訪問指導その①

文字数 2,277文字

猛暑日が続き辛かったであろう夏の終わりを迎え、生後5ヶ月のP氏は益々元気だ。
元気なのは良い事なのだが、元気が過ぎると良くない事も目立ってくる。

噛み癖と要求吠えだ。

先にも記した通りに、アドバイスを受けながら自分達なりにしつけを続けてきたのだが、一向に改善の気配が見えなかった。
噛み癖も最初は全く痛くなかった為"甘噛み"と呼んでいたが、成長に伴い噛む力も強くなってきた最近では痛いほど噛まれる時もしばしばある。
迎えたばかりの頃はほとんど無かった要求吠えも、少しずつ知恵がついてきた為か日に日に増えてきた印象があった。

誰かが怪我をする前に、近所の迷惑になる前に、早急に手を打つ必要があると考えた僕達は、ドッグトレーナーさんにお願いすることにした。
早速、市内のしつけ教室関連のサイトを探った結果、訪問指導をしてくださるトレーナーさんに依頼する事にした。
しつけ教室へ通って指導をうける事も考えたのだが、ただでさえ好奇心旺盛なP氏が知らない場所に行って、知らない先生に会ったら大興奮する事は目に見えていた。
しかも、僕達が望んでいるのはコンテストに参加するような技の習得ではなく、あくまでも日常生活に必要なマナーの習得だった。その為にも、普段P氏が生活している環境を見てもらった上で指導を受けた方がいいと考えたからだ。


予約の電話の際、現在のP氏の簡単なプロフィールと困っている事を伝えておいた。

そして迎えた訪問指導当日。

予想した通り、部屋に入って来た先生の顔を見た瞬間からP氏はケージの中で大興奮だった。我が家に子ども達の友達以外でお客さん来る事は滅多にないからだ。
「もう出していいですよ」
先生は顔を合わせた矢先、P氏をケージから出して一緒に思い切り遊びはじめた。ただ遊ぶのではない。“思い切り”遊ぶのだ。撫でたり、ひっくり返したり、おもちゃを使ったり、それまで僕達がしたことがあるような遊び方を“思い切り”していた。
遊びながら、さっそくP氏は先生を甘噛みし、僕達がこれまでの経緯を改めて説明すると先生はこう即答した。

「この子には、そのやり方は効かないと思います」

居合わせた家族全員が「え?」となった。
一緒に遊びながら、先生はその数分間でP氏の性格を掴んでいた。そして、そんなP氏に効果的なしつけの仕方も。

プロフェッショナル。

言葉で言ってしまうのは簡単だが、実際にそれを目の当たりにした時、僕はとにかく驚いた。
数えきれない程の犬達と接して来たのだからそれは当然の事かもしれないが、素人の僕には2ヶ月経っても掴みきれていないP氏の性格を先生はしっかり掴み、癖を見抜いていた。
これまで、僕達が実践してきた“無視作戦”が効かないということは、おそらくP氏は意味を理解出来ていないだろうとのことだった。

噛む→無視(立ち去る)

もちろんこれで効く子も居るのだそうだが、遊びたい感情が強すぎて噛んで来るP氏の場合、もっと直感で分かりやすく教えた方がいいとのこと。つまり“噛ませない”ように(噛めない態勢に)するのだそうだ。
噛んできたP氏を仰向けに寝かせ、両手を首元に添えて“噛めない態勢”を作る。その態勢のままもう一度手を口の前に出して、噛んできたら「ブっ!」と低い声を出す。噛まずに舐めてきたら思い切り褒めてやるのだそうだ。

大切なのは噛むという間違いを叱る事よりも、噛まないという正解を教えてあげる事。

言われてみれば、その通りだ。
僕達は、これまで噛んだP氏に対して行動していただけで、P氏に何が正解なのかを教えていなかった。
先生は更にこう言った。

「まず大切なのは信頼関係です。信頼関係が出来ていなければ、褒めるも叱るも効きません。それは人間と一緒です」

他の家族はその時どう思ったかわからないが、僕は衝撃を受けすぎて落ち込んでいた。
目の前で汗を流しながら全力でP氏と遊ぶ先生。それにつられるように全力で遊ぶP氏。同じリビング、同じおもちゃを使っているにも関わらず、それは全く違った遊びに見えた。

「メリハリをつけてあげる事も大切です。遊ぶ時は遊ぶ。休む時は休む」

先生がそう言って抱っこしていたP氏を解放すると、P氏は自らケージに戻り、水を飲み、そのままケージ内で休憩し始めた。自分からケージに戻る事など、僕はほとんど見たことがなかった。つまり、それがP氏の「僕は満足しました」のサインだった。

その後も、要求吠えの事をはじめいろいろアドバイスと次回までの宿題をもらい、初回の訪問指導は終了した。


その後しばらく、僕は落ち込んでいた。
噛んでしまうのはP氏本来の持つ癖なのだろうが、それを直せないのはP氏の性格に原因があるのだと思っていた。ところが、先生のアドバイスを聞いてそれを直してやれていない僕達の接し方にも原因があったと知った。
P氏にちゃんと良い事、悪い事を伝えられていなかった。
信頼関係を作れるほど全力で遊んでいなかった。
P氏はちゃんと僕達を見ていたのだ。きっと先生がP氏と一緒に生活すれば、あっという間にP氏はいわゆる“できる犬”に変わるだろう。
P氏の“実力”を引き出してあげられていない自分が悔しかった。

変わらなけらばいけないのは、僕達の関わり方の方だった。

その日から、僕たちは“ながら”でP氏と遊ぶのをやめた。短い時間であっても全力で遊び、噛んだら噛めないようにひっくり返し、舐めたら褒める。とにかくそれを徹底し、次回の訪問指導を待つことにした。
甘噛みが減る事ももちろんだが、P氏との間により信頼関係が築ける事を願って。



↑ケージ内でのP氏のベスポジ


つづく。







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