第2話 六年目の戦友

文字数 3,988文字


「進学おめでとう」
「ありがとう」
「これ、ささやかだけどお祝いだよ」
「え? 本当に? 開けても良い?」
「もちろん」

 『戦友』は四月から高校生になる。
 『戦友』……何度も説明していい加減クタビレてるが、一応説明しておかないと話を先に進められないだろうから……。
 初めて出会ったのは六年前、彼女が小四、俺が高ニの時のことだった。
 男子高だと言うのに調理実習で作らされたチョコバー、処分に困っていると、公園のゴミ箱に精一杯綺麗に包装されたチョコを投げ捨てて行く女の子がいた、俺はそのチョコを拾い上げ、俺が作ったチョコと交換してお互いの手作りチョコを食べあった、つまりは、お互いの努力(ほね)を拾いあった仲、だから『戦友』なんだ。

 最初の三年は毎年バレンタインになるとお互いのチョコをあの公園で食べあうだけの仲、それだけだ、それでも戦友同士は毎年チョコを交換した。
 三年後、戦友が中学生になった年、ちょっと変化があった。
 戦友にせがまれて大学祭に連れて行ったんだ、そして、友達に鉢合わす度に『妹か?』と聞かれ、何度も戦友の謂れを説明した。
 だが、一番の親友の、通称『バンカラ』だけはちょっと違っていた。
『妹か? それともカノジョか?』と聞かれたんだ。
 その時、俺は気付いた。
 俺が戦友に対して抱いている気持ち、それは恋とは言えない、しかし妹同然というわけでもない。
 言い換えるならば、妹のように思っているだけじゃない、だけど恋人と思っているとまでは行かない。
 俺はそれを『彼女予定者』と表現したが、戦友はそれで納得してくれた。
 
 そしてこの三年間。
 俺と戦友の仲はどこまで近づいたかと言えば、三年前とあまり変わってはいない。
 三年前、十三歳と二十歳だった俺達は、もうすぐ十六歳と二十三歳になる。
 20を13で割ると1.5、23を16で割ると1.4、それくらいは縮まっている。
 いや、あの大学祭以来、毎年一回ではなく、ニ~三ヶ月に一度は会っているから、1.3、いや、1.2くらいまでには縮まっているのかもしれない。
 とりあえず交流……交際とまでは言えない……が続いているのは、俺の大学が工科系単科大学、ほぼ男子校で学内に親しくなった女性がいなかったこと、社会人の一年目は彼女を作る余裕なんてなかった、そのせいだと言えないこともない。
 だけど、大学時代合コンくらいはやっているし、バイト先に女の子がいなかったわけではない、それでもいまひとつ熱心になれなかったことも事実、それが戦友のせいだとは言えないと思ってはいるのだが……。

「わぁ、万年筆ね?」
「ああ、気に入ってくれた?」
「うん! なんか憧れてたんだ」

 進学祝の品にはあれこれ迷った。
 俺と戦友の仲でペンダントと言うのも踏み込みすぎている気がする、かと言って図書券とか文具券と言うのも他人行儀すぎる気がする。
 それに、こっちはやっと二年目に入ると言っても一応社会人だ、あんまり安いものでも格好が悪い。
 今時万年筆はあまり使われない、大学生や社会人でも持っていない方が普通だ。
 それでもあえてそれを選んだのは、戦友がときおり詩や物語を書いている事を知っていたからだ。
『なんか憧れてた』と言うのは嘘じゃないだろう、箱を開けた時、戦友の顔がぱっと明るくなったからね。
 
 万年筆を選んだのには、実は俺のほうの事情もある。
 四月から俺は転勤になるんだ。
 赴任先は静岡だからそんなに遠くへ行くわけではない、しかし高校生の戦友にとってはかなり遠い所である事は間違いないし、俺だってそうそうちょくちょく帰省できるわけでもない。
 今だって会うのは年に五~六回だから、そんなに激減すると言うほどでもないのかもしれないが、物理的に遠く離れてしまうことには一抹の寂しさも感じている。
 だから、少しくらい奮発したものを贈りたいし、こっちが奮発した事を悟られ難いものにもしたい……そう考えた結果が万年筆だったと言うわけだ。

 もうすぐ高校生と言っても、まだ戦友は中学生の女の子、その日はファミレスで食事をして、一緒に映画を見ただけで送って帰した。
 戦友はちょっと不満そうだったが、俺は自分の転勤をまだ告げたくなかったから、あまり面と向かって話したくなかったんだ。
 何故って、春からの高校生活への期待で膨らんでいる胸を潰したくなかったから。
 そもそも今生の別れと言うわけじゃない、こだま号で一時間半、前後を併せても二時間もかからない距離だ、大げさにしたくなかったんだ。

 そして出発の前日、俺は戦友にメールを打った。
『実は静岡に転勤になる、明日出発するつもり、どのみちちょくちょく帰って来るから、その時は連絡するよ』
 できるだけ軽くしたつもりだったが、返信はなかった……。

 翌日、ラッシュ時を避けて少し遅めの時間に駅に向かった。
 母親はさすがに寂しそうな顔をしていたが、『また帰って来るよ』と笑いかけると笑顔で送り出してくれた。
 だけど、母親以上に俺の静岡行きを寂しく思っているらしい人物が、駅の改札前に佇んでいた。
 出会った時と同じ、泣きたい気持ちを紛らわすために怒っている様な顔をして……。

「あれ? 学校は?」
 我ながらマヌケな事を言ったもんだと思うが、それくらい意外だったんだ。
 そもそも今日出発とは言ったが、時間まで伝えたわけじゃないし。
「学校楽しいって言ってたじゃないか」
「だって……」
 戦友はうつむいた顔を上げようともせずにそう言った。
「まあ、とにかく電車に乗ろう」
 幸い、戦友が学校に向かうとすれば方向が同じだから二十分くらいは一緒だ、俺も新幹線の時間があるから……。

「良く俺が出る時間がわかったね」
「……」
 戦友はその問には答えなかった……おそらく随分早くから待っていてくれたんだろうと思う。
「あのさ……転勤のこと黙ってて悪かったよ、でも、ほら、そんなに遠くへ行くわけじゃないし、ちょくちょく帰って来られる距離だから」
「……」
 また答えなし……確かに自分が高校一年生だったころを思えば、中学時代から比べればずっと生活圏は広がったものの、特急列車を使うような所は随分と遠いと言う感覚はあったが……。
「これ……」
 乗換駅が近付いて、やっと戦友は口を開いた。
そして差し出したのは一通の封筒とピンクのバラ一輪。
「手紙?」
「今開けちゃだめ、落ち着いてから開けて」
「わかった……」
 バラの花……花言葉などには疎い俺だが、バラが愛を象徴していること位は知っている。
 その花と封筒を手にして押し黙ったままの女の子と一緒にいる……客観的に考えればかなり照れくさい状況、しかし、そんな風に感じる余裕はなかった。
 なにか声をかけてやらなくちゃ、と思うのだが、言葉が浮かんでこない。
 結局、二人して押し黙ったまま、戦友は乗換駅で降りて行ってしまった。
 立ち止まってこちらを見ているわけでなく、うつむき加減で怒っているようにズンズンと階段に向かって歩いて行く姿……なんだか、却って気にかかる。


 新幹線が静岡に向かって滑り出した。
 都合の良い事に二人掛けの隣は空席、俺はそっと封筒を取り出し、封筒を傷つけないように丁寧に開けた。
 まず目に飛び込んで来たのは、カードからはみ出すように描かれた花束のイラスト。
 あまり上手とは言えないが、沢山の色鉛筆を使って丁寧に描いたものだとわかる。
 手紙そのものと別のカードに描かれているのは、おそらく何枚も描き直したのだろう。
 そして便箋……。
 俺は少しドキドキしながら、丁寧に折り畳まれたそれを開いた。
 青いインク……あの万年筆で書いたに違いない。

『今まで本当にありがとう……四年生のバレンタイン、今でもはっきり憶えてます、正直に言うと、誰もいない公園で思いっきり声を上げて泣こうと思ってたのに邪魔な人がいたから随分と腹を立てちゃった……自分でもすごく生意気なこと言ったり、嫌な態度を取ったりしてたと思う、ずっと言えなかったけど、あの時はごめんなさい。
 でも、そんなあたしに親切にしてくれた……ぶっきらぼうな感じだったけど、それが却って良かったの、優しく声をかけられてたらきっとふっきれなかったと思う。
 次のバレンタイン、本当に来てくれると思ってなかった、好きな人が出来てたらそれまでだし、子供との約束なんか忘れちゃうんじゃないかと思った……来てくれたとわかった時は本当に嬉しかった。
 そんなにしょっちゅう会ってたわけじゃないけれど、会う度にあたしの心の中に一輪づつお花を置いて行ってくれたの、それが今ではこんな大きな花束になりました。
 だって、心の中のお花はいつまで経ってもしおれたりしないから、会ってくれてお話したりすると、何年も前のお花でもまた元気になるから……。
 
 あたしももう高校生になったんだから、一輪づつでもお花を贈り返したいなと思ってた。
 その最初の一輪がこのバラの花です。
 本当に帰って来る時は教えてね、一輪づつでもお花をお返したいから……』

 読み終えた俺は胸ポケットからスマホを取り出した……が、すぐに元に戻した。
 この手紙への返事はメールなんかで済ましちゃいけない、そんな気がしたから。
 向こうに着いたら、駅ビルの文具屋へ寄って封筒と便箋、そして青インクの万年筆を買おう……切手も忘れずに。
 そして、こう書いて返すんだ。
『一輪の花、確かに受け取ったよ、心の中でずっと大切にするから』

 新幹線は時速200キロでひた走る。
 でも、心の距離はそれとは逆にどんどん縮まって行くような気がした……。
 
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