第8話 花火大会 Part2 後編

文字数 32,201文字

向かったとは言っても、以前から触れている通りというか、ヒロの自宅は駅のすぐ側という立地だったというのもあって、一分か二分ほどという短時間で駅前のロータリーに出た。
ついさっき、二時間ほど前に紫たちを迎えに来た時だって、普段とは比べ物にならないくらいに混み合っていたのだったが、しかし今はその時よりも輪をかけて人でごった返していた。
これまたつい先程にも目撃した光景だったが、駅の正面玄関から既に出店が立ち並んでおり、まさにお祭りな雰囲気が辺りに充満していた。

これも以前に一度触れたが、一応またここで述べさせて貰おう。私たちの地元には櫓などが立つ盆踊りや、一応神社もお寺もあるというのにお祭りらしいお祭りは開催されない地域だったのだが、その代わりとでもいうのか、年に一度の花火大会ともなると、典型的なお祭りが無い分、この機会を利用して地域全体がお祭りムードとなるのが恒例だった。
出店も、いわゆるお祭りに有りがちなお店も当然あるのだが、しかしここが地域特性と言うのか、そういった物以外に、お惣菜屋さんやら八百屋など個人商店のみならず、個人経営のレストランやら喫茶店なども屋台を出して客をもてなしており、普通のお祭りではお目にかかれない様な品が出されていたりもして、地元愛を語るつもりは無いのだが、しかしこれまた地域の独自性を表している様で私個人としても、この雰囲気も含めて毎年飽きずにワクワクしてしまい楽しんでしまうのだった。

そんな独特な雰囲気に気付いてくれたらしい学園組が「おー」と周囲を見渡しながら声を上げるのを聞いて、後ろを振り返り、興味津々に辺りを見渡す皆の様子を自然と笑みを零しつつ眺めてから、私はまた顔を正面へと戻した。
そしてすぐに、その視線の先に第三の待ち合わせ場所があったのだが、そこに見えていた光景に驚くあまりに、思わず足を一度止めてしまった。
「どうしたの琴音?」
と、隣を歩きつつ、後ろの紫たちとお喋りしていた裕美が声を掛けてきたのだが、私が見ている視線の先を見た瞬間に「…え?」と声を漏らしつつ、やはり足を止めてしまった。
「…?どうしたの二人とも?」
と後ろから紫たちに声を掛けられたのだが、しかし私と裕美はすぐには答えられなかった。
何せしつこい様だが、それだけ思いがけない光景が目の前に広がっていたからだった。

…ふふ、やけに先延ばしにしてしまったが、改めて順に説明しようと思う。
まず私の目に入ってきたのは、次の約束場所である、地元民には待ち合わせ場所として定番の、先端に時計が乗っかっているポールの根本に立つ、朋子、千華、翔悟という、やはり三人共に浴衣を着た姿だった。
そう、この三人も今回は一緒に花火大会に行く事が約束されていたので、この三人が予定通りにポールの下で待っているのは別段驚く理由には全くならない…のだが、なんとその三人の周囲に、同じ年齢と思われる女子の一群が固まっているのが見えたからだった。
まだこの時にはそれらが誰なのか判別がつかなかったのだが、しかし千華や朋子と和かに会話しているのが見えた時点で、全員が仲がそれなりに良い事がすぐに察せられた。

他の皆も話が違う事に気づいたらしく、「あれ?」と声を漏らす藤花をきっかけに、それぞれが私と裕美に質問をぶつけ始めた。
しかし、いくら聞かれたって私にしても、それにこれは少し意外だったが裕美も知らなかったらしく、自分たちも知らないと、そう口々に返し終えると、「…ちょっと?」と私はすかさずヒロに声を掛けた。
そもそもは、朋子達と同じ中学に通うというので事情を知っていそうだと思ったのが初めだったのだが、顔を見た瞬間に、ただ質問をぶつけるつもりが、何だか問い詰める様な口調になってしまった。
というのも、ヒロの顔に浮かんでいたのは、イタズラが成功して満足げなガキ大将といった風情のニヤケ面だったからだ。
「あれはどういう事なのよ?凄い大人数が集まっているけれど」
と私がジト目を向けつつ問いかけると、「あはは、驚いただろ?」と、ヒロは私とは対照的な無邪気な笑顔で返した。
そしてそのままツカツカと歩き始めたかと思うと、「おーい!」とヒロは、さっき私達に掛けたのと同じテンションで、ポール下に固まる一群に向かって、片腕を大きく上げながら声を掛けた。
次の瞬間、「あっ、昌弘君だ。おーい!」と千華が、今私たちがいる位置からでも分かる程に、途端に満面の笑みを零しつつ、ヒロと同じ様に片腕を天高く上げると、それを左右に振って見せていた。
そんなやり取りを眺めていた私たちだったが、ポール下に到着したヒロが振り返り、「なーんだ、まだ来てなかったのかよー?早く来いよー」と、まるで凄く遠くにいる人に向かって呼び掛けるかの様に、口元に両手を当てて声を掛けてきたので、それを受けた私たちは、お互いに顔を見合わせると、誰からともなくヤレヤレと力無く笑みを零した。
「勝手に先に行っといて、何わがままな事を言ってるのよ?まったく…」
と、それからは、ヒロの位置からでも呆れている心境が伝わる様に、オーバーなリアクションを取った私の行動を合図に、ヒロや朋子が手招きして待つポール下へと私たちは移動した。

徐々に近づくにつれて、その一群を構成しているメンバーが分かる様になってくると、見覚えがあると共に安心したのだが、それでもやはり驚きが引く事は無かった。
到着するなり、「久しぶり琴音ちゃん」とまず翔悟に声を掛けられた。
翔悟もヒロと同じ様にというか、中学三年生で部活自体が半分引退に近い状態なのもあってか、髪が以前の坊主頭と違って伸びていた。裕美や朋子が教えてくれたが、いわゆるソフトツーブロックと言う今流行り風な髪型になっており、如何にも女受けしそうな顔には似合っていた。それに加えて、ヒロと同様に浴衣を着ていたのだが、縦縞が綺麗なしじら織りの紺生地に、亜麻色の兵児帯を締めており、小紋寄せのヒロとはまた違う趣でとても似合っていた。

「久しぶり…かしら?」と私は馬鹿正直に、最後に会ったのが何時だったのかを思い返したあまりに疑問形で返したのだが、そのまま続けて浴衣姿を褒めた。
「あはは、ありがとう。琴音ちゃん…ふふ、君も言うまでもないというか想像通り…いや、想像以上に似合っているねぇー。めちゃくちゃ綺麗だよ」
と軽い口調で褒めてくれたので、ある意味これくらい言葉に重みが無いとこちらも気が楽だと、「ふふ、ありがとうね」と自然体で返すことが出来た。
「翔悟、お前また余計なことを…」
と、何故かヒロがウンザリ気な様子で翔悟に突っかかり始めたので、それを不思議に眺めつつ、暇になった千華とも簡単な挨拶を交わした。
千華も浴衣をきっちりと身につけていた。明るいピンク地に鹿の子柄の縞や桜、雪輪が描かれた華やかな雰囲気は、如何にも”カワイイ”と、カタカナで書きなくなる様なキャラである本人に似合ったデザインで、帯は濃いめピンクの作り帯だった。今年に入ってから伸ばし続けているらしく、今ではもう少しで私と同じ程度に追いつきそうになっていた長めの髪の毛だったが、ただ単純にアップにして簪で留めている私とは違い、千華のは三つ編みは三つ編みでも毛束を膨らませたいわゆる玉ねぎ編みという複雑なアレンジが施されていた。
これは後でヒロに自分の浴衣姿を見てどう思うかを、千華が直接感想を聞いているのが耳に入った時に、ついでに聞こえた情報によると、今日は昼間にわざわざ行きつけの美容室に行って、そこで髪型のセットだけではなく着付けまでして貰ったとの事だった。同じく私の近くにいた裕美の耳にもこの情報が聞こえたのは間違いないだろうと、これについてどんな感想を覚えたのか気になるところではあったが、それは置いといて、そこまでの気合の入れようには、同じ女ながら”この手”の事は疎いと言うのも甘過ぎる程に縁遠い私からしても、素直に感心するのだった。

挨拶もそこそこにお互いの浴衣姿を褒め合っていると、横から朋子が話に割って入って来た。
「あはは、驚いたでしょ?」
と開口一番にニヤケながら朋子が言ってきたので、
「え、えぇ…ふふ、まぁね」
と私は周囲を見渡しながら、乾いた笑みを浮かべつつ返した。
ついでと言ってはなんだが、朋子も浴衣を着ており、白地に青、桃色の大輪な朝顔がデザインされていて、その涼やかな見た目が朋子によく似合っていると…ふふ、なんだか取って付けたような、味気なく聞こえるかも知れないが、しかし本心としてそんな感想を覚えた。
帯はエメラルドグリーンと言っていい色合いの作り帯をしていた。

さて、千華にもした様に朋子の浴衣姿も褒めようとしたのだが、その時、「琴音ちゃん、久しぶりー」と周囲から一斉に声を掛けれたので中断せざるを得なかった。
…実は、朋子が私と千華の間に入って来た時点で周囲を数名に取り囲まれていたのだが、その彼らの正体はと言うと…ふふ、こんなに勿体ぶる必要もないか、彼女たちは全員が、小学校時代にずっと一緒に連んできた、仲良しグループの面々なのだった。
そう、小学校の卒業式の日に、式の後で私としては想定外にも今みたいに周囲を取り囲んできて、何をするかと思えば一斉に私に泣きながら抱きついて来た、その彼女たちだ。
皆は朋子とは違い浴衣を着ていたり着ていなかったりとバラバラだったが、それはともかく

別に先月も一度会っていたはずだけれど…

などと、心の中では久しぶりと言うほどでもないと冷めたツッコミを入れつつも、それを表に出さずに「えぇ、久しぶりね」と当たり障り無い返しをして微笑み返した。
それからは挨拶もほどほどに、一斉に朋子も加わって私の浴衣姿を褒めちぎり始めた。

んー…ふふ、これまた我ながら嫌な慣れだが、実は私の浴衣姿に対する彼女たちの反応というのは今に始まった事では無かった。
というのも、当然というか私の浴衣姿を彼女達は何度か目にしていたからだ。
花火大会は私とヒロ、それに私のお母さんや稀にヒロのお母さんも一緒に行くというのが小学生時代の恒例だったと述べたと思うが、実際には現地である土手や、行く道中に連なる今いる様な出店、屋台が立ち並ぶ土手までの通り上で、今こうしている様に皆と現地で偶然会うのがしょっちゅうだったのだ。
まぁそれもそうだろう、地元民としては老若男女が毎年この時を楽しみにしているというのもあって、ほぼ全員と言いたくなるくらいの人数が出てくるので、確かにその分人手が多く、すぐには会えないのは会えないのだが、しかしそれでも大体行動は似たり寄ったりなので、どうせ会えるだろうと事前に特には約束をしないのがデフォルトで、当日に運に任せるままに来ていて落ち合うのが常なのだった。

「翔悟が初めに琴音ちゃんに声を掛けるもんだから、私たちが話しかけるタイミングを外されたわ」
と彼女達の数人が愚痴っぽく言いながら、少し離れたところで学園組で固まる紫たちと、クリスマスイブ以来の再会の喜びを分かち合っている、…ふふ、こう言っては何だが如何にもナンパな人好きのしそうな柔らかな笑みを浮かべて話す翔悟の方に、皆してジト目を向けながら口々にするのに、思わず私は微笑んでしまいながらも、過去の経験から、紫たちから以上に慣れている皆からの褒め言葉に対して、ナァナァでテンプレートな返しを暫く皆にしていた。
だが、私からもお返しと、浴衣だけではなく普段着組までも、その程々とはいえ露出の多めな服装を褒め返したりし終えた後は、やっとと言うかひと段落ついたというので、ずっとさっきから疑問に思っていた事を聞いてみる事にした。
「はぁ…って、ところでさぁ…?ふふ、皆も待ち合わせ場所にいるだなんて、私聞いてなかったわ」
と改めて自分を取り囲む様にして立つ皆の顔を見渡しながら私は口にした。
「ふふ、皆来てくれて嬉しいサプライズではあったんだけれど…」
と、皆して悪戯っぽい笑みを浮かべるので、こちらからも同じ種類の笑みで応えつつ続けて言おうとしたのだが、ふと人垣の隙間から、こちらをチラチラと覗き見てくる一団がいるのに気づいて、思わず言葉を区切ってしまった。
そんな些細な異変に気付いたらしい朋子が、ふと私の視線の先に目を向けると、すぐに察したらしく、「あー…」と納得の声を漏らすと、「おーい」と一団に声を掛けた。
朋子に手招きをされるがままに、初めは一度お互いの顔を見合わせていたのだが、それ程間を置く事なく近づいて来たその一団は、細かいことだが合計四名だった。
到着した一団は、こう言っては何だが、”あまり”見覚えの無いメンツで構成されていた。

それもまぁ仕方がないだろう。先回りして説明すると、彼女達は裕美が小学生時代にいつも連んでいた友人達だからだった。
もしも、私と裕美がもう少し早く出会って仲良くなっていれば、裕美を介して繋がりが出来たかも知れないが、如何せん同じクラスになったことも無かったし、そもそも裕美と出会ったのは、受験向けの塾に通い始めた小学五年生の二学期も中間を過ぎていた秋も深い頃で、仲良くなり始めた頃にはもう受験が迫っていたという忙しい時期に入っていたのもあり、そんな機会は訪れることが無かった。
それは、特に小学一年生から卒業までずっと私と同じクラスだった朋子にしても同様な事情だったはずなのだが、同じ地元だというので、朋子達と同じ中学に通うというのもあり、同じクラスになった事もある事から、私とは違って朋子含む他の皆は裕美の友人達と交流を深めていたらしく、到着した彼女達と和気藹々と言葉を交わし合い始めた。
それを眺めていた私だったが、「久しぶりだね、琴音ちゃん」と不意に”裕美グループ”の中にいた一人に声を掛けられた。
想定していなかったのもあり少し驚きつつ、声のした方を見るとそこには、他の面々とは違い”見覚えのある”顔をした女子が一人、笑顔をこちらに向けてきながら立っているのが見えた。

…ふふ、そう、ここで先ほど、何故これみよがしに”あまり”と点々で強調した訳を説明出来る段階にこれた。
実際にはその一人だけではなく、もう一人同じ態度を示してくる子がいたのだが、この二人共に私と面識があったのだ。
実は彼女達二人ともに、私たち学園の去年あった文化祭に、裕美が招待して来てくれたのだった。
この内の一人は、私と裕美が二人で小学校へ登校する様になってから、通り過ぎ様に裕美に声を掛けて、ついでに私にも挨拶をしてくれていたあの子だ。
「裕美がいつの間にか仲良くなっているし、自分もそれにあやかって仲良くなりたかったんだけど、結局チャンスが無くて卒業しちゃったから、もう機会が無くなった
ものだとばっか思っていたけど、思わぬ形で夢が叶ったよ」
…とまぁ、文化祭の時にこんな大袈裟な言葉を掛けてきて、私の顔面に苦笑いを浮かべさせてきた彼女なわけだったが、浴衣を着ずに普段着ながら、夏休みという開放感のお陰か…って、普段着を知らないから推測でしか無いのだが、それはともかく、肌の露出が多めのセクシーな格好をしており、スタイルも裕美に負けず劣らず良いのもあって、女の私から見てもセクシーにして可愛らしかった。
因みにというか、考えてみたら当然と言えば当然だが、そんな彼女達も裕美の怪我のことは知っており、私とは病室で鉢合わなかったが、心配してお見舞いにも駆けつけていたらしい。
彼女達はいわゆる、裕美が小学生時代に話してくれた『水泳大会に見に来てくれると言ったのに、来てくれなかった大勢の一部』らしいのだが、しかしこうして怪我すると見舞いに来てくれる所を見ると、裕美の言い方に影響を受けて色眼鏡が入っていたせいで、深く知る前から印象が勝手に悪かったのは否めないのだが、それでもそれを含めても、中々に良い友人関係じゃないかと、裕美からお見舞いに来てくれたという話を聞いて思ったのだった。

とまぁそんな具合で、私個人はこういった具合で過ごしていた中、他の皆もお互いに初対面同士だったら自己紹介をし合ったりして過ごしていたのだが、それも粗方済むと…ふふ、もう毎度の流れ過ぎて流石の私でも省略させて貰うが、結論だけ言うと、何故かこの大人数を纏めるのには一応リーダーみたいなのが必要だというので、何故かその大役を私が務める事になってしまった。
当然そう名指しされた瞬間に私は抵抗を試みたのだが、これがまた不思議な事に、恐らく発案者だろう紫たち学園組はもう諦めているとしても、朋子達や裕美の仲良しグループにしても、
「面白そうだから良いよー」
と、揃ってそんな案に対して前向きに賛成してきたので、大勢も多勢で、この際開き直って言わせて貰えれば、誰が言っているのか”学園の姫”である私の窮地だというのに、一切助けてくれずにクスッと小さく微笑を浮かべている”学園の王子様”であるはずの律や、これはあまり期待していなかったがヒロにしても、隣に立っている嫌味なほどに爽やかな笑顔を浮かべる翔悟の横でニヤニヤするのみで静観していたのが見えたので、味方は一人もいないと早々に悟った私は、それでも最後の抵抗と、お祭りムードのお陰で環境音が通常よりも音量が大きい中、それに負けじと大きく溜息を吐いて見せた。
しかし、これが何の効果も無いことも既に知っていた私は、その直後には如何にも力負けしたといった弱々しげな笑顔を浮かべつつ返すのだった。
「…ふふ、もーう、分かったわよ。こんなやり取りしてる時間が勿体ないし、じゃあ…うん、そろそろ行こっか?」

「さんせーい!」
と、いつの間にそこまで打ち解けたのか、藤花は分かるとしても、”裕美グループ”の中にいた例の文化祭に来てくれて、それでいて私に大袈裟な言葉を掛けてきた彼女も一緒になって声を上げていた。
そんな二人の様子に、その周りにいた皆だけではなく私まで思わず笑みを零すと、総勢二十名近くもの大勢で構成された一群は、ゾロゾロと漸く時計の下から移動を始めた。

んー…ふふ、何やら”リーダー”らしいので、必然的に隊列の最前列を歩く羽目となってしまったのだが、結局は馬鹿正直に職務を守っていたのは私だけで、それ以外の皆は各々が思うがままに通りを練り歩いていた。
そんな私の側には、裕美だったり、朋子だったり、ヒロだったり、勿論それ以外の面々だったりと、色んな人がひっきりなしに隣に来ては離れていくといった調子だ。
そんな風に隊列の中で慌ただしく配置を変えながら、一年でも今日という日くらいなものだが、歩行者天国が設定されているお陰で、普段は地元にしては車通りが多い、駅から土手までの通りの両端に、数え切れない程に延々と出ている屋台に一々心が惹かれて足を止めるあまりに、中々前進して行かなかったのだが、このグダグダを含めて私も一緒になって結局心の底から楽しんでいた。

…のだが、実はふと、さっきチラッと目に入った光景があまりにも印象的過ぎたせいで頭の中にこびり付いたあまりに、ついつい雑踏の中に紛れる”とある人物”の姿を目で追う自分がいた。
その人物とは千華だった。
というのも、さっきの『誰がリーダーやるか?』というどうでも良いやり取りの中で、渋い笑顔を見せるのは私のみで他の皆はニヤケ顔と話したばかりだが、実は細かく言えばそれは正確では無かった。
というのも、私以外にも似た様な態度を取っていた者がおり、それが千華だったのだ。
千華はこんな時でもヒロの側から離れない様子だったが、例のやり取りがあった時でも、カワイイ風の笑顔を浮かべてみせていたのだが、私の勝手な思い過ごしだろうか…うん、パッと見では笑顔に見えるのだが、何だかその時の私には千華の目が笑っていない様に見えたために、どこかチグハグな印象を受けてしまっていた。
そんな様子を見せたのが、一同の中でただ一人だけだったのもあって、かえって目につくあまりに、こうして移動を始めてからも、側の人と和かに過ごしながら時折目で姿を追っていたのだが、私とたまに目が合うと、千華はそれなりに笑顔を強める事で対応してくれてはいたが、それでも初めに受けた印象が変わる事は終に無かった。

…とまぁ、そんな細かい事は抜きにすれば、後は皆に混じって屋台の一つ一つを覗き込み、気に止まった品があれば買って食べ歩きをしたり、風船釣り、輪投げ、射的などなどの催し物に参加して楽しむという、もう何度も繰り返しになってしまっているが、まさにお祭りさながらといった過ごし方をしつつ、ようやく土手の縁部分、麓に到着した頃には、空は茜色と濃いブルーが滲み合う色合いと変化して、いつの間にか太陽の姿形は見えなくなっており、そのブルーの部分にはチラホラと星が瞬くのが見えた。
まさに花火日和といった風な快晴具合だった。
普段なら街灯が少ないために確認するのにも苦労をするのだが、こんな所にまで明るい照明を側に焚く屋台が出ているお陰で、アンティーク調の腕時計に表示される時刻が見れた。丁度六時になろうかという頃合いだった。
私たちは花火の観覧用に買った食べ物が入った袋をそれぞれが手に持ち、ここに来て漸くというか、”私というリーダー”を先頭にして、その隣に裕美が来ながらも、その後を道幅の制約があるために綺麗な列を作りながら、土手に上がるための登り坂を、他の大勢の人混みに混ざって登って行った。
人の密集具合が凄いために、日がすっかり落ちてしまっていても大気からは全く熱が引いていなかったのもあって、酷く暑苦しく感じていた私は、ついさっき出店で買った、今年の花火大会限定の団扇を使って、パタパタと顔に風を送っていた。

因みにというか、本当に細かいことだが、腕に引っ掛けているミニバッグの中には、キチンと自分の普段使いしている扇子を仕舞って持ってきていたのだが、折角だし、また個人的には着物には扇子が合っても、浴衣には団扇の方が合っている気もするからという考えもあっての選択だった。
…うん、本当に余計なことだが、ひどく混み合っているせいで中々進まない事で生じた暇な時間を使って、ほんの少しだけ雑談交じりに触れてみよう。
これまたお母さんの影響というか、お母さんの両親の影響というか、私は幼い頃、それこそ小学生時代から夏場は扇子をよく持ち歩いていた。もちろん手にという意味ではなく、カバンなりに入れてという意味でだ。
何度か話の中でも触れてきているし、今現在の私の様子からも窺えるだろうが、私が知る限りにおいて他の女子と比べても暑がりな方なので、こんな夏真っ盛りな時期には扇子は欠かすことが出来ない必須アイテムとなっていた。
それが高じてと言うのか、この扇子を集めるというのも、ある種の趣味と化してしまっており、同じく扇子を集めるのが好きなお母さんが懇意にしている、京都にお店を構える創業がお母さんの実家の呉服店くらいに古い個人商店で売られている物、つまりは京扇子を、それこそ大袈裟ではなく数え切れない程に所持していた。
お母さんなんかは時間を作って、わざわざ京都の店舗まで買いに行っているようだが、学生時分の私にはそんな時間は中々長期の休み期間以外では無理なので、たまたまこの商店が毎年シーズン毎にカタログを出しているお陰で、そこで選んだ物を取り寄せてもらったり、直々にお母さんが買いに行くという時には頼んだりしていた。
んー…ふふ、これまた他は知らないのだが、少なくとも私の身の回りには、同世代で扇子を夏場に使うような女子は一人もいないせいで、私が扇ぐたびに、特に学園組からは”お嬢様”なり”お姫様”なりと、やはりというか案の定からかわれるのが常となっていた。
まぁこれにはやはりウンザリしてしまうのだが、さっき言ったように手放せないのだから仕方がないと、そこは甘んじて過ごしている今日この頃…に限らない毎シーズンなのだった。
…っと、こんな私以外の人からしたらどうでも良すぎる話をしてしまったが、丁度というかやっと土手の頂上に到着したので話に戻るとしよう。

土手の頂上に出ると、所々には今回の大会仕様として特別に置かれた強い閃光を発するストロボライトが幾つか設置されていたが、しかしそれでも通常は今いる河川敷には街灯のような灯りを発する光源が一切無いために、空がほぼ夜の様相を呈してしまっている中で、まだ辛うじて残っている太陽の残光と、それと比べるとより強い光を発しているとはいえ、やはり微光としか言いようのない、満月に近い月の光が頭上から降り注ぐのみという、基本的には薄暗い環境だった。
だが、そんな中にいても、見渡す限り人、人、人で溢れかえっているのがすぐに見て取れて、所々でより一層人口密集度の高い人集りが出来ているのも散見できた。
それは土手の斜面から、その下に広がる河川敷も変わらず同じで、通路として決められた空間以外はそこら中でビニールシートが敷かれており、その上でそれぞれの一団が固まって座りながら、既に宴会を開始している所もあった。

「おー…人が凄いねー」
と開口一番に辺りを見渡しつつ藤花が声を上げると、それに賛同した学園組が口々に同じ様な感想を漏らした。
しかしそれは初体験の藤花達だけではなく、何度も毎年のように参加しているはずの地元民である他の皆も同様に、その人の多さに声を上げていた。
それは勿論私にしても例外ではなく、というよりも、つい前にも話したように、何だかんだ土手という花火大会の現地で観覧するのは小学生以来の事で、大分前回から間が空いていたせいもあり、すっかり初めての学園組の皆みたいな反応を取ってしまっていた。
だが、普段よく来る土手の様相とは全く違うという、人混みに溢れる周囲に感心してばかりいても仕方が無いと、”リーダー”らしく早速辺りを見渡し始めて、何となく目測を立てると、皆に向かって声を掛けてからスタスタと歩き始めた。
その先頭を歩く私の隣に追い付いた裕美は、早速周囲を見渡しながら話しかけてきた。
「んー…本当にこの花火大会は人手が半端じゃないよねぇー?紫達じゃ無いけど、私も久々なせいか驚いちゃったわ」
「…ふふ、私も同じ」
と、時々後ろを向いて、きちんと皆がついて来ているのか確認しながらも、同じ感想を持っていたのかと思わず微笑みながら相槌を打った。
「だよねぇー」と、私と同じ気持ちだったのか、裕美もこの薄暗い中でも分かるような陽気な笑みと声で返してくれたが、ふとそんな笑みに影を差すとまた周囲を見渡しながら口を開いた。
「ところでさぁ…こんな人混みの中で、絵里さん達見つけられるかなぁ?」
「…ふふ、どうだろうね」
と、私は敢えて意味ありげな声のトーンで、果たして見えるのかは分からないながらも悪戯っぽく笑って見せた。

…ふふ、そう、ここにきてやっともう一人の重要人物について触れることが出来る。その人物とは言うまでもなく絵里のことだ。
絵里は勿論、話にも出たように今回の花火大会には、私たちからの誘いに乗る形で一緒に参加する予定となっていたのだが、何故初めから一緒にいないのかについて、遅ればせながら説明してみようと思う。
話していくうちに、何故絵里が初めからいないのか、また何故ここまで私が話を先延ばしにしていたのかを分かって頂けると思うと前置きして早速話そう。
絵里は今日という日に予定は空いてると言ってはいたのだが、近々に控える日舞のお披露目会の件があって、それに関連する用事が午前中から正午を少し過ぎるくらいにかけてあり、それらを済まさなければいけないという事情がまずあった。
だがそれは、自宅のマンションに帰る予定時刻が丁度紫たちが地元の駅に到着するくらいだと事前に聞いていたのもあり、それだったら帰ってすぐだというので、大変だと思いながらも一緒に落ち合う事くらいは出来そうだと、実は裕美を始めとする他の面々もそう思ったらしいのだが…ふふ、そこは私がまた懲りずにある余計な事を絵里に仕向けたために、見ての通りそんな時間的な余裕は出来ずに終わった。
その仕向けた事とは…

「『どうだろうね』って、アンタ…ふふ」
と、私のそんな呑気な調子に思わずといった様子で呆れ笑いを漏らしつつ裕美は続けた。
「なに、アンタも絵里さんが何処にいるのか皆目見当が付いていないって事なのー?あんなに…っていうか今もだけど、こんなに堂々と迷いない感じで歩き始めたっていうのに」
と、最後に自分たちの歩く歩道に目を落としながら言い終えたのを受けて、私はまた一度意味深に笑いながら、何か気の利いた言葉をかけようと思っていたのだが、その時、「おーい、こっちこっちー」と不意に前方から声を掛けられたのに遮られた。
そのあまりにも聞き覚えがあり過ぎる声に、それなりに雑踏にありがちな騒音の中にいたにも関わらず、ハッキリとその声だけが認識出来たあまりに、お互いに顔を見合わせていたのを二人して声のした方角に顔を向けた。
そこにはさっきも紹介した、閃光を発してその周囲半径数メートルに亘っては明るくしてくれているストロボライトが立っていたのだが、その光に全身の半分を照らされながら、こちらに笑顔で手を振る絵里の姿がそこにあった。
と、その姿が見えた瞬間、私は早速声を返そうと思ったのだが「あっ、絵里さーん」と明るい声を発しながら手を振り返す裕美によって中断せざるを得なかった。
そんな私のことはつゆ知らない裕美は、そのままズカズカと一直線にまっしぐらに絵里の元へと歩いて行ってしまったので、後ろからついて来ていた他の皆が周りに集まったのを感じた私は、「じゃあ、まぁ…ふふ、私たちも行こうか?」と苦笑交じりに声をかけると、返事を待つ事なくそのまま裕美の後を追った。
既に到着していた裕美はというと、斜面に立っていた絵里に両肩をガシッと掴まれており、絵里はというと、そのまま裕美の全身を眺め回していた。
まだ声は聞こえなかったが、その表情なり見る限り、裕美の浴衣姿を褒めている様子なのは分かった。

…と、せっかくなので、少し気が早いとは思いつつも、ここで絵里の浴衣についても触れておこう。
絵里の浴衣は、江戸紫色の綿紅梅地に、風にしなう萩を情緒たっぷりに表現した柄となっていた。それに白地に淡い紫の矢絣を表した紗の八寸帯を合わせており、見た目からして涼やかな装いとなっていて、んー…ふふ、端から見ていると、今現在は裕美に対して子供のように燥ぎながら接しているので効果は半減していると言わざるを得ないのだが、逆にいえば、そんな態度を取っているにも関わらず、その浴衣姿からは品は一切損なわれていなかった…って、これだけ聞くと身内贔屓も甚だしく思われそうだが、私個人としては一応客観的に見てそう素直に感じるのだった。

「…そっかー。うんうん、話には聞いていたけど、本当に浴衣着ても大丈夫なんだねぇ」
とシミジミ言う絵里に対して、「う、うん…」と戸惑いげに返す裕美の声が、徐々に近づくにつれてチラッと耳に入ってきた。
初めのうちは、何でそんなに戸惑っているのか、確かに絵里特有のスキンシップ過剰さに対してそうなっているのかと一瞬思ったが、しかし裕美にしても私ほどの頻度では受けていないにしろ、今回が初めてでも無いだろうに、変に過剰反応に見えた。
それを不思議に思ったのだったが…うん、その裕美の視線の先、絵里とは違う方に向いていた先を見て、私も実はこう裕美のことを言いながらも、自分は自分で内心凄く驚いきと共に戸惑ってしまっていた。
というのも、実はというか、裕美と隣り合っていた初めのうちは、ストロボライトに照らされた絵里の姿しか見えなかったのだが、裕美が先に絵里に近づきにつれて、不意に絵里の背後でヌッと一つの大きな影が立ち上がるのが見えて、今も裕美や、そして私の視線の先には、最初に見た時と変わらずに絵里の背後に立ったままの人影があったからだった。
裕美の後に続いて歩み寄ろうとしたその時、その姿が目に入った途端に、予想していなかったその姿を目にして、戸惑いのあまりに私は少しばかり絵里に歩み寄る速度を緩めたのだが、実は裕美も意気揚々と、まだ本調子では無いとはいえそれなりに軽い足取りで近づいていたというのに、途中でその姿が目に入ったらしく、私と同じくやはり歩く速度を遅めていた。
先ほどから私は”人影”とばかり一様に称して見せているが、それには訳があった。というのも、半分ほど照らし出されているだけの絵里とは違い、その人物はストロボライトという強い光源の真ん前に立っているせいで、私の位置からだと思いっきり逆光となってしまっており、初めのうちは黒い影としか認識出来ずにいたからだった。
ただそんな中でも、影からだけでも土手の斜面に立っているとはいえ、背が高いことは察せられた。そして徐々に目が慣れてくると、パッと見では体の線が細いために下手すると凄い長身の女性かとも思ったのだが、しかし身に付けているのを見て男性なんだということが次に分かった。
それは浴衣だった。紺色地に細やかな細縞というシンプルな見た目となっていたが、しかしその長身故なのか…いや、土手の斜面に立っているにも関わらず、それでもスッと綺麗に背筋が伸びている、着慣れている絵里と同じくらいに、頭上から吊り下げられているかのように立ち姿が綺麗だったために、全体的に綺麗に纏まっている印象を受けた。帯はこれまたシンプルな、白色に黒色の献上柄だった。
と、そこまで認識が出来始めてきたので、これを聞いておられる方なら、そろそろ得体の知れなさからくる戸惑いが消えるだろうと思われるだろうが、実際はむしろ、目が慣れたばかりに今度はギョッとする程驚いてしまう羽目となった。
というのも、ようやく頭の造形も分かりかけ始めたのだが、何とその顔には狐のお面が貼られていたからだった。
如何にも縁日とかで売られてそうな…というか、実際にここまでくる道中にあった出店で売られているのを見かけたと、少しして思い出していた。
…うん、そのお陰というか、恐怖に近い感覚はもう拭えたのだったが、やはり何でこの人物がずっとお面を被ったままでいるのか、その不可思議さは全く解決されずに、戸惑いは全く消える事が無かった。

…っと、大分この”怪人物”について時間を割き過ぎてしまったが、実際には私が絵里の側に到着してからは数秒くらいしか時間が経っていなかったようで、それを証拠にというか、私が側に着いても絵里の意識はまだ裕美に固定されたままだった。
「いやぁー、でもお見舞いの時にも驚いたけど、こうして手術して歩けるようになってるんだもんねぇー。大したもんだわ」
と絵里が一人腕を組んで頷きながら感心した風に声を漏らしたその時、「…ふふ、そろそろさぁ?」と、ここで不意に狐面の男が口を開いた。
と同時に、私と裕美は顔を素早くその男へと向けたのだが、この時の裕美がどこまで気付いていたのかは知らないが、今男が発した声を聞いた瞬間に、懐かしい気持ちになったのと同時に、ここにきてようやく絵里を誰に仕向けたのかも思い出した私は、一瞬にしてこの人物が何者かが分かってしまった。
そして、その異様な姿のまま絵里に愚痴を言い始めたその横顔に向かって、さっきまでの戸惑いは何処へやら、代わりに心底呆れたのを隠そうとはせずに、むしろ全面にアピールするようにオーバーなリアクションを取りながら横から入った。
「…ふふ、というかさぁ…その格好は、一体何のつもりなの?…義一さん」

…ふふ、そう、人物が人物なだけに大分長い前振りとなってしまったが、この狐面の男こそ義一その人だった。
お面をしているせいで、少しばかり声が篭っており聴き取りづらかったのは否めなかったが、しかしそんな些細な違いが出ていても、私なら義一の声を聞き間違う筈がなかった。
それを証拠に…
「…あ、琴音ちゃん、いらっしゃーい」
と、相変わらずお面を被ったままの義一は、呑気な調子で声を発すると、足元を指し示しながら言った。
その先に広がっていたのは、ここまで来る途中にも目にしてきたのと同じような、ブルーのビニールシートだった。
その上には重り代わりの意味もあるのだろう、幾つかの大きめな荷物が置かれていたりした。
「えぇ、予定通りに来…」
と返しかけたその時、不意にガバッと勢いよく両肩を掴まれてしまったために、その先の言葉が出てこなかった。
こんな突拍子もない行動を取ったのは言うまでもないだろう、そう絵里だった。
「わー、琴音ちゃん、良いお召し物ねぇー」
と、両肩を掴んだまま…うん、これは気のせいでは無いだろう、さっきの裕美に対してよりも輪をかけて興奮した様子で色んな方向から私の姿を眺めてきた。
「うんうん、さすが瑠美さんの娘って感じだねぇ。…ふふ、前に見た時にも思ったけど、やっぱり完璧な着こなしをしてるわ」
「ちょ、ちょっと絵里さん…」
と何だか照れてきた私は、そう絵里を宥めようと口にしながら、チラッと顔を後ろに逸らすと、そこには学園組を始めとする他の皆が、驚きの表情は浮かべながらも、こんな私たちの様子を微笑ましげに眺めているようにも見えた。
そんな風に見られているのを自覚すると、ますます照れ臭くなってきた私は、「ハイハイ、もう分かったから」と、もうキリがないと自分から両肩に乗った絵里の手を下ろした。
「あはは、ごめんごめん。テンションが上がっちゃったわ。なんせ…」
と絵里はここで一旦区切ると、横に立つ”狐面”に顔を向けて、顔一面に渋い笑みを浮かべながら続けて言った。
「こんなギーさんみたいなオジン臭いのと二人っきりで、リア充ばかりいる場所にずっといるなんて、息が詰まっていた頃だったからさぁ…ふふ、ついついねー?」
「やれやれ、これまた酷い言い草だなぁ…ふふ、好き勝手言ってくれるよ」
と、仮面越しにも関わらず、普段から知っているためか、その下に広がっているであろう義一の苦笑いが目にありありと見えるかのようだった。
と、そんなやり取りが終わったその時、「…琴音?この人って…」と、さっきまで私たちの事を和かに眺めていたというのに、今では少し躊躇いがちな様子を見せつつ裕美が声をかけてきた。
そして、「もしかしてアンタの…おじさん?」と顔を横に向けながら続けて言った。
その裕美の周りには、いつの間にか紫たち学園組が取り囲むように立ち、そのすぐ後ろに朋子達地元チームも勢揃いしていた。
「…あら?」
「…あれ?」
と、そんな皆を見て、さっきの私や裕美のように今度は絵里と義一が驚きの声とキョトン顔を浮かべて見せた。
…いや、しつこいようだが、義一からは実際にはその顔を見れなかったけれど。
「この人が…琴音ちゃんの叔父さん?」
と、堪えきれなかったのか、麻里がボソッとお面を見つめながら呟くように言うと、「え?…っぷ、あははは!」とまず絵里が朗らかに笑い始めた。
「あはは!こんなお面を被っていちゃ、一体どこの誰で何者なのか分からないよねぇー?ギーさん…ふふ、やっぱ不審者にも程があるわよ」
と、途中で少しは笑みが引いたかのように見えたが、しかしやはりすぐに吹き出しそうになってしまうらしく、絵里がクスクスしながら話しかけると、「あのねぇ…」と義一は呆れ声で返した。
「このお面はそもそも、君がそこの縁日で買ってきたものじゃないか?まったく…ふふ。えぇっと…」
と義一は一旦、私やその後ろに立つ一同の顔を見渡したかと思うと、今度はその周辺を見渡し始めた。
その様子がやけに念入りなので、それに対しては私も何故そこまで周りを気にするのか気になり始めて、思わずいつもの癖で”何でちゃん”らしく質問をぶつけようとしたのだが、その時、「まぁ、今なら大丈夫…かな?」と独り言を漏らしたかと思うと、義一はお面に片手を掛けた。
そしてそのままゆっくりとお面を外して、それを頭の側面に代わりに置いた事で現れたその顔は、一々触れるまでもなく何年も私が慣れ親しんだ、見慣れた義一の顔がそこにあった。
「…あ」と誰からともなく一同が声を漏らしたのだが、それには構わず義一は微笑みながら口を開いた。
「…ふふ、僕の名前は望月義一。琴音ちゃんのお父さんの弟、つまりは琴音ちゃんにとっての叔父さんだね。今日は皆の場にお邪魔する形になっちゃったけれど…ふふ、絵里ともどもよろしくね?」

「…ちょっとー?”絵里ともども”ってどういう意味よー?」
と義一が言い終えた途端に、絵里が不満げな声と共に目は薄目がちながらも口元は緩んでしまいながら返すと、義一も逆光でも分かるくらいの私には見慣れた悪戯っ子の様な笑みを浮かべつつ応じた。
「え?だって…君だってお邪魔しているんじゃないのかい?いくら琴音ちゃん達のOGだからって、こんな若い子達に混ざるんだから」
「あー、そんな事言うんだー?」
と義一の言葉にショックを受けた風に目を大きく見開いたかと思うと、次の瞬間にはこれでもかという程にジト目を作って向けながら続けて言った。
「レディに年齢のことを平気で言うなんて…だからギーさん、モテないんだよ。私はねぇ、そもそも…」
と不意に側に立っていた私と裕美の間に割り込むと、両肩に腕を回し、そしてグッと自分の元へと二人の身体を近寄らせた。
170を少し越える私はともかく、165の裕美と比べてもほんの少しばかり低めの身長である絵里だというのに、意外にもその力強さに私は変に感心していた中、絵里は今度はニヤケながら続けた。
「この子達から正式に招待されて来たんだからね!」
位置的に実際には見れずとも、その声の調子やテンションから、恐らく満面の笑みを浮かべているであろう事は途端に察する事ができたが、「僕だって、一応琴音ちゃんに招待されて来たんだけれど?」と、そんな言葉を受けた義一も同じ調子で返していた。
とまぁ、この二人が揃うと毎度の恒例行事となっている、この様な軽口合戦が交わされているのを、私と裕美の二人は微笑ましいという感想のままに笑顔で眺めていたのだが、それ以外の皆はというと、義一と絵里が発する空気感に影響されてか各々は一応笑みを浮かべていながらも、しかし同時にしっかりと動揺の痕跡が残っていた。

これは後で聞いた話だが、やはりというか当然というか、私や裕美と同じように、突然ヌッと現れた狐面にそれぞれが驚きと戸惑いを覚えたらしい。
だが、その正体が私にとっての叔父さんにして、望月義一だと知った時には、違う意味で驚きと戸惑ってしまったと教えてくれた。
私が小学生時代に連んでいた皆は、学園組と同じ程度に話していた朋子は少し例外だが、他のメンツもそれとなく具体的では無いにしても、その容姿を含めて『叔父さんの義一』という存在を朧げながら知っていた。だが、これまた千華は別にしてもその他の”裕美チーム”には、学園祭に来てくれた二名を除くと初対面ばかりなのもあって、事情の”じ”の字も知らなかったのだが、それはまぁ当然としても…うん、それでも、今彼女達が実際に見せている反応を見てもらえれば分かる様に、朋子達などとは違うルートというか、別の方面から既に義一の存在を知っていたとの事だった。
それは何故かというと…ふふ、そう、以前に義一が宝箱で事前に話してくれて、その後も軽く触れた事がある、義一が表紙となった最近発売の某有名ファッション誌なりのお陰らしかった。
んー…ふふ、我ながら現代人のつもりでありながら、パソコンはしょっちゅう触りもするし自分なりには活用しているつもりでも、何せ神谷さんから引き継いだ義一が主宰するオーソドックス公式ホームページに上げられている、ラジオなりテレビ番組などの動画を見たり、またオーソドックスのメンバーの一人である国会議員の安田が発起人の政治グループがネット上に上げている、やはり動画を見たり、後は動画サイトで師匠の現役時代のコンサート映像や、過去から現在直近に至るまでの京子の演奏する映像を検索してみたりと、まぁ具に言ってもこれ程度なものなせいで、実際に義一がどの程度の知名度があるのか今だに一度も検索をかけた事が無いせいで知らなかったのだが、どうやら他の皆の口ぶりを聞く限り、自分達と同年代の子達は勿論のこと、二十代、三十代、もしくはそれ以上の女性層にも名前と顔が知られて、『彼は一体何者なのか?』と話題になっていて、様々なSNS上でもトレンド上位に常にあると、それがどんな意味を示しているのか皆目見当がつかない私に熱っぽく説明してくれた。
それを分からないながらも勝手に解釈して言い直すと、”右のインターネット放送局”とそれなりに名前が知られているらしい所の討論番組に、神谷さんの推薦というかお願いもあって昨年末に出演した頃から、その界隈ではプチブームが起きていたというのがコトの始まりで、今年の初め頃に全国ネットで放送されている、政治番組ながらもバラエティー色が強く、またパーソナリティやレギュラー化しているコメンテーターが有名な芸人なりタレントだったりする為に一般認知度の高い討論番組に出演した事で、そのブームが一気に膨れ上がった傾向があった様…というのは、武史なり雑誌オーソドックスの前編集長だった文芸批評家の浜岡が教えてくれたとは以前にも話した通りだ。
だがそれも、他の例に漏れずただのブームだと言うので少ししたら鎮静化してしまい、こうして義一は自分でラジオをしたりテレビ番組を持ったりしている割には、その視聴数を見る限りでは、一定数の再生数は毎回ありながらも、とてもじゃ無いがブームがあったと言われている人物の番組とは思えない程度の数に収まっていたのが実情だった。
だが、今さっき触れたファッション誌の以前に、義一が某有名なビジネス誌の表紙を飾り始めた頃辺りから、またジワジワとブームの兆しがあった様で、今回でまた本格的に、ネットで言えば検索数が跳ね上がっているとの事だった。それも、政治色の強めな番組ばかりに出ていた前回とは違い、今回の様にファッション関係などにまで顔を出したという理由のために、政治経済思想哲学という、そんな言葉や単語を聞いただけでウンザリしてしまう様な、お堅い事には微塵も興味が無い一般の女性や、ついでに言えば男性にまで認知されるようになっているようだ。

…ふふ、とまぁ、そんな風に説明されても「へぇ…」というくらいな感想しか覚えなかったために、むしろそのせいで、この様に無駄に長々と説明をグダグダとしてしまったが、まぁそんなわけで、SNSで情報を収集している彼女達からすると、その話題の有名人が急に目の前に現れたというので、中々狐面を外そうとしなかったという奇天烈な初登場時に受けた気味悪い印象が驚きのあまりに一掃されて、代わりに、まぁ…ふふ、これはそのまた後に本人に直接そっくりそのまま伝えたら、やはり苦笑いを浮かべていたのだが、嬉しい驚きのあまりに、すぐには口が利けなかったとの事だった。
後日にまぁこうして話を聞いたわけなのだが、この時に改めて、学園の皆にも話した様に、なるべく私のお母さんがいる前では義一の話をなるべくしないでと、それなりに学習した私がその場にいた皆に頼んだのは勿論で、これがまたありがたい事に、細かい事情などは質問せずに受け入れてくれた。
それに感謝しつつも不意に私は、花火大会当日の事を思い返していた。というのも、些細ながらもそれを証明する様な出来事が起きていたのに後になって気付いたからだった。

今現在の義一はお面を外している状態なのだが、そんな義一の顔を、私たちの脇を通り過ぎて行く人々、特に若い男女が一瞬足を止めてはチラチラと眺めてきていたのだ。
考えてみたら、稀に今でも一緒に土手に出る事はあったが、それ以外の屋外だと数奇屋にしか出た事が無く、殆どを宝箱の中で過ごしてきたために、人混みの中に義一と一緒にいることが初めてなのに今更ながら気付いた。
それが大きな理由だったのかも知れない。今こうして朋子達から話を聞く以前から、世間での義一の知名度が上がっているという情報は、美保子や百合子からだけではなく、武史などからも一応聞いたものの、まったく実感が湧いていなかったのだが、直接声を掛けられるほどでないにしても、遠巻きにジロジロ見られる程度には、観察される程度には世間的にはそれなりに有名人なのだと分かった。
そんな周囲の好奇な視線を一身に受けていた義一はというと、本人もそんな自分の状況に気付いていたらしく、見るからに分かりやすく居心地が悪そうに苦笑いを浮かべていた。

…ふふ、それを誤魔化す意味もあったのか、少しばかり長めに絵里と軽口を飛ばし合っていた義一だったが、それもお互いに満足したのか終わると、それを見計ったかの様に、私と裕美の背後にワラワラと女子達が一斉に集まり始めた。
だが、そう集まっただけで、後ろを振り返ってそれぞれの顔を見ると、どの顔にも好奇心に満ちた表情を浮かべつつ、チラチラと向かいに立つ義一の顔に視線を流しているにも関わらず、何だか照れた様子で誰も口火を切ろうとしなかった。これには当然、紫たち学園組も含まれている。

…いや、確かに話しかける様な真似はしなかったのだが、ただ一人、学園組の中で小さくだが声を発した者がいたのに気付いた。その人物とは紫だった。
紫は私と裕美の後ろに立って、そこから義一の姿を眺めていたのだが、「この人が…そうなんだ…」と、ボソッとだが、この短い言葉の中に妙に感情が篭められている様な印象を受けたせいか、今もその声を鮮明に思い出せるのだった。

…いや、まぁ、確かにそんな印象的な事はあったのだが、それ以外はまぁ…ふふ、紫たちも話には聞いてはいても、こうして実際に直接会うのは初めてなのだし、初対面特有の緊張を覚えても仕方が無いだろうと、当時の私は紫の反応は置いといて、自分なりにすぐに納得すると、表向きは呆れ顔を作りつつ、溜息と共に笑みを浮かべると、早速他の皆と義一の間を取り持つ事にした。
初めは私がそれぞれを簡単に説明していたのだが、義一が身に纏う、柔らかくほんわかとした雰囲気のお陰もあってか、徐々に私の手が無くとも各々が自ら声を発する様になり自己紹介をし始めた。

そんな皆の光景を、私は微笑ましげに眺めていたのだが…あ、そうだ。この間はまた私個人は手持ち無沙汰なので、ついでというか…うん、ずっと前から先送りにしていた宿題をこの場を借りて片す事にしよう。
それは勿論…そう、『何でそもそもこの場に浴衣を着た義一が、何食わぬ顔で当然の様にいるのか?』という疑問についてだ。
だがまぁ、この疑問については、既に幾つか義一自身が発言の中で仄かしたり、もしくはズバッと言ってのけてしまう事で答えが出てしまっていたが、それでも改めてここで触れると、そう、私が絵里に仕向けた…というか、キッカケを作ったのは裕美だったのだが、今はそれはおいといて、私が最後のダメ押しをしたのは、義一を今回の花火大会に誘うというものだった。
例の焼肉屋の後、二次会として入った喫茶店内で皆に義一の事について話し、その日の晩にその内容も絵里に電話で話して、「前から知ってたけど、みんな良い子達だね」と絵里が言ってくれたのは既に触れた通りなのだが、その流れのままに、裕美がつい口を滑らせたとはいえ内容それ自体は悪くないと思っていた私は、「いっその事、本当に義一さんを誘ってみれば?」と提案したのだった。
「な、なんで私がアヤツを花火大会に誘わなくちゃいけないのよぉ?」と、案の定というか途端に電話口でも分かる程に狼狽えながら絵里は反応を返してきたが、それでもアレやコレやと口八丁で口説き文句をツラツラ述べると、これ以上抵抗しても仕方が無いと悟ったらしい絵里は、「もーう…分かったよ。そんなにアヤツを呼びたいなら呼んでも良いけど…その代わり、私が誘うってのは勘弁してね?」と参った調子で頼むので、ヤレヤレ仕方が無いなとスマホを持ちながら微笑みつつ首を振りながら了承し、それからは後に電話をかけてきた裕美から謝られた後で、今さっきまで絵里と電話していた旨を話し、それからこんな予定なんだけれどどう思うか聞いた。
すると、「さっき自分で謝っといて何だけど…アンタはそれでも良いの?」と呆れ笑い交じりに返されてしまった。
それは勿論自分でも自覚してはいたのだが、しかしこれが我ながら愚かしいところで、一度思い立って決めた事は最後までやり切らないと気が済まない性質のあまりに大丈夫だと返すと、「アンタが良いなら、私は別に構わないよ。知らないわけじゃないし、それに…ふふ、アンタのおじさんと一緒にいる絵里さんを、久々に見たいもん」と快く応じてくれたのだった。
そう、ここで少し補足を入れると、当日になるまで、こうして顔を合わせるまでは実は、学園の皆なり、ヒロを除く千華、翔悟は義一がいる事は知らされてなく、それ以外の皆は言うまでもない。
さて、それからは義一に私から花火大会に行こうと誘い、当日はたまたま空いていたというので初めは乗り気になってくれたが、私以外にも他にいる事を聞いた途端に、当たり前といえば当たり前だが途端に渋り始めた。その前に絵里の名前を出した時にも渋って見せたが、その時は冗談交じりだったのに、この時は少々本気が混じっていた。
だが、詳細は言わなかったが私が大丈夫だと説明すると、義一はそう言う私の言葉を信じてくれて、「まぁ…うん、君がそう誘ってくれるんだし、地元に住んでいながら最近は観ていなかったから、お呼ばれする事にするよ」と応じてくれて、その後は当日についての簡単な打ち合わせを始めた。
それによって決まった予定を、実際に義一は実行してくれたが、少し触れた様に他の一団と同じ様に私たちよりも早めに土手に来て、ビニールシートを敷いて場所取りをしてくれたのだった。
後で雑談の中で聞いたら、とは言っても夕方五時に土手に来たらしい。私たちが来る一時間前だった。
これは私自身、お母さんやヒロと、ヒロのお母さんと来ていた小学生の頃なんかは、ただ何となく土手に来て、空いているスペースを見つけて立ったまま観覧しているのが常だったので、実は地元民でありながら知らなかったのだが、なんでも毎年人手が凄いながらも、しかし河に架かる二本の橋の間という、だだっ広い河川敷一体を会場にしているというのと、地元民やそれ以外の大方の人々は、まず土手に来る前に屋台やらで時間を潰すというのが毎年恒例だという事があり、開始二時間前くらいなら余裕で場所を確保出来るというのを知っていての行動だったようだ。
やはり私よりも早く生まれて、そのぶん長い事この地元で青春時代を過ごしてきて、しかも高校生以来ずっと土手のすぐ側にある一見古めかしい日本家屋に住み続けているというベテランらしい判断が功を奏していた。

…っと、ここで一つ微細ながらも、もう一つの種明かしをしよう。何故こんな人でごった返す広々とした土手で、迷う事なく義一を見つけられたのかと言うと、もちろん打ち合わせ段階で場所を聞いていたのがあったのだが、その約束の仕方を含めて私と義一の仲特有の理由があった。
というのも、お爺ちゃんの七回忌で訪れたお寺での出会いから数年後に再会し、その後で少ないヒントから義一を発見した場所にして、私が宝箱に頻繁に訪れる様になってからは稀にそこで色んな話を聞かせてくれたり、疑問に答えてくれたりして、また私個人でも義一に影響されて何か考え事をしたくなった時などに思索しに来たり、天気が良く”暇”な時などには読書しに来たりするという深い所縁がある場所が、今私たちがいる地点なのだった。


自己紹介も終わると、「どうぞ」と義一に勧められるがままに「お邪魔しまーす」とそれぞれが口にしながら下駄を脱いでブルーシートの上に乗り込み始めた。
入るなり各々が自分の場所を確保し始めるのを、まだ立ったままの義一は和かに笑いながら眺めていた。
「…ふふ、しかし大きめのシートを持ってきておいて良かったよ。これなら全員が座れそうだね」
「本当だね」
と絵里も似た様な笑みを浮かべつつ相槌を打つと、既に作っていた自分のスペースに腰を下ろした。すぐ脇には、シートを押さえる役割も果たしている大きめのクーラーボックスが置かれていた。
その位置は土手の斜面の一番下側、シートの一番端に足だけを投げ出して座る辺りだったのだが、何となく私と裕美は二人の側に場所を決めて腰を下ろした。
細かい描写をすると、河川敷から見て右端に義一が座り、間にクーラーボックスを挟んで絵里が、その隣に私と裕美が座る形となり、その裕美の隣にヒロ、千華、そしてシートの左端に翔悟が座るという、合計七名が前方に綺麗な横並びになったが、それ以外の皆はというと、後は思い思いに自由気ままに座るという、まぁ全体としてはそんな形に収まった。

座るなり雑談しながら自分たちの荷物を広げつつ皆で過ごしていた中、ふと時計を見ると、まだ義一と絵里に会ってから三十分しか経っていないのに気付いた。花火大会開始まで一時間弱まだある計算だ。
なので、私は暇つぶしにと、義一と絵里に私たちが来るまでどう過ごしていたのかを質問してみることにした。
…ふふ、そう、これももうお気付きだろうが、実は義一一人ではなく、実は絵里も一緒に場所取りをしていたのを私は事前に知っており、この間どう過ごしていたのか興味を唆られたからだった。
そう私が質問をすると、絵里は途端にこちらを品定めするかの様な視線を向けてきた。要は、こちらの質問の意図を探ろうとしているらしかったが、しかしその視線の意味を私の方でも理解していたので、敢えて無言で自然な微笑を浮かべるのみでいると、一度フッと力無く笑った絵里は、それからは普段の調子で率先して答えてくれた。
「前にも言ったと思うけど、私は今日の午前は日舞関係でちょっと用事があったから、それを済ませるとね?家に戻ってからすぐに浴衣に着替えると、早速コヤツの家に向かったの」
「ふふ、コヤツって、あのねぇ…」
と義一が苦笑いで突っ込んだが、絵里は何事も無かったかの様に華麗に受け流し、顔も私に固定したまま先を続ける。
「大体四時くらいだったかな?ギーさん家に着くと早速、キチンとこっちが頼んでおいた物を用意してくれたのか、まずその確認から始めたの」
と絵里は話しながら、義一との間に置いてあるクーラーボックスを片手でトントンと叩いて見せた。
そしてそのまま中身を説明してくれるのには、義一が飲む分の缶ビールが数本と、絵里が飲む分の缶酎ハイ数本、後は水やお茶、ジュースなどが入ったペットボトル各種という、中々に盛り沢山なラインナップとなっている様だった。使い捨ての紙コップも勿論完備で、これらや大きいビニールシートを纏めて運べるキャリーカートも準備完了だったらしい。このキャリーカートは義一の脇の草むらに横たわっていた。
「だから、もしも手持ちの飲み物が無くなっても、遠慮せずに私たちに声をかけてね?そしたらあげるから」
と絵里が、途中から私から顔を逸らしつつ周囲にも声をかけると、
「はーい」
「はーい、先輩」
と、それぞれが雑談を楽しんでいたにも関わらず、それなりにどうやら私たちの会話が耳に届いていたらしい裕美含む皆で、それぞれが明るく返事を返していた。
”先輩”と付け加えたのは、学園組の皆であるのは言うまでもないだろう。
その返事を受けて、ウンウンとこれは絵里ばかりではなく義一も満足げに頷いていたが、絵里はそのまま話に戻った。
「キチンと用意してくれたのを確認するとね、それに対して労を労ってあげたんだけど…」
「ふふ、いちいち上から目線なんだからなぁ」
「ふふふ」
「あはは。でもね?せっかくその準備の良さは褒めてあげたってのにさぁ…うん、そういった身の回りの準備は万端だったんだけれど、本人の準備がまったく出来ていなかったのに呆れちゃったんだ」
と絵里がゆっくりと、薄目を作った顔を隣に向けると、「そう言われたってさぁ…」と義一は、毎度お馴染みの苦笑いを浮かべて呟く様に口にした直後、語尾を伸ばしながら絵里の視線から逃げる様に、おもむろに狐面をまた装着し始めた。
そんな態度を取った義一に対して、絵里は両肩を大袈裟に落として見せながら深く溜息を吐いたが、ふと顔をこちらに戻すと、私と視線が合ったその後は、どちらからともなくクスッとお互いに吹き出して、そのまま明るく笑い合うのだった。
さて、この後は絵里と義一が分担して、実際にどんなやり取りがあったのか説明してくれたのだが、そっくりそのままここで紹介するのが芸が無いと思うので、二人の会話を聞いた上で、普段の様子を合わせて想像するに、こんなやり取りだっただろうというのを軽く話してみよう。

義一「準備って…こうして僕自身だって、浴衣に着替えているんだし、準備万端だと思うけれど?」
絵里「あのねぇ…私が言っているのは、そういう事じゃないの。ギーさん、前々から何度か言ってるでしょ?今年に入ってから色々と、大っぴらに世間に向けて派手な活動を始めたせいで、あなたの顔というか存在が、それなりに世間に顔が知られるようになっちゃったんだって」
義一「え?あ、う、うん、まぁ…え?それが?」
絵里「はぁー…あのねぇ?確かにあなたは以前からそうと言えばそうだけど、普段からあまり外というか世間に触れないから分からないんだろうけど、結構あなたの知名度は厄介な事にそれなりに高まっているのね?」
義一「…ふふ、厄介ね」
絵里「こらこら、変なところに食いつかないでよ」
義一「あ、うん…ふふ、ごめん」
絵里「まったく…ふふ、あ、いや、だからね?それをもう少し普段から自覚を持って今後は行動してって、前々から口酸っぱくして言ってるでしょ?
まぁ…そう言いながらも、私自身まだ、そんなギーさんが世間で若干とは言え騒がれているというのは実感が無い…というか全く信じられないんだけどね。
でも念には念を入れるのに越した事が無いからさ?人混みの中とか雑踏の中で、不意にあなたが其処にいるなんてバレて、変に騒ぎになったりした事を想像してみてよ?例えば今日一緒に過ごす琴音ちゃんや裕美ちゃん、それに他の子達にまで迷惑がかかったら大変でしょ?」

…とまぁ、絵里は義一に説得を試みたらしいが、私達に迷惑がかかるかもという言葉に心を動かされたらしい義一は納得したらしく、「何か顔を隠せるような物無いの?」と絵里に聞かれて、色々と探し回った末に見つけたのは、一本のサングラスだったようだ。
義一の誕生日には大学生時代から毎年二人は一緒に過ごしてきたらしく、その当日に誕生日プレゼントを一緒に買いに行くのが最初の流れとなっており、絵里が自分の行きつけのメガネ屋に義一を連れて行き、そこで眼鏡をプレゼントするというのが毎回の恒例となっている…とは以前にもチラッと触れた通りで、因みに学園での授業中や、家では基本的にずっと掛けているフレームがウェリントンの私の眼鏡も、絵里に紹介して貰ったメガネ屋で買った物なのだった。
…って、私の事はどうでも良いとして、話を戻すと、そのプレゼントの中にはサングラスも含まれていたらしく、そのうちの一本を変装用に選んだとの事だ。
フレームは、義一が普段使いしている眼鏡のうちの一つであるスクエアタイプで、絵里が説明している間に、浴衣の袖の袂から実物を取り出して見せてくれた。
そのまま手渡してくれたのを受け取って見ると、レンズがライトブラウンという良くあるタイプのものとなっているのが分かった。
「へぇ…ありがとう」と、見終えたのでお礼を言いながら義一に返したのだが、しかしすぐにここが良いタイミングだと踏んだ私は、ずっと前から疑問に思っていた事を口にする事にした。
「でもさ、何でそんな話だったのに、今はサングラスをしないで、その…狐面をしていたの?」
…ふふ、そう。中々タイミングが無くて訊けなかったこの疑問、この話をお聴きの方もずっと不思議に思っていたであろう事をやっと質問することが出来た。
それを口にした途端に、喉の奥にずっと引っ掛かっていた小骨がやっと取れたのと同じような爽快感を味わっていた、そんな私に対して、「ああ、それはね…」と義一が答え掛けたのだが、すぐに横から絵里に口を挟まれてしまい、話を横取りされてしまっていた。
まぁこれも毎度の事だと、それでも呆れながら力無く笑みを零す義一を他所に絵里が答えた。
「うん、初めのうちはね?『浴衣にサングラスかぁ…逆に目立ちそうだなぁ』って思ったんだけど、でもそろそろ本気で時間的な余裕が無くなってきていた頃だったから、何もしないよりかはマシかと思って私が許可してね?取り敢えずギーさんにはサングラスをして貰ったの。でもねぇ…」
と絵里は、ここで含み笑いを顔一面に滲ませながら、狐面を被ったままの義一に視線を流した。
「まぁ…結局ね?ほら…この男ってば、無駄に顔が良いせいで普段から目立つというのに、仮にそれを隠すのに成功したとしても、ただでさえ背が高くて髪の毛も長いじゃない?」
「…ふふ」
と、もう何度目になるのか分からない程に目の前で繰り返されてきた、義一に対する遠慮のない絵里の言動なのだが、ニヤケ顔の絵里から肩に手を置かれて、お面をしてても苦笑いしてるのが分かるような態度を取る義一の様子を眺めたりして、そんな二人が仲の良い悪友同士風を見せるのに、やはりこうして思わず微笑みを浮かべてしまいつつ話を聞いていた。
と、ここで、ここまで黙ってされるがままでいた義一は、それでも優しく肩から絵里の手をそっと退けると口を開いた。
「琴音ちゃんも知ってるように、僕の家からここまで目と鼻の先な訳だけれど、確かにというか、直前に絵里に言われたせいかね?んー…うん、何だか自意識過剰に思われそうだけれど、通り過ぎていく人の視線をよく感じたんだよ」
「でしょー?」
と絵里がすかさず口を挟んだ。
「まぁ目立つ理由は、浴衣姿で大荷物の乗ったキャリーカートを押していたのもあっただろうけどね?だから本当は、少し屋台がたくさん出ている通りを経由して行こうかって思ってたんだけど、この男が目立つせいで、慌ててまだ人手が出ていない土手に行ってね?取り敢えず予定通りのココにシートを敷いたのよ」
と絵里は自分の座る周囲を見渡しつつ言った。
「粗方準備が終わってからは、川の方を眺めていたんだけどね?」
と、顔を私に戻すと絵里は言葉を続けた。
「お喋りしながらも、ギーさんのグラサン姿を眺めてたんだけど、やっぱ違和感は消えなかったから、どうにかならないかなって思っていたその時にね、ふとさ…思い出したのよ」
と言う絵里の顔には、得意げな笑みが浮かび上がっていた。
「私も最近は、自分の部屋のベランダから観れるしってんで、わざわざ土手まで出てまで花火を観ることが無かったからうろ覚えだったんだけど、確か例年お面の屋台が出ているのを思い出してね?正直装着して貰うまでは自信が無かったんだけど、まだ浴衣にはグラサンよりもお面の方が似合うんじゃないかって思った瞬間に、我ながらナイスアイデアだと思った私はね、前置きなくギーさんに『ちょっと行ってくる』って言い残して、そのまま一人で屋台通りに行ったの」
と絵里はチラッと背後に視線を流した。そしてすぐにまた顔を元の位置に戻すと先を続けた。
「でね、思った通りに今年もお面だけ売ってる屋台が出ていたから、色んな種類があったんだけど…ふふ、何となくギーさんっぽいって思って買って来たのが…コレだったって訳」
と悪戯っぽく笑いながら絵里が指差した先にあったのは、義一の被る狐面だった。
「まぁ…ふふ、そういう事」
と義一が如何にも苦笑交じりといった声のトーンで、絵里のあとを引き継ぐ様に言った。
「初めは急にいなくなって、どこに行ったんだって呆れてたんだけれど、それで戻って来た手にはこの狐面があるのが見えて、それでますます呆れたんだけどね?でも訳を聞いたら、何だか理にかなっている様に聞こえたから、それなりに納得して、こうしてそれからは被り続けていたって事なんだ」
「ふふ、そっか、なるほどねぇ」
と、一連の話を聞いて、その場にいなかったというのに二人のやり取りがありありと想像がついた為に、思わず私は笑みを漏らしつつ合いの手を入れたのだが、「なるほどー」と私の声に被らせて、裕美を始めとする学園組のみならず、他の地元チームも一緒になって納得の声をあげるのが聞こえた。
それに軽く驚いて周囲を見渡すと、さっきも触れた様に皆も義一が何故狐面を被っていたのか、そして今も被り続けていたのか気になっていたと見えて、それで声を上げてしまったらしく、そのどの顔にも好奇に満ちた笑みが浮かんでいた。

因みに、この時になって皆の反応があって初めて気づいたが、後で聞いた話によると、これよりも少し前から私だけではなく、絵里の話を、裕美を含む他の皆も揃って聞いていたらしく、内容が変わってて面白かったと各々から感想を後日に貰ったのだった。

それからは、また皆で花火開始までの暇つぶしと皆でワイワイと雑談を楽しんでいたのだが、そんな中、私たちが座る背後をひっきりなしに通る人の群れから、恐らく同じ中学のクラスメイトか、ヒロ個人で言えばクラブのチームメイトも含まれているのだろう、ニヤケ交じりに声を掛けられているのが聞こえた。
「何だよお前ー、そんな女ばっかに囲まれてハーレムかよぉー?」といった感じだ。
そんな言葉を掛けられるたびに、「まぁなー」だったり「羨ましいだろー?」と、相手側と同じくニヤケながら調子者なキャラらしく翔悟は返していたが、それと対照的に「何バカ言ってんだよぉ」とヒロはウンザリげな調子でツッコミ返していた。
そんなやり取りを見て、私は不意にある事を思い出していた。
中学一年時、久しぶりに聡おじさんと再会したあの日に、天気が良いからと土手に読書しに来た私を見つけたヒロと、一緒に並んで座ってお喋りしていると、同じ部活仲間らしい一群から同じ様な言葉をかけられていた事だった。それに対して、少し慌てた様子を見せていたという小さな違いはあったが、顰めっ面で一つ一つ丁寧に突っ込むヒロの様子が当時そのままで、思わず思い出し笑いをしてしまうのだった。

さて、そんな事もあったりしながら穏やかに過ぎる時を楽しんでいたのだが、ふと麻里が例のカメラをいつの間にか取り出して、それを構えて周囲を見渡しているのが視界に入った。
「どうしたの?」と隣に座っていた紫が声を掛けると、麻里はファインダーで紫の姿を捉えながら答えた。
「いやさぁ、もうすっかり夜になっちゃってるし、正直無理かなってついさっきまでは思ってたんだけど、ほら、ここってこの強いライトがすぐ近くにあるじゃない?」
と麻里は、途中ですぐ側に設置されているストロボライトに顔を向けた。
いつの間にか私だけではなく麻里の話に耳を傾けていた全員で、思わずライトの方に顔を向ける中、麻里は話を続けた。
「それで今少し試し撮りをしてみたんだけど、思った通りというか、結構しっかりとキレイに写真が撮れたんだよ」
と麻里はカメラの背面にあるモニターに目を今度は落としながら言った。
「だからさぁ…」
と麻里はここで、少し照れ臭そうな態度をして見せると、今まで快活に話していたのとは違い、辿々しく言葉を紡いだ。
「まだ花火まで時間があるし、その…全員で写真を撮らない?せっかく今日これだけ大勢が知り合えたんだし」
と、照れ笑いながらも自分の身の回りを見渡しながら麻里は言い終えた。
そんな麻里からの提案に対して、「あはは、どっかの姫様が言ってきそうな提案だなー」と紫がチラチラと、前列に座る私に向かって意味深な笑みを浮かべながら余計なツッコミを入れていたが、それを除くと、
「いいねー!」
「やろうやろう!」
という賛成の明るい声がそこかしこから上がった。
「うんうん、良いんじゃない?」
と絵里が、ここで不意に微笑みを浮かべながら口を挟んだ。
「花火開始まではまだ時間があるけど、そろそろだってんで、人通りも落ち着いて来てるしね」
と絵里は後ろの土手上部にある遊歩道に目を向けた。
「じゃあギーさん、私はこの子達の写真を撮るから、あなたはここで荷物番しててよ」
「うん、分かったよ」
と、そのまま自然な流れと絵里が声を掛けて、義一が快く同意の返事を返すというやり取りが交わされたその時、「あのー…」と二人に麻里が声をかけた。
「あ、麻里ちゃん。えぇっと…そのマジな感じのカメラって、私でも使えるのかな?」
と絵里は、呑気な調子で合いの手代わりに質問をぶつけていたが、それには構わず麻里は少し申し訳なさそうな顔で、しかし笑顔は絶やさずに聞いた。
「いや、あのー…ふふ、出来たらお二人にも、個人的には写真に入って貰いたいんですけど」
「…え?」
と、麻里に言われた直後の絵里と義一は、二人揃って声を漏らすとお互いの顔を見合わせた。
そして「私たちも?」と絵里が続けて自分の顔を指差しながら聞き返すと、「はい」と麻里は答えた。
「そのー…お二人ともに、琴音ちゃんと裕美の友人だと聞いていたので、だったら是非一緒に入って欲しいと思ったんですけど、迷惑…ですかね?」
と、時々私と裕美に視線を流しながら麻里は聞いた。この麻里の言葉を聞いて、

…ふふ、絵里さんはともかく、義一さんは別に裕美の友人とは今のところ言えないんだけれどね。今日が実際会ったの二度目だし

と、我ながら冷めたツッコミを心の中で入れていたが、そこまで空気が読めない訳でもなかった私は、ただ事の成り行きを黙って見守っていた。
「い、いや、迷惑なんかじゃ…ねぇ?」
と絵里は麻里の言葉に照れたのか、その照れからくる参り顔という苦笑いを浮かべると、隣にいた義一に声をかけた。
かけられた義一も「ふふ、うん」と、絵里と同じ類の笑みを浮かべつつ返した。
「別に迷惑なんかじゃないけれど…君たちは良いのかい?」
と義一は一同に視線を配りつつ聞いた。
「こんな僕たちみたいな部外者が、君たちの思い出の写真に写り込んだりしても」
「…ふふ、部外者って」
と、義一の言葉のチョイスに私が一人軽くツボに入っていたその時、クスッと隣で笑みを零す声が聞こえたので顔を向けると、そこには悪戯っぽく笑う裕美の姿があった。
と、視線が合うなり裕美は私の耳元に自分の顔を近づけてきた。
「アンタの叔父さんって、やっぱりアンタとそっくりだよね?…ふふ、『思い出の写真』とか恥ずかしげもなく自然と言うんだもん」
と言うのを受けて、私がサッと軽く体を退いて見ると、裕美の顔には意味ありげな微笑が浮かんでいた。
因みにこれは別の日に、この日の思い出話をしながら出た話だったが、皆も義一の言葉を聞いて同様の感想を覚えたと報告してくれたのだった。
この瞬間の私はと言うと、特にこれといった上手い返しを思い付けずに、「そりゃどうも」と渋めな笑みで返すのみでいたのだが、こんなやり取りを私と裕美でしている間は何があったのかと言うと、「全然良いですよー」と麻里が、すっかり先程までの申し訳なさが吹き飛んだ様子で普段通りに返すのを合図に、それぞれが歓迎の言葉を絵里と義一に掛けた。
そんな反応を受けた二人は、また一度顔を見合わせたが、「そーお?」と絵里がスマなさげな笑みを浮かべつつ返した。
「んー…ふふ、麻里ちゃんを始めとする皆の気持ちは嬉しいけどさぁ…でも誰かが写真を撮らないといけないでしょ?」
「あー…」
と、絵里の言葉に今更といった感じだが皆して残念そうな声を漏らす中、麻里はと言うと、途端に意味深な笑みを浮かべ始めた。
そして、「その件なら心配いらないですよ」と絵里に返すなり、何やらすぐ側に置いてあった自分のカバンの中を探り始めた。
「…っと、これだこれだ」と、お目当ての物が見つかったらしく、そう口に出しながら出したそれを、誇らしげに自分の顔の高さまで持ってくると言った。
「ミニ三脚がありますから」

そう麻里が言い終えると、その麻里に促されるままに早速私たちはシートから立ち上がり、すぐ後ろにある遊歩道に出た。
確かに絵里が言った通りに、人が多かったのはそうだったのだが、それぞれが後は花火が始まるのをジッと待つという態勢を取っていたので、この段階で移動している人はまばらだった。
それからは、ストロボライトの真ん前に立つ、口元は緩めつつも他は真剣な様子でファインダーを覗き込みつつ、毎度の如く立ち位置の指定なりを事細やかに指示してくる麻里に私たちは従った。
…ふふ、突然のこの豹変具合に、慣れていないであろう他の皆がどんな反応をするのか、興味がありつつも半分は少し心配にして不安だったのだが、本心はともかく表情や時折口から出す言葉を聞く限りでは面白がってくれている様だった。

「えぇっと…コレをこうして…」
と、何だか手慣れた手つきで、ストロボライトが上に乗っかっている下の台に、カメラを取り付けた三脚を、これまたどこから取り出したのか丈夫そうな紐で固定していくのを、私や絵里、義一を含む皆で興味深げに眺めていた。
「ふふ、用意が良いんだから」
と、私が呆れながらも笑顔で声をかけると、「これってさー?」と紫が後に続く様に口を開いた。
「勝手にこんな感じで、カメラを固定したりして良いものなの?」
「え?ん、んー…っと」
と、固定し終えたらしく、一度ホコリを払う様に手を何度か叩くと、麻里はクルッとこちらに体を向けた。
その顔には参った様子が見えていたが、しかしどちらかと言うと、イタズラが見つかってしまった時に浮かべる様な笑顔が支配的だった。
「まぁ…本当はもしかしたらダメかも知れないけど…えへへ、それで誰かに怒られたとしたら、みんなで謝ろう」
「あはは!うんうん、そうしよう」
と、絵里が朗らかに笑いながら口を開くと、それを皮切りに私や紫を含む皆で同じ様な言葉を口々に吐いた。
それからは、「…あ、そろそろ時間も迫ってきているし、このライトも花火の時には消されるだろうから、早速撮っちゃおう」と絵里が言葉をかけてきたのに、素直に私たちは同意すると、遊歩道上で麻里に指定された定位置に各々が立った。
その間にタイマーをセットした麻里が私たちの中に混ざるなり「はいみんなー?カメラを見てポーズを撮ってねー?」と声をかけてきたので、皆に混じって私も戯けながら返事を返しつつ、チラッと後ろに視線を向けると、麻里の指示通りに絵里と隣り合って立つ義一の姿が目に入ったが、その顔にはしっかりと例の狐面が被られているのだった。
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