第4話 もう一人の『戦友』

文字数 6,141文字


「あら、これって同窓会のお知らせだわ」
「高校の? それとも製菓学校の?」
「ううん、小学校」
「へぇ……そうか、シズカが小学校を卒業してから十五年になるもんな、ちょっと区切りがいいし、二十年となると子育て真っ最中とかで集まりにくくなりそうだしな」
「でも横浜なのよねぇ」
「そりゃ小学校の同窓会だからな、地元でやるのが普通だろ? 中華街かどこか?」
「ううん、学校だって……あ」
「どした?」
「来年校舎が建て替えになるんだって」
「なるほどな、それもあって同窓会か、行ったら?」
「ちょっと遠いなぁ」
「なんだよ、実家があるんだから里帰りも兼ねられるじゃないか、しばらく帰ってないだろ?」
「でもシズエが……」
 ヒロシとシズカの間には三歳になる娘、シズエがいる。
「同窓会は何曜日?」
「え~と……土曜日だわ」
「なら大丈夫さ、俺がいるからね、もう乳飲み子じゃないんだし、一晩くらい泊まって来たらいいよ、それに静岡と横浜なんて近いもんだぜ、新幹線でひとっ走りさ」
「ヒロシさんはその割に帰ってこなかったけどね」
「あ、まぁ、それはそうかも……でも入社したての新人って、憶えなきゃいけないことも多くて忙しいんだぜ」
「わかってる、確かに三年目くらいからはちょくちょく帰ってきてくれたもんね」
「だろ?」
「行こうかな、同窓会」
「ああ、行っておいで」

 そんなわけで、シズカは十五年ぶり、と言うか卒業して十五年経って初めて開かれた小学校の同窓会に出席した。
 
 子供の頃六年間通った小学校、そんなに古くなっているようにも思えないのだが、実際は築五十年以上経っていて、耐震改修を見積もったら建て替えたほうが良いという結論になったそうだ、そのあたりの事情は案内状に同封されていた。
 
「ああ、懐かしいなぁ」
 懐かしい校門を通り、昇降口のガラス戸を開けるとなんだか懐かしいにおいがする。
(そうそう、この匂い、頭は憶えてなくても鼻が憶えてる……)
 そして下駄箱を見るとその頃の自分や友達の姿が浮かんで来る……。

(今日遊べる?)
(うん、いいよ、いつもの公園?)
 仲が良かったけどクラスは違っていた友達と遊ぶ約束をしたのはこの昇降口。
(や~いや~い、おとこおんな)
(何よ! 何か文句あるの? あ、こら、逃げるな~)
 ちょっと生意気で男勝りだったシズカはよく男の子を追い回した、それもこの昇降口だ。
 そして、あの日……結果的に運命の人と出会ったバレンタイン・デー、下駄箱に上履きを投げ込むようにして走り出た昇降口でもある。
(ホント、泣きそうだったけど涙見せたらバレちゃうと思って我慢してたな……あの公園まで……)
 
 友達と出くわす心配がない丘の上の公園で、ブランコにでも揺られながら思いっきり泣こうと思っていたのだが、なんと先客がいた……それがヒロシだった。
 どうしてなにもかもが上手く行かないの? となんだか無性に腹が立って手にしていた手作りチョコをゴミ箱に投げ込んだら、ヒロシがそれを拾い上げ、代わりに調理実習で作らされたのだと言う不恰好な手作りチョコをくれて、交換して食べ合った。
 そして、『俺たちはいわば戦友だろ?』と言われた。
 その時、シズカは四年生、ヒロシは高校二年生、当然恋愛の対象と見てもらえるはずもなかったのに、ヒロシに言わせればそれからずっと『ズルズルと』続いて、『相対的な年の差』を縮めて行った。
 つまり十歳と十七歳なら年の差1.7倍だけど、二十歳と二十七才なら年の差1.35倍と言うわけ、そしてその差が1.3倍まで縮まった十二年後に、『俺たちは戦友だろ? 生まれた時は別々でも死ぬ時は一緒だ』と変なプロポーズをしてくれた。
 
(小学校に来てヒロシさんとの事思い出すとは思わなかったな)
 シズカは込み上げて来る笑いをこらえながら階段を上り、『六年三組』の室名札がついた教室の引き戸を開けた。

 そこには懐かしい顔が……とは行かなかった。
 同じ十五年ぶりでも、例えば高校の同窓会なら十八歳の顔が三十三歳になっているわけでまだわかりそうなものだが、当時十二歳が今二十七歳になっているのだ、何とか面影を見つけて『○○君?』とか『○○さん?』とか聞いてみない事にはとても特定できない。
 しかし、そんな中でもすぐにわかった女性がいた。
 ヒロミちゃん……四年生当時、仲の良いクラスメートでもあったが、実は恋敵でもあったのだ。
 あの年のバレンタインの前日、ヒロミから『先生に渡したいの』と手作りチョコの試作を重ねていることを打ち明けられた。
 ヒロミが先生を好きな事は知っていた、だが、普段は大人しい優等生のヒロミがそこまで大胆な行動に出るとは思っていなかった、そのヒロミに対して、シズカはちょっと男勝りで男の子を追い掛け回してポカリとやったりする生徒、先生の事は好きだったのだが、バレンタインにチョコを渡すなんて思いもよらなかったし、先生が好きだなんて誰にも漏らした事もなかった。
 でも、恋敵は先生のウケが良く見た目も可愛いヒロミ、こっちはちょくちょく叱られている生徒、想いだけでも伝えなければ先生をヒロミにとられてしまうような気がしたのだ。
 それで焦って作ったのが、ヒロシが食べる事になったチョコ、不恰好だったが夜までかかって、母親に『いい加減に寝なさい』と叱られながら作ったチョコだったのだ。

「あ、シズカちゃんでしょ?」
「うん、ヒロミちゃんね?」
 ヒロミもシズカを一目でわかってくれたようで、すぐに打ち解けて話せるようになった。

 同窓会での話題と言えば、近況と当時の思い出に尽きる。
「シズカちゃん、結婚は?」
「もう一児のママよ、今は静岡に住んでる」
「あたしは今のところまだ独り」
「今のところってことは、予定はあるってことよね」
「まだそこまで行ってない、でもちょっと迷ってるところ……」

 話している間にも、男性は次々とヒロミに声をかけて行く、やっぱりクラスでも目立つ存在だったのだ、シズカも違う意味で目立つ存在だったと思うのだが、印象がずいぶんと変わっているらしく、『え~? ホントに?』などと言われてしまう。

「お子さん、いくつ?」
「三つよ」
「ってことは二十四の時のお子さん?」
「ぎりぎり二十五になってたかな」
「結婚、早かったんだ」
「そうね、二十二だったから」
「静岡って、旦那さんのお仕事の関係で?」
「そう、あたしもちょっとは働いてるけど」
「何のお仕事?」
「お菓子作り、高校出てから製菓学校通ってね、二年こっちで働いて、今は自宅の一部を改造してお店にしてる」
「わぁ、カフェ?」
「そんなんじゃないわよ、そんな広さはないし、作ったお菓子をショーケースに並べて近所のおばさんに売ってるだけ、ん~、でも高校生も買いに来てくれるな、あとはお使いの子供達ね」
「すごい、もうマイホーム持ってるんだ」
「静岡だもん、こっちとは土地の値段が段違いよ、それでも三十年ローン」
「ああ、でもいいなぁ……しっかり地に足がついてる感じ」
「ねぇ、さっき迷ってるって言ってたけど……」
「うん……プロポーズしてくれた人はいるんだけど、迷ってる」
「どんな人?」
「会社の後輩」
「後輩?」
「うん、四つ下なの……」
 確かにそれは少し迷うかも……四つ下なら二十三かそこら、大学出なら社会に出て間もない……シズカはそう思ったが、顔に出しちゃいけないと思って話題を変えた。
「あのさ、四年生の時、担任の先生にバレンタインチョコ渡したでしょ?」
「うん……でも受け取ってもらえなかったよ、生徒から貰うわけには行かないって……今考えれば当たり前よね」
「実はあたしも渡そうとしたんだ」
「山本先生に?」
 正直、シズカは先生の名前を忘れていたが、言われればそのとおりだったと思い出せる、その程度だ。
「そう、でもやっぱり断られた、当たり前よね、十歳が相手じゃね」
「うん、あの頃、先生は二十四だったものね」
 先生の年齢なんか知らなかった、まあ、それくらいだったんだろうと思い出す程度で。
 でもヒロミは名前も年齢も憶えていた……。
「そんなに好きだった?」
「うん、私、それから手作りチョコなんか作ってないもの、就職してからはっきり義理チョコってわかる程度のものを配るくらいで」
 そこまでとは知らなかった、なんだか張り合おうとしたのが申し訳なくなってくる。
 シズカがちょっと黙ってしまうと、逆にヒロミが饒舌になった。
「ねぇ、旦那さんってどんな人?」
「どんなって……普通だよ、家電メーカーのエンジニアだけど、本社で設計開発部門とかじゃなくて、工場で品質管理とかしてるし」
「年上?」
「結構ね……七つ上」
「二十二で結婚したってことは結構電撃だったの?」
「そうでも……ない」
 なんだか、あの日に知り合ったとは言いにくい気がする。
 ヒロミは先生に断られたことを長く引きずっていたのに、自分はその日にチョコが縁で知り合った人と結婚して家庭を持っているのだから。
「どれぐらい付き合ってたの?」
「結構長い」
「ねぇ、何年くらい?」
 そこまで聞かれては答えないわけにも行かない。
「十二年」
「え? 二十二で結婚したのに交際十二年なの?」
「交際って……知り合ったのは確かに十歳、四年生の時だったけど、旦那って別にロリコンだったわけじゃないし、最初の内は一年に一回しか会ってなかったし」
「七つ上ってことはその時高校生だよね」
「そうね」
「四年生で高校生に見初められたんだ」
「見初められたなんて全然、初めて会った時ずいぶんと生意気な態度取ってたと思うし、生意気な妹ってくらいの感じだったんじゃないかなぁ」
「ねぇ、詳しく聞かせてよ」
「そう?……」
 そこまで聞かれればはぐらかすのも妙だ、シズカはヒロシとの間のことを語り始めた。
 知り合ったのはあのバレンタンデー、互いの手作りチョコを交換し合って『戦友』となり、翌年の再会を約束したこと。
 最初の二年、小学校を卒業するまでは、毎年バレンタインにチョコを交換しただけ、一年に一回しか会っていなかったこと。
 中学に上がって、ヒロシは『今年からはホワイトデーにキャンディを返すよ』と言われてちょっといい気になって大学祭に連れて行けとせがんだものの、周囲の女子高生や女子大生に気後れしてしまってしょげてるのを見かねたのか『彼女予定者』に格上げしてもらったこと。
 高校生になって、数ヶ月に一度は会うようになり、そろそろ『彼女』に格上げしてもらえるかな、と思った矢先の転勤。
 そして、遠く離れてしまうとわかって、むしろ自分の気持ちの強さに気づいたこと。
 お菓子を作るとヒロシに気持ちが届くような気がして、進学先に製菓学校を選んだこと。
 元旦の未明、初詣の帰りに二人きりでお汁粉を食べ、その時にヒロシも気持ちを固めてくれたらしいこと。
 『俺たち戦友だろ? だから生まれた時は別々でも死ぬときは一緒だ』と言う妙なプロポーズ、そしてヒロシのいる静岡に腰を落ち着け、子供も生まれたこと……。

 一通り聞いてくれたヒロミは神妙な顔。
 シズカがなんか悪かったな……と思って黙っていると、ヒロミのほうから口を開いた。

「私、決めた!」
「え? 何を?」
「結婚……年下の彼のプロポーズを受けるわ」
「え?……あ……おめでとう……」
「シズカの話聞いてて、私、何を迷ってたんだろう……って」
「あ、そうなの?」
「シズカの旦那さん、十歳で知り合った女の子を奥さんにしたんでしょう? 年の差を少しづつ、少しづつ埋めながら、それってすごく素敵」
「なんか、最近は『腐れ縁だ』なんて憎まれ口言うけどね」
「私、彼のこと好きよ、ちょっと若過ぎるけど、優しいし、誠実だし、私のことを一生大事にするって言ってくれてる、私が迷ってたのは私のほうが四つも年上ってところと、彼がまだ社会人として駆け出しだってところだけ、でもそんなのどうでもいいことよね、結婚したいと思うほど人を好きになることなんて一生に何度も訪れることじゃないわよね、彼はまじめで責任感も強い人だもの、きっと大丈夫、私は彼を信じていればいいだけのことなのよね」
「う……うん、そうだよね」
「シズカ、ありがとう、おかげでスッキリした、明日彼と会うの、そしたら言うわ、私の答えはイエスですって」
「そんなに急がなくても……」
「ううん、善は急げよ、もうこの答えは変わらない、ファイナルアンサーよ、だから早すぎることなんかない」
「はぁ……」
 シズカはちょっとあっけに取られながらまなじりを決したヒロミを見ていたが、ヒロミがにっこりと微笑むと、つられてにっこりと微笑んだ。
 そして思った。
 両親には悪いけど、今夜のうちに静岡に帰ろう、ヒロシとシズエの下へ……。
 そこがあたしのいるべき場所なのだから。
 そしてヒロシに話すんだ。
 あのバレンタインデーから始まったもうひとつの物語を……。

 
 やがて同窓会もお開きに。
 シズカとヒロミが連れ立って廊下に出ると、そこに懐かしい顔があった。
 山本先生……十七年前は颯爽としたイケメンだと思ったが……。
 自分たちが散々噂していたせいか、ハンカチでしきりに鼻をこすっている。
「山本先生?」
「そうだけど……ごめん、誰だったかな?」
「いいんです、六年生の時は担任して頂いてなかったですし」
「そう? ごめんね、わからなくて」
 そのまま先生とすれ違った二人は、少し離れてから思わずプッと吹き出した。
 先生は見る影もなく太ってしまっていたのだ、かつての食パンマンが今やジャムおじさん……。
「先生、きっと結婚してるね」
 笑いをこらえながらキロミが言った。
「きっとお幸せなんでしょうね」
「奥様はよっぽどお料理上手ね」
「ふふふ、あたしたちって、あの先生に告白しようとして共に玉砕した仲、あたしたちも『戦友』ね」
「あら、そうね」
 ヒロミはそう言って笑った。
 山本先生が幸せそうなこと、それはそれで嬉しく思う、幼い頃のこととは言えかつて憧れた先生だ、幸せならそれに越したことはない……。


 シズカは実家に寄って両親と夕食を共にすると、新幹線の乗客となった。
 だいぶ遅くなってはいるが、日付が変わる前には家に戻れるだろう、ヒロシとシズエが待つ家に……。
 新幹線が音もなく滑り出すと、シズカはハンドバッグから万年筆を取り出した。
 ヒロシが高校入学祝だと言ってプレゼントしてくれた万年筆、転勤して行くヒロシに渡した手紙を書いたのもこの万年筆だった……。
 そして、同窓会で配られたプリントの裏に、一輪のバラを丁寧に描いた。
 明日、色鉛筆で仕上げてヒロシに渡そう、それで、今日有ったことを聞いてもらおう……。

 新幹線は時速二百キロでひた走る……大切な人との距離が縮まるにつれて、シズカの心は温かくなって行った……。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み