第3話 戦友との九年間に

文字数 2,788文字

「何をお願いしたの?」
「教えてあげない、お兄ちゃんは?」
「さあね」
「あ~、意地悪」
「だってそっちも教えてくれなかっただろ?」
「お兄ちゃんが教えてくれたら考えても良い」
「教えてくれるって確約するわけじゃないんだ」
「お兄ちゃんのお願いしたこと次第かな……」


 俺と『戦友』は大晦日の深夜、待ち合わせて鶴岡八幡宮へ出かけた、もちろん初詣だ。
 俺が静岡へ転勤になってから三年が経つ。
 『戦友』は今年……いや、数十分前に去年になったか……専門学校へと進学した、パティシェを養成する製菓専門学校だ。
 この九年間、バレンタインには欠かさずチョコをくれるんだが、その出来栄えは年を追うごとに上達して、この二年ほどは味も見た目も完璧に近くなっている。
 去年、いや、もう一昨年か……その出来栄えを褒めたら、製菓学校へ行くつもりだと明かしてくれた。
 『それは良いね』と言ってやったら嬉しそうな顔をしていたっけ……。
 
 え? どうして女の子なのに『戦友』なのかって?
 まあ、話せば長くなるんだが、ごくかいつまんで説明すると、九年前、彼女が十歳、俺が十七歳の時、お互いに受け取ってくれる相手のない手作りチョコを交換したんだ。
 俺のは高校の調理実習で……男子校なのに調理実習で手作りチョコだぜ、あの家庭科教師、今も同じように後輩にチョコを作らせているのかな……ちょっと話が逸れたな、まあ、俺のはそういうわけだったんだが、彼女のは初恋の相手だった先生に渡すつもりで作ったものだったらしい。
 先生は受け取ってくれなかったそうだが、立場上受け取るわけには行かなかったんだろうな、だけど彼女はその失望を怒りに変えて、たまたま公園で鉢合わせした俺にぶつけて来たんだ、クソ生意気な態度だったけど、俺はちょっと可哀想に思って俺のチョコとの交換を申し出たんだ、まあ、俺にチョコをくれそうな相手はいなかったし、調理実習の成果物もおふくろにやるか自分で食うしか処理方法がない状況だったから、いわゆる『枕を並べて討ち死に』状態だな、その上でお互いに貰い手のないチョコの最後を看取ったわけだ、だから『戦友』なんだ。
 まあ、どういうわけか、それ以来ずっと続いているわけなんだが……。
 はっきり言って、十七歳の男と十歳の女の子だ、翌年は十八歳の男と十一歳の女の子、異性として興味を持てという方が無理と言うものだ、最初の内は『生意気だけどけっこう繊細な所もあるからほっとけない妹』くらいの感じだったさ。
 だけどさ、七歳の年の差はいつまで経っても縮まないけど、あの時十歳だった『戦友』は今では十九歳、十七歳だった俺は二十六歳になっている、九年前なら兄妹にしか見えなかっただろうが、今ならカップルにも見えない事はないだろう?
 特にこの三年間、静岡と横浜に離れてしまってからは逆に距離が縮まったみたいに思っている。
 仕事でクルマに乗っている時なんか、新幹線が猛スピードで走り過ぎるのを見かけたりすると、(あれに乗れば一時間ちょいで横浜なんだな)と考えちまう。
 横浜はもちろん実家があるところでもあるが、俺が恋しく思うのは『戦友』が暮らしている横浜なんだよ。


「なんかズルい気もするけど、教えてやるよ」
「うん、何て?」
「お前が『お兄ちゃん』って呼ぶのを止めてくれますように……てな」
「え? どういう事?」
「だって兄貴じゃないだろ?」
「……そうよね……やっぱり『戦友』かな?」
「もうその呼び方も時効にして欲しいな」
「だったら、どう呼べば良いの?」
「何でもいいさ、名前で呼んでくれても良いし、ニックネームでも良いし」
「だったら……ヒロシさん、で良い?」
「あ、ああ……ちょっとくすぐったいけどな……で? 俺は言ったぜ、お前の願い事は?」
「あのね……おんなじ……」
「は?」
「『戦友』とか『お前』じゃなくて、名前で呼んでくれますように……って……どう?」
「あ、ああ……良いぜ」
「ホント?」
「ああ……ゴホン……名前で呼ぶぞ、いいな?……シズカ」
「なあに? ヒロシさん」
「お……ああ……なんだ……寒いな」
「そうね、ヒロシさん」
「何かあったかいもんでも食って行くか」
「う~ん、自販機の缶コーヒーで良い」
「へぇ、どうして?」
「あのね、お汁粉の用意してあるの、家に」
「そうなんだ、でも、こんな夜中にお邪魔しちゃご両親に悪いよ」
「大丈夫、昨日からいないから」
「いないって?」
「温泉、二人でゆっくりして来るって」
「へぇ、で、どうしておま……シズカは一緒じゃなかったの?」
「だって初詣の約束したじゃない」
「まあ、そりゃそうだけど……初詣と温泉じゃ差が有るだろ?」
「ううん、ヒロシさんと一緒だからこっちの方がずっと大切」
「……そ、そうかい?……」
「ね、家に寄って行って、お菓子作りの腕がどれ位上がったか確かめて行ってよ」
「あ、ああ……わかった……だけどさ……」
「何?」
「元旦の朝に二人っきりでお汁粉食うなんて、なんか夫婦みたいだな」
「……」
 戦……シズカは俯いて黙ってしまったが、その顔はちょっとほころんでいて、それがまた可愛くて……。
 どうやら俺は術中に嵌まっているみたいだ。
 九年前は俺が一方的に慰めてやったようなものだったが、シズカは九年かけて立場を逆転させちまったみたいだ。
 まあ、それでもいいけどね……。


 ……なんてことがあったのが三年前の事だ。
 俺は今も静岡勤務、本社からお呼びがかかる気配はなさそうだし、俺自身ここが気に入ってるから、多分ここに骨を埋めることになるんだろうと思う。
 で、ここ数ヶ月、会社の帰りは一駅前で電車を降りて歩いている、横浜の私鉄と違って、東海道本線だから一駅は結構な距離なんだが……。
 何故って……俺の奥さんはお菓子作りが本職、毎日のように『自信作』やら『試作品』やらの講評を求められるんでこのところ急に体重が増えて来ちまったんだ。
 まあ、新婚だから『幸せ太りだろう?』なんてからかわれるんだけど、そんなに熱々ってワケじゃないよ。
 だって、付き合いはもう十二年になる、それも十歳の頃からずっと見てきてるんだからね、良いところもそうでないところもまるわかりさ、ま、それはお互い様だろうけどね。
 でも、それでも一緒になったって事は、それだけ運命的な結びつきがあったということなんだと思うよ。
 まぁ、当然と言えば当然かも知れないな、なにしろ『戦友』なんだからさ、『生まれた時は別々でも死ぬ時は一緒』って言うじゃないか……。
 もっとも、年齢差と平均寿命の差を足し算すると十五年くらいにはなるけどね。
 さぁ、その十五年をなるべく延ばさないために、この駅で降りて歩かなくちゃな……。
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