第10話 Pupil(ピュープル)”弟子入り”

文字数 13,942文字

「わ、私が?そ、その…ケリドウェンになるかって?」
と、私が思わずといった調子で自分の顔に指を差すと、「うん」とケリドウェンは和かな笑みを浮かべつつ頷きながら返したが、しかしその直後、不意に済まなさげな表情に変化させた。
「嫌…かな?」
と少し俯き気味に声を発してこちらを見てきたせいで、結果的に必然と上目遣いでケリドウェンが聞いてくるのを、
「え?あ、いや、嫌っていうか…嫌、では無い…けれど」
と私はオドオドしながら返した。

…とはいえ、正直…うん、こんな事を言うと味気が一気に無くなるというか吹き飛んでしまうだろうが、それでも率直な感想を言えば『…とうとう来たか』といったものだった。
何しろ、今まで彼から話を聞いてきた内容を総合して考えるに、夢の流れとして”こうなる”だろう事は容易に想像が出来たからだ。
それでも突然言われたのもあり、自分ではそれでも、それなりに驚いたつもりだったのだが、しかしやはり心のどこかで、いつかはこうして彼の方から切り出されるだろう未来を想像していただけに、自分で思った以上に冷静にケリドウェンの言葉を受け止めていた。

だが、何となく礼儀だろうという魂胆もあって、こうして少し驚いた様子を示しながら返すと、「あ、そうかい?」と、私の言葉にケリドウェンは少しテンションを上げて見せた。
「でもまぁ、とは言っても…うん、仮に君が拒否しようがどうしようが、実際は、君がケリドウェンの僕の後を引き継ぐ流れ自体は…既定路線だったんだけれどね」
と少し悪戯っぽく彼は口にしたが、それを聞いた私はというと、こればかりは想定外だったために、今回は”きちんと”驚いてしまった。
「既定…路線?って事は…予め、既に私がケリドウェンになるという未来は、決まっていたって事…なの?」
と、しつこい様だが、本当に自然と辿々しく言葉を発しながら私が問いかけると、「うん、まぁ…ね」と、ケリドウェンの方でも徐々に口が重たくなっていく様子を見せ始めた。
「何から話せば良いのかなぁ…ふふ、当然の事ながら、こんな話を誰かにするなんて初めてなものだから、何を口火にしたら良いのか迷ってしまうんだけれど…」
と、彼は苦笑を浮かべつつモソモソと、これまた義一と同じ様に、側に私の様な他人がいるにも関わらず、思考の海にどっぷりと潜っている様子を見せ始めたが、少しして深淵から浮かび上がってきたケリドウェンは、渋めな表情はそのままに、しかしどこか開き直った顔付きを見せると口を開いた。
「…うん、まずは、『何で急に君に、ケリドウェンになる気は無いかと聞いたのか?』から言おうかな?…うん、今だからバラしてしまうと、君が僕の目の前に現れたその瞬間から、実は…君が僕らケリドウェンの後を引き受けてくれる人物なんじゃないかと薄々思っていたんだよ。何とも形容が難しいんだけれど…”何者”かがこの世界に遣わした”まれびと”じゃないかってね?」
「ま、”まれびと”だなんて、そ、そんな…」
と、まず最後に飛び出した単語に思いっきり夢の中だというのに、現実世界と同様に謙遜のあまりに照れてしまったのだが、しかしその照れが引いてくると、彼が口にした単語の一つ一つを吟味し始めた。
そして、「”何者”…」と、当然その中でも一番に引っ掛かった単語を確認する様に口に出してみると、それを聞いたケリドウェンは、ニコッと通常通りな微笑を浮かべると口を開いた。
「そう。琴音、君はここバルティザンに来た当初、僕からの質問に答える形で、ここに至るまでの道中で自分の身に起こった出来事を、簡潔ながら丁寧に話してくれたよね?それだけでも確信が深まったんだけれど、その前に…うん、そもそも君が腰にカンテラをぶら下げているのを見たのが、そんな想いに駆られた最初だったんだ」
と彼は、途中から私の腰辺りを眺めながら話していたが、ふとここで少しばかり間を置くと、視線はそのままにボソッと付け加えた。
「何せ、何を隠そう…うん、僕自身もカンテラを手にして、ここバルティザンに辿り着いたんだからね」
「…」
本当はここで、ケリドウェンに何か返そうかと思ったのだが、これといった適した言葉を見つけれずに、結局は彼と同じ様に、私は視線を自分の腰付近に落としていた。
今はケリドウェンが作ってくれたローブの下に隠れてしまっているが、カンテラは現在も私の腰元でボウっと柔らかい暖かな光を発し続けていた。

そっか…うん、やっぱりこのカンテラがキーアイテムなのね

「そうだった…のね」
と、何も口にしないのも気持ち悪く感じていた私が、この様な安易な相槌を打ったのだが、その時、「んー…」という唸り声が聞こえたので顔を上げると、そこには困り顔のケリドウェンの姿があった。
「それじゃあ、まぁ…うん、先代と同じ様に、自分の昔話でもイントロダクションに使おう…かな?」
と、私にも聞こえる音量で独り言を呟いていたが、ふと私と視線が合うと、ますますその困り度合いを深めつつも、しかし一度、側から見ても分かる程に力をフッと抜くなり、ゆっくりと口を開いた。
「君が疑問に思った”既定路線”について答えるのに、少し僕の過去について聞いて貰う事になってしまうけれど…付き合ってくれるかな?」
「…」
と私はすぐには”敢えて”返事を返さなかった。
というのは、本心から言えば、むしろこちらからすると願ったり叶ったりの提案だったのだが、それをそのまま表に出すのは、何だか…ふふ、うん、”恥ずかった”からだ。
しかし、いつまでも無意味な間を開ける事も無いだろうと、
「えぇ…ふふ、むしろ私からもお願いするわ」
と、私は顔を彼にまっすぐ向けながら、照れる事なく自然体で返した。
「あ、そう…かい?」と、思いの外すんなりと了承された事に、若干の驚きを隠せない様子を見せたケリドウェンだったが、しかしすぐに、ここに来てようやく普段通りの柔和な表情に戻ると、「じゃあ、お言葉に甘えて…」と彼は、私を正面に向けていた体を半回転させて、代わりに竈門を正面に向くと、一旦グツグツ耳に心地いいリズムを鳴らす大釜の中に視線を落とした。
しかしそれも数瞬のことで、今度は顔を上げると、目の前にあるレンガ調の壁に視線を飛ばし始めた。
古い記憶を思い出すかのような、どこか遠くを見るかの様な目つきをしているのが、横顔しか見えない私の位置からでも分かったのだが、ケリドウェンはその様子のままゆっくりと口を開き始めた。

「何から話そうかなぁ…うん、さっき僕は『君がバルティザンに来た時に、ここに至るまでの道中で自分の身に起こった出来事を、簡潔ながら丁寧に話してくれたのを聞いて、それだけでも確信が深まった』といったような事を言ったと思うけれど…うん、今その具体的な事を話せばね?要は、細かい点は勿論違ったんだけれど、それでも大方において、君が話してくれた内容が、僕自身が経験した事と似通っていたんだ」
「…」
「実はね、僕も始まりの始まりは、君が話してくれたのと同じで、物は殆ど無かったにも関わらず、窓一つ無いせいで窮屈感が凄かった、五畳くらいの小部屋で目が覚めた所からだったんだ」
「…え?」
と、事前に似通ってるような事を話してくれたので、それなりに予め覚悟をしていたのだが、まず初っ端から全く同じだというのを知り、思わず声を漏らしてしまった。
「へ、へぇ…」
と、続けて感嘆というと大袈裟だが、それなりに感情の籠もった合いの手を入れると、ケリドウェンはそんな私の反応に満足げな笑みを控え目に浮かべつつ先を続けた。
「そこで目が覚めてから、どれ程時間が経ったのかなぁ…うん、時間の感覚が無くなるくらいに為す術も無く、暫くボーッと待機というかしているとね?それこそ君が言ってくれたのと同じように、いつの間にか気付かないうちに、部屋の片隅に長テーブルが出現したかと思うと、その上にはカンテラと油差しが置かれていたんだ。因みにカンテラには『神』の字が書いてあって、油差しには『福』と書かれていてね」

『神』…あ、私のカンテラの燃料が入った油差しには、確か『神』と書いてあったわね…

「なるほどねぇ…」と、ケリドウェンの話を聞いて、すぐに当時のことを鮮明に思い出していた。
そう、以前にケリドウェンに一度説明してもらった事だが、代々師匠が作った油と、弟子が作ったカンテラが、この場合でいえば私…そして今話してくれている当代のケリドウェンの元に現れるという話を聞いていたので、それを復習するように、自分の中で確認作業をしていた。

そんな私の相槌に、またしても満足げな顔を見せたケリドウェンは、必要無いと感じたのか、これについて細かい説明はせずに話を続けた。
「…ふふ、そう。僕の先代の先代、君の言い方で言えば”師匠の師匠の”名前が『福』に因んだものだったんだね。
…さて、カンテラを手に入れてからは、君と同じ様に部屋を出れる様になって、外に広がっていた真っ暗闇を、カンテラの灯りを頼りに当てもなく歩き続けて、不意に目の前に現れたドアを出たら…ふふ、ここが琴音と違う点だけれど、僕の場合はロマネスク様式っぽい…うん、話を聞く限りでは、君はまだこれまでに行ったことが無いみたいだけれど、教会堂の入り口から内陣に至るまでの主要な部分である、まるで”身廊”に似た所に突如として出たんだ」
「へぇー…」と私は相槌を打つと、何となくバルティザンの中をグルッと見渡しながら言った。
「身廊かぁ…ふふ、この廃墟には、まだまだ私の知らない部分があるみたいだね?」
と、正直ケリドウェンの口から『ロマネスク様式』という具体的な名称が出てきた時点で、夢だというのにその現実感がチグハグに思えた瞬間に、実は一人ツボに入っていたので、その意味も含めて思わず笑みを浮かべながら返した。
「うん、そうだろうねぇ。まぁ…ふふ、君が望むなら、後で君を案内してあげるよ」
とケリドウェンが言ってくれたので、「うん、お願い」と私が幼気に笑いながら返すと、その言葉にウンウンと頷いた後で彼は話に戻った。
「まぁ身廊に出た事で、今いるこの世界に来た…というか、感覚からすると”迷い込んだ”と言う方が、感覚としては、実感としては近いけれど…」
「…あ、私も同じだわ」
「ふふ、そんな訳だったけれど、実は僕は琴音と違って…ふふ、君が言っていたところの、得体の知れない”異形の者達” …うん、つまりはラルウァ達とは一度も出会わずにね?またその身廊の出口というか正面玄関が、そのまま外に繋がっていたものだから、話を聞く限り、君とは比べ物にならないくらいに楽に外へと出れたんだ。でね、やっぱり僕が出た時も、空は今と変わらない様子だったんだけれども…」
とケリドウェンは、ここで一旦区切ると、向かいの壁から顔を逸らした後で、私の顔を経由してその向こうにある、海が見渡せる大きめの窓に視線を送った。
私も思わず振り返ってみると、すっかり夜の帳が降り切ってしまっていたが、対岸の建物群が発する明るい光群が、空と海に反射して言うほど暗くは感じなかった。
海は言わずもがなだが、空にしてもやはり曇っているらしく、それがまた光を受け止めるキャンパスとなっており、何だか全体的にボワッとした明るさが広がっているのが見えた。

と、そんな初めて見る光景に思わずまた目を奪われかけてきたのだが、「ん、んー…」と背後で聞き慣れた唸り声が聞こえたので、咄嗟に体勢を元に戻すと、私の目に入って来たのは、思った通りに渋い笑みを浮かべるケリドウェンの姿だった。
というよりも、もっと具体的に言えばバツが悪そうな笑顔だったのだが、その笑みを保ったまま、彼は重たげに口を開くと、辿々しくも言葉を述べ始めた。
「…うん、ここでまた君に隠していた事というか、今まで話してこなかった事を話す事になるんだけれど…うん、身廊から曇天の下に出たその時に、実は僕も初めて自分が”陰”を伴っていたのに気付いたんだ」
「…あー」

…やっぱり、そうだったのね

と私が納得の声を漏らすと、その反応は想定外だったのか、いささか目を見張りつつ、ケリドウェンが声をかけて来た。
「…え?何だか、意外そうじゃないというか…もしかして、気付いていたのかい?」
と聞いてきたので、「あ、いやぁ…」と、これに何と返せば良いのか咄嗟には分からずに、少しばかり言葉に詰まってしまった。
だが、しかしまぁ別に以前に思った事を、そのまま述べれば良いだろうと、私は初めて感じた時を思い出しつつ、ツラツラと説明した。
「気付いていたというか…うん、実はね?ほら…ファントム達の住んでいる所へ案内してくれるって時に、二人で初めてこのバルティザンから出たじゃない?その時にさ、私の…って言って良いのか分からないけれど、私の陰である”ナニカ”が、影に擬態して足元へと潜ったでしょ?」
と、私は足元を眺めながら喋っていたのだが、不思議と足元にまだ擬態しているはずのナニカは、何の反応も示さなかった。
ただしっかりと、今の様に前回までよりも一層薄暗くなってしまっている塔内だというのに、その”影”は黒々とハッキリくっきりと形を見せていた。

実はさっき”目が覚めて”からずっと、何の反応を示さないナニカについて違和感を覚えていたのだが、しかし今はケリドウェンの話が興味深いが故に最優先事項だったために、取り敢えずおいとく事にして、視線を彼に戻すと話を続けた。
「…あ、でね?その後で、二人して回廊を歩いていた訳だけれど、ふと何だか…うん、陰であるナニカが影に変化するのを初めて見た興奮が残っていたせいか、あなたには悪いと思ったんだけれど、その…ふふ、あなたの足元を何となく眺めて見たの」
そう、これは実際に話の中で触れた通りだ。
近くを歩くラルウァ達は言うまでもなく、何度確認してもケリドウェンの足元にも影が出来ていなかったのだが、にも関わらず、何だか私の目には見えずとも、何となくケリドウェンにも自分と同様に陰を伴っているのでないかという考えが浮かんでしまい、ただの思い付きのはずなのだが、そうなのだろうと簡単に納得してしまった…という経験が、今も強烈な印象として覚えていたのだ。
何の補足にもならないが、これまた感覚的に『そう感じた』、『ナニカとは違う、別の陰の気配を側に感じた』としか言いようがないのだから、この私の発言に納得して頂く他にない。

実際に今述べた様な事をケリドウェンにも話すと、初めのうちは意外だと言いたげな顔つきのままだったのだが、しかし徐々に、彼はこれまた義一と同じ様な好奇心に満ちた表情へと変化して見せていた。
そんな表情の変化を眺めつつ最後まで説明を終えると、「なるほどねぇ」と、ケリドウェンはすかさず納得いった様子で声を漏らした。
「ふふ、感性とでも言うのか、琴音、君の感覚が鋭敏にして優れているのは僕なりに知っていたつもりだったけれど…ふふ、まさか、今は跡形も無く目に見える形では消えた陰の気配を、僕から感じ取れていただなんて…ふふ、そんな事例は、先代とかからも聞いた事が無かったよ」
と、これまたどっかの義一バリに褒めてきた…のだろう、そんな調子で捲し立てる様に言ったケリドウェンに対して、「ちょ、ちょっとぉ」と、義一に対するのと同じ様に、まず相手を宥めるのに私は努めた。
だが、冷静になり始めると、同時に彼が口にした内容のある点に引っ掛かったために、そのまま疑問を尋ねる事にした。
「…って、え?今あなたは、その…”消えた”って言った?陰が…消えたの?」
と、顔つき自体は心中通りに驚きの表情を浮かべていたはずだったが、しかしそれとは対照的に、我知らずに少しテンションも下げ気味にトーンも暗く声をかけると、「うん、まぁ…ね」と、少し困り顔で笑顔を浮かべたケリドウェンは、顔をまた大釜の向こうの壁に向けてから口を開いた。
「まずは、さっき中断しちゃった話から始めようかな?僕は身廊から出て、いきなり拓けた場所に出たから、突然のことに混乱しつつ、でも君みたいに、事前に”異形の者達”の姿を見なかったせいか、警戒心もなく立ち止まっているのも何だと歩き始めたんだ。
それから暫くは、当て所なく歩き続けていたんだけれど…うん、例の回廊に初めて辿り着いたときにね?壁の向こうに広がる海に目を奪われて、少しの間眺めていたんだけれど、その時にね、不意に話しかけてきたのが…うん、陰だったんだ」

あー…ふふ、私も、”厳密には”初めてでは無かったけれど、ナニカに声をかけられたのは、海を眺めていた時だったわね

と、何故か相変わらず、本物の影の様に微動だにしないナニカに視線を落としつつ、当時を思い出して私は一人笑みを浮かべていた。
そんな私を他所に、ケリドウェンは先を続ける。
「いやぁ…ふふ、君も言ってたけれど、僕も驚いたよ。君と違って、誰にもこれまで会わずに来ていたものだから、てっきりここには僕以外には誰もいないものだと思っていたからね」
と話すケリドウェンは愉快げだ。
「声をかけられたから、慌てて振り返ったら、そこには…うん、黒い靄としか言いようの無い物質によって構成された人型の物体が、すぐ側に立っているんだからねぇ…ふふ、でもこれが好奇心旺盛な僕なせいか、恐怖心はすぐに薄れてしまってね?『君は誰なの?』と尋ねるところから、質問攻めをしてしまったんだ」
と、ケリドウェンが無邪気に笑いつつ、一旦こちらに顔を向けながら言うのを聞いて、これまた義一にそっくりだとシミジミ確認するのだった。
ケリドウェンはまた顔を正面に戻して話し始めた。
「すると”彼”は、そんな急な矢継ぎ早に来る多様な質問にも具に答えてくれてね?…うん、この時が初めての出会いだったはずなのに、何だか長年連れ添った親友の様な、そんな感覚を覚えたんだ」
と話すケリドウェンは、また遠くを見る様な視線を目の前の壁に飛ばしていた。
「”あいつ”はね?」とケリドウェンは続ける。
「でも…ふふ、本当に自由気ままというか、欲望のままに、思い付きのままに行動する様な、なかなかに自分勝手なヤツだったよ。君は陰の事を”ナニカ”って呼んでるみたいだけれど、僕は当時は陰の事を”イド”と呼んでたんだけれどね?」
「”イド”…か」
と、私が実際に現実に知る、それなりに馴染みのある、これまた意味深な名称に、思わずシミジミと呟いてしまった。

んー…ふふ、こういった場合は話を中断して、誰得とは思いつつも、何故知っているのかの説明に入るのが今までの流れだった訳だが、ここは敢えて省きつつ本編を進めよう。

そんな私の反応をどう受け取ったのか、「そう、そのイド何だけれどね?」と、一度こちらに向けた顔をまた正面に戻して、ケリドウェンは口を開いた。
「少し先回りになるけれど、そのイドに案内されて、ここ、バルティザンに辿り着いてね?そこにいた先代のケリドウェンと会ったんだけれど…」
と、ここでケリドウェンは声のトーンを落としつつ続けた。
「…うん、その先代が僕にケリドウェンを引き継いだ後で、油作りの総仕上げと、自分自身を最期に材料にして命を全うしたんだけれど、それからそんなに間を置かないくらい…だったかな?いつの間にか、いつも側にいてくれていたはずのイドの姿が、何処にも見当たらなくなってしまっていたんだ」
「…え?」
と、ついついケリドウェンの話す内容に聞き惚れてしまっていた私は、少しばかり反応を遅れて返した。
そんな私に彼はコクッと、少し寂しげな笑みを浮かべつつ頷いて見せると、そのまま話を続けた。
「うん…僕もね、これは予想していなかった出来事だったから、色々と教えてくれていた先代が消えた事への寂しさが何処へやら、思わず声を荒げながらイドの名前を呼んだんだ。
でも…うん、結局イドはそのまま何処かへと消えてしまった様で、それが今の今まで続くんだよ」
とケリドウェンは、さっきの私の様に足元に視線を落とした。だがそこには、当然ながら影は一切出来ていなかった。
「…」と、そんな彼に対してどんな言葉をかけたら良いのか、迷っていた私を他所に、ケリドウェンは少し自嘲気味と受け止められかねない笑みを零すと口を開いた。
「…ふふ、でもまぁね、前に話した様に、先代は実はファントム出身で、元々貼り付いていた仮面が全て剥がれ落ちてケリドウェンになったという”正攻法”でなったみたいで、僕みたいな元から仮面が無く、また陰を伴っているという滅多に無いタイプへの助言は、そもそも出来なかったんだってまた気づいた後でね?暫くして、
『この世界の”理”(ことわり)では、今自分が経験した様な風に仕組みとして出来ているらしいから、素直に従って、先代より受け継いだケリドウェンの職務を遂行しよう』
と改めて決意したんだよ」
と彼は、大釜や竈門、そして壁一面に占められている大量の大甕群を見渡しながら言った。
「それにさっきの話に付け加えればね?…ふふ、実は寂しいって気持ちは、今さっき言った、これがこの世界の理の一つだと自分なりに悟った直後に消えちゃったんだ。…何故ならね?」
と、私が咄嗟に『何で?』と聞こうとしたのがバレたのか、だからといって別に私の発言しようとするのを遮る必要は無かっただろうが、ここで少し悪戯心を起こしたらしいケリドウェンは、実際に若干ニヤケながら先を続けた。
「さっき君が指摘して見せてくれたけれど、実際に僕自身も、姿は見えずとも、すぐ側に今もイドがいる様な、そんな気配を常日頃感じているんだ。
それにね、短い間だったけれど、自由気ままに欲望のままに行動している様なイドに対して、恥じなく偉そうな言い方をすれば、自分なりの道徳心というか、何だか良心に
合わない行動を見せられる度にイラッとしてしまう事が多くてね?まぁ言ってしまえば”反りが合う”とはお世辞にも言えない妙な関係だったのは間違い無いんだけれど、そんな事も含めて楽しい思い出として残っているしね?僕はそれだけで十分なんだ」
と言い終えた直後に、こちらに顔を向けたかと思うと、ニコッと無邪気な笑みを浮かべて見せるケリドウェンに対して、「そっか…」と私からは短くとは言え、自分なりに感情の籠もった相槌を打つのだった。

「…って、ついつい陰について話し過ぎちゃったね。えぇっと、本題は…ふふ、
『何でカンテラと陰を伴ってこの世界に来た者は、ケリドウェンになるのが既定路線なのか?』
について説明中だったのに」
と、義一と同様に頭を掻きつつ照れ臭そうに彼が言うのを見て、
「ふふ、今の話も初めて聞くから興味深くて面白かったけれどね?」
と、率直にして正直な感想を口に出したが、それだけでは味気ないと、何となく意地悪げな笑みをトッピングしておいた。
そんな私の反応に益々照れた様子を見せていたが、ケリドウェンはコホンと一度咳払いすると、気を取り直して本人が言う本題へと戻っていった。
「でまぁ、えぇっと…あ、そうそう、それで陰であるイドに誘われて先代のケリドウェンが住う、ここバルティザンに来た訳だけれど…うん、もうさっきも少し触れた様にね、後は君に対してしたのと殆ど同じ事を、僕自身も先代から受けたんだ。この世界やケリドウェンについて説明してくれたり、ファントムの住む隠れ家であるアサイラムへと連れて行ってくれたりとかね?」
「…」
と、またしても薄々と前々からそうなんじゃないかと思っていた事を話してくれていたので、これに関しては別に特段口を挟むことも無いと、ただ黙って聞いていた。
彼は続ける。
「僕の場合は、そのアサイラムからの帰り道だったんだけれど…」
と、ケリドウェンはここでまた照れを見せ始めた。
そして、それまでは私から視線を外さずに真っ直ぐ見つめてくれていたのに、時折目を泳がせながら言いにくそうに続けて言った。
「…そう、先代と一緒にバルティザンに帰る道すがら、あの時は忘れもしない…うん、さっきみたいに鐘が鳴る前の逢魔が時、回廊上にラルウァの姿が一切無い中で不意に先代が立ち止まるものだから、僕も一緒に立ち止まると、その時にね?下に広がる海を眺めながらボソッと先代は僕に聞いてきたんだよ。…『君は…ケリドウェンになるつもりは無い…かな?』とね」
「あー…」
と、この場合の相槌としては合っているのか、すぐに怪しいと我ながら感じたのだが、時すでに遅しで、そんな納得がいった風な声を漏らしつつ、さっきのケリドウェンの言葉を思い返していた。
と、そんな私の様子からどう思い、考えが至ったのか、ケリドウェンの顔からは一切の照れが引いたのと同時に、代わりに普段通りの柔和な笑みが浮かんでいた。
「ふふ、僕自身もね?さっきの琴音と同じ様に、いきなりの事だったし、そんな急に言われたって答えられないと、まぁその時は正直にそう伝えたんだけれど…ね?『それもそうだろう』と先代は笑顔で理解を示してくれたんだけれど、少しすると、段々とその笑みの中に真剣味を帯びせ始めてね?こんな話を海を眺めながらしてくれたんだ」
と、ここで一旦区切ると、また遠い目をしながら口を開いた。
「『確かに急にこんな事を言われて、君は戸惑っているだろう。それは私なりに分かるつもりだ。…そう、さっき君が出会った、仮面が半分ほど割れたファントム達と同じだった、そんな私にだってね?
でもね、私の元に漏れ伝わってきた、時を経ても顔に仮面が形成されずに陰まで伴っている様な、君みたいな珍しい”まれびと”というのは、君自身が望むと望むまいと、ケリドウェンになる事が”宿命”…そう、宿命付けられているんだよ』」
「宿命…」
と私は、この単語からまた色々と、導かれる様に瞬時に考えが湧き上がるのを実感しつつ合いの手を入れると、ケリドウェンはコクっと微笑みつつ一度頷いてから続けた。
「ふふ、そう。
『生まれて成長していく中で、己自身か若しくは周囲から”運ばれてきた”、要は生きている中での巡り合わせによってその身に生じる”運命”ではなくて、この世に生まれたその瞬間、若しくは生まれ落ちるそれ以前から、先天的にその身に”宿ってしまった”逃れられない命という意味での”宿命”の元に君はいるんだよ。幸か不幸かにもね?』」
「あー…」
と私は、夢の中だというのに、現実世界の宝箱で、ケリドウェンと見た目が全く同じな義一から、”運命”と”宿命”の違いについて、戦後を代表する文学者にして、義一にしろ神谷さんにしろ、勿論オーソドックスの面々も共通認識だという、日本における戦後最大の保守思想家であった福田恒存の論を引用してくれながら、教えてくれた事を思い出していた。
蛇足だが、かくいう若輩の私も義一や他の皆から案の定影響を受けて、実際に福田恒存の著作というか全集をこの時点で読み終えていた事もあり、すっかり同様な認識を持つに至っていた。

「『だから…うん、君自身がそんな自分の境遇にどう思うかは分からないけれど、現実が事実として、その宿命が自分にあるのだとしたら、それを一身に引き受けてしまった方が良い…と、私は勧めたいのだが…ね?』
とね、それはもう気を凄く遣ってくれながら話してくれたんだ」
とケリドウェンは、最後の方で若干愉快げにしながら話し終えた。
「なるほどねぇ…」
と、これまた語彙が乏しい故に、これ以上の言葉を発する事が出来ずにいる中、ケリドウェンは愉快げを崩そうとはせずに、保ったまま表情を緩めつつ言った。
「うん。そう話して貰ったその時の僕はというと、先代のその…って、ついついさっきから癖で”先代”って言ってしまっていたけれど、君に馴染みのある言葉で言えば、”師匠”の話を聞いて、その真摯な態度もさる事ながら、その内容自体にも妙にその場で心底合点がいったというか納得してしまってね?それですんなりと、二つ返事とまでは結果としていかなかったけれど、師匠の元へと弟子入り、つまりは僕らの馴染みの言葉で言うと、僕はケリドウェンの”Pupil”(ピュープル)になったんだ」
「…」

…ふふ、”Pupil”(ピュープル)か…。ふふ、まさにというか、”弟子”そのまんまね

”Pupil”(ピュープル)が元々、芸事に於ける個人指導の弟子、教え子、門下生の意味があるのを知っていた私は、一人で心の中とは言え思わず微笑んでしまっていたのだが、どうやらそれが顔表面には現れていなかった様で、結果として妙に黙り込んでしまった様に見えたのをどう受け取ったのか、ケリドウェンは少し慌てた調子で続けて言った。
「ついでと言うか、その…うん、実は良かれと思って君向けに作ったそのローブも、実はケリドウェンの弟子、つまりはピュープルに代々渡されてきた物なんだ」
「…へ?」
と、いきなり何を話し出すのかと呆気に取られたあまりに、素っ頓狂な声を上げてしまった私は、そのまま考え無しに自分が身に付けているローブを見渡した。
そんな様子を見ながらケリドウェンは、今度は苦笑いを浮かべつつ話を続ける。
「今僕が身に付けているのは、深縹(こきはなだ)色をしているけれど、これは代々ケリドウェンが身に付けてきた物で、もっと言えばこのローブを身に付けているのがケリドウェンの証ともなってきたんだ」
と、彼は自分のローブを見ながら口にしたので、私も何となく同じ様に見つめた。
こんな屋外からの自然光が一切無くなったに等しい、松明と竈門という光源のみしかない空間内でも、ケリドウェンが身に付けているそのローブが、今風に言って濃紺と言ってもそれほど誤解が無い程度の色合いが、ハッキリと視認出来た。
因みに、同じ空間にいるのだから言うまでもないが、現実世界で言えば、軽くて丈夫なのが特徴の”ラムウール”に近い生地素材は同じながらも、私が身に付けているのが浅縹(あさはなだ)という、ケリドウェンの濃紺を大分薄めた様な、水色とも言えるくらいに柔らかな青色という色合いもしっかりと分かった。

と、私がまた自分のローブの裾を掴んで、ヒラヒラと動かしながら眺めていたのを見ていたケリドウェンは、少し緊張の色を和らげつつ口を開いた。
「…うん、それを手渡した時にも言ったと思うけれど、君が外に出る時、ラルウァ達が大勢出ている中に入る時に悪目立ちしない様に、恩着せがましい言い方に聞こえてしまうだろうけれど、一応それを考えて簡単なローブを作ろうって単純に考えて作り始めたんだのが最初で、これには嘘も偽りも無いんだ。
でも…うん、これも、こんな些細な事までこの世界の理が関わってくるらしくて、作り始めて自分でもいつからなのかハッキリとは覚えてないから言えないんだけれど、いつの間にか無意識にそのローブを作り上げてしまっていたんだ。…信じてくれる、かな?」
「…ふふ」
と、身長も義一と同じ様に、170を超える女にしては長身の私ですら見上げる程に背の高い彼だというのに、腰を屈めてこちらの顔色を伺ってくる様な態度を取ってきたのを受けて、思わず微笑を零してしまった。
そのままの笑みで返しても良かったのだが、何となく悪戯心が湧いた私は、「…分かったわ。信じてあげる」と意味深な笑みを浮かべつつ返した。
「…ふふ、ありがとう」
と、そんな私の態度を受けて、ケリドウェンは参り顔ながらも一応笑みを浮かべてお礼を返すのだった。

「まぁ…というわけでね?」
と、お互いの笑みが収まり始めた頃合いで、ケリドウェンは苦笑をまだ引きずってはいたが、しかしその中に真剣味を交え始めた。
そして、そのままの顔つきで続けて言った。
「僕がさっき言った”既定路線”の意味が、君ならこれまでの話で理解して貰えたと思う。…うん、仮に君が嫌がろうと、恐らく今”宿命”に争って断っても、この世界にいる限り、この世界の理が多分君を意地にでもケリドウェンに仕立てようと、様々な画策を弄してくるだろうし、結局は逃げられないと思うんだ…けれど…」
『どうする?ケリドウェンになる気は無いかな?』
と、彼の師匠とは違い中途半端に終わった発言の続きを、こうして私は勝手に付け加えて解釈したのだが、ここまで話してまだ曖昧模糊とした態度を見せる彼に対して、心の中では正直呆れていたのだが、しかしそれよりも、もっと最初の段階で呆れていた事があった。
「…ふふ、というかさ?」
と、その呆れた心情そのままに、私は思わず苦笑いを漏らしてしまった。
そんな態度を取った私の事を、不思議そうにケリドウェンは眺めてきていたが、それには構わずに、自分でも不思議と愉快な気分になっていきながら、それを口調にも表しつつ言った。
「いつの間にか、私が嫌だと思ってるって前提で話が勝手に進んじゃってるみたいだけれど…ふふ、私の記憶が正しければ、そんな事を一言も言っていないよね?まぁ…うん、聞かれた時に、すぐに答えなかった私の態度にも、問題があったのは認めるけれどさぁ…ふふ」
と、最後に自嘲っぽいながらも、どこかお茶目を意識しながら笑った。
「…え?」と、そんな愉快げな私とは対照的に、まだこちらのテンションに追いついて来れていない様子を彼は見せていたが、「という事は…」と、やっとといった調子で口に出したので、「えぇ」と私は頷きつつ返した。
「さっきあなた自身が言ってくれたけれど…うん、実は私もね、薄々自分がそんな流れの中にいるんじゃないかって、これといった根拠は無かったんだけれど漠然と思っていたの。でね?あなたからケリドウェンの仕事なり、その裏に秘められた思想なりを聞かされていく度に、益々興味が惹かれたというか…うん、率直に言って、自分もしてみたいって素直に思っていたのよ」
「…ふふ、そうだったんだね」
と、私の言葉を受けて、ここにきてようやくまた普段の柔らかな表情に戻りながらケリドウェンは相槌を打った。
と同時に、この場自体にも和やかな空気が流れ始めたのを肌で感じながらも、それに身を任せて私自身も穏やかな笑みを浮かべつつ最後に一言を添えた。
「えぇ。だから…うん、このローブ通りに、喜んで私はあなたの”ピュープル”になるわ」
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