第19話 手当て
文字数 3,756文字
夢を見ていた。
私と男の人が、坂道を歩いて上 っていく。
手を、繋いでいる。
たわいもない話をしている。
買い物帰りだろうか、男の人の反対の手には、野菜やジュースの入った買い物袋がぶら下がっている。
夕暮れの空は澄んでいて、水色と橙 色のグラデーションが、ふたりの世界を彩 っている。
私は男の人に、幸せかと尋ねる。
彼は、はにかみながら、当たり前じゃないかと答える。
私は空を見る。
鳥の群れが、綺麗な形に並んで、遠い空へ飛んで行った。
私は鳥達に告げる。
さようなら、と。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「これ。おまえが落ちた時の動画だ」
智 が持ってきたタブレットで、ビルの10階から落下する様子を観る。
変なボディスーツを着た女が、ロボットと少しずつ離れながら落ちていく。抵抗することなく、頭を下にしている。この時すでに私の意識はなかったと思う。
落ち切る前に、動画を撮っているカメラの横から、誰かの悲鳴のような大声が聞こえる。英語みたいだ。
同時に、ネットが女に向かって射出される。ネットに包まれて落下のスピードが緩み、女は背中から道路に落ちた。
タブレットを智に返す。
「ネットを射 ってるのは、サラの同僚だ。無線でサラが『彼女を助けて!』って言った瞬間に対応してる。流石 だよ」
まだ背中から腰にかけて、激しく地面に打ちつけた部分が痛む。背中から落ちたように見えたが、実際はお尻が最初に着地していたらしく、尾てい骨にヒビが入っている。落ちた瞬間の前後不覚は、脳震盪 を起こしていたせいだろう。
病院のベットは、私のアパートのベッドよりも寝心地が良かった。
幸い、腕や足に損傷はない。痛み止めが効いている時間 は、普段通りに体を動かすことができる。
「それで、どうして智がこの動画を撮影してたのよ。サポートもしないで何してたの」
私は睨 みながら智に文句を言う。
「俺なりに色々とやってたんだ。あの時、ビルの周りには、広瀬さんがいて、サラの会社の奴等がいた。あと、ロボットの回収部隊もな」
「大人気スポットか……。はいはい、あなたは暗躍 してたのね」
「広瀬さんは、説得したけど止められなかった。それで、サラの同僚と話し合いしてる時に、道路の向こうにガラスが落ちて来た。動画を撮り始めたら、すぐにお前がビルから飛び出して落ちて来たんだ」
結局、今回の首謀者は広瀬さんということになったらしい。
実はあの人、クラウンモリワキ社のソフト、「フラクタル・グラウンド」の情報を盗んで、他社に売り渡すつもりだった。さらに、社長を強請 ろうとまで考えていたと供述している。私達を庇 っているつもりなのか、自暴自棄になっているのかは分からない。
広瀬さんはロボットに右足を潰されていて、入院しながら警察の聴取に応じている。奥さんと娘さんがいるらしいが、この先どうなるのだろう。
ロボットは、あのまま道路に落ちてバラバラになった。
サラの同僚達と智が私の救助をしてる間に、バラバラの部品はさっさと回収されてしまった。どこぞの会社の回収部隊とやらが、いつでも動ける体制をとっていたということだ。
智の報告を聞いていると、個室のドアが横に開き、希璃 と長縄くんが花を持って入ってくる。
「よーっす! さやかさん。元気ー?」
「入院中の人にかける言葉じゃないですよ、それ」
漫才が始まったのかな。
「でも結構、元気だよ。もう普通に散歩とかしてるし」
「良かった。スマートグラスの映像で外に飛び出したのが分かった時、私、大きい声で叫んじゃった」
「びっくりしましたよ。朝宮さんが泣きながら、『さやかさんが死んじゃった』って大声で喚 いてて。僕はすぐに車を出て駆けつけたんですけど、ちょうど古尾谷さんが黒い車で病院へ向かうところで、泊 さんが世界の終わりを見たみたいな凄い形相 してました」
長縄くんてこんなに喋る子だっけ。もしかして……。
「希璃は長縄くんと一緒に来たの?」
「そう。この男、運転は上手いから。足には最高の人材ね」
「えへへ、そんなに褒めても、なんにも出ませんよ」
いや、褒められてないし。多分、一方通行だな。
希璃はマスターAIのシステムの解析に成功した。シルグラン・メビウス社が開発して、現在クラウンモリワキ社が保有するそのAIには、やはり最初からバックドアが仕掛けられていた。そして、「バトル・フラクタル」のプログラムがそのまま取り込まれており、いつでも発動できる状態になっていた。
希璃が雇っている敏腕弁護士によって、今回の事件について2社との取り引きが行われた。情報を世間に公表しないことと引き換えに、私達を訴えないように、今まで通り勤務できるように約束させたのだ。さらに、世界中に販売しているAIプログラムから、バックドアや使用者に悪意を向ける仕様の排除を求め、すべての要求を飲ませた。
「うちの弁護士は優秀だからね。私達は前科1犯にはならないわ」
「朝宮はそのうち別のことで捕まりそうだけどな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私は病院の中庭のベンチに座り、呆 けていた。
皆と病室でワイワイと騒いでいたからか、少し疲れてしまった。まだ、あれから1週間。目が覚めてからは5日しか経っていない。病み上がりにあの人達のハイテンションはささる。
中庭の木々の葉は仄 かに赤みがかり、深緑と混ざりあっていて、季節が移 ろいゆくことを感じさせていた。
私が空に向けて溜め息を吐いていると、横から下手くそな日本語のイントネーションが聞こえた。
「ミス古尾谷。元気ですか」
「あのね、入院中の患者は普通、元気じゃないのよ。私はそこそこ元気だけどね」
「日本語は難しい。ワタシ、頑張ります」
ブロンドの髪を下ろしたサラが、私の横に座る。改めて近くで見ると、お人形さんみたいで、その美しい顔に少し心臓の鼓動が大きくなる。
「そんなこと言いに来たの?」
「ワタシからは、謝りに来ました。モリワキ社長の大切なあなたに、危険なことさせてしまいました。ごめんなさい」
「サラが教えてくれたから、私達は進むことができた。まあ結局、広瀬さんの口車に乗っちゃったんだけどね。とにかく色々なことが前に進んだ。これで良かったのよ」
サラは私の方へ向き直る。
「やっぱり、古尾谷さんはいい人。これから個人的に、あなたも守りたいです」
「なにそれ。私なんかより……そういえば、社長は大丈夫だった?」
「それは、本人と話してください」
サラは、私の左手をぎゅっと両手で握って頷 くと、ベンチから立ち上がり、歩いて行った。
入れ替わりで、社長がどこからともなく現れた。
ベンチの前で立ち止まり、しばらく沈黙して私を見下ろしている。
「お怪我は……ありますね」
服の左腕部分が膨らんでいる。包帯か何かつけているのだろう。あと、頭に大きめの絆創膏が貼られている。見た目は私より患者っぽい。
「きっと天罰ですよ。僕は人工的とはいえ、知能を持った存在を弄 んでいたから」
「あのロボットくんのことでしょうか」
「はい」
社長は暗い表情のまま、私の隣にゆっくりと座る。
「あのロボット……ランダーは、僕が会社とは関係なく、依頼されてAIを埋め込んだ、完全自立型の軍用兵器の試作品です」
「えっ、私にそんな事、話して大丈夫ですか?」
「大丈夫です。さやかさんには、知る権利がある」
「な、なら、どうぞ……」
秘密主義の人と思ってたから、意外すぎてキョドってしまった。
社長は少し深呼吸してから続ける。
「AIに音声で言葉を教えていたのですが、ある日、僕がランダーにとっての何かと聞かれ、父親だと言ってしまったんです」
子供の代わりを作ろうとしたのではなく、そういう設定しか思い浮かばなかったのだとしても、ちょっと悪趣味な気がした。
私の冷たい視線から逃げるように、社長は空を眺めながら続ける。
「ランダーは言語の発達はいまいちでしたが、時々、繋がっていないはずの基幹AIのプログラムに影響を与えることがありました。それに、僕がサーバ室にいない時でも、幻聴のようにランダーの声が聞こえることがあって、恐怖を感じてさえいました」
私の頭にも、何の機械も通さずにあの子の声が聞こえた。超能力のようなものだろうか。
「だから、あの時ランダーが落ちて壊れなくても、いずれは僕自身の手で破壊していたかも知れません」
社長は、また私の顔を見て、真剣な表情で続ける。
「これからしばらく、後処理のためにアメリカに行くことが増えると思います。だから、これまで続けてきた毎月の約束は、一旦お休みさせてください」
「それは別にいいですけど。社長、もう、死のうとしないでくださいよ」
社長は私の顔を見て、優しく微笑む。
「はい。僕はもう……」
社長の声が詰まる。視線を泳がせ、複雑な表情に変わる。
「……僕はさやかさんを、傷つけてしまいました」
「でも、それは私達が――」
私の肩に、社長が顔を埋 める。
社長の両腕が、私の背中を優しく包む。
「生きててくれて、ありがとう……」
肩に濡れた感触が広がる。
社長は卑怯だと思った。これじゃ、もう何も言えない。
私は空に向かって息を吐く。言おうとしていた文句や小言が、空に溶けていくような気がした。
「……大丈夫。もう、大丈夫だよ」
私は、泣きじゃくる社長の髪を、そっと撫 でた。
私と男の人が、坂道を歩いて
手を、繋いでいる。
たわいもない話をしている。
買い物帰りだろうか、男の人の反対の手には、野菜やジュースの入った買い物袋がぶら下がっている。
夕暮れの空は澄んでいて、水色と
私は男の人に、幸せかと尋ねる。
彼は、はにかみながら、当たり前じゃないかと答える。
私は空を見る。
鳥の群れが、綺麗な形に並んで、遠い空へ飛んで行った。
私は鳥達に告げる。
さようなら、と。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「これ。おまえが落ちた時の動画だ」
変なボディスーツを着た女が、ロボットと少しずつ離れながら落ちていく。抵抗することなく、頭を下にしている。この時すでに私の意識はなかったと思う。
落ち切る前に、動画を撮っているカメラの横から、誰かの悲鳴のような大声が聞こえる。英語みたいだ。
同時に、ネットが女に向かって射出される。ネットに包まれて落下のスピードが緩み、女は背中から道路に落ちた。
タブレットを智に返す。
「ネットを
まだ背中から腰にかけて、激しく地面に打ちつけた部分が痛む。背中から落ちたように見えたが、実際はお尻が最初に着地していたらしく、尾てい骨にヒビが入っている。落ちた瞬間の前後不覚は、
病院のベットは、私のアパートのベッドよりも寝心地が良かった。
幸い、腕や足に損傷はない。痛み止めが効いている
「それで、どうして智がこの動画を撮影してたのよ。サポートもしないで何してたの」
私は
「俺なりに色々とやってたんだ。あの時、ビルの周りには、広瀬さんがいて、サラの会社の奴等がいた。あと、ロボットの回収部隊もな」
「大人気スポットか……。はいはい、あなたは
「広瀬さんは、説得したけど止められなかった。それで、サラの同僚と話し合いしてる時に、道路の向こうにガラスが落ちて来た。動画を撮り始めたら、すぐにお前がビルから飛び出して落ちて来たんだ」
結局、今回の首謀者は広瀬さんということになったらしい。
実はあの人、クラウンモリワキ社のソフト、「フラクタル・グラウンド」の情報を盗んで、他社に売り渡すつもりだった。さらに、社長を
広瀬さんはロボットに右足を潰されていて、入院しながら警察の聴取に応じている。奥さんと娘さんがいるらしいが、この先どうなるのだろう。
ロボットは、あのまま道路に落ちてバラバラになった。
サラの同僚達と智が私の救助をしてる間に、バラバラの部品はさっさと回収されてしまった。どこぞの会社の回収部隊とやらが、いつでも動ける体制をとっていたということだ。
智の報告を聞いていると、個室のドアが横に開き、
「よーっす! さやかさん。元気ー?」
「入院中の人にかける言葉じゃないですよ、それ」
漫才が始まったのかな。
「でも結構、元気だよ。もう普通に散歩とかしてるし」
「良かった。スマートグラスの映像で外に飛び出したのが分かった時、私、大きい声で叫んじゃった」
「びっくりしましたよ。朝宮さんが泣きながら、『さやかさんが死んじゃった』って大声で
長縄くんてこんなに喋る子だっけ。もしかして……。
「希璃は長縄くんと一緒に来たの?」
「そう。この男、運転は上手いから。足には最高の人材ね」
「えへへ、そんなに褒めても、なんにも出ませんよ」
いや、褒められてないし。多分、一方通行だな。
希璃はマスターAIのシステムの解析に成功した。シルグラン・メビウス社が開発して、現在クラウンモリワキ社が保有するそのAIには、やはり最初からバックドアが仕掛けられていた。そして、「バトル・フラクタル」のプログラムがそのまま取り込まれており、いつでも発動できる状態になっていた。
希璃が雇っている敏腕弁護士によって、今回の事件について2社との取り引きが行われた。情報を世間に公表しないことと引き換えに、私達を訴えないように、今まで通り勤務できるように約束させたのだ。さらに、世界中に販売しているAIプログラムから、バックドアや使用者に悪意を向ける仕様の排除を求め、すべての要求を飲ませた。
「うちの弁護士は優秀だからね。私達は前科1犯にはならないわ」
「朝宮はそのうち別のことで捕まりそうだけどな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私は病院の中庭のベンチに座り、
皆と病室でワイワイと騒いでいたからか、少し疲れてしまった。まだ、あれから1週間。目が覚めてからは5日しか経っていない。病み上がりにあの人達のハイテンションはささる。
中庭の木々の葉は
私が空に向けて溜め息を吐いていると、横から下手くそな日本語のイントネーションが聞こえた。
「ミス古尾谷。元気ですか」
「あのね、入院中の患者は普通、元気じゃないのよ。私はそこそこ元気だけどね」
「日本語は難しい。ワタシ、頑張ります」
ブロンドの髪を下ろしたサラが、私の横に座る。改めて近くで見ると、お人形さんみたいで、その美しい顔に少し心臓の鼓動が大きくなる。
「そんなこと言いに来たの?」
「ワタシからは、謝りに来ました。モリワキ社長の大切なあなたに、危険なことさせてしまいました。ごめんなさい」
「サラが教えてくれたから、私達は進むことができた。まあ結局、広瀬さんの口車に乗っちゃったんだけどね。とにかく色々なことが前に進んだ。これで良かったのよ」
サラは私の方へ向き直る。
「やっぱり、古尾谷さんはいい人。これから個人的に、あなたも守りたいです」
「なにそれ。私なんかより……そういえば、社長は大丈夫だった?」
「それは、本人と話してください」
サラは、私の左手をぎゅっと両手で握って
入れ替わりで、社長がどこからともなく現れた。
ベンチの前で立ち止まり、しばらく沈黙して私を見下ろしている。
「お怪我は……ありますね」
服の左腕部分が膨らんでいる。包帯か何かつけているのだろう。あと、頭に大きめの絆創膏が貼られている。見た目は私より患者っぽい。
「きっと天罰ですよ。僕は人工的とはいえ、知能を持った存在を
「あのロボットくんのことでしょうか」
「はい」
社長は暗い表情のまま、私の隣にゆっくりと座る。
「あのロボット……ランダーは、僕が会社とは関係なく、依頼されてAIを埋め込んだ、完全自立型の軍用兵器の試作品です」
「えっ、私にそんな事、話して大丈夫ですか?」
「大丈夫です。さやかさんには、知る権利がある」
「な、なら、どうぞ……」
秘密主義の人と思ってたから、意外すぎてキョドってしまった。
社長は少し深呼吸してから続ける。
「AIに音声で言葉を教えていたのですが、ある日、僕がランダーにとっての何かと聞かれ、父親だと言ってしまったんです」
子供の代わりを作ろうとしたのではなく、そういう設定しか思い浮かばなかったのだとしても、ちょっと悪趣味な気がした。
私の冷たい視線から逃げるように、社長は空を眺めながら続ける。
「ランダーは言語の発達はいまいちでしたが、時々、繋がっていないはずの基幹AIのプログラムに影響を与えることがありました。それに、僕がサーバ室にいない時でも、幻聴のようにランダーの声が聞こえることがあって、恐怖を感じてさえいました」
私の頭にも、何の機械も通さずにあの子の声が聞こえた。超能力のようなものだろうか。
「だから、あの時ランダーが落ちて壊れなくても、いずれは僕自身の手で破壊していたかも知れません」
社長は、また私の顔を見て、真剣な表情で続ける。
「これからしばらく、後処理のためにアメリカに行くことが増えると思います。だから、これまで続けてきた毎月の約束は、一旦お休みさせてください」
「それは別にいいですけど。社長、もう、死のうとしないでくださいよ」
社長は私の顔を見て、優しく微笑む。
「はい。僕はもう……」
社長の声が詰まる。視線を泳がせ、複雑な表情に変わる。
「……僕はさやかさんを、傷つけてしまいました」
「でも、それは私達が――」
私の肩に、社長が顔を
社長の両腕が、私の背中を優しく包む。
「生きててくれて、ありがとう……」
肩に濡れた感触が広がる。
社長は卑怯だと思った。これじゃ、もう何も言えない。
私は空に向かって息を吐く。言おうとしていた文句や小言が、空に溶けていくような気がした。
「……大丈夫。もう、大丈夫だよ」
私は、泣きじゃくる社長の髪を、そっと