1:序章~門出の誓い

文字数 4,391文字

 星辰医科大学付属病院、 救急部のエントランスに救急車が横付けされた。 自動扉の前で待機していた医師と看護師が、 停車した車両に駆け寄った。 救急車のバックドアが開かれると、 車内から若い救命士が躍り出る。 運転していた隊員と助手席に座っていた隊員も同時に車から降りた。
 車内から引き出されたストレッチャーは、 医師と看護師、 若い救命士に押されて、 エントランスから建物内へと移動する。 若い救命士がストレッチャーを進めながら、 医師に言った。


「患者、 高木三郎さん六十八歳男性。 自転車で走行中に乗用車と接触を起こし、 転倒した際に路上に落ちていたガラス片で左大腿部を裂傷。 出血を認めましたが、 止血処置行い、 五分前に出血は……」
「最終バイタル」


 医師に促されて、 若い救命士が言葉を付け足した。


血圧(ドゥルック)180-100、脈拍(プルス)120、体温37.2、呼吸20浅薄、 レベルクリアです」


 医師が口元に笑みを浮かべ、 若い救命士の胸を拳で小突いた。


「確かに、 お前のバトンは受け取ったよ。




 救命士“磯谷直哉(いそたになおや)”は、 緩みそうになる頬に緊張を保たせながら、 救急室に溶け込んでいった、 医師“貝塚真緒(かいづかまお)”の背中を眩しそうに見送った。
 医療従事者として再会した貝塚真緒の姿は、 気高い存在として磯谷直哉の瞳に強く焼き付いた。 

*** *** ***


「なってやったぞ救命士!」


 救急部の搬送口で貝塚を待っていた俺は、 奴の姿が見えるなり大声で言い放った。
貝塚は無表情のまま、 つかつかと歩み寄って来た。
 数時間前ぶりの再会。 先ほど、 急患を搬送した際は、 お互い仕事中という事もあってまともに会話は出来なかった。
 ―― これは一時間前の出来事。 緊張した初出勤を乗り越えた俺は、 勤務が無事に終わってホッと胸を撫で下ろした。 タイムカードを押して、 ロッカーで着替えている俺に話しかけて来たのは、 上司の野津(のづ)隊長と、 指導係の稲葉(いなば)先輩だった。
「せっかくだから貝塚先生に挨拶に行ったらどうだ?」
「そうですね直哉くん、 今から行って来てはどうですか?」
 二人が笑顔で俺に言う。 二人共、 何故か切って貼った様な笑顔を浮かべている。
 思えば、 貝塚と最後にコンタクトを取ったのは、 勤務先が緑丘消防に決まった時だ。 その時、 俺は電話で要件だけを簡潔に伝えた。 『ふーん、 緑丘消防ならそのうち会えるかもだね』と、 貝塚は短く俺に言葉を返した。 一分ほどの短いやり取りだった。 言われてみれば、 ちゃんとした挨拶はまだ出来ていなかったのだ。
 俺は野津隊長と稲葉先輩の言葉に頷いた。
「確かにそうですね、 ちゃんと挨拶に行きたいと思っていたので、 俺、 星大に行って来ますね」
 教えて頂いてありがとうございました。 俺は頭を下げて、 着替えを急いだ。 ―― 待て待て!着替えるな! と隊長が叫んだ。 どこか焦っている様だった。 なんだ?
「着替えずに制服のまま行くんだ磯谷。 お前は制服のまま、 貝塚先生の所に行くんだ、 分かったな?」
 野津隊長が、 俺の右肩に手を置く。 俺の左肩には、 稲葉先輩の手が置かれた。
「そうですよ直哉くん。 貝塚先生は絶対に直哉くんの晴れ姿を見たいと思ってらっしゃるはずです。 制服で会いに行くべきです」
 俺の肩に手を置く二人の手に、 やたらと力が入る。
 …… そういうものでしょうか? ―― と、 俺は首を捻ったが、 隊長と先輩に言われるまま、 制服姿で消防署を出て、 星辰医科大学病院にトコトコと来て…… 貝塚を呼んでもらって、 救急搬送口の近くの園庭で待っている様に言われて、 園庭の桜の木の下でお花見をしながら待っていたら、 搬送口の扉が開いて、 貝塚の姿が遠くに見えた。 目が合ったので、 俺は手を振ろうとしたのだが……


「なってやったぞ救命士!」


 何故か叫んでしまって…… 現在(いま)に至る。
 冷静になって考えると制服姿で来たのが恥ずかしくなった。 どうして着替えずに来てしまったのだろう、 隊長も先輩も、 冗談で言ったのかもしれないのに。 冷静になった後、 顔面が熱くなった。 汗が穴という穴から噴き出す感覚が全身を襲った。 貝塚は俺を見て……
『あらら、 勤務終わってるよねぇ? どうして制服姿なの? そんなにボクに見てほしかったの?』
 こんな風に茶化されるのではないだろうか……。
 搬送口の扉から現れた貝塚を見て、 俺は何とも言えぬ恥ずかしさで死にそうだった。 だから照れ隠しで叫ぶしか、 なかったんだ。
 貝塚がゆっくりと歩みを寄せて来て、 俺の前で止まった。
 青のスクラブに白衣を纏って、 頭に

を乗せる

のコーディネート姿で現れた貝塚は、 立ち止まると偉そうに腕を組んで、 拗ねた子供の様に唇を尖らせ、 頭の上からつま先まで、 俺の姿を見下ろしていった。
 一通り俺を見物し終えた貝塚は、 尖った唇を少しだけ緩ませた。


「ふーん、 救命士じゃん。 すごいじゃん」


 貝塚が俺を見て言う。 俺も貝塚を見た。 目が合うと、 貝塚は照れを隠す様に眉を下げて、 はにかむように薄く笑った。
 制服姿を茶化される事を覚悟していた俺は、 少しだけ拍子抜けして…… 安心して、 貝塚につられて笑みを浮かべた。
 貝塚を前にして、 ようやく救命士としての責任感と使命感を強く感じた。 初めての急患の搬送…… 本当の所、 緊張して、 心臓が口から出そうだったんだ。 搬送先が星辰医科大学病院だと知った時は、 安心が半分と、 …… ちゃんと引き継ぎができるのか…… そんな緊張感が残りを占めていた。
 憧れた貝塚を失望させたくない。 そんな、 患者にとってはどうでもいいプライドは、 貝塚の姿を目にした瞬間に消えた。
 初めて受け持った患者を貝塚に託す為、 俺は全力を尽くせた。

 ―― 十八歳の時に遭遇した事故。 俺は星辰医科大学病院に入院して、 貝塚と出会った。
 最初は何処の宇宙人と会話しているんだと、 頭を混乱させたものだが、 不器用な貝塚の優しさを知って心を動かされて、 俺は救命士になる道を選んだ。 俺の命を救ってくれた貝塚に、 命のバトンを繋げる仕事に就きたいと思ったからだ。
 新しい夢は俺に生きる希望を与えてくれた。 でも、 ここに立つまでの道のりは、 決して楽では無かった。
 あらゆる困難を越え、 救命士国家試験と消防士採用試験を突破するまでには、 強い精神と弛まぬ努力を必要とした。 同期の仲間に励まされながらも何度、 心が折れそうになっただろう。 俺には無理だと、 崩れ落ち、 諦めかけただろう。
 弱い自分が顔を覗かせる度に、 俺は貝塚のエールを思い出した。


『直哉、かっこいいじゃん? オマエ』


 夢を語った俺を、 後押ししてくれた言葉。


『次に直哉に会う時は、 同じ医療従事者かな?』


 貝塚の言葉を糧にして、 俺は此処に辿り着いたんだ。
 自棄になって、 生きる事を投げそうになった情けない過去の俺ではなく、 夢を実現させた救命士としての姿で、 少しだけ誇れる自分になって、 貝塚に再会する。 そんな思いを強く胸に抱いたまま、 この瞬間まで走ってきた様な気がする。


「俺の引き継ぎどうだった? 初めてにしちゃ及第点だろ?」


俺は照れを隠すために威張りながら言った。 貝塚が、 あはは、 と目を細めた。


「緊張してるヒヨッコが、 必死にピーチクパーチク言ってる様にしか見えなかったけど?」
「はぁ? 端的でスマートだったろうが!」
「うん、 無駄が無くてボク好みの引き継ぎだったよ。 さすがは野津さんと稲葉のアドバイスだね」


 ―― 鋭い。
 貝塚の言う通りだ。 救急車が病院に到着するまでの間、 野津隊長からアドバイスを受けた。 緊張する俺を見兼ねての事だと思う。 稲葉先輩も『対、貝塚医師への引き継ぎの注意点』という謎の手帳を見せてくれた。
 救急隊は得た情報を速やかに正しく、 医師や看護師に提供する事が大切な役割だ。 前提は前述の通りだが、 その時の担当医師が求める内容に答えられる様にするのも大切らしく……

 例えば、 センター長の駿河教授の場合であれば、 患者の基本情報に加えて詳しい事故の経緯を求めてくる。 心臓血管外科の周防先生がERに居た場合だと、 受傷後の細かなバイタルサインの変化を求めてくる。 そして貝塚の場合だと、 最低限…… かつ最も必要と思われる情報を救急隊で判別し伝える事を望む。 これが一番難解なのだ野津隊長や稲葉先輩は言う。
 過去に、 長々と事故の詳細を説明した隊員が居た際に、 貝塚から「スカポンタンメン!」という謎の罵声と、 飛び蹴りを食らう羽目になったらしい。 なんだよ飛び蹴りって。

 とまぁ、 初出勤の俺が貝塚の洗礼を受けない様にと、 野津隊長と稲葉先輩がアドバイスをくれた。
 そんな俺達の事情は…… 全部、 貝塚にはお見通しだったのだ。 俺は、 深く息を零した。


「先生ってズルいよな。 普段は気が緩んだ馬鹿みたいな装いなのにさ…… 医者として現場に立ってる時は、 すげぇかっこいいんだから」
「馬鹿って言われた気がするんだけど」
「だって馬鹿だろ先生って。 いや悪い意味じゃなくて、 色々と」
「そうだね、 天才と紙一重って認めるよ」


 貝塚が納得したように深く頷いた。 自分で天才と言ってしまう辺り、 ちょっと馬鹿っぽいが…… こういった 独特の思考回路は、 あの時から変わらず健在の様だ。

 あぁ、 懐かしい。 貝塚との、 こんな些細なやり取りが。
貝塚先生は変わっていなかった。 俺が憧れた、 あの時のまま。 貝塚先生はあれからもずっと、 この病院で何人もの命を救ってきた。
 そう思うと、 心が震えた。 目の前に立つ貝塚真緒という人間が、 途方も無く崇高な存在に思えた。
 俺は貝塚が言う通り、 まだまだ駆け出しのヒヨッコに過ぎないのかもしれない。


「貝塚先生…… 俺、 誓うよ」


真面目な声音で、 俺は真っ直ぐ、 貝塚の目を見据えた。


「俺は先生にバトンを繋げられる救命士で在り続ける。 現場の命は俺が守り通してみせる、 絶対に」


 貝塚が俺の瞳を見返した。
 強い風が、 俺達の間を吹き抜ける。 桜の花弁が空に舞い上がり、 チラチラと俺達の頭上へ舞い降りてくる。
 少しの沈黙を置いて、 貝塚は静かに頷いた。


「ボクも誓うよ。 直哉が憧れてくれた貝塚先生は、 ずっとかっこいい医者であり続けるって」


 星辰医科大学の巨塔を背に語る貝塚の姿は、 とても眩しく…… 輝いていた。

 桜が散り往く春の終わり、 救命士としての門出の日に、 俺達は誓いを立てた。



【04.12 ...Last 100day】
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登場人物紹介

【磯谷 直哉*いそたに なおや】

緑丘消防に所属する救命士の青年。 十八歳の時に事故に遭い、 星辰医科大学病院に搬送された。 


【貝塚 真緒*かいづか まお】

星辰医科大学病院附属高度救命救急センターで勤務する医師。 麻酔科と救急部を兼任している。

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