第8話 出会う前から
文字数 2,346文字
アパートを出て10分歩き、私鉄の電車に乗る。
1時間ほど揺られて、会社の最寄りの1コ手前の駅で降りる。
会社まで歩く途中、贔屓 のパン屋に寄り、イートインコーナーでパンとコーヒーの朝食をとる。
パンで獲得したカロリーを消費するように、早足で歩いてオフィスへ向かう。
エレベーターの手前に昇降を待つ人の群れ。
その中に智 がいた。
「今日は早いんだな」
「そうですね。早く来過ぎました」
智が挨拶がわりの皮肉を言う。
会社ではできるだけ、智にタメ口をきかないようにしている。
確かに、私は大抵、遅刻ぎりぎりで出社する。
余裕のある時間に来るとエレベーターが混雑していて、階段はセキュリティのため1階から上がれないようになっている。
そのため、エレベーターが空 く時間帯を狙って出社するのだ。
今日早めに出社したのは、昨日の件が気になったから。
4チーム合同の演習は、最後に謎のカーソルが規格外の強さでレベルAのバグを倒し、キレ気味のマスターAIが演習を打ち切る形で終わった。
智は今日、社内で他のリーダーと会議をする。
長縄くんも何か心当たりがあるとか。彼の話を聞きたくて、いつもより気持ち早めに出社したのだ。
人の群れがエレベーターに詰められていく。
数回それを見送り、ようやく私の仕事場へ到達した。
やっぱり次は、ぎりぎりの時間に来 ようと思った。
「おはようございます、古尾谷さん」
「おはよ、長縄くん。早速、聞かせてもらいたいな」
「本当、早速ですね」
言って、彼はフフッと笑った後、真面目顔に戻って話を続ける。
「僕はセキュリティ部のエンジニアがやったと思ってます」
「上の階の部署かぁ。何でそう思うの」
「僕と同時期に入社した人が、元々ネットで有名なハッカーなんです。その人なら、いたずらでも何でも、昨日みたいなことができるはずです」
「ハッカーを雇っていいの?」
「良い意味の方のハッカーですから。以前は個人で、企業のセキュリティホールを見つけて報告する仕事をしてたそうですよ」
彼、今日はやたらと饒舌 だな。なんでだろう。
その人が昨日の最強人型ロボットだったとして、わざわざ演習の邪魔をした理由は何なのだろうか。脆弱 性を知らしめたいなら、セキュリティ部なんだから上席に報告すれば済むのでは。
智が午前中ずっと会議で戻らなかったので、私と長縄くんは溜まっていた業務報告書を必死で書き上げた。リモートワーク中は、面倒臭い仕事をどうしても後回しにしてしまうきらいがある。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
正午のチャイムが、天井に取り付けられたスピーカーから再生される。
私達は報告書と睨 めっこを続けて血走ってしまった眼を休め、肩のこりをほぐすため、両腕を伸ばしつつ休憩室から屋外の小さなテラスに出る。
申し訳程度に常緑の低木が植えられていて、緑が目に優しい。ガーデンチェアに座って、晴れた心地良い空の下、コンビニ弁当を広げる。
「結局、智は戻って来なかったねぇ」
「さっきちらっと、社長も会議に参加してるって聞きましたよ」
それだけ大問題になってるのか、社長が面白がって参加しているのか、どっちだろう。
多分、後者だな。
「そのハッカーさんって、どんな人なの」
「僕と同じくらいの時期に入社したので、研修で一緒だったんですけど……」
長縄くんがそこで少し暗い顔になる。
「ほとんど喋らなくて、話しかけても無関心な感じで、ちょっと怖かったです」
「技術畑だとやっぱりそういう人が多いのかな。偏見だろうけど」
「僕も本来はその技術畑の人間ですけどね」
「あら、ごめんなさい」
私は誤魔化そうとして、長縄くんの頬を軽くつねる。
すると、彼の反対側の頬をつねる手が見えた。
「あにはるんてすか、あしゃみゃひゃん」
何言ってるか分かんないので、私は彼の頬を解放する。
「……古尾谷さん、こちら朝宮さんです」
長縄くんの後ろから、ひょっこりと長髪で幼顔の女性が顔を出す。
彼女はまだ頬をつねったまま、私に軽く会釈をする。
「痛いんでやめてくれませんか、朝宮さん」
半泣きで長縄くんが懇願すると、渋々彼女は、つねっていた手を離す。
彼の頬は少し赤くなっていた。痛そうだ。
私は微笑みながら朝宮さんに声をかける。
「古尾谷です。長縄くんと同じ所属です」
「……知ってます」
彼女は私から目を逸 らして呟 いた。
あれ、知り合いだっけ。と、記憶を辿 ったが、初対面としか思えない。
彼女は少しモジモジした後、意を決したように私に向き直る。
「あの! セリトとどんな関係なんですか?!」
「セリト……って社長のこと?」
私が聞き返すと、彼女はしっかり頷 く。
今、長縄くんの目はさぞかし輝いているのだろう。見ないでも分かる。
「まあ、とりあえず今日はそこまでにしておけよ。昨日のヒーローさん」
智が、壁にもたれて腕組みしながら声を掛ける。
「部長が呼んでたぜ。昨日、君がやったことの報告を聞きたいそうだ」
「事後報告なら昨日の内にしました。今はそれより大事な話をしてるんです」
彼女は怒り顔になり、ぶしつけな言い方で返す。
「古尾谷さん、セリトに興味がないなら近付かないでください」
「……興味はないけど、仕方ないのよ。約束だから」
朝宮さんは首を傾 げる。
「もういいです。アイル、ビー、バック!」
彼女はそう言って、不機嫌な足音を鳴らしながら休憩室へ入って行った。
「なんなんだ、あいつ! 情緒不安定か」
「僕、朝宮さんが初めて人間に見えました」
男どもがよく分からない声を上げる。
私はただ、目を点にして、呆然としていた。
とりあえず、彼女が昨日の最強人型ロボットだったらしいことは分かった。
そして生まれて初めて、出会う前から敵視されているという経験をした。
一体、彼女は何者なんだろう。
1時間ほど揺られて、会社の最寄りの1コ手前の駅で降りる。
会社まで歩く途中、
パンで獲得したカロリーを消費するように、早足で歩いてオフィスへ向かう。
エレベーターの手前に昇降を待つ人の群れ。
その中に
「今日は早いんだな」
「そうですね。早く来過ぎました」
智が挨拶がわりの皮肉を言う。
会社ではできるだけ、智にタメ口をきかないようにしている。
確かに、私は大抵、遅刻ぎりぎりで出社する。
余裕のある時間に来るとエレベーターが混雑していて、階段はセキュリティのため1階から上がれないようになっている。
そのため、エレベーターが
今日早めに出社したのは、昨日の件が気になったから。
4チーム合同の演習は、最後に謎のカーソルが規格外の強さでレベルAのバグを倒し、キレ気味のマスターAIが演習を打ち切る形で終わった。
智は今日、社内で他のリーダーと会議をする。
長縄くんも何か心当たりがあるとか。彼の話を聞きたくて、いつもより気持ち早めに出社したのだ。
人の群れがエレベーターに詰められていく。
数回それを見送り、ようやく私の仕事場へ到達した。
やっぱり次は、ぎりぎりの時間に
「おはようございます、古尾谷さん」
「おはよ、長縄くん。早速、聞かせてもらいたいな」
「本当、早速ですね」
言って、彼はフフッと笑った後、真面目顔に戻って話を続ける。
「僕はセキュリティ部のエンジニアがやったと思ってます」
「上の階の部署かぁ。何でそう思うの」
「僕と同時期に入社した人が、元々ネットで有名なハッカーなんです。その人なら、いたずらでも何でも、昨日みたいなことができるはずです」
「ハッカーを雇っていいの?」
「良い意味の方のハッカーですから。以前は個人で、企業のセキュリティホールを見つけて報告する仕事をしてたそうですよ」
彼、今日はやたらと
その人が昨日の最強人型ロボットだったとして、わざわざ演習の邪魔をした理由は何なのだろうか。
智が午前中ずっと会議で戻らなかったので、私と長縄くんは溜まっていた業務報告書を必死で書き上げた。リモートワーク中は、面倒臭い仕事をどうしても後回しにしてしまうきらいがある。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
正午のチャイムが、天井に取り付けられたスピーカーから再生される。
私達は報告書と
申し訳程度に常緑の低木が植えられていて、緑が目に優しい。ガーデンチェアに座って、晴れた心地良い空の下、コンビニ弁当を広げる。
「結局、智は戻って来なかったねぇ」
「さっきちらっと、社長も会議に参加してるって聞きましたよ」
それだけ大問題になってるのか、社長が面白がって参加しているのか、どっちだろう。
多分、後者だな。
「そのハッカーさんって、どんな人なの」
「僕と同じくらいの時期に入社したので、研修で一緒だったんですけど……」
長縄くんがそこで少し暗い顔になる。
「ほとんど喋らなくて、話しかけても無関心な感じで、ちょっと怖かったです」
「技術畑だとやっぱりそういう人が多いのかな。偏見だろうけど」
「僕も本来はその技術畑の人間ですけどね」
「あら、ごめんなさい」
私は誤魔化そうとして、長縄くんの頬を軽くつねる。
すると、彼の反対側の頬をつねる手が見えた。
「あにはるんてすか、あしゃみゃひゃん」
何言ってるか分かんないので、私は彼の頬を解放する。
「……古尾谷さん、こちら朝宮さんです」
長縄くんの後ろから、ひょっこりと長髪で幼顔の女性が顔を出す。
彼女はまだ頬をつねったまま、私に軽く会釈をする。
「痛いんでやめてくれませんか、朝宮さん」
半泣きで長縄くんが懇願すると、渋々彼女は、つねっていた手を離す。
彼の頬は少し赤くなっていた。痛そうだ。
私は微笑みながら朝宮さんに声をかける。
「古尾谷です。長縄くんと同じ所属です」
「……知ってます」
彼女は私から目を
あれ、知り合いだっけ。と、記憶を
彼女は少しモジモジした後、意を決したように私に向き直る。
「あの! セリトとどんな関係なんですか?!」
「セリト……って社長のこと?」
私が聞き返すと、彼女はしっかり
今、長縄くんの目はさぞかし輝いているのだろう。見ないでも分かる。
「まあ、とりあえず今日はそこまでにしておけよ。昨日のヒーローさん」
智が、壁にもたれて腕組みしながら声を掛ける。
「部長が呼んでたぜ。昨日、君がやったことの報告を聞きたいそうだ」
「事後報告なら昨日の内にしました。今はそれより大事な話をしてるんです」
彼女は怒り顔になり、ぶしつけな言い方で返す。
「古尾谷さん、セリトに興味がないなら近付かないでください」
「……興味はないけど、仕方ないのよ。約束だから」
朝宮さんは首を
「もういいです。アイル、ビー、バック!」
彼女はそう言って、不機嫌な足音を鳴らしながら休憩室へ入って行った。
「なんなんだ、あいつ! 情緒不安定か」
「僕、朝宮さんが初めて人間に見えました」
男どもがよく分からない声を上げる。
私はただ、目を点にして、呆然としていた。
とりあえず、彼女が昨日の最強人型ロボットだったらしいことは分かった。
そして生まれて初めて、出会う前から敵視されているという経験をした。
一体、彼女は何者なんだろう。