第11話 復活

文字数 3,362文字

 次の日から理沙の葬式を終えるまで、ほとんど記憶らしきものが残っていない。
 ただ葬式の間中理央の涙が止まらなかったことは覚えている。
 火葬場から納骨のする際は、私も涙が止まらなくなった。幼い沙穂を残したまま、小さな骨と化した理沙を思って、代われるものなら代わってやりたいと本気で願った。
 会社から上司である佐々木が参列してくれた。
 佐々木は私の所属する部の部長をしている。
「明日から落ち着くまで会社を休め」
 打ちひしがれる私に佐々木はそれだけを伝えた。

 葬式の翌朝、私はベッドから起き上がることができなかった。昨夜は朝まで酒を飲んでいたこともあるが、そんなことは会社生活の中で何度も経験している。
 リビングの方から沙穂の泣き声がした。
――ミルクだろうか、おむつだろうか?
 起き上がらなければならないと思っても、身体に力が入らない。やがて美穂子が対応したのか泣き声が止んだ。
 理沙の骨を拾って納骨する中で、もう二度と理沙に会えないことを実感した。
 一夜明けると、その責任が自分にあることに耐え切れず、全てのことに無気力になった。
 残された二人の娘のことを考え、明日からの生活を考えるのが億劫に感じる。

 それから三日間、私は無気力にダラダラと会社を休んだ。理央も学校を休んで元気なく考え込んでいる。
 そんな姿を見ても、何もフォローできず時間が過ぎて行った。
 その傍らで美穂子は黙々と家事をしていた。
 刑事はすぐに見つかると言ったが、理沙の死の原因になった男女は以前として見つからなかった。怒りをぶつける相手がいないまま、時間だけが空しく過ぎていく。

 四日目の朝、「慎一さん、ごめんなさい」申し訳なさそうに美穂子が入って来た。
 入って来ても、横に座って何も言わない。
 その様子を見て、ようやく私は気づいた。
――理沙の死を悲しむ気持ちは、親である美穂子も同様のはずだ。自分だけがこんな無気力に寝ているわけにはいかない。
 そう思って残っている気力を振り絞って起き上がった。
「お義母さん、すいません。子供たちの世話を全て任せちゃって」
 私は心から申し訳ないと思って頭を下げた。
「いいのよ。さっき連絡したら、うちの人も何もする気にならないって言ってたわ」
 美穂子はそう言いながらも、何かを言いたそうに私を見つめた。
「理央はどうしました?」
「休んでもいいのよって言ったんだけど、頑張って学校に行ったわ、強い子ね」
 理央は顔立ちも性格も理沙にそっくりで、成長に従って理沙の真似をすることが多くなった。その様子は、理沙のことを母親であると同時に憧れの女性のように接しているように見えた。
 理沙を失った理央の悲しみは人一倍大きいはずなのに、自分は親として何もフォローしてない。
 それでも理央は自分一人で立ち直って、学校に行く決心をしたのだ。
「あのね、慎一さんがこんなに悲しんでくれるのを見て、私もありがたいと思うのよ。しばらくは何もせずに、ゆっくりすればいいと思ったの、でも……」
 美穂子は言いづらそうに言葉を切った。しばし二人の間に沈黙が訪れる。
「そうですね。確かにやらなきゃいけないことがたくさんある。沙穂を預かってくれるところを探さなきゃいけないし、理沙に任せきりだった家事も覚えなきゃいけない」
「ううん、違うの。そういうことは私がやるからおいおいでいいんだけど、理央のことを考えるとあなたは早く元気な姿を見せなきゃいけないと思ったの。あの子は感受性の鋭い子だから、あなたが元気ないと思ったら、自分が頑張らないといけないと思うから」
 私は美穂子の言葉に頭を殴られたような気がした。事故のあった夜も病院で美穂子の姿を見て、理央は「自分のせいだ」と言って泣き出した。
 この事故で一番傷つき感じなくてもよい責任を感じているのは理央のはずだ。
「すいません。甘えてました」
 そう言って洗面所に顔を洗いに向かった。
――俺は馬鹿だ! 大馬鹿だ!
 私と血がつながってない理央は、何も話さない私の態度に、肉親ではないから見放されたように感じたのかもしれない。
 だから自分で立ち上がったのだ。甘えたいのに甘える相手がいないと感じて、自分を追い詰めたに違いない。
 私は冷たい水で顔を洗うと、美穂子の作ってくれた朝食を食べて、出かける準備を始めた。
――やるべきことをてきぱきこなして、立ち直った姿を理央に見せよう!
 まずは沙穂の保育園探しだ。
 しかし、四月に入園させてくれと言って預かってくれるところがあるのだろうか。ニュースでは待機児童問題も大きく取り上げられている。
 考えていても仕方がないので、パソコンを開いて「武蔵野市 保育園の入園手続き」で検索してみた。検索結果によると、市役所の子供育成課に申請するらしい。
 私はまずは市役所に行くことにした。市役所は三鷹通りを駅から二キロ程度北上したところにある。家から自転車を使えば十五分程度で着くはずだ。私は理沙が使っていたママチャリに乗って、市役所に向かって出発した。

 市役所に着いて受付で子供育成課の場所を尋ねると、三階に行くように言われた。
 少し緊張しながら三階に向かう。
 仕事柄、役所と言うとシステムの入札を思い出す。私たちメーカの社員にとって、役人のイメージは尊大で機械的であった。
 ところが、子供育成課で対応してくれた事務員の女性は、非常に親切な人だった。私の話を親身になって聞いてくれ、手続きについても詳しく話してくれた。
 なんだか気が楽になり、今からでも入園できる可能性があるか聞いてみた。その瞬間、それまでにこやかに話をしてくれた事務員の表情が曇った。
「私としては星野さんの場合、何とかして入園させてあげたいと思いますよ。でも希望された認可保育園のゼロ歳児の枠は、今いっぱいなんです。それどころか空き待ちでいる方もたくさんいらっしゃいます。今年中の入園は正直難しいと思います」
 女性事務員の言葉は予期していたが少なからずショックを受けた。
「私の前に何人ぐらいいるんですか?」
 とりあえず状況が知りたくて訊くと、
「今時点では正確には答えられません」と言われた。
 どうも、入園の優先順位は希望者の家庭状況を点数化し、その点数の高い順に決まるらしい。付近に身寄りのいないシングルマザーがかなりいる状況で、私のケースが優先的になるかどうかはよく分からないらしい。
 一応、無認可の保育園もあるので、どうしても働きに出なければならないときは、そちらの方が入れる可能性が高いと説明された。
 残念なのは、認可された保育園に比べると倍以上の費用が掛かることだ。
 一通りの手続きを済ませて、暗い気持ちで市役所を後にした。

 家に帰って美穂子に状況を説明した。
「大変なのね。でも来年の入園まで私が沙穂ちゃんの面倒を見ても大丈夫よ」
 どんなときにも美穂子は気丈に慰めてくれる。
 ちょっと前まで自立して頑張ろうと決意した私だったが、まだまだ自力で生活ができないと分かって、情けないことに早くもくじけそうになった。
――しっかりしろ!
 自分を叱咤して、今度は家の中の調査を始めた。
 保険証や預金通帳の保管場所、理央の整理ダンスの構成、ゴミ出しルールなど、これまで理沙に任せきりだった仕事の知識をインプットしていく。
 必死で学習していると、理央が帰って来た。理央は私が起きだして精力的に暮らしの知識を学んでいる姿を見て、嬉しそうに笑った。
 その笑顔を見て、心からホッとした。
 私は早速明日から出社することにした。
 家でぐずぐずしていては、いつまで経っても新しい一歩を踏み出せない。自分だけならいいが、二人の子供のためには早く新しい生活のリズムを作る必要がある。
 そう思って理沙の遺影を見ると、気のせいか理沙も微笑んでいるように感じた。

 前日に固く決意したにも関わらず、次の日も起きるときは不安とけだるさで苦しかった。それというのも、前の晩にこれからの生活を考えすぎて、不安になってよく眠れなかったからだ。
 私とは対称的に、理央は今日もちゃんと早起きして学校に行ってる。
 本心は酷いダメージを受けているはずだが、健気に現実と向き合う理央の姿は情けない父親のカンフル剤だ。
――よし、今日も頑張るぞ!
 私は気力を振り絞って立ち上がった。
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登場人物紹介

星野 慎一 (ほしのしんいち)


 1977年9月生まれで出身は山口県。身長は176センチで異動してからお腹が気になる。

 本編の主人公。子育てのために35才で定年後のお疲れ様ポジションであった、大企業「TECG」の社史編纂室長に就任する。


 34才で4才年上の研究員小宮理沙と結婚する。当時理沙には6才になる連れ子の理央がいた。結婚した翌年、理沙との間に沙穂が生まれる。このときが理沙との結婚生活で一番楽しいときだった。

 沙穂が生まれて半年経った時、電車の中の事故で理沙を失う。

 理沙を失ったショックで、一時的に全てに無気力状態になったが、理沙の母美穂子の叱咤と、理央の立ち直る姿を見て、二人の子供のために生きると誓って立ち直る。


 入社して2年目にグローバルリーダー育成プログラムで、TECGNAに出向し四年間をニュージャジーで過ごす。6年目の29才のときに、国内の外資系メーカーへの営業強化を意図して国内営業に復職する。

 復職後は国内営業本部長の有永の横槍を交わしながら大きな実績を上げ、辣腕営業マンとして期待されながらも、子育てを優先するために社史編纂室へ異動し、それまでのキャリアを捨てる。


 この異動を、子育てのために時間的制約を課された会社の配慮と感謝したが、実は国際派の秘書室長梅川の戦略の一つで、一族経営の中でガチガチの国内企業だったTECGを、グローバル化した新しい企業に移行する上で生じる問題解決の切り札と期待されていた。


 秘書室の女性たちに加えて、営業部から才媛長池遥香が部下として加わり、美女に囲まれた職場環境となるが、本人はあまりモテた経験がないので、振り回されがち。

 

星野 理沙 (ほしの りさ) (旧姓 小宮)


 1973年4月生まれで出身は東京都。身長は162センチ。兄と姉がいる。

 吉祥寺の女子高から日本の大学に進んだが、二年生のときにアメリカの大学に編入する。卒業後ニューヨークで広告・宣伝の会社に入社する。

 30才のときに日本企業からニューヨークに駐在していた男と恋に落ち妊娠するが、男は日本に妻子を残しており結婚できないため、別れて出産のために日本に帰国する。

 実家で理央を出産後、母の美穂子に助けられながら、シングルマザーとして日本の広告会社で働く。

 36才のときにイベントの企画で慎一と知り合い、つき合い始める。何度かデートを重ねた後で、慎一からプロポーズされる。4才年上なことと、娘の理央のことがあって悩んだが、押し切られる形で結婚する。

 結婚後慎一との間に沙穂を儲けるが、出産から半年後に不幸な事故で命を落とす。

星野 理央 (ほしの りお)


 2003年4月生まれで出身は東京都。17才のときの身長は171センチ。

 母理沙の実家で父の顔を知らずに7才まで過ごす。

 7才のときに理沙が慎一と結婚して父ができたが、友達のような感覚で接する。

 理沙が事故で亡くなってから、徐々に慎一との間の距離が縮まり、親子として絆を深めてゆく。

 小学校のときに母と同じミニバスのチームに入部し、以後高校までバスケットに熱中する。

 勉強はあまり得意ではないが、小学生の頃から鍛えている英語の成績はいい。

星野 沙穂 (ホシノ サホ)


 2011年9月生まれで、出身は東京都。9才のときの身長は136センチ。

 慎一と理沙の間の実子で、生後7カ月で母を亡くす。

 母の顔を知らずに育つが父と姉の愛情に包まれて、素直で甘えん坊な性格に成る。

 姉の理沙と違ってよくしゃべる。

長池 遥香 (ながいけ はるか)


 1988年10月生まれで出身は新潟県。身長は168センチ。

 東京の国立大学を卒業後、TECGに入社し営業部に所属する。

 配属後の面接で上司の長澤から、優秀だが熱が足りないと、関西支店に送られるが2年目にはトップセールスを記録し、3年目に本社に引き戻される。

 異動後もトップクラスの成績を上げ、次期エースとして期待がかかるが、本社に戻って4年目に突如社史編纂室の公募に手をあげ異動とする。

 この異動は、将来を見据えた壮大なキャリアプランを胸に秘めたものであった。

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