YELL~俺が自殺を保留にしたその後~

文字数 2,154文字

 半年の長期入院を終えた俺は、 退院の日を迎えた。 本当に大変な入院生活だった。
 だが、 本当に大変なのはこれからだろうと思った。 事故の後処理で、 俺は裁判所やら警察署やらに通わなければいけない日々が続くだろう。
 俺が平穏な日常を取り戻すのは、 まだ少し先になりそうだ。
 
 俺は以前の俺よりも少しだけ強くなれた気がした。 この半年間の入院生活が俺を強くさせたんだと思う。 例えば、 九死に一生を得たり、 加害者少年として報道されたり、 その事で弟に疫病神扱いされたり、 投げやりになって自殺騒動を起こしたり。 半年の間に色んな事が起こりすぎたからか、 俺は価値観やら死生観やらが、 すっかりと変わってしまったのだ。
 未来に不安が無いかと問われれば、 もちろん不安は残る。 でも不安よりも希望が勝っている。 新しい目標、 夢が生まれたからだと思う。

―― 全部…… あの先生のおかげだ。

***
俺は退院の手続きを済ませると、 大きな荷物を一式持って救急部へと向かった。 もちろん、 貝塚に挨拶をする為だ。
 広い救急部で貝塚を見つけられるか不安だったが、 奴の所在を聞こうと思って立ち寄ったナースステーションで、 電子カルテを回覧している貝塚の背が目に留まった。


「貝塚先生」


 俺が呼びかけると、 貝塚が「はーい」と気の抜けた声で返事をした。 椅子を回転させて、 貝塚は俺に向き直った。


「あれ? オマエ……」


 呼びかけた人物が

だと知ると、 貝塚は不思議そうに目を丸めた。 でも、 すぐに俺がここに来た理由を理解した様で……


「あーそっか。 今日退院だったね」


 貝塚は口許に笑みを滲ませて言った。
 貝塚は自分が担当した患者の情報は細かく把握しているのだ。 貝塚が見かけによらず患者思いな医者である事は、 俺が一番よく知っている。
 

「先生には色々迷惑かけたし、 ちゃんと挨拶がしたいと思ってさ」
「迷惑かけた自覚があんなら差し入れの一つも持って来いよ役立たず。 使えない奴だね」


 貝塚が溜め息を吐いた。 相変わらず、 口の減らないお方だ。 本当は心の中で喜んでくれてるんだろうな…… って想像したら、 何だか不器用な先生が可愛く思えて、 俺はぷっと吹きだして笑った。
 そんな俺を見た貝塚は「何で笑うのさ」 と頬を膨らませるのだが、 笑顔を浮かべて俺を見た。


「思ったより早く退院になって良かったじゃんね。 これから就活でもすんの?」
「いや。 就活はしないよ」
「なに…… わざわざニート宣言しにきたわけ?」


 それはご苦労だねと、 貝塚が俺に頭を下げる。 いやいや違うって。 人の話しは最後まで聞けっての。


「就活じゃなくて進学する事にしたんだ」
「ほう、 学校に通うんだ?」
「うん。 俺さ、 救命士になる事にしたんだ。 救命士になって傷病者の命を先生にバトンしたい」


 俺は事故に遭った。 俺はあの時、 死んでいたのかもしれない。 俺を救ってくれたのは、 救急隊の人や貝塚が存在してくれたからだ。 俺を生かそうとする人々の想いが、 俺の命をこの世界に繋ぎ止めてくれたんだ。
 だから俺も、 命のバトンを繋ぐ職に就きたい。 貝塚にバトンを渡せる様な人間になりたい。 そんな思いが、 俺に救命士という夢を与えてくれた。
 俺は目を輝かせながら、 貝塚に夢を語った。 貝塚は黙ったまま、 表情を変える事なく俺を凝視している。
 …… あれ? と俺は首を捻った。 もっと感動的な場面のはずなんだが…… 喜んでくれると思ったんだが、 無反応?


「先生、 聞いてくれてる?」
「うん、 むちゃんこ聞いてる」
「…… 俺の夢、 どうかな?」


 改めて問い返すも、 貝塚は無言のまま固まってしまっている。置き物の様だ。
 俺はショックを受けていた。 俺の選んだ道を、 貝塚は喜んでくれると、 そう思っていたからだ。
 仕事を邪魔して悪かった。 俺は貝塚に頭を下げると、 重い荷物を両手に提げ、 踵を返した。


直哉(なおや)


―― 直哉。
確かにそう呼ばれて、 俺は振り返った。


「かっこいいじゃん? オマエ」


 貝塚は腕を組んだ格好で、 照れた笑みを滲ませながら言った。
 不器用な貝塚からの、 俺へのエールなんだって事に気付いて…… 俺は馬鹿みたいに嬉しくなって、 感極まってしまって、 泣いた。
 溢れ出す涙を、 俺は腕で乱暴に拭った。


「色々あったけど、 俺、 先生に出会えてよかったよ」
「ボクは別にそうでもないけどね」
「はいはい、 分かってるって」


 先生が不器用なのは、 充分に分かってる。 俺は悪戯に笑う貝塚に笑みを返した。 貝塚は俺に歩み寄って、 子供をあやす様に俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。


「次に直哉と会う時は、 同じ医療従事者かな? 何の期待もせずに楽しみにしてるね」
「期待してろって、 優秀な救命士になって絶対先生をびっくりさせてやるからな」


 貝塚が、 ふんと鼻を鳴らした。


「まぁ、 相談くらいなら乗ってあげるから、 またいつでも顔見せに来たら良いよ」


 この人は、 本当に素直じゃないと思う。 病的なへそ曲がりだ。 そんな不器用な所も、 本当は優しい所も、 全部含めて……


貝塚先生は俺がこの世界で一番尊敬する人だって、 ずっと言い続けるんだろうなと思った。
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登場人物紹介

【磯谷 直哉*いそたに なおや】

緑丘消防に所属する救命士の青年。 十八歳の時に事故に遭い、 星辰医科大学病院に搬送された。 


【貝塚 真緒*かいづか まお】

星辰医科大学病院附属高度救命救急センターで勤務する医師。 麻酔科と救急部を兼任している。

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