第4話 復讐者

文字数 6,965文字

「群長、空野の首が宿営地に投げこまれました」

 さすがに、群長は絶句し、眼を見開いた。
 俺の迷彩服は、空野の血で赤黒く染まっている。
 群長は大きく息をつき、眼を閉じた。

「そうか……」

 今、荒木一佐の頭を巡っているのは、将への道が閉ざされた嘆きか。そんなことはないと思いたい。
 長い沈黙の末、群長はゆっくりと口を開いた。

「方針は、変更なし(NC)だ。全作業を中止し、本国の許可が出しだい撤収を開始する」
「空野の胴体をこんなアフリカの果てに置いていくんですか」

 自分の声が、驚くほど冷静だった。荒木一佐が、正真正銘の苦虫を噛みつぶしたような顔になる。

「現地警察に任せると言ったはずだ」
「群長、あんたは腰抜けだ」

 荒木一佐の口が、ぎゅっと引き締まった。かろうじて怒りを抑えているようだが、眼からは憤怒があふれ出している。

「加藤、おまえと空野の関係は知っている。テロリストを許せないのも、空野を置いていきたくない気持ちも判る。私とて同じだ。だが、おまえは私怨で部隊を動かそうとしている」
「私怨? 我々を日本から来た自衛隊だと知ってて、攻撃を仕掛けたんですよ。自衛隊の敵です。敵から攻撃を受けて、反撃もせずに尻尾巻いて帰るんですか。幹部高級課程(AGS)じゃそんな戦術を習うんですか」

 本来、上司にするような口の利き方ではない。だが、もう空野を放っておいて自分の将来など考えられなかった。
 群長は、長く、深く息を吐いた。

「それもまた、戦術だ。真の目的達成を追求するなら、そういう手段になることもある」
「お話になりませんね」

 俺は、襟に縫い付けられた階級章に指をねじこみ、ぶちぶちと剥ぎ取った。もう片方も、むしり取る。
 そして、三佐の階級章を紙くずのように地面に落とした。

「……何をする気だ」
「好きにさせてもらいます」

 敬礼もせず、俺は回れ右をした。

「待て! 許さんぞ!」

 群長が椅子を蹴って立ち上がる。
 俺は天幕を出て、銃架(じゆうが)を格納しているコンテナへと歩いていく。ちょうど、池内二尉が朝の武器点検をしていた。

「小銃と弾倉を出せ」

 いきなりの命令に、池内は眼を丸くし、階級章のなくなった俺の襟をちらちらと見ていた。

「それは……命令でしょうか」
「そうだ。実包もありったけ用意しろ」

 さっと顔色が白くなる。

「……昨日、群長からの指示として、作業を中止すると聞いてますが……」
「うるせえ役立たず! さっさとしろ! てめえ、空野の同期だろうが! 首だけになって帰ってきたのに、何とも思わねえのか!」

 こんなときまで無能の、池内に怒りが爆発する。が、池内は普段とは違い、きっと俺をにらみつけてきた。

「……そんなわけないですよ」
「ああ?」
「僕の出来が悪いことは自覚してます。そして、腰抜けです。空野が殺されて、悔しいよりも、ただ怖いんです」

 ぼそぼそと、池内がつぶやく。

「だけど、そんな自分が死ぬほど嫌だ!」

 池内の眼から、涙がすべり落ちる。そんな熱い気持ちが、池内にあったことを意外に思う。

「なら、俺に従え。てめえの分まで、奴らにぶち込んできてやる。銃架の鍵を貸せ。俺が武器を用意する間に、パジェロ持ってこい。ドライバーはいらねえ」

 池内は黙って銃架の鍵束を俺に渡した。

「弾薬箱はパジェロに積んでおきます」

 それだけ告げて、コンテナから走って出て行った。池内の行動も、下手をしたら懲戒免職だ。そうと知りつつ巻きこんだ。
 空野が死んで、人生は後戻りのきかない道に入った。家族もかほりも、今は分厚い氷のような怒りの下で、身を縮めている。

 銃を固定する銃架の鉄棒を引き抜き、適当に八九式小銃を一丁取る。三佐になってから小銃はさわってないが、戦闘力では拳銃とは比べものにならない。
 安全装置をかけ、槓桿(こうかん)を引く。ジャキンと、闘争心が高ぶる音がした。棚に並んでいる弾倉を取り、四つほどズボンのポケットにねじ込んだ。

「何をしている!」

 群長が、息を切らせて立っていた。

「空野の仇を討ちに行くんですよ」

 群長の顔は見ず、銃の負いひもを緩めながら言う。

「馬鹿な……本気か?」
「自衛官が、遊びで武器にさわるわけないでしょう」

 武器に対する真摯さと誠実さは、入隊した直後からことあるごとに叩きこまれる。

「許可しない」
「あなたの許可などいりません」

 俺は、銃口を荒木一佐の胸に向けた。

「貴様……」

 群長の顔が引きつる。当たり前だ。たとえ弾倉がついていなくても、陸上自衛官にとってタブー中のタブーだ。
 薄暗いコンテナの中で、痺れるような沈黙が続いた。
 群長が、わずかに腰を落とし、前傾になる。戦闘の態勢だ。
 一佐になっても、力をねじふせるのは力であると、自分の身体で示す彼が好もしかった。

「ぬんっ」

 するりと前に出ると同時に、前手で銃を払う。
 だが、俺も前にでた。捕まれる前に銃口を引き、床尾(しようび)を真横から、こめかみへ思い切り叩きつけた。
 フックでクロスカウンターを決めたようなものだ。石と石をぶつけたような、凄い衝撃が来る。

「ぐうっ」

 荒木一佐が膝をついた。こめかみからは、血がたれている。
 俺は黙って、群長の横を通過する。

「ま、待て……」

 群長の声に、俺は答えなかった。パジェロが、目の前に止まる。運転席から、池内が降りてきた。

「どうぞ」
「ありがとよ」

 俺は、池内の肩を強く叩いた。
 運転席に乗り、銃をドア裏の金具に引っかける。シートベルトを締めようとして、やめた。これから戦いに行くのだ。
 後部には、まだ封印がしてある弾薬箱が置いてあった。一万発はあるはずだ。
 ハンドルを握る。窓の外で、池内が敬礼をしていた。俺も敬礼を返す。ゆっくりと、アクセルを踏んだ。

 営門の警衛が、両腕を振って車を止めようとする。止めない。アクセルに体重を乗せた。
 警衛が、間一髪横っ飛びで避けた。
 営門を抜けた。
 砂漠と、空が広がっている。

 ひとりだった。
 三等陸佐が、銃と実包と車を勝手に持ち出す。大スキャンダルである。
 しかし、どうでもよかった。俺はこれから、復讐者となるから。


 
 俺は、先日通った道をパジェロを走らせていた。
 俺のしていることは、ひとつだけでも即懲戒免職だ。
 しかし、空野の命は俺の定年までの給料より尊い。後悔はしていなかった。
 ちらりと、バックミラーを見る。追手はいまのところいないようだが、銃と弾薬を無断で持ち出した事案をなかったことにするなどということはあり得ない。

 群長は、俺を射殺する命令を出すかもしれない。
 上等だ。昨日まで笑いあっていた部下たちに銃を向けるのは忍びないが、目的を達成する前に死んだり捕まったりするわけにはいかない。
 フロントガラスの向こうに、オーストラリア軍の宿営地が見え始める。

 テロリストを捜すためには、アレックス中佐の協力が必要だった。
 宿営地の入口で、警備の兵士に俺の身分証を見せる。本当ならもうこのIDを通さないように通達が張り巡らされているはずだが、さすがに海外では即座にというわけにはいかないようだ。あっさり通された。
 派遣軍司令の天幕の前で車を止め、ずかずかと天幕に入る。書き物をしていたアレックス中佐は、驚いた顔を上げた。

「おう……アポもなしにどうした? 加藤少佐」
「昨日、日本の宿営地に行く途中の道で、IED攻撃があったことは知ってるな」
「もちろんだ。日本軍が被害を受けたと聞いたが」
「その車に俺が乗っていた」

 アレックス中佐は、びっくりした顔になると、いきなり笑い出した。

「HAHAHA、加藤少佐は不死身だな」

 俺が表情を変えずに黙っていると、アレックス中佐は咳払いをして真面目な顔に戻った。

「それで、何の用だ」
「部下が拉致されて、今朝首だけになって帰ってきた。仕掛けた連中の情報はあるか」

 アレックス中佐は、胸の前で十字を切った。

「ある……と言うより、ガダミス近郊で有力なテロ組織はひとつしかない。『西リビア解放戦線』だ」

 その名前は、聞いたことがあった。自分たちにその牙が向けられることを、本気では考えていなかった自分に歯噛みする。

「根拠地は?」
「まさにガダミスの中だ。昔話の山賊とは違う。山賊でございと隠れ家を作ったりはしない。おいそれと空爆ができないように、民間人に紛れている。しかもガダミス旧市街は世界遺産だ」
「細部は判ってんのか」

 アレックス中佐がけげんな顔になる。

「加藤少佐、日本軍は掃討作戦に参加するわけではあるまい。なぜ知る必要がある?」
「いや、参加する。俺ひとりだが」

 ぽかんと口を開けた中佐は、首を振った。

「部下の仇討ちか……加藤少佐、それは指揮官のすることではない」
「知ってるさ。部下の仇を討つんじゃない。友の仇を討つんだ」

 中佐は、俺の階級章がなくなっていることに気づいたようだった。大きくため息をつく。

「君は運がよかった。今朝、米軍主体の掃討部隊が出発したところだ。我々も一個小隊を差し出している。友の仇討ちは、我々に任せてくれ」

 全身がかあっと熱くなる。空野の仇は、俺が討たなければならないのだ。

「ありがとよ」

 アレックス中佐には、今度ビールをケースごとプレゼントしてやらないといけない。そんな機会が今後訪れるとは思えなかったが。
 俺は指揮官天幕を出ると、パジェロに乗りこんだ。
 目標はガダミス。
 掃討部隊がテロリストを全滅させる前に、俺が殺す。



 出発する前に、弾薬箱を開けた。中には、5.56ミリ弾が二十発入った紙の箱がぎっしりと詰めてあった。。
 弾倉は四つ持ってきた。祈りを込めるように、一発一発、実包を押しこんでいく。
 小銃弾の弾丸込(たまご)めは、久しぶりだ。ひとつひとつ込めるごとに、心が氷河のように鎮まっていく。

 弾丸を込めきった弾倉を、ひとつ手に取る。銃に挿し、槓桿を引く。空の状態よりゆっくりと戻るのは、弾丸が薬室に装填された証拠だ。平時なら、実包を装填した銃をそのままにしておくなどあり得ないが、今は即座に撃てるようにしておく必要がある。安全装置を確かめ、ドア裏の金具に引っかけた。

「行くか」

 サイドブレーキを解き、アクセルを踏む。オーストラリア軍宿営地の警衛は、俺が何をするのか知るよしもない。きれいな敬礼で営門を通過させてくれた。
 ガダミスへと砂漠の中を走る。燃料は十分残っている。
 ここまでしでかしておいて、俺は空野の仇を討ったあとにどこへ戻ろうというのか。むしろ仇を討てずに殺される方が後腐れがないのではないか。

 常に先のことを考えて、今しなくてはならないことを思い浮かべるのは、幹部としてもはや本能とも言っていい習性だ。それが、今は迷いを生むような思考を導いている。
 二十代のころに戻ろう。まずは思いのままに。
 そう思うと、闘志がふつふつと湧いてきた。

 幸いなことに、自衛隊車両を見かけることはなかった。俺の行く先にまるであてがないのだから、探すのは難しいだろう。しかし、運悪く鉢合わせすることもある。十分注意しなければいけない。
 オーストラリア軍の宿営地を出てから一時間後、ガダミスの街が見えてきた。
 小銃一丁で、ゲリラ掃討作戦に入れてくれとは言えないし、今回の作戦のために綿密な打ち合わせと訓練をしているはずだ。掃討部隊の中に入るのは現実的ではなかった。

 ならば、どうするか。
 敵と間違われるのを覚悟で、戦闘のまっただ中に飛びこむ。そして、テロリストどもを殺す。
 空野を殺したのは、もしかしたらそいつらではないかもしれない。
 しかし、そんなことはどうでもいいのだ。

 私怨だ。そして、直接の敵ではないかもしれない相手を殺そうとしている。
 俺はいつ、そんな人でなしへと変わったのか。
 今なら、まだ上官を殴り、銃と弾薬と車を奪っただけですむ。それでも懲戒免職三倍満だが、人殺しではない。

 かほりは「奥さんと子どもさんを悲しませるような彼になっていませんように」と書いていた。
 すでにもう悲しませるような俺になっている。官舎も追い出されるし、転校は余儀なくされるし、そうなったときにどこに住むかも決めていない。

 十分過ぎるほど悲しませているのに、まだ上に重ねるのか。
 しかし、自衛隊に入って以来の友を首だけにされておいて、おめおめと嘆き悲しむだけで済ませることなどできない。
 それでいい。俺は、俺のために復讐をする。家族やかほりのために、復讐を捨てることはしない。

 砂漠の中に、オアシスの木が茂っているのが見えてくる。木の上に、白い尖塔の突端が見える。旧市街の遺跡だった。
 アクセルをベタ踏みした。エンジンが高音で吠える。今の俺の感情のまま、パジェロはガダミスへ疾走した。



 新市街へ入ってすぐ、連続した銃声が起こった。もう始まっている。
 人々が逃げてくる方向へ逆らって、パジェロを走らせる。
 銃声が近くなってくる。フロントガラスに、びしっと蜘蛛の巣ができた。
 撃たれた。海外派遣仕様の強化ガラスでなかったら、今頃おだぶつだ。

「ちっ」

 小銃を手に取り、車の外へ出る。素早くバックへ回り、パジェロを遮蔽物にしながら弾が飛んできた方向をうかがう。
 銃声は飛び交っているが、追撃がない。どうやら流れ弾のようだ。
 ほっとしている間はない。ゲリラが掃討される前に、この手で鉛弾丸(だま)を撃ち込まなければならない。

 素早く路地に飛びこむ。銃火でも確認できれば、どこにいるのか判るのだが。今は音を頼りに進むしかない。
 十字路にさしかかるたび、音の方向と敵の有無を確認する。迷彩服を着ているから、掃討部隊に間違えて撃たれることはないだろうが、ゲリラは俺を見たら確実に撃ってくる。
 撃つなら撃てばいい。ふつふつと、怒りと闘志のシチューが煮えたぎる。

 空を裂く音と同時に、路地の壁が弾けた。
 近い。狙われている。
 演習場ならその場に伏せだが、ここでそんなことをしていたら狙い撃ちだ。素早く安全装置を外し、撃たれた方向へ一発撃つ。そして姿勢を低くして、次の角に飛びこむ。

 息が荒い。初めて射場以外で実包を撃った。射撃係も安全係もいない。誰も俺を止めない。そして的は人間だ。急に、自分のしていることが恐ろしくなってくる。
 宿営地に転がった空野の首を、俺たちをかばって立った空野の姿を、駒門駐屯地へ向かう車の中での会話を思い出す。
 怒りが、恐怖を塗りつぶした。

 いきなり、衝撃波が身体を叩く。爆薬か、砲撃か。対戦車ヘリか。ゲリラのものではあるまい。英語で何かを叫んでいるのが聞こえる。

 追え。ひとり逃げた。生きている。

 路地の向こうから、駆けてくる音がする。息を鋭く吐き、躍り出た。そして、瞬時に構える。佐官になる前の至近距離射撃の要領は、身体が覚えていた。
 照門をのぞいた先に、怯えた色黒の男が立っていた。戦闘服とも言えない安物の作業服は、砂埃にまみれている。ライフルを片手で持っていたが、どうあがいても俺の方が速い。

 こいつが、空野を殺したのか。
 こいつ個人ではないかもしれない。
 こいつの決断ではないかもしれない。
 俺はこいつのことを何も知らない。

「助けてくれ」

 下手くそな英語で、男は武器を落として手を上げた。
 空野は助けなど乞わなかっただろう。助けを乞う前に機関銃で撃たれただろう。
 降伏すれば捕虜として扱わなければならないし、降伏した敵を撃てば問答無用の戦争犯罪だ。
 だが、誰が俺の行為を見ている?
 空野は陸戦法規もジュネーブ条約も知らぬ連中に殺されたのだ。

 俺には撃つ資格がある。
 銃は肩から外さない。引き金にかけた指を、ゆっくりと締めていく。
 銃声が響いた。
 男は、ひどく悲しそうな顔で前のめりに倒れていく。
 俺は撃っていない。
 男が倒れた向こうに、オーストラリア軍の迷彩服を着た軍人がライフルを構えていた。

「OH……Major(少佐)加藤、こんなところで何を?」

 顔見知りの少尉だった。

「……散歩さ」

 少尉は、信じられないというように首を振った。

「こいつでゲリラは殲滅した。捕虜はいなかったよ」

 誇らしげに少尉は微笑んだ。
 空野の仇は、討ったのだろう。けれど、空野のために何もしてやれなかった虚しさが、全身を苛んでいた。
 


 俺は、パジェロで宿営地に戻った。
 宿営地は蜂の巣をつついたような大騒ぎになり、まずは走ってきた群長にそのままの勢いで殴られ、体勢が崩れたところへ背負い投げで地面に叩きつけられた。

「おまえ、どう責任を取るつもりだ」

 投げをきめた残心の姿勢のまま、横たわる俺に群長の声が落ちてくる。

「自衛隊、辞めます」
「馬鹿野郎!」

 胸ぐらをつかまれ、無理矢理立たされると、今度は払い腰で投げられた。

「群の責任は、私が取る」
「そんな必要はありません」

 荒木一佐は、雑巾のようになった俺を引きずり上げると、今度は大外刈りを食らわせた。

「私はおまえを止める機会があった。だが、力でねじ伏せられた。自衛官失格だ」

 荒木一佐の目は、優しかった。喉が詰まる。

「撤収が完了するまで、おまえは天幕から出ることを許さん。交代で見張りもつける。くれぐれもおかしなことを考えるなよ」

 それだけ言い残すと、群長はずかずかと去っていった。
 仰向けの姿勢で見上げる、アフリカの空はあまりに青い。涙がにじんできたのは、投げられた痛みのせいではなかった。
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