思い、また感謝の念を持っています。私は就任前にフェリックスと約束したことを全て果たすことができました」
 ビデオはここで、ロスがこの一年間に上げた成果を説明する。こうやって見ると、ロスが獲得した会社は全て、将来性のある優良会社で、何よりもTECGが今求めているものを満たしていた。そして、これらの難しい評価を分かり易く見せる、遥香のチームの力も改めて素晴らしいと思った。
「私は就任当初、これらのミッションを達成するためには、少なくとも二年は必要だと考えていました。それが半分の一年で達成できたのには、TECGにしかないフォローがあったからです。TECGが創業以来守り続けている経営理念、それこそが力強いフォローとなって、私のビジネスを推し進めたのです」
 ロスの言葉の後に、三つの経営理念を説明するために、経営方針会議のビデオのダイジェスト版が流れた。
「ここで説明された三つの経営理念はグローバルに見ても素晴らしいものです。しかもこのビデオの中に示されたように、その理念は昨日今日掲げられたわけではなく、この会社の長い歴史の中で根を下ろした考え方であることが分かります。私の交渉相手は、この点を高く評価しTECGを信頼してくれました。それは私のビジネスの最大のフォローでした」
 ビデオの中でロスが深々とお辞儀をした。その日本式のお辞儀をする姿は、会場の株主の心を掴み、周囲は静まり返った。
「さあ、ここで私の役割は終わりました。私はあくまでも、この企業体制を組むために呼ばれた人間です。今度はここで作られた体制を育て、発展させる人間が私の後に来るはずです。グローバルの経営者人事とはそういうものです。これはフェリックスがTECGを真のグローバル企業に育てるための予定された行動なのです」
「最後にもう一つだけ、今回の私の成功から現経営陣は、TECGの今後の発展は歴史の中で培った精神に依るところと確信しました。外国人ということでいろいろな憶測は生じると思いますが、株主の皆様にはその点からTECGは今後も変わらないと信じて、安心して経営をお任せください」
 ビデオが終了し、スクリーンの映像が一瞬暗転した後、TECGのロゴに切り替わると、会場は拍手に包まれた。株主はロスの心を理解してくれたようだった。
 続けてフェリックスの軽妙な議事が進んでいく。私は外国人経営者と日本人経営者の一番の違いは、プレゼン中の個性だと感じている。ビデオの中のロスの語り口は、どことなく男の色気のようなものを感じさせる。そしてフェリックスのウィットに富んだ言葉と表情は、才ある者の余裕を感じさせステージ上にオーラが広がる。
 会場のイニシアティブは完全に経営側が握った。珍しく総会に顔を出し、一族で陣取った高倉家の面々は、特に異論を挟むわけでもなくおとなしくしていた。高倉家から何の反応もないので、有永も無表情で過ごした。
 大きな波乱を予感させた総会は、結局無風で収まった。会場を去る株主を見送っていると、高倉家の三人が現れた。怒っていたはずの高倉和江と焚き付け役の美枝は清々しい感じで去って行った。
 二人の後を高倉源治が歩いて来る。私に気付くと満面の笑みを向けてきたので、深々とお辞儀をした。
「終わったな」
 背後の声に振り向くと梅川が立っていた。この後取締役会のはずだが、高倉家の帰りを見届けるためにやってきたようだ。
「終わりじゃないです。始まりです。これから新しいTECGの歴史が刻まれるんです」
 梅川は私の言葉に感心したように頷きながら、ニヤリと笑って言った。
「君は新しいTECGの歴史の生き証人となるんだなぁ」
「特等席です」
 そう言うと、二人で気持ちよく笑った。

 次の週末、遥香を伴い理央と沙穂と四人で国立に向かった。理沙の実家への挨拶と理沙の墓へ結婚の報告をするのが目的だ。
 当初、一人で行くつもりだったが、遥香がどうしても一緒に行きたいと譲らないのと、理央が呆れたようにみんなで行くものだと言うので、照れ臭いが四人で行くことにしたのだ。
 浩二と美穂子は自分の息子の結婚のように大歓迎して祝福してくれた。緊張していた遥香も二人が心から喜ぶ様子に、安心したようだった。その様子を見て、理央がほらねという表情で、私を窺い見る。遥香との件に関しては、理央の方が完全に上から目線だ。
 沙穂は理央の言う通り、驚くほど素直に遥香を受け入れてくれた。これから学校公開や保護者面談のときに、私ではなく遥香に来て欲しいとねだった。やはり、母親がいないことは、沙穂にとっても寂しかったのだと改めて気づいた。
 名残惜しそうにする浩二と美穂子に別れを告げ、理沙の墓に四人で向かった。
 理沙の墓の前に四人で立つと、誇らしさと照れくささで複雑な気持ちになった。理央と沙穂の立派に成長した姿は、こんなに頑張ったと胸を張れるが、若い遥香と再婚するというのは、妙に気恥ずかしい思いがする。
 私の横では、遥香が手を合わせてじっと拝んでいた。その真剣な姿を見て、ああ遥香は本当に私と結婚してくれるのだと、初めて実感した。
 理央は手を合わせて拝んでいるうちに、一筋の涙を流していた。考えてみれば、理沙が亡くなってから一番頑張って来たのはこの()だ。この大人びた娘は、理沙の前だけは子供に戻ることができるのだろう。
 沙穂は大きな声で、できるようになったことを報告していた。沙穂にも沙穂にしか分からない理沙への思いがあるに違いなかった。
  その時、自分だけにしか聞こえない祝福の声が聞こえた気がして、不覚にも涙が出た。
 ――良かったわね、あなた。私はいつまでも三人の幸せを見守っています
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

星野 慎一 (ほしのしんいち)


 1977年9月生まれで出身は山口県。身長は176センチで異動してからお腹が気になる。

 本編の主人公。子育てのために35才で定年後のお疲れ様ポジションであった、大企業「TECG」の社史編纂室長に就任する。


 34才で4才年上の研究員小宮理沙と結婚する。当時理沙には6才になる連れ子の理央がいた。結婚した翌年、理沙との間に沙穂が生まれる。このときが理沙との結婚生活で一番楽しいときだった。

 沙穂が生まれて半年経った時、電車の中の事故で理沙を失う。

 理沙を失ったショックで、一時的に全てに無気力状態になったが、理沙の母美穂子の叱咤と、理央の立ち直る姿を見て、二人の子供のために生きると誓って立ち直る。


 入社して2年目にグローバルリーダー育成プログラムで、TECGNAに出向し四年間をニュージャジーで過ごす。6年目の29才のときに、国内の外資系メーカーへの営業強化を意図して国内営業に復職する。

 復職後は国内営業本部長の有永の横槍を交わしながら大きな実績を上げ、辣腕営業マンとして期待されながらも、子育てを優先するために社史編纂室へ異動し、それまでのキャリアを捨てる。


 この異動を、子育てのために時間的制約を課された会社の配慮と感謝したが、実は国際派の秘書室長梅川の戦略の一つで、一族経営の中でガチガチの国内企業だったTECGを、グローバル化した新しい企業に移行する上で生じる問題解決の切り札と期待されていた。


 秘書室の女性たちに加えて、営業部から才媛長池遥香が部下として加わり、美女に囲まれた職場環境となるが、本人はあまりモテた経験がないので、振り回されがち。

 

星野 理沙 (ほしの りさ) (旧姓 小宮)


 1973年4月生まれで出身は東京都。身長は162センチ。兄と姉がいる。

 吉祥寺の女子高から日本の大学に進んだが、二年生のときにアメリカの大学に編入する。卒業後ニューヨークで広告・宣伝の会社に入社する。

 30才のときに日本企業からニューヨークに駐在していた男と恋に落ち妊娠するが、男は日本に妻子を残しており結婚できないため、別れて出産のために日本に帰国する。

 実家で理央を出産後、母の美穂子に助けられながら、シングルマザーとして日本の広告会社で働く。

 36才のときにイベントの企画で慎一と知り合い、つき合い始める。何度かデートを重ねた後で、慎一からプロポーズされる。4才年上なことと、娘の理央のことがあって悩んだが、押し切られる形で結婚する。

 結婚後慎一との間に沙穂を儲けるが、出産から半年後に不幸な事故で命を落とす。

星野 理央 (ほしの りお)


 2003年4月生まれで出身は東京都。17才のときの身長は171センチ。

 母理沙の実家で父の顔を知らずに7才まで過ごす。

 7才のときに理沙が慎一と結婚して父ができたが、友達のような感覚で接する。

 理沙が事故で亡くなってから、徐々に慎一との間の距離が縮まり、親子として絆を深めてゆく。

 小学校のときに母と同じミニバスのチームに入部し、以後高校までバスケットに熱中する。

 勉強はあまり得意ではないが、小学生の頃から鍛えている英語の成績はいい。

星野 沙穂 (ホシノ サホ)


 2011年9月生まれで、出身は東京都。9才のときの身長は136センチ。

 慎一と理沙の間の実子で、生後7カ月で母を亡くす。

 母の顔を知らずに育つが父と姉の愛情に包まれて、素直で甘えん坊な性格に成る。

 姉の理沙と違ってよくしゃべる。

長池 遥香 (ながいけ はるか)


 1988年10月生まれで出身は新潟県。身長は168センチ。

 東京の国立大学を卒業後、TECGに入社し営業部に所属する。

 配属後の面接で上司の長澤から、優秀だが熱が足りないと、関西支店に送られるが2年目にはトップセールスを記録し、3年目に本社に引き戻される。

 異動後もトップクラスの成績を上げ、次期エースとして期待がかかるが、本社に戻って4年目に突如社史編纂室の公募に手をあげ異動とする。

 この異動は、将来を見据えた壮大なキャリアプランを胸に秘めたものであった。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み