第7話 花火大会 Part2 中編

文字数 17,947文字

「じゃあ、後でデータをよろしくね?」
とお母さんが声をかけると、「はい」と麻里が人懐っこい笑顔で返して撮影会は終わった。
そしてそのまま、特に雑談を挟む事なく、そろそろ本当に時間だというので、「じゃあ、気を付けていってらっしゃいね?」と言う門扉の外まで見送りに出たお母さんに、
「いってきまーす」と、私だけではなく他の皆も揃って挨拶を返すと、それからは時折後ろを振り返って手を振ったりしながら歩き始めた。
隊列としては、普段とは違い私と裕美が先頭に立つ形となった。その後ろを紫と麻里、最後尾に藤花と律というフォーメーションだ。

最後に振り返ってからはすぐに雑談に入ったのだが、まず口火を切ったのは、何かを思い出した風を見せる藤花だった。
「…って、あ!そういえば、まだ琴音のレッスン部屋を見して貰ってなーい」
「…あ、あぁー」
と私はすぐに察した風な反応を示したのだが、しかし結果として中途半端な声を漏らしてしまった。
というのも、正直この手の話題は他の皆には興味の無いことだと思ったからで、深掘りしても仕方ないだろうと判断しての故だった。
だが思いの外、恐らくついさっきまでお母さんの趣味部屋を見ていたからだろうか、みんなが興味を持っている様子を見せたので、後ろを振り返ると藤花に言われた瞬間に頭をよぎった事をそっくりそのまま口にする事にした。
「…ふふ、別に今さっきじゃなくたって構わないじゃない?どうせ…今夜は私の家に泊まるんだし」

そう、前回の裕美の退院祝いをするので焼肉屋に皆で揃って楽しんだわけだったが、その時にチラッと触れた様に、どうせだったら花火大会の後は、私か裕美の家に泊まっていけば良いじゃないと、それぞれの母親が喜んで言ってくれたので、その後で簡単に話し合った結果…ふふ、今自分でバラしてしまったが、結論としては私の家に今晩は今この場にいる全員が泊まる予定となっている。
そして明日はというと、せっかくというか、漸く全員が揃ったというので、前々から予定していた地元巡りを、私と裕美がガイド役となってする事となっていた。
ついでに補足すると、だから一泊するというので、前には敢えて触れなかったが、連休がある時に頻繁に紫の家へ泊まる時と同じ様に、実は後から来た裕美を含めた皆して、それなりの荷物は携えて来ており、その荷物は取り敢えずと居間に置いておいていた。
今はそれぞれが別に持ってきていたミニ手提げバッグを持って歩いている状況だ。

「分かってるよー」
と私のマジな返しに、藤花はプクーッと頬を膨らませて見せていたが、しかしそのまま頬に詰めた空気を吹き出すと、「ふと思い出しただけだってばぁ」と無邪気な笑顔を浮かべながら続けた。
それから暫くは、住人である私の目の前で、あれやこれやと私の家についての感想を皆が好き勝手に言い合っていたのだが、それにも飽きると、話題は当たり前だがこれから観る花火へと移っていった。
その中で、お母さんはお父さんの病院の屋上で観るという話になると、初めて見たというので、そのお父さんの話という脇道へと逸れていった。
「琴音ちゃんの叔父さんは雑誌とかで見た事あったから知ってたけど、琴音ちゃんのお父さんも叔父さんに負けないくらいに格好良かったねぇー」
と麻里が何気ない調子でほんわかと言うと、「確かにー」と紫と藤花が合いの手を入れた。
そんな皆の反応を見た私と裕美は、恐らく想いは同じだったのだろう、示し合わせた訳でもないのに同時に顔を見合わせると、背後で盛り上がるお喋りの内容を耳にしつつ、どちらからともなく苦笑を漏らしあった。

因みに…ふふ、今麻里が言った雑誌というのは、以前に事前に義一から情報を聞いていた、女性ファッション誌の表紙を飾った号の事だった。
これは…ふふふ、多分私がそれだけ意識していたせいもあるのだろうが、義一が表紙を飾ったその雑誌の宣伝が、電車の中吊りやら、街のいたる所で目に入り、それだけ…うん、これは個人的には何とも称し方が難しいのだが、要はそれだけ義一の存在が世の中に知られ始めているという、その証左と言って良いだろう。
それ以前から、オーソドックスの面々なり、義一に一番近いはずの私よりも、具にネットで名前を検索しているらしい裕美から話を聞いたりして、それなりに義一の名前が世間に周知され始めているのは何となく知らされていた。
だが先月、つまりは裕美が怪我をして入院する直前という意味だが、義一が表紙の雑誌が発売されるなり、真っ先に苦笑交じりながらも同時に面白がっている様な、愉快そうな感想をくれた絵里は言うまでもなく、美保子、百合子などのオーソドックスの面々だけではなく、別に分ける必要もなかっただろうが、義一のテレビ番組でアシスタントを務めている有希も素早い反応を私にくれたのだが、このいつものメンツだけではなく、今回は裕美に止まらず「雑誌を見たよ」と他の学園組からも連絡を貰ったので、ここにきてようやく、あまり普段は社会というか世間の流れに微塵も関心が湧かない自分からしても、”良くも悪くも”と敢えて前置きをさせて貰いつつも、繰り返しになるが何となく義一の存在が世に知られてきている事を肌感覚にまで感じる今日この頃なのだった。

「…あ、焼肉屋と言えばさぁ…」
と、義一とお父さんの容姿について盛り上がっている他の皆を他所に、私たちは苦笑を浮かべあっていたのだが、不意に裕美が何かを思い出した風な顔つきと共に、声もそれに合わせて言った。
「私のせいだけど、あの時は流石のアンタでも…ドキッとしたよね?」
「…ふふ」
と、すぐに裕美が言わんとする内容が分かった私は、チラッと一度後ろを振り返り、相変わらずというか、良くもまぁ義一とお父さんの容姿や雰囲気について盛り上がれるなと変に感心しつつ眺めた後、顔を真横に戻した。
そしてまた思わず苦笑を漏らすと、「流石の私はっていうか…ふふ、えぇ、まぁね」と、その結果出来た笑みを固定したまま返した。


…うん、今裕美が振った『焼肉屋での”あの時”』の説明をしなくてはいけないだろう。
…そう、実は前に話した中では触れなかったのだが、丁度焼肉屋で花火大会の話で盛り上がりかけたところで話を区切った後で、実は内心ヒヤッとさせられる事が起こっていた。
「絵里さんも一緒に行こうよ」
と、”絵里大好きっ子”である裕美が振ると、「えぇー?」と焼肉を頬張りながら絵里は返した。
「お誘いは嬉しいけどさぁ…」
と絵里はここで一旦言葉を止めると、奥に固まる子供チームの面々を見渡してから続けて言った。
「…ふふ、私まで一緒に混ざって良いのかな?せっかくの友達同士の水入らずな場なのに」
「…ふふ」
と私は、そんな二人のやり取りを、自分は参加せずにただ微笑みながら静観していた。
そんな私を他所にやり取りは続く。
「あはは、そんな言い方がそもそも水臭いよぉー…ね?みんな?」
と裕美が皆に顔を不意に向けつつ声をかけると、急だったせいか一同は近くや向かい、はたまた遠くの人同士で顔を見合わせたりしていたが、「あはは、是非是非」と紫がまず口火を切った。
「そうですよぉー。一緒に行きましょうよぉ…ね?」
と間延び気味に幼気な口調で藤花は後に続くと、すぐ隣に顔をクルッと向けた。
「え?…ふふ、えぇ勿論」
と、声をかけられた律は、突然だったせいか咄嗟には反応を返せずにいたが、しかしそれほど間を置かずに斜め向かいに座る絵里に微笑みを向けながら返した。
「そもそも絵里さんって、私たちの学園のOGじゃないですか?」
と最後にというか、結果的に遅れて麻里が藤花に続いた。
「だったら全然部外者ですら無いですし、良かったら一緒に行きませんか?私個人としては…えへへ」
と麻里は、ふと周囲を見渡しながら言葉を続けた。
「紫たちは、琴音ちゃんのコンクールなり、学園祭などで去年は何度か絵里さんと一緒に過ごしているというのに、その…ふふ、私だけまだ除け者みたいな感じなんで、そんな自分勝手なお願いですけど、一緒に行きましょうよー」
「…っぷ、あはは」
と麻里が言い終えた直後、裕美と紫が真っ先に笑みを零した。
そしてそのまま笑みを絶やさない裕美とは違い、すぐに企み顔を作った紫はニヤケつつ麻里に声をかけた。
「あはは!麻里…あなたもすっかりお姫様に毒されちゃってるわねー?今の発言は、中々に恥ずかったわ」
「ちょっとー、からかわないでよぉ」
と参り顔ながらも笑みを漏らしつつ麻里が返すと、藤花が底抜けのよく通る声で笑い、その横で律が口元に手を当てつつ上品に笑うという二人ながらのコントラストを見せた後、他の皆も遅れて一緒になって笑いあい始めた。
「…ふふ、ほら絵里さん?」
と、今まで黙っていたのだが、しかし何となく頃合いかと、またここで自分の出番かと勝手に思った私は、最後の駄目押しと口を開いた。
「みんなもこう言っている訳だし…一緒に花火に行こうよ?」
「え?あ、う、うーん…」
と、絵里は先ほどの麻里からの”恥ずいお願い”に照れている最中だったが、また一旦一同を見渡すと、一度何か観念した風な息を深く吐くと、次の瞬間には普段通りなサバサバとした明るい笑みを顔一面に浮かべて口を開いた。
「…ふふ、まぁみんなが良いというのなら…うん!私も一緒に行かせてもらおうかな?」
「やったー」
と瞬時に裕美が喜びの声を上げたので、「ふふ、本当にあなたは、絵里さんが好きすぎるんだからなぁ」と、ここは…ふふ、自分で自分を弁護させてもらうが”敢えて空気を読まずに”ニヤニヤしながら私が口を挟むと、「ちょ、ちょっとぉー…」と裕美は案の定、嫌々そうな顔をこちらに向けてきつつ、視線だけはすぐ隣に座る絵里へ流し始めた。
そんな裕美の反応に対して、私からはただ明るい笑い声を出すのみで済ましていると、裕美だけではなく他の皆からも『やれやれ』と言いたげな呆れ笑いを一斉に貰い、その後は誰からともなく私の後に続く様に笑顔になるのだった。

…とまぁ、これだけ聞けば、何のことはない普段通りな光景だろうと思われたと思うが、肝心な話はこの直後に起こった。
「…あ、そうだ」
とまず裕美が口火を切った。
裕美はそのままニヤケ始めると、隣に座る絵里に顔を向けてボソッと言った。
「…ふふ、せっかくだし、二年前みたいに”例のあの人”を誘ってみれば?」
「えー?二年前って…あ」
「…っあ」
「おっ」
と、ふと裕美が誰のことを言っているのか同時に気付いたのだろう、絵里と私、それにヒロまでもが時を同じくして声を漏らした。
そう、その二年前に一緒に花火を観たという共通点がある合計三名だった。
突然のことだったのもあり、「ひ、裕美…」と、向かいに座る私は顔は真向かいに座る裕美に向けつつ、視線だけチラチラとテーブルの奥に流しながら口にした。
「裕美…それは…」
「え?…あ」
と、裕美も気づいたのか、私と同じ様に正面に顔を固定しつつ、やはり視線はテーブルの奥に流していた。
そのテーブル奥はというと…うん、当然そこには、この会のホステスであるお母さんがいた訳だったが、ある意味幸いというか…ふふ、”どっかの誰かさん”みたいに、初めて裕美のコーチと多く喋れるというので、初対面という訳では無かったはずだが良い機会だと、ここぞとばかりにアレやコレやと質問をしたりして盛り上がっており、…うん、端から見た限りでは、こちらには意識が向いていない様に伺えた。
因みにこの時のヒロはというと、私、裕美、そして絵里の顔をチラチラと見比べる様に目を配っていた。
さて、裕美と私、それに絵里とヒロを含めて顔を見合わせるとホッと息を吐いたのだったが、しかし事態はこれでは収まらなかった。
「例のあの人って?」
と、まさに新聞部らしいジャーナリスト精神とでもいうのか、これまた”どっかの誰かさん”を彷彿とさせる好奇心を発揮し始めた麻里が話に加わってきた。
「そ、それは…」
と、またしても私たち四人は、一体どうやって誤魔化そうかと顔を見合わせていたその時、「…アレでしょ?」と小声で、しかしハッキリ私の耳には聞こえるトーンで誰かが口を開いた。
その方向に顔を向けると、そこには紫がおり、どこか冷めた顔つきで、手に持ったグラスの中の烏龍茶をユラユラ揺らして中の氷をカランカランと鳴らしながら続けて言った。
「琴音が普段から言ってる…おじさんの事でしょ?」
と一度溜めるのと同時に、グラスの動きを止めた紫は、吊り目ガチの目元を今は薄目ガチにして、そんな目付きをこちらに流してきながら最後にボソッと付け加えた。
「あ…」
と、名前こそ出なくとも中々に具体的な単語が、紫からという私からするとまさかの人物から飛び出したのもあって…いや、個人的でもないか、私と裕美とでまたしても顔を見合わせてしまった。
と、この様に中々何て相槌を打てば良いのか答えが見つけれずに困っている中、私たち二人が言葉を発しないのを良い事に、麻里が代わりといった風で合いの手を入れた。
「あ、あー…あの人の事かぁ。最近雑誌とかで良く見る人の事だよね?…えへへ、あのメチャクチャにカッコイイ人」
「…」
…ふふ、そう、今現在通りを浴衣姿で練り歩きながら、私と裕美の後方で今だに盛り上がっている話題を、既に焼肉店でもしていたのだ。
「え、えぇ…まぁ…」
と、流石に麻里のこの何気ない世間話風な言葉に対して、何も返さないというのは、逆に不自然だろうと、特に中身の無い相槌を打っておいた。
そんな私、ついでに加えれば裕美の微妙な反応に気付いているのか、知ってか知らずか麻里はそのまま何の変化もなく言葉を続けた。
「さっきは初めて琴音ちゃんのお父さんを見たけど、メッチャカッコ良かったよねー」
「あはは、うんうん」
と、それまで肉を口に含んでいたのもあり、小柄でありながら私たちの中では一番の健啖家である藤花が久しぶりに爛漫な調子で会話の輪に加わる。
「あれ…ロマンスグレーって言うのかな?髪型もピシッて決まっていたし、背も高いからスーツ姿も決まってたよねー」
「うんうん、ホントホント」
「ふふ…うん」
と、麻里と同時に律も微笑みながら合いの手を入れる。
「えへへ、琴音ちゃんの所の家族って、みんな全員が美形なんだねー」
と麻里が続けて言うのを受けて、「ちょ、ちょっとみんな…」と流石に看過することが出来なかった私は、慌てて盛り上がりかけている場を収めようと口を挟んだ。
そして同時に、恐る恐るという調子で視線だけをテーブル奥に向けてみた…のだが、思っていたのとは違う光景がそこに広がっていた。
予想では、これだけ話が麻里達で盛り上がっているのだから、何も言葉を発していなかったのは分かっていつつも、少なくともお母さんが顔だけはこちらに向けてきながら様子を伺うくらいの事はしているだろうと覚悟をしていたのだが、実際はというと、いつの間にか大人チームの中に絵里が強引に混じって、その中で子供チームが気にならない程度の話題を提供し盛り上げていた。
具体的に簡単に触れれば、絵里は当然ながらコーチとは初対面だと言うので、さっきのお母さんの様に矢継ぎ早に質問を飛ばすというやり方で、この話にはコーチだけではなくお母さんも無理やり組み込むという、まさに強引としか言いようのないやり方ではあった。
だが、絵里が何故そうする…いや、そうしてくれたのかを知っている私だから強引に見えただけで、何の腹もなく素直に眺めてみれば、ただ普通にお喋りが盛り上がっている様にしか見えない光景となっていた。

…そう、つまりはお母さんの意識がこっちにいかない様に、絵里は自らを犠牲…っていうと、こうして実際に楽しくお喋りに講じているお母さん達に悪いかもだが、絵里がそうして機転を働かせてくれたおかげで…うん、これも本人じゃないから側から見た、しかも楽観的な物言いになってしまうのを自覚しつつ言うと、絵里の策は功を奏した様で、先にネタバレの様になってしまうが、後でも打ち上げの思い出話を母娘でよくしたものだったが、しかし義一の話が出る事は一度たりとも無かった事から察せられた。

…うん、本当に”この件”については、小学生の頃から絵里にはお世話になりっぱなしだ。普段ならこの手のイベントごとがあった日なんかは大抵絵里の方から電話が来るのだったが、この日の晩は居ても立ってもいられないと私から電話をかけた。
思いの外早く電話に出てくれた絵里と、すぐに打ち上げの思い出話に花が咲きかけたのだが、それを何とか制して、代わりに何度も機転へのお礼を言ったのは言うまでもない。
…ふふ、アレだけ普段から「もうお父さん達に、義一との関係がバレてもいい」だなんて強気の事を言っているというのに、日和っているじゃないかと思われていそうだが、まぁ…うん、確かに日和ってしまったのは何も言い返せない。
ただ…ふふ、それでも敢えて言い訳というか、一言だけ言わせてもらえれば、何の心の準備もなく突然、お母さんが同じ空間にいる中で義一の話題が出たというので、昔からの習慣が故か、まず場を収めることを第一に考えてしまったのだった。
バレたって良いと常日頃から考えていたとしても、バレたその時にどんな空気がその場に流れるのかくらいは容易に想像が付いたのもあり、何も裕美の退院祝いの席で、微妙な空気を作るのは場違いにも程があるだろうと、そんな風に考えたのも大きかった。
まぁ…うん、この話の発端は裕美からではあった。それを自覚したためか、私が絵里にお礼の電話をかけたように、その日の晩のうちに裕美から電話がかかってきた。
その電話をかけてきた理由とは、「あの時に何も考えずに、アンタのおじさんの話題を出しちゃってゴメン」といった内容だった。
「アンタのお母さんが側にいるのをつい忘れてて…いつものノリでついつい口走っちゃった…」
と、電話なので表情なりは当然ながら分からなかったが、もうそれなりに長い付き合いになるので、その声色からどんな顔で声を発しているのかくらいは直ぐに想像がついた。
…うん、これには私の人間性がまだ未熟だったためか、咄嗟には何も返せなかったのだが、この時…いや、常に思っている私の心情からすると、謝られる謂れなど微塵も無いと本当は直ぐにでも返したかったのが本音だった。
本来だったら…うん、この場だから素直に、私個人からすると寂しい、しかし事実を述べれば、私と出会わなければ、少なくとも私がこんな面倒事を抱えていなければ、自分とは全く関係が無い内緒事を持たなくて済んだはずなのだ。
流石の私でも、そんな厄介ごとについて…うん、これは裕美だけではなく、この場で言えば絵里にしても、それに…うん、ヒロにしても巻き込んでしまった負い目というか引目を常日頃から感じていた身としては、むしろ謝りたいのは自分の方だったし、今までも危うい事が私の知らないところであっただろうに、結果として見ると今だに洩れていない時点で、あの二年前の夏、今回の様に花火大会を観に行って、その帰り道、街灯が少ない為に薄暗い裏路地の中で立ち止まり、不意に思い立って私から話した事、そして約束をしてもらった事を守ってくれていることに対して、感謝の念しか無かった。
…とまぁ、そういう訳だったが…ふふ、これも流石に私と言えど、この心情をそのまま吐露するのは”恥ずすぎた”ために、この時は何度も冗談調で「気にしないで、大丈夫だったから」と返すのだった。
…さて、言い訳と共に少し話を先走ってしまったので、慌てて少し戻すとしよう。

そんな絵里の機転のおかげで、この場は無事通過となった。
この後焼肉屋を後にした私たちは、…ふふ、アヤツと言えどやはり受験勉強をするというヒロと、クラブに戻ると言う裕美のコーチとはお店の前で別れる事となった。
お互いに挨拶をし合うと、そのまま二次会として駅近のショッピングモール内にある、そう、よく私や裕美、それにヒロや朋子、千華に翔悟と一緒に入る喫茶店へと、残りの十名で向かった。
平日の夕方という中途半端な時間帯のおかげか、店内は普段に比べれば空いている方だったが、しかしそれでも私たち全員が座れる様な空間はどこにもなく、結局は大人チームと子供チームとで分かれる事となった。
因みに大人チームには絵里も加わった。
店内に常時流れているBGMや、それなりにその他の客が発する話し声などのお陰もあって、お互いの話し声が聞こえない距離に場所を確保して座ると、初めのうちは焼肉の感想に始まる雑談がスタートしたのだが…うん、ついさっき反省したばかりだというのに、これまで話してこなかった事を今更ながら思い出したこともあって、それに対するある種の罪悪感を感じながらも、それでも言わざるを得ない…と、それなりに自分なりに、ついさっきというのもあって場当たり的なのは否めないながらも話す事に決めた。
「…ちょっと、良い…かな?」
と私が口を開くと、この時点で何か普段と様子が違う事を察してくれたのだろう、それまで和かに会話していたというのに、皆が皆同じ様に笑顔ではいつつも目は真剣味を帯びせ始めた。
そんな皆の視線が自分に集まったので、一瞬怖気付きそうになりつつも、しかし乗り掛かった船だと、何の前置きもなく義一のことについて簡単に話し始めた。

内容としては、今言った様に本当に簡単な事で、これまでにも軽くには触れた事はありつつも、それよりも少し深めままで今回は話した。
私が今まで生きてきて、義一というお父さんの弟、つまりは叔父さんの家に通っては、様々な議題で議論、会話を交わしてきて、その結果としてどれ程の影響を如何に受けてきたのか、普通に生きていたら身に付かないような、一つのジャンルに留まらず、色んなジャンルを横断していく様な多岐に渡る知恵を授けてくれてきた事などなど…うん、自分としては、まぁ色んな意味で仕方ないとはいえ、義一という人間は、みてくれが良いだけではなく、むしろ中身が今生きているどんな人間よりも…うん、少なくとも私が知る人間の中では一番純粋にして沢山の価値ある宝物がギッシリと中に詰まっていると、世間では見た目ばかりが持て囃され始めているらしいので、それに抗いたい気持ちを強く持っていたのもあり、ついつい熱く語ってしまっていた。
『今述べた様な理由だけではなく、他にも語り尽くせない事が沢山あるんだけれど…要は、現代という今において、他には中々お目にかかれないという意味で、掛け替えの無い、「私個人的な想いだけではなく、今の時代にとっても失うのがとても、”いと”惜しい」という本来の意味での”愛おしい”存在が義一なのだ』
…とはまでは、ふふ、流石の私でも恥ず過ぎて、ここまでは言えなかったが、しかしこの場では素直に言えるので続けて言えば、これが率直な、義一に対する素直な想いだったので、それを直接口にしなくとも、そんな心情が滲み出る様に意識しながら、一応店内は程よく騒ついていてくれたお陰もあって、遠くに座るお母さん達には聞こえない事は分かっていつつも、一応大きな声は立てない様に注意しながら、しかしそれぞれの耳にキチンと届く様に滔々と話し続けた。
その間、私の横顔を『話して良いの?』と言いたげに見つめてくる裕美に気付きつつだ。

私の話を、先ほどまで明るくふざけあいながら雑談を楽しんでいたというのに、今ではそれぞれが真顔に近い顔つきで、途中で茶々を入れる事もなく皆は最後まで聞いてくれていた。
だが、私が話し終えて少しばかり間が空いたかと思った次の瞬間、小さく微笑をこぼす者がいた。
私だけではなく全員で顔を向けると、個人的には少しだけ意外だったのだが、その主は藤花だった。

「ふふ…って、あ、ゴメン。別に笑うつもりは無かったんだけど」
と、不意に自分に注目が集まったせいか、バツが悪そうに苦笑いを浮かべていたが続けて言った。
「いやさぁ…ふふ、琴音がこんな風に、誰かのことを熱く語るなんて滅多に無いからね。せいぜい琴音のお師匠さんについてか、それともなきゃ絵里さんについてくらいだもん」
と藤花は、チラッと遠くでお母さん達と座る絵里の姿に視線を流しつつ言った。
「…確かにねぇ」
と今度は紫が口を開いた。紫は藤花に同意してから私に顔を向けてきたのだが、その顔には普段通り…とは少しだけ趣の違う…うん、違いながらもやはり紫印の企み笑顔が浮かんでいた。
「前にさっきまでいた森田君も、いつだったか雑談した時にも言ってたけど…ふふ、『人嫌い』って森田君は言ってたけど、私からするともう少しマイルドに言えば『人間にあまり興味がない』のが琴音ってイメージだったのに…ふふ、もしかしたら、自分の師匠の時や絵里さんの時よりも、もっと熱く語るんだもんねぇ…あはは、琴音には悪いかもだけど、普段を知ってる身としては、急にこんな風に熱く語られると、そのギャップが大きいから藤花みたいに思わず笑っちゃうのも仕方ないよ」
と最後にニカッと笑う紫に対して、
「…もーう、好き勝手な事を長々と言ってくれちゃって」
と私は目を細めつつ愚痴っぽく返したのだが、しかし口元はニヤけてしまっていた。
うん、確かに急にというか、自分でもついつい熱く義一について語ってしまった事は自覚していたのもあり、藤花や紫からの指摘にはぐうの音も出ず、それでも何か返さなきゃと思っての苦肉の策が、この様な反応となって表れたのだが、そうしながらも心の中では、また周囲が見えずに身勝手に突っ走ってしまったかと軽い反省をしていたのに、みんなが心広く真面目な雰囲気になり過ぎない様に注意してくれつつ話を聞いてくれた事には感謝をしていたのだった。

因みにどうでも良い…と言っては悪いかもだが、紫含む皆がヒロを呼ぶ時は『森田君』で統一されていた。
これは裏でそんな取り決めがあったのかどうか、そこまでは私自身は知らないのだが、裕美がヒロの事を恋愛的な意味で好きだと知った今となっては、その裕美が『ヒロ君』と呼んでいるのに、自分たちも同じ呼び名なのはどうなのよ…という考えが共有されたためか、それ以前は裕美が雑談の中でヒロ君と呼ぶために、森田君とヒロ君と”ないまぜ”に口にしていたというのに、今では森田君と呼び名は統一されていた。

さて、それからは私の”人間嫌い”…ふふ、もとい『如何に私が人間に興味がないか』について、私という当人が目の前にいるというのに、過去の経験からこの手の事では気を遣わなくても良いと知っている皆は、少しの躊躇も無く普段から自分も感じていたと、それぞれが堰を切った様に口々に話し始めた。
それを聞いていた私はというと…ふふ、そんな勝手に色々と目の前で言われていたというのにも関わらず、それぞれが独自の視点で話してくれるのを聞いて、とても興味深く面白いあまりに、当初はうんざり顔か少なくとも呆れ顔でいようと努めていたのだが、しかし結局は顔が緩んでしまい一緒になって笑ってしまうのだった。
一つだけ具体例を述べると、『自分たちがいくらファッション誌なりその他の雑誌やネットで検索した画像で色々俳優やモデルなりの有名人の話題を振っても、それなりに話には乗ってきてくれるのだが、しかし他の同年代の子達とは比べ物にならないくらいに温度差がある』…と感じて、何故かを軽く考えた結果、『琴音は人間にそもそも興味がないから、芸能人ネタとかにも食いつかないんだ』と結論が付いたと、これは紫と麻里が話していた事だったが、これを受けて『なるほどなぁ…』と自分には無い視点だったのもあり、心の中だけではなく実際に口に出して妙に感心して見せていた。

と、そんな風に自分とは意図しない方向で、自分でも何が本題だったのかを忘れかけるくらいに、隣に座る裕美から時折冷ややかな呆れた視線を感じつつ盛り上がっていたのだが、「…ところでさ?」と不意に紫に話しかけれた。
「急になんでまた、あなたの叔父さんの話をし始めたの?」
「…え?」
と、そう言う紫の様子が、大袈裟に聞こえるかもだが何やら問い詰めてくる様な、そんなグイグイくる感じを受けたために思わず聞き返してしまった。
そんな私の反応に対して、紫はジッとこちらの様子を伺う様に見つめてきたので、必然と私からも見つめ返してしまったのだが、「なんでー?」と、私からしたら空気を読んでくれた様に、藤花が間延び気味に紫に続いてくれたお陰で、程よく力が抜けた私は、一旦紫から顔を逸らすと一同を見渡してから口を開いた。
「え、えぇ…。えぇっと…ね?みんなには一つだけお願いと言うか…うん、したいと思って…ね?」
「お願い?」
と、紫含む皆が声を揃えるように聞き返した。
「えぇ」と私は頷きながら返して続ける。
「急に言われて戸惑うだろうけれど、なるべくさ、お母さんがいる前で、そのー…義一さんの話題を出さないで貰える…かな?」
「…なんで?」
と、またしても殆ど間を置かずに紫が突っ込んできた。
顔を見るとやはり、さっきまでの企み笑顔はどこへやら、どこか真剣味のある、何か探ってやろうという意図が見え隠れしているような、そんな表情をしていた。
そんな紫からの想定外な”圧”に対してタジタジになりそうになるのを、何とか普段通りに居ようと私がしている中、「なんでー?」とまた紫の後に続く形で藤花が呑気な声色で言った。
「うんうん」と麻里が後に続き、コクコクとやはり声は出さないが律も大きめに何度か頷いているのが見えたので、取り敢えず紫は置いといて私は口を開いた。
「何て言えば良いのかしらねぇ…?ふふ、裕美は長い付き合いなのもあって既に知っているんだけれど、その…うん、まぁいわゆる”家族の事情”ってやつよ。…面倒なね」
と前置きを置いてから、私は滔々と説明を始めた。
内容としては…うん、要は、両親…というよりも特にお父さんが弟である義一とかなりの不和で、お母さん達の前で不用意に義一の話題を出しちゃうと、その場が微妙な空気になっちゃうから…
「…みんなには面倒をかけちゃうようだけれど、そういうわけだから、あまりお母さんとかがいる前では、その…義一さんの話題はなるべく出さないように、頼める…かな?」
「…」
と私が言い終えても、しばらくは誰も口を開かなかったが、「…ふふ、私からもお願いだよ」と裕美が苦笑交じりに口を開いた。
それに驚いて顔を向けたのだが、そんな私に対してはクスッと小さく微笑むだけで、またニヤケ顔に戻ったかと思うと、裕美は皆に向かって続けて言った。
「私も昔に琴音から今みたいな話を聞かされてね?急だったから頼むって言われたって、すぐには納得がいかなかったんだけど…ふふ、でもさ?確かにどの家庭でもというか、こんな手の話はよくあるよなぁって思ったら、別に自分に被害もないし、これくらい構わないって思って今まで頼まれるままにしてきたんだよ」
「裕美…」
と思わずその横顔に向かって名前を呟いてしまったのだが、「確かにねー」と相槌を打つ藤花に遮られてしまった。
「私のところは、そもそもそんなに親戚同士で付き合いが無いから、実感としては無いけど…うん、そんな話はあるんだろうなって分かるよ」
「…ふふ、そうだね」
と藤花に律が同調した。
「二人とも…」
と私がまた思わずといった調子で声を掛けかけたその時、「まぁ…そっか」と紫が溜息交じりにボソッと呟いた。
その瞬間は見れなかったのだが、私が見たその時には、先程までの冷めた真顔はどこかへ消えてしまっており、代わりに諦め顔に近い呆れ笑いがその顔には浮かんでいた。
と、私と視線が合ってからも、その表情に変化はなく、紫はそのまま続けて言った。
「まぁ…うん、いくら兄弟だからって、全部が全部仲が良いとは限らないだろうし、そんな事もあるよね…うん、分かったわ。琴音、あなたがそう言うのなら…しょーがない、もう既に知ってるって言う裕美もずっと納得して今まできたって言うんだし、その裕美にも免じて私もなるべく、あなたのお母さんとかがいる前では叔父さんの話はしないようにするよ」
「紫…ありが」
と、さっきまでの不審がっていた様子を見ていたために、尚更今のような言葉が意外とともに嬉しかった私がお礼を返そうとしたのだが、「私もー」とまたしても…ふふ、こう言ってはなんだが呑気な調子で後に続く藤花に遮られてしまった。それにまた続くように律も微笑で頷く。
と、ここまで静かだった麻里も口を開いた。
「うんうん、琴音ちゃんがそこまで言うんだし、私だって口外しないよ。…えへへ、こう見えて新聞部だしね?貴重な取材対象である琴音ちゃんが嫌がるような事は、ジャーナリスト精神に誓ってオフレコにするよ」
と妙に胸を張って言うのを受けて、麻里の言葉によって益々場の雰囲気が、元の和やかなものへと戻っていくのを肌身に感じた。
そう感じながら「…ふふ、あなたの過去の行いから考えるに、今の言葉にあまり信用ならないんだけれど?」と嫌味っぽく、しかし悪戯っぽく笑いながら私が言うと、「あ、ひっどーい」と麻里が大袈裟に拗ねて見せつつボヤクのを最後のきっかけに、紫や裕美を含めた全員で和かに後はまた過ごす…という、これまた長い回想を述べてしまったが、とまぁ焼肉屋から続く義一関連の経緯があるのだった。
学園組を駅の改札口まで見送ると、絵里と先に別れて、次に裕美たちとはマンション前で別れてその日は終わった。
その後はいつも通りに母娘の二人で夕食を摂ったのだが、正直そうは言っても、喫茶店での私たちのやりとりが、もしかしたらお母さんの耳にまで届いていないか、少しだけ不安に感じていたのだが、さっきもチラッと触れた様に、食べながらの雑談では義一の”ぎ”の字もお母さんの口から発せられる事はなく、ホッと安堵するのだった。
そしてこれまたいつも通りに夕食後も軽く二人で雑談しながら過ごすと、寝支度を済ませて早々に自室へと引き上げて、その後で早速絵里にお礼の電話をかけたのは、これまた既に触れた通りだ。
その時にも話した通り、大丈夫だったかと聞かれたので、お陰様でと返すと、そのまま流れで二次会で行った喫茶店内で、初めて裕美以外の皆にも義一と私たち家族との微妙な関係を説明した事も話した。
そして、どうかなるべくお母さん達の前で義一の話をしないでくれと頼み、それぞれがぞれぞれなりに納得してくれて約束してくれた事を話すと、「前から知ってたけれど、皆…良い子達だね」と絵里が優しい口調で言ってくれたので、私からも強く同意を返すのだった。

…さて、長い長い回想パートもここで終わり、ようやく現在に戻る事にしよう。
裕美は初めのうちはおちゃらけつつ言いこそしたが、しかしすぐにその笑顔に影を差し込んだかと思うと、
「あの後で何かおばさんに聞かれなかった?」
とテンションも低めに、こちらの顔色を伺うように聞いてきた。
そんな裕美に対して、内心は慌てていたのだが、しかしそのまま表に出すと余計に変な雰囲気になると判断した私からは、「えぇ、大丈夫だったわ」とニヤケ顔を作りながら、飄々とした調子で返した。
それに対して、ホッとした顔つきで裕美が何かを返しかけたのだが、その時、「…っお?おーい!」と前方から誰かに声をかけられてしまったために、裕美も口を閉じる結果となった。
その声はガサツながらも、やけに通る声だったせいで、私と裕美だけではなく、ここまでずっとお喋りで盛り上がっていた後方の紫たちまでもが途端に口を閉ざすほどだった。
それから皆して前方に視線を送ると…うん、思った通りというか予定通りというか、そこには何の驚きもない人物が立っているのが見えた。…ふふ、紹介するのも面倒だが、ヒロだ。
私たちは家を出てからは、まず駅前へと足を向けて歩いていたのだが、その理由はというと見ての通りで、駅の側の一軒家に住んでいるヒロの前が第二の待ち合わせ場所と事前に予定されていたからだった。
ヒロは珍しく、一丁前に浴衣に身を包んでいた。先程のお母さんと同じ小紋寄せで、黒に近い紺というシンプルな浴衣だったが、んー、まぁ…ふふ、私の口からはあまり言いたくないが、普段を知っているというのもあり、その前提の上で第一印象を素直に言えば、んー…うん、まぁそれなりに一応ヒロに似合っていた。
二年前…というか、それ以前の小学生時代から、こういった花火大会などでは稀に浴衣を着てくる事があったのだが、どちらかというとその二年前と同じで普段着での参加が圧倒的に多かった。
なので、正直浴衣姿で立っているヒロを見た時は、他の皆も違う意味で驚いていたのだが、私は私でその意外性に驚いていた。

「おっせーよぉ」
と、開口一番にヒロはスマホに目を落としながら愚痴っぽく言った。
「こんな暑い中で待たせやがって」
「えー?」
と私はすっとぼけた顔つきを作ってから手首の時計に目を落とすと、時刻は五時を少しばかり過ぎた辺りを示していた。
それを確認すると、私は顔をヒロに戻して、自分も負けじとジト目を向けながら返した。
「…って、たかが五分くらい遅れただけじゃないの?」
「おいおい…」
と私の言葉を受けたヒロは、途端に苦笑いを浮かべ始めた。
「たかがって、あのなぁ…そういうのは、待たされた俺が言うべきセリフじゃないのか?お前が『遅れてごめん』って言った後で、『いやいや、遅れたっつっても五分くらいだから大丈夫だぜ』みたいな」
「じゃあ大丈夫なのね?」
と私が飛びきりの満面な笑みで敢えて食い気味に返すと、「そういう話じゃなくてだなぁ…」と苦笑いをますます強めるヒロという、そんな私とヒロの妙な軽口の言い合いに、裕美を含む皆は笑顔で眺めていた。
ヒロが開口一番に余計な事を口にしたせいとは言え、こんないつまでも軽口を言い合っていても、他の皆に迷惑じゃないかと一瞬思いこそしたのだが、そんな風に面白がってくれてる風な顔を各々が見せてくれていたので、もう少しだけ続ける事にした。
「どうせあなたの事だから、待ち合わせ時刻である五時よりも、五分か十分くらい早めにこんな炎天下の中突っ立っていたんでしょう?」
と私が顰めっ面で夕焼けに染まる空を眺めつつ、呆れ口調で聞くと、「なんでそんなにウンザリ気なんだよ…」と自分からもお返しと、ヒロも呆れながら乾いた笑いを漏らしつつ言った。
「そうだよー?」
とここでようやくというか、これまで何に見惚れて口を挟むのに遅れたのか”敢えて”知らないと言っておくが、裕美がやっとヒロに助け舟を出した。
「むしろ良い事なのに…ふふ、そんな溜息交じりに言う事じゃないでしょうが」
「あはは、流石裕美、良いこと言うなぁー」
とヒロはなりふり構わず裕美からの助け舟に乗り込んだ。
それに対して私からは、二人を薄目を使って見比べる仕草をするのみで留めていると、それまで中々口を挟む機会が無かった他の皆が口々にヒロに声をかけ始めていた。
内容としては、久しぶり…というほどでも無いのだが焼肉屋以来久しぶりだねというのと、後は浴衣姿を褒めるというものだった。
「お前らも全員浴衣似合ってんな。良い感じだぜ」
と、字面では頭が足らない何も考えずに発した様にしか見えない言葉使いだったが、しかし実際は、これまた昔から変わらない悪ガキ特有のニカッとした裏の無いのがアリアリとしたガキ大将スマイルと共に口にしたのが効果あったようで、普段は女子校に通っているせいもあってか、言われた皆はそれぞれがぞれぞれなりに軽く照れて見せつつも、各々がヒロにお礼を返していた。
そんな”良い意味で”微妙な空気になったのを愉快げに眺めていた私は、そろそろ頃合いかとヒロに話しかけた。
「んー…ふふ、確かにヒロにしては”やるわね”。…うんうん、頑張ってるじゃない?やるじゃん!」
と、初めのうちは顎に手を当てつつ品定めするような目つきで全身を眺めていたのだが、一度大きく頷いてから意味深な笑顔に顔つきを変化させて不躾に言い切った。
「お、おう…?」
と、こんな物言いだったのにも変わらず、初めのうちは何故かヒロが照れた様子を見せたので、それを見た私もふと、いつだかのコンクール決勝の時と同じ様な不思議な感覚に襲われて、心中穏やかでは無かったのだが、少し遅れてやっと私の言い方が引っかかり始めたらしく、ヒロはまたウンザリ気な顔になると口調も合わせて言った。
「…って、お前なぁ…一応褒めてくれたんだろうが、もう少しこう…言い方どうにかならなかったのか?」
「…あら?」
と、ヒロがようやくいつも通りに戻ってくれたおかげで、私も普段の調子を取り戻すと、蓮っ葉な調子でツンと返す事にした。
「せっかく褒めてあげたというのに、その言い方にケチつけるだなんて…ふふ、一体どんな根性をしているのよ?」
「おいおい…あのなぁ」
と、これまた毎度お馴染みの声のトーンと言葉で返してきたヒロに、もう聞き飽きているはずなのにケラケラと私はただ笑って見せていると、その時裕美がオズオズとヒロに声をかけた。
「まぁ琴音はともかく…うん、そのぉ…」
と裕美は、行動としては先程の私と同じ様に、一度ヒロの全体を眺めまわしていたのだが、満足するまで見終えると、少し顔を俯きながら口を開いた。
「…うん、ヒロ君、その…浴衣、似合っているね。…うん、凄く似合っているよ」
と小声ながらも、相手にきちんと伝えたいと言う意思がその口調から伝わってくる様だった。
「そ…そうか?」
と、流石の”にぶちん”であるヒロであっても、こんな裕美の情感の篭った言葉に何かを感じたらしく、初めのうちは狼狽えて見せていたのだが、しかしそんな自分を誤魔化す様に…ふふ、ヒロは妙にテンションを上げながら口を開いた。
「そうそう、琴音、こうやって人を褒める時には言うんだぜ?」
と私に呆れ顔で偉そうに講釈を垂れた後で、私からの返答を待たずに、ヒロはまた顔を裕美に戻した。その顔には自然体にして穏やかな表情が浮かんでいた。
「そのー…ありがとうな、裕美」
とヒロは裕美をお返しと一度眺めてから続けて言った。
「…裕美、お前も似合っているぜ」
と少し照れ臭いのか、ソフトモヒカンだと言う頭をガシガシと掻きながら、無邪気な少年の様に笑顔でヒロが言うと、裕美は見る見るうちにまた頬をほんのりと赤く染めていきながら、さっきよりも増して顔を俯けた。
「あ、う、うん…ありがとう」
と、視線は合わせようとしていたらしいが、まだ若干俯いていたせいで結果的に上目遣いになってしまいつつ裕美がお礼を返し、それに対してあっけらかんと明るく笑い飛ばすヒロという二人のやり取りを眺めていた私は、少し後ろに立って固まっていた紫たちに顔を向けると、どちらからともなく微笑み合うのだった。

…さて、この後へと話をすんなりと向かわせる為に、少しばかり補足というか、つい先程ボカしていた、何故ヒロの家の前で待ち合わせをしたのか、それについて触れたいと思う。
…とは言っても、こんな一々場を設けるほどの理由は別になく、極めて簡単な事情ゆえだった。
というのも、ただ単純に次の待ち合わせ場所というのが駅前だったからだった。
それから少しばかり雑談を楽しんでいた私たちだったが、ふと時計に目を落とすと、ボチボチ次の待ち合わせ時刻が迫ってきていたのに気付いた私は、皆にそろそろ行こうかと促した。
その言葉に対して、「さすが私たちのリーダーだわ」と紫達からの余計な一言、「お前って、姫だけじゃなくてリーダーでもあんのか?」と呆れ笑いを浮かべながらヒロが聞いてくるという要らないやり取りが間に挟まったが、しかし行動としては素直に従ってくれて、「この子達が勝手に言っているだけよ」と後ろに固まるニヤケ顔の紫達に薄目を使いながらヒロに返すと、それからは私が先頭に立って隊列は駅前へと向かうのだった。
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