第3話 憤怒

文字数 4,679文字

 それから三十分後、副長を乗せたパジェロと救急車(アンビ)が到着した。

「中隊長! 大丈夫ですか」
「俺は……いい。先に石田を運んでくれ」

 砂から引きずり出した石田を、隊員たちが担架でアンビに乗せる。

「空野二尉は……重傷と聞きましたが?」

 定年まであと二年の副長は、誰もいない砂漠を、きょろきょろと探している。

「判らねえ。おそらく、テロリストどもにさらわれた。MG(機関銃)を撃つ音が聞こえたからな」

 空野の血を吸った砂漠は、何事もなかったかのように元の静寂に戻っていた。

「えっ……!」

 副長の顔が引きつる。当然だ。今まで日本は幾度も海外派遣に参加してきたが、車のバッテリーを盗まれたり宿営地に迫撃砲が撃ち込まれることはあっても、隊員がIED攻撃を受けたりさらわれたりするような事件は一度もなかった。
 どこの国にも起こりうる事案だったのかもしれない。最大限そういったことを避けるために知恵を絞ってきたが、どうしても最後は運頼みになる。

 それは承知していた。自分ひとりの知力体力ですべての事象に対応してやろうなどと考えるほど傲慢ではない。
 しかし、俺にできることはなかったのか。
 アレックス中佐から聞いたIED情報を伝えていたら、少しは警戒して、このような眼に遭うことはなかったのかもしれない。

 そもそも燃料を借りにオーストラリア軍のところに来なければ、こんなことにはならなかった。
 池内。
 あいつがマヌケなことをしなければ。
 頭の中が熱で一杯になったところで、我に帰った。

 部下のせいにしたところで、俺は責任を逃れられないし、逃れるつもりもない。
 帰ったら、本国に即報告しなければ。
 海外派遣の今後にも関わる大事件になるだろう。リビアから帰るハメになるかもしれない。警務隊や陸幕から根堀葉掘り聞かれるに決まっている。
 そのことを思うと、すべてを投げ出したいほどうんざりした気持ちになった。
 俺は、空野をみすみすさらわせておいて、まだ自己保身を考えている。

「くそおっ!」

 砂を思い切り蹴り上げた。
 リビアから帰るもクソも、空野を置いて帰れる訳がない。
 左腕がほとんどなくなる重傷で、重機関銃で撃たれ、さらわれた。生きている可能性は、極めて低い。

 しかしそれでも、空野と約束した。恋人と、父親に、空野の生きた証を伝える。空野の上官として、最後の仕事だ。
 そして、テロリストに襲撃される可能性を最大限考慮した警備計画を練らねばならない。中止になるという前提では行動できない。空野をさらわれてなお、命令があるまでは任務達成のために仕事をしなければいけない。

 そんなことが、人間の精神で可能なのか。空野を、入隊以来つきあってきた仲間ではなく、ただの機能、数字として見ることができるなら、可能かもしれない。
 かほりのメッセージが、不意に思い浮かぶ。

 奥さんと子供さんを悲しませるような、彼になっていませんように。

 自意識過剰の、自己陶酔の過ぎる戯れ言と思っていたが、物理的な重さを感じるほどに肩にのしかかってきた。
 俺は、妻と子供たちが誇りと思えないような、俺になりたいと、腸が焦げるほどの熱で思っていた。



 宿営地に帰るなり、復興支援群長の荒木一佐の天幕に殴りこむ。

「群長、明日からの作業は中止、空野二尉の捜索に警備中隊の全隊力を使います」

 荒木一佐は一瞬だけ眼を見開いたが、座ったまま机に肘をつき、顔の前で指を組んだ。

「概要は副中隊長から聞いている。幕僚案は判った。全般状況を報告しろ」

 焦燥を無理矢理に押さえこんで、深く息をつく。そして、燃料が足りなくなったこと、オーストラリア軍に依頼に行ったこと、その帰りにIED攻撃を受けたこと、空野と石田が重傷を負ったこと、そして空野がさらわれたことを報告した。
 群長は俺の説明をひととおり聞くと、机を眼を落としたまま沈黙を続けた。

 今、頭の中では群長が最良の行動方針をすごい速度で組み立てているのだろう。俺は黙っていた。
 しばらくして、荒木一佐が顔を上げた。

「空野二尉の捜索は現地警察に任せる。今日から、復興支援群のすべての部隊が宿営地を出ることを禁ずる。本国へは、派遣の終了を具申する」

 それを聞いた途端、熱で頭が真っ白になった。

「何を言ってるんですか! 空野を置いて帰るんですか? 警察? 相手は重機関銃を持ってるんですよ。警察なんかで相手にできるわけないじゃないですか! 俺たちは、何のために武器を持ってきてるんですか! こんなときに使えなかったら、木銃持ってきてりゃいいんですよ! 宿営地から出るな? テロリスト相手に、尻尾を巻いて震えてろってんですか。恥ですよ。日本軍は腰抜けだって世界にさらすんですか!」

 思いのたけをぶちまけた俺を、群長は強い視線で見上げていた。

「気がすんだか」
「済むわけないでしょう! 空野を置いてくなんて許しませんよ。群長の指示にはひとつも同意できません」
「私の決心に、おまえの許可も同意もいらん」

 そのとおりなのだ。部下がどう思おうと指揮官の決心ですべてが決まる。それが自衛隊、世界の軍隊の約束事であるし、そうでなければ正しく動けない。
 言葉に詰まる。身体が熱で震える。理屈では判っていてもどうしても従えない。空野は俺と石田を守るためにテロリストの前に身をさらしたのだ。そんな部下を見捨てて日本に帰るなど、絶対にできない。

「警備中隊は俺が指揮官です。俺が責任を取ります。空野を探しに行かせてください。死んでも殺しても、全部俺が背負います。お願いします!」

 最敬礼で頭を下げる。荒木一佐が立ち上がる気配がした。肩に手が置かれる。
 いきなり、天地が逆転した。頭から、地面に叩きつけられる。

「ぐうっ……」

 痛みに耐えて身体を起こすと、胸ぐらをつかまれた。そのまま、宙を舞う。背中を強打した。肺が縮んで、息ができないほどの痛さだ。
 そう言えば、荒木一佐は防衛大学校で柔道部だった。
 胸ぐらをつかんだ片手で、身体が浮くほど持ち上げられる。

「指揮官の責任と権限を奪うな。群の行動のすべてを背負うのは、私だ」

 静かだが、底力のある声だった。
 手を離される。どすんと尻餅をついた。

「加藤三佐。気持ちは判る。私もそうしたい。だが、本国のこと、帰ったあとのことも考えねばならん」

 そんなのは空野を救ったあとに考えろ、と喉まで出かかった声をかろうじて止めた。

「今なら被害は最小限に抑えられる。それに、他国で自衛隊が敵を殺すことを許容できるほど、日本国民が成熟しているとは思わない」
「だから何ですか。何を言われたって、自衛隊がなくなるわけじゃないでしょう。仲間を見捨てて帰るような自衛隊を、誰が尊敬するんですか」

 荒木一佐は、哀れむような眼で俺を見下ろした。

「ご苦労だった。現在時から、すべての作業を中止する。医官から鎮静剤をもらって、今日はゆっくり休め」

 群長が机に戻る。

「以上だ」

 もう俺の話は聞かないと、全身で示していた。

「うっ……」

 全身の痛みにうめき、立ち上がる。

「要件終わり、帰ります」

 よろよろと、群長の天幕を出る。
 鎮静剤など飲む気はない。この怒りを、鎮めたくはない。

「中隊長……」

 副長が、心配そうな顔で見つめていた。あれだけ派手に怒鳴り散らし、ぶん投げられまくれば外には丸聞こえだろう。

「空野は探さないそうだ」
「えっ……」

 驚きの中、わずかに浮かんだ安堵に、イラッとくる。

「そして、今から全部隊のすべての作業を中止すると指示を受けた。俺は考えることがある。副長が下達してくれ」
「は、はい」

 俺は、自分の天幕へと大股で歩いて行く。
 実際、どうすればいいのか。空野を救うためには。
 そもそも空野は、左腕をほとんど失った状態で、生きているのか。
 なるほど、群長は「最小限の犠牲」を考慮して、復興支援群の損害を最小限に抑える、最良の判断をしたわけだ。

 クソ食らえだ。
 内閣総辞職になろうと知ったことか。空野の、俺たちの命は政治の道具じゃない。
 地面の砂を、思い切り蹴り飛ばす。
 天幕に入り、簡易ベッドに寝ころがる。狂おしいほど酒が欲しい。

 すぐに、酔いで楽になろうとした自分を恥じる。
 しかし、頭の中がぐちゃぐちゃで、このままでは眠れそうにない。
 スマホを取り出す。リビアに来て以来、何度となく繰り返した、妻や子供たちとのメールのやりとりを見返す。

 まるで当直で三、四日留守にしている程度のやりとりに、今日の朝までは安堵を感じていた。
 今は、違う。今の俺は、今朝までの俺ではない。いらつきが止まらない。
 かほりのSNSアプリを立ち上げる。
 メッセージを打ちこむ。

 今日、部下がテロリストにさらわれた。

 送信ボタンを押そうとして、かろうじてとどまる。大事件になる情報漏洩だ。
 言いたいことも言えない。個人としての思いを吐き出すこともできない。
 日本から持ちこんだ、焼酎の五合パックを取り出す。
 初めて開封する。一気に、喉へ流しこんだ。
 胃が、痺れるようにしみる。

「ふう……」

 大きく息を吐く。痺れた頭が、先ほどまでの苦しみを、膜が張ったようにごまかしていくのが判る。
 すべては、明日からだ。
 そんな考えすら甘っちょろいと痛感したのは、次の日の朝だった。



「中隊長! 中隊長!」

 副長が俺の天幕に転がりこんできたのは、起床のラッパが鳴る前だった。
 俺はいつのまにか眠りに落ちていた。しかし、たたごとではない副長の剣幕に、がばりと身体を跳ね起こす。

「どうした……!」

 副長は、血走った眼で荒い息をついていた。そして、つばをごくりと飲みこむ。

「空野二尉が、帰ってきました……」
「何だと!」

 俺は副長を突き飛ばすと、天幕を跳び出た。信じられない。左腕をほとんど失うような負傷。砂漠に吸い込まれていく大量の血。
 いや、どうであろうと空野は帰ってきたのだ。営門のあたりに、警備の隊員が数人集まっている。あそこにちがいない。
 うっすらと、朝日が漆黒の夜を紫色に消し去ろうとしていた。

「空野!」

 警備を押しのける。
 空野の顔が横たわっていた。
 顔だけがそこにあった。
 首から下は、ない。
 空野のじゃがいも頭が、転がっていた。

 サッカーボールほどの大きさの空野の頭は、ふざけた粘土細工のように、生きている感じがしなかった。ただのモノだった。
 白く濁った眼に、ぼんやりと口が開いている。

「五時の巡察のときに、発見しました。営門の外から投げ込まれたものと思われます」

 警備司令の声が震えていた。
 空野に最悪の事態が起こることは覚悟していた。しかし、空野を辱め、俺たちをここまで愚弄するような相手だとは思っていなかった。
 最悪を想定すると言いながら、最悪は俺の常識を越えていた。
 俺の甘さが、つくづく情けない。

「空野……」

 俺は、空野の頭を抱え上げた。ずっしりと重い。首から血は流れていなかった。斬られてから、だいぶ時間が経っているのだろう。
 警備が、俺から一歩下がる。無理もない。自衛隊は、警察や消防と比べると死体を見る機会は格段に少ない。

 空野を、いつまでも地面の上に放置しておきたくなかった。
 医官の天幕に、ゆっくりと歩いていく。
 これからすべきことは。

 群長に報告。
 部下への伝達とメンタルヘルスケア。
 空野の親父と恋人への説明を考える。

 馬鹿な。
 そんなものは、平時の事務仕事だ。
 武器を持つ俺たちが、仲間を殺されてすべきことはただひとつ。
 殲滅だ。
 いつしか、空野の頭をぐっと抱えていた。
 氷塊のように不動の意志が、俺の全身を満たしていた。
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