2:緑丘消防の日常

文字数 4,477文字

 緑丘消防署は二交代制、 二十四時間拘束で実労十六時間の勤務体制。 消防隊も救急隊も、 いかなる時でも、 要請を受ければ迅速に出動できる体制を整えている。
 出動が無い場合…… つまり待機中は何をやっているのか。 専門学校の同期と話す事がある。 お前ん所って何してんの? やっぱ訓練? こんな感じで。
 緑丘消防署の場合だと、 物品のチェックや車両点検…… 各自トレーニング等々。 他の消防署と大差ない気もする。 まぁ諸々と業務はあるわけだ。 でも、 ふと空白の時間が生まれる事があった。 そんな時は、 お茶を楽しみながら…… 少しだけ世間話をしたりも、 するわけで。


「しっかし、 あのイソタンが救命士になって戻って来ちまうなんてなァ」

 緑丘消防の談話室でのワンシーン。 俺と対面してソファに座っていた消防部隊の相楽(さがら)隊長が、 アイス珈琲片手に感慨深そうに呟いた。
 相楽隊長は過去にこの町、 緑丘市を襲った未曾有の工場火災、 緑丘工場火災の際に現場で指揮を執っていた、 らしい。
―― ちなみに“イソタン”と言うのは、 渾名を付ける趣味を持つ相楽隊長が、 俺に付けたニックネームだ。


「磯谷がこの部署に配属になってくれたのも、 何かの縁かもしれないな」


 相楽隊長の横に座っていた救急隊の野津(のづ)隊長は、 目頭を抑えながら言う。 俺の横に座っていた稲葉(いなば)先輩が、 向かいの野津隊長の顔を覗き込んだ。


「あらあら隊長、 泣いてるんですか?」
「感動しているんだ。 考えてみろ稲葉。 急患だった磯谷と、 こうして共に働けているのは奇跡だ。 嬉しいじゃないか」
「そうですね。 僕も嬉しいです」


 俺が交通事故で生死の境を彷徨った、 あの時。 瀕死の俺を星辰医科大学病院まで搬送してくれたのが、 野津隊長と稲葉先輩だった事を知ったのは、 緑丘消防署に配属になってからだった。
 俺を救ってくれたのは貝塚だけじゃない。 俺の直属の上司である、 野津隊長と稲葉先輩に命を繋がれて、 俺は貝塚と出会ったんだ。 それを知った時、 偶然か必然か、 色んな縁が重なって起こった奇跡なのか、 よくわからないが、 俺はとても大きな繋がりの中で生かされている気がした。
 黙って俯いている俺を、 稲葉先輩が頬杖を付きながら見遣った。


「それにしても、 昨日の直哉くんの引継ぎはとても良かったですね。 初めてだとは思えないくらいスマートでしたよ」
「稲葉先輩と隊長のお陰ですよ。 色々とアドバイスをもらっていたので…… まぁ、 貝塚先生には緊張してるヒヨッコが必死にピーチクパーチク…… って後から言われましたけど」


 俺が肩を竦めたら相楽隊長が豪快に笑った。


「そりゃアレよ、 ヅカさんはイソタンを誉めてくれてんのよ。 何にせよ、 ヅカさんに小言いわれずに引継げたんだろ? そりゃもう上出来よ! あの人にこれまで、 何人の救急隊が泣かされてきた事かってなァ!」


 相楽隊長の言葉に、 野津隊長と稲葉先輩が苦い表情を浮かべた。 どうやら二人共、 ヅカさん(貝塚)に泣かされた経験がお在りのようだった。
 稲葉先輩が吐息を漏らして天井を仰いだ。


「なんでしょうね、 難しいんですよね、 貝塚先生への引継ぎ。 新人の頃は“どうか星大に当たりません様に”って神様にお祈りしたものですよ」
「ヅカさんって点数付けてくるらしいなァ? 今日の引継ぎは六十点……とか? 赤点だからレポート書いて持って来いとか? 面白れぇじゃんよなァ?」


 相楽隊長の笑顔に、 野津隊長も笑顔を返そうとする…… が、 顔面が引き攣る。


「面白くはないよ相楽。 俺なんてな、 貝塚先生に“隊長のオマエの教育が悪いんだよ、 このおたんこなす!” って言われてたんだぞ? 星大に当たる度に毎回だぞ? 今でこそ少なくなったが、 当時はもう……」


 野津隊長が、 遠くを見ながら呟く。 無茶苦茶だが、 貝塚ならやりそうだな…… と俺は心の中で笑った。
 束の間の沈黙を置いて、 「それもこれも、 今となっては良き思い出ですね」と、 稲葉先輩が適当な言葉で締めた。 俺は思わず笑った。


「稲葉先輩、 まとめ方が雑じゃありませんか?」


 あら、 失敬な。 と稲葉先輩が俺を見た。

「本当の事ですよ? 直哉くんは貝塚先生と特別な思い出があると思いますが、 僕も新米の頃は貝塚先生に色々とお世話になったんです。 怒られたというか…… 指導してもらったというか、 スリッパで叩かれたというか」
「…… スリッパ?」


 稲葉先輩が咳払いをした。


「まぁ…… それもこれも、今となっては良き思い出って事です。 実際に僕が急患の状態を広い視野で捉えられる様になったのは、 貝塚先生に鍛えて頂いたお陰ですからね。 まぁここの隊員のほとんどがそうだと思いますが」
「講習代が浮いてラッキーじゃんね。 指導係を買って出てくれたヅカさんに感謝だな!」


 イシシ、 と相楽隊長が笑った。 救急医療は時間との勝負だ。 負傷者の救助に当たる隊員の判断の遅れは、 患者の死に繋がる。 つまり、 病院側に命のバトンを渡せない…… という事だ。
 嫌われ役を買ってまで、 救急隊の判断力を向上させた貝塚の功績は確かに大きい。 あの宇宙人思考の貝塚に、 救急隊員の指導という“志”があったのか否か、 少し謎が残るが。


「所で磯谷、 昨日は貝塚先生に挨拶に行ったんだろう? どうだった? 先生は喜んでくれたか?」


 野津隊長がソファに背を預けながら言った。 俺は照れを隠す様に笑った。


「喜んでくれていたと思います、 たぶん」
「直哉くんの制服姿について何か言っていましたか?」


 稲葉先輩がにやにやしている。


「制服の事は特に。 ただ、 服を見て“ちゃんと救命士じゃん”とは言われましたけど」
「貝塚先生ったら、 お可愛いですねぇ、 ふふふ」


 稲葉先輩が悶える様に、 足をバタバタとさせた。 女子の様な反応だった。


「こらこら稲葉、 先生怒られるぞ」
「だって、 ちゃんと救命士じゃん…… ですよ? あの貝塚先生がですよ? 可愛すぎでしょう?」
「確かに可愛かったがな」


 野津隊長は歯茎を見せて満面の笑みを浮かべている。 まるで、 昨日の俺と貝塚の状況を知っている様な口ぶりだった。 なんだろう、 二人とも猛烈に気持ち悪い。
 相楽隊長は、 そりゃそうよと口を挟む。


「いやぁ喜んでるだろうよ? そりゃそうだろうよ。 イソタンが救命士になるのを一番待ち焦がれてたのは、 ヅカさんだもんなぁ?」
「貝塚先生がそう言ってたんですか?」

 相楽隊長に問いかけた。 おっと…… と相楽隊長が手で口を押えた。 野津隊長が相楽隊長を睨んだ。 微妙な空気が、 休憩室に流れる。
 稲葉先輩が野津隊長を見て、 いいんじゃないですか? と首を傾けた。 野津隊長は暫く思案した後、 誰も居ない部屋を見渡して、 ヌッと身を乗り出して囁いた。


だけどな、 貝塚先生に事前に電話で言われていたんだ。 俺の班が出動して搬送先が星大だったら、 絶対に磯谷に引継ぎをさせろってな。 貝塚先生は自分の勤務の日まで丁寧に教えて下さってだな…… まさか初出動で星大にあたるとは思わなかったが」


 ―― あぁ……。 それで初出動にも関わらず新米の俺に引継ぎをさせてくれた訳か。 なるほど、 って…… 何やってんだ貝塚も野津隊長も。 嬉しいけど、 職権乱用というやつではないのか?
 不可解だった点と線が繋がった瞬間、 貝塚や隊長たちの過保護な一面を垣間見た気がした。


「貝塚先生は直哉くんが救命士として命を繋げてくれるのを少しでも早く見たかったのでしょうね」
「“お前のバトンは受け取ったよ”って言われたんだっけ? かっこよすぎるだろヅカさんはよ。 俺はヅカさんになら抱かれても良いと思っている」


 相楽隊長が乙女の様な眼差しで天井を仰いだ。 分かる気がしますと、 稲葉先輩は相槌を返した。 稲葉先輩が相楽隊長のどこの部分に共感したのかは、 あえて触れない事にした。


「あ……。そう言えば、 ひとつ気になる事があるんですけど」


 思い出した様に口を開けば、 視線が俺に集中した。


「隊長達や星辰医大のスタッフが付けてる‟カッパ”って、 何か意味があるんですか?」


 緑丘消防署に出勤して、 一番に気になった事だった。

 緑丘消防のスタッフは、 制服の名前刺繍の横や帽子のサイドに、 カッパのワッペンを縫い付けていた。
 昨日、 星辰医大に訪れた際もそうだった。 あそこの救急部のスタッフも、 同じ様にカッパのワッペンをスクラブに縫い付けていた。
 貝塚に至っては、 カッパのぬいぐるみを頭に乗せる謎ファッションで俺の前に登場した。 あのカッパは一体何だ?
 緑丘市に河童伝説でも存在したのだろうか、 それとも観光目的か何かで“ご当地キャラ”なるものが誕生したのだろうか。 色々と考えて、 インターネットなどで調べてもみたが、 残念ながらそれらしき情報は得られなかったのだ。

 俺の問いかけを聞いて、 隊長二人と先輩が顔を見合わせた。 一瞬、 三人の顔が悲しげに曇ったのを感じて、 俺は聞いてはいけない事を聞いてしまったと後悔する。
 野津隊長が俺の不安を掻き消す様な、 明るい声で答えた。


「磯谷は知らなくて当然だな、 これは星大の神谷先生が作ったマスコットキャラなんだ。 神谷先生の下の名前、 優輝(ゆうき)を文字って“ユッキー”って名前にしたらしい」
「神谷先生は小児科の先生だったんですよ。 器用に布で被り物を作って、 イベントの時に変装してらしたとか。 ほら、 ハロウィンだったらジャックオランタンの様な、 そんな感じでしょうか? なぜカッパにしたのかは謎ですが、 小児科からじわじわと人気になって、 星大スタッフに伝染していったんです。 僕達もその一人というわけですね」
「ほら、 キャラクターって可愛いし和むだろ? 俺らみたいな仕事だと、 尚更な?」


 稲葉先輩と相楽隊長が交互に答えてくれた。 俺は「へぇ」と頷きながら、 少し怪訝に思った。
 可愛いだけの理由で、 一人の医師が制作したマスコットを、 スタッフ達が真似して、 わざわざ制服や帽子に縫い付けるものなのだろうか?
 それがこの消防署のスタッフにまで浸透してしまうものなのだろうか? 星大と関わりがある救急隊だけではなく、 消防隊にまで広がるものなのだろうか?
 不可解すぎる。 俺は相楽隊長のヘルメットに貼られた“ユッキー”のシールを見ながら、 目を細めた。
 ―― 待機室にコールが響く。 出動要請だ。


『五丁目交差点で自転車とバイクの衝突事故発生。 救急隊は直ちに出動を』
「おやおや、 ご指名だぞ救急隊」


 相楽隊長が呟いた。 野津隊長が帽子を被って立ち上がった。


「稲葉、 磯谷、 出動だ!」
「了解です!」


 素早く走りだした野津隊長の後に、 稲葉先輩が続いた。 俺は疑問符を残したまま、二人の後を追った。



【04.13 ...Last 99day】
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登場人物紹介

【磯谷 直哉*いそたに なおや】

緑丘消防に所属する救命士の青年。 十八歳の時に事故に遭い、 星辰医科大学病院に搬送された。 


【貝塚 真緒*かいづか まお】

星辰医科大学病院附属高度救命救急センターで勤務する医師。 麻酔科と救急部を兼任している。

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