第5話 小さな戦友

文字数 3,527文字

 
 シズカは自宅の一部を改装した小さなケーキ店を営んでいる。
 娘のシズエは4歳になったがまだまだ手がかかる年頃、だがそれは決して面倒なことでも嫌なことでもない、日に日に成長して行く娘を手塩にかけて育てて行くのは他に代えがたい喜びを与えてくれる。
 店は本当にショーケースを並べただけの小さなもの、専用の厨房があるわけでもなく自宅のキッチンで兼用している、もっとも、設計の際にキッチンは出来るだけ広く取ってもらい、店ともドア一枚で繋がり、キッチンにいても窓を通して店の様子は見られるようにしてもらってはいるが。
 商店街ではなく住宅地にある店なのでどんどん売れるというわけではないが、美味しいと評判でお馴染みは多い、客層としては近所の主婦や近くにある高校の女生徒と言ったところだ、そしてお使いを頼まれるのだろうか、小学生も時折やって来る。
 子育てをしながら趣味と実益を兼ねてやっていける、そんな店だ。

 それでも忙しくなる時期はある。
 ひとつはクリスマス、この時ばかりはラウンドケーキが飛ぶように売れるので、キッチンにはヒロシも動員して大忙し、そんな時は小さなシズエもキッチンにいることが多い、もっとも『味見』専門だが。
 そしてもうひとつがバレンタインだ。
 自分とヒロシが出会ったのもバレンタイン、と言っても当時はまだ小学四年生、好きだった先生に受け取ってもらえず、ひとりで泣こうと思って丘の上の公園に来たら、何と先客がいた、それがヒロシだったのだ、泣くことも出来ずに、腹立ちまぎれにチョコを捨てようとすると、ヒロシが男子高の調理実習で作らされたと言うチョコとの交換を提案してくれ、共に努力(ほね)を拾い合った。
 その時にヒロシが言ったのが『俺たち戦友だろ?』と言う台詞だった。
 それがきっかけになり、少しづつ、少しづつ親密になり、少しづつ、少しづつ年齢差を埋めて行き、最初は『戦友』だったのが、いつしか『恋人』になり、『フィアンセ』になり、『夫婦』となり、今ではすっかり『パパとママ』だ。
 だからバレンタインには少しばかり思い入れがある、自分が作ったチョコを介して思いを伝え、素敵な恋愛に発展すれば良いな、と心を込めてチョコを作る。
 クリスマスのお客さんは主婦が多いが、バレンタインは圧倒的に女の子、高校生はもちろん、普段はケーキ屋で買い物をするほどのお小遣いを持っていない中学生や小学生もお客さんになる。
 そして今年もそんな女の子たちがお小遣いを握りしめてやって来た。

「どうしたの? お小遣いが足りないの?」
 シズカはショーケースを見つめたまま動かない小学生に声をかける。
「ううん、ぎりぎり足りる、でもリボンを買うお金が無くなっちゃうの」
「そう……これでもいい?」
 クリスマスや誕生日ケーキ用にストックしてあるリボンを見せると女の子はぱっと顔を輝かせる。
「うん、かわいい! くれるの?」
「いいわよ、包み紙は大丈夫? ウチには店の名前が入ってるのしかないんだけど……」
「大丈夫、きれいな紙家にもあるから、ありがとう!」
 にっこりと笑って店を後にした女の子を見送りながら、ついあの頃の自分と重ね合わせてしまう、あの子の小さな恋が実ると良いけど……。
 大人になると小学生の恋心など、ついおままごとのように思ってしまう。
 シズカ自身も先生に抱いた恋心はおままごとだったと思う、だけどあの時のチョコがきっかけで出会った人と今では一緒に人生を歩んでいる。
 おままごとのような恋でも、それを大事にしてくれる人と出会って、何年も何年も心の中で大事に育てて行ければ、それは決して大人になってからの恋に劣るものではないはずだと思う……。

「どうしたの? お小遣いが足りないの?」
 次にやって来た小学生もショーケースを覗き込んだまま動かない。
「ううん……お小遣い貯めてたから大丈夫」
「欲しいものが見つからないの?」
「ううん、どれもみんなかわいい……でも、こんなチョコを自分で作れたら素敵だなって……」
「そっか……すっごく好きな人がいるのね? その人に手作りチョコを渡したいんだ」
「……うん……」
「そうだなぁ……明日は学校お休みだよね」
「うん」
「朝八時くらいに来れる? その頃からお店に出すチョコを作り始めるから、作りながら教えてあげる」
「ホント!?」
「ホントにホント、でも遅れちゃだめだよ、バレンタインのケーキ屋は忙しいんだからね」
「大丈夫! 絶対に八時までには来るから」
「いいわ、じゃあ待ってる」
 本当のことを言えば足手まといでないということはない、道具も一そろいしかないから作業に支障が出ないはずもない。
 でもシズカには手作りチョコを渡したいという思いを抱えている子を見捨てられない。
 やっぱりそれもまた『戦友』だと感じてしまうのだ。

「こうするとね、チョコの口溶けが滑らかになるのよ、カカオの粒子がなんたらかんたらって学校で教わったけど忘れちゃった、でもこうやって心を込めて掻き回してれば美味しくなるってことさえ覚えていればいいのよね」
「うん!」
 チョコを湯せんしながらゆっくりとかき混ぜる工程、根気が要る作業だが女の子はむしろ嬉々としてかき混ぜている、そんな様子を見ればシズカも嬉しくなり、いつかシズエにも教えてあげることになるんだろうな、などと考えてつい顔がほころぶ。
「型は何が良い? ハートとか星とか、動物の型とかもあるけど」
「やっぱりハートかな」
「そうよね、バレンタインだものね」
 型に流し込めば後は冷やせば良い、シズカも一息入れることにした。
「紅茶で良い?」
「うん! ごちそうしてくれるんですか?」
「もちろんよ」
 紅茶を飲みながら女の子と話す。
 そう言えば名前も聞いていなかったが……。
「あ、鈴音です、山崎鈴音」
「可愛い名前ね、チョコをあげたい人のこと、聞いてもいい?」
「うん」
「同級生?」
「ううん、違う」
「もしかして……ずっと年上だったりして」
「うん」
「へぇ、実はね、あたしもあなたくらいの頃に知り合った七歳年上の人とずっと付き合って、結婚したのよ」
「あたしくらいの時に七つ上ってことは……高校生?」
「そう、最初は生意気な妹みたいにしか思われてなかったと思うけどね」
「それでも結婚まで……素敵ですね」
「ありがとう……鈴音ちゃんの告白、上手く行くと良いわね」
「あの……」
「何?」
「告白って言うか……チョコをあげたい人ってパパなんです」
「は?」
「パパ、東京でお仕事してて中々会えないんです、でも今日帰って来るから……」
「……あ……そう……」
 なんだか拍子抜けしてしまったが、まあ、久しぶりに会う娘から手作りチョコを貰うパパの、だらしないくらいにやに下がった顔を想像すると、それはそれで嬉しくなる。
「さあ、そろそろ固まった頃よ、出来栄えはどうかな?」
 型から取り出したチョコが上手にできているとわかると、鈴音は心から嬉しそうな顔をした。
「あの……お代はどうしたら……」
「鈴音ちゃんが作ったんだもの、いらないわよ」
「でも材料費とか……」
「家族と離れて頑張ってるお父さんに、あたしからのプレゼントにさせて」
「ありがとうございます!」

「今の子、誰?」
 休日とあってゆっくり起き出して来たヒロシがキッチンにやってきて言う。
「鈴音ちゃん、手作りチョコをね、パパにプレゼントするんだって」
「へぇ、なんだか羨ましいな」
「うふふ、シズエがチョコを作れるようになるまであたしのチョコで我慢して」
 そう言ってハート型チョコをヒロシの口に入れてやると、にっこりと笑う……。
 思い返せば十歳の時に十七歳だったヒロシと出会い、あれからもう十八年になる……え? 十八年って……。
「憶えてるかな、シズカと初めて出会った時、俺、十七だったんだよな、シズカと知り合ってからの方が長くなったよ」
「ホントね、あたしの方は十だったからとっくに過ぎてるけど」
「あと六年か……」
「何が?」
「シズエがあの時のシズカの年に追いつくまで」
「何? それ楽しみにしてるの?」
「まあね、それに十になればバレンタインにチョコくれるかも知れないしな」
「かもね……あなた、今思いっきりだらしない顔してるわよ、鏡見て来たら?」
「別に良いだろ? 今更」
「あ~あ、オジさんになっちゃったなぁ」
 そう言いながら、シズカはヒロシにチュッとキスをした。
 それはとても甘い味がした。
 まあ、チョコレートを食べたばかりだったからね……。
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