第16話 決意

文字数 2,731文字

 出社日の朝は少し憂鬱(ゆううつ)だ。
 電車は混んでるし、駅の中は人の流れが急流の川みたいだ。何よりも、普段アパートの自室でこもって作業しているので、たくさん人がいる場所では人酔いしてしまうようになった。

 いつもの早めの電車に乗ったが、今日は何かの試験らしく、学生が多く乗っている。そのせいで、満員電車に近い状態になっている。

 私は体を押され、片足と吊り革の2点だけで自重を支える。しんどいやと思いながら足に力を入れて耐えていると、さらに隣から押されて、体勢が「くの字」になった。
 無理無理、限界ですよ!

 筋トレ並みに自分の全ての力を込め、倒れまいと踏ん張る。左手がプルプル震え出した。もうダメだと思った。
 その時、電車のブレーキによるGがかかり、隣のオッサンは元居た位置に戻っていく。ようやく力を解放できてホッとしていると、上着のポケットを触られた気がした。

 すぐにポケットを見ると、そこに手は無かった。痴漢かと思ったが、あまりにもニッチな趣向すぎるので、そのセンは消した。
 ポケットには何も入れてなかったはずなので、何か取られたということもない。やっぱり気のせいかと、会社の最寄駅まで引き続き、横から前から後ろからの圧迫に耐えた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「これ、何だろうね」

 私は(さとし)に、1枚の小さな紙を見せる。
 いつの間にかポケットに入っていたもので、おそらく電車内で誰かが、私と認識した上で入れたようだ。

「18時 殴られに来い、か」

 智が紙を裏返したり、シワを伸ばしたりしながら、書かれている内容を読み上げた。指を顎に当て、考える姿勢をとる。
 オフィスは時々遠くから人の声がするくらいで、がらんとしている。希璃(きり)と長縄くんはリモートワークなのでオフィスにはいない。

「この字、どっかで見たことあるんだよなあ。入れた奴の顔は見てなかったのか」
「満員電車でそれどころじゃなかった。あれは社会との戦いよね」
「しょうもない戦いだな。……戦い?」

 いきなり、智が椅子から立ち上がった。
 小さな紙をしっかりと凝視してから、智は私の腕を取って、休憩室の外のテラスへ連れて行く。

「社内だと話せないようなことなの?」
「これを書いた人に心当たりがある。場所も、俺には分かる。さやかのポケットに入れたら、俺に見せるって分かってたんだ」

 私は首を(かし)げる。こいつは話が回りくどい。

「結局、この紙は誰が入れたのよ」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 夕方、私と智は高架下の小さな公園のベンチに座っていた。

「本当にここ? ホームレスみたいな人しかいないけど」

 私が小声で(つぶや)くと、智は少し笑った。

「だそうですよ、広瀬先輩。ちなみに、誰も尾けて来てないですよ」

 ホームレス風の男が、地面の上に敷いていた段ボールを持って、こちらに近付いてくる。ん? 広瀬先輩?

「本当だ。広瀬さん、だ」
「こんな格好じゃ分からないよな。(とまり)にメモを見せてくれて、ありがとう。古尾谷さん」

 広瀬さんは、ぐるっと周りを見回す。

「泊は、よくここが分かったな。ほとんど、賭けみたいなもんだったが」
「新人歓迎会の後、泥酔した広瀬先輩に思いっきりグーで殴られた場所ですから。忘れられませんよ。今はもう怒ってないですけどね」

 少し笑いながら、広瀬さんは深めに被っていたニット帽を取る。ボサボサの髪が現れる。髭は伸び放題で、服からは汗の匂いが漂ってくる。

「クラウンモリワキ社とシルグラン・メビウス社のことを調べていたら、24時間監視されるようになってね。尾行を()いたから、家に戻れなくなっちまった」
「先輩。誰から逃げてるんですか」
「やたらとガタイの良い奴等だ。外国人だろう」
「広瀬さんは、何者と戦おうとしてるんですか」
「社長の背後にある正体不明の悪意、かな」

 正体不明と聞いて、私はあの事だと確信した。

「レベルAのバグを広瀬チームの世界に呼び込んだ犯人ですね」

 広瀬さんは意外そうな表情で答える。

「そこまで調べてるのか。なら僕はある程度、君達に任せるべきだったかも知れないな。会社を辞めてまで抵抗しようとしたのは失敗かな」
「先輩は、やっぱり辞めてたのか。辞令は無かったけどな」
「そりゃ正式に退職願を出してないからなぁ。僕はフェードアウトしたようなもんだ」

 話が進まない。こんな雑談のために呼び出したわけじゃなさそうなのに。

「すいません。広瀬さんは私達を、何のために?」
「そうだな、そろそろ本題に入るか」

 広瀬さんは、小さな声で作戦を教えてくれた。
 その内容に、私と智は目を見合わせる。智は今度こそ、マンションをローンで買ったこと、後悔するべき時が来たようだ。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 (とまり)チームの4人は、ファミレスに集まっていた。

「ねぇ、さやかさん。それ本気で参加するの?」

 希璃が眉を(ひそ)めて問う。

「ミスターパーフェクトって呼ばれてた広瀬さんが、私達しか頼れないって言うんだから。それ無下に断れないでしょ」
「俺も同意見だ。それに、広瀬先輩がやろうとしてる事の先には、多分、俺達の目的と同じものがあるはずだ」
「何で僕も呼んでくれなかったんですか。広瀬さんには最初の研修でお世話になったから、少しでもいいから話したかったです」
「で? 結局、どうするのか、はっきりしてもらえますか」

 腕組みをしながら希璃が最後通告をする。彼女は社長に関わることだと厳しい。多分、やりたくないけど、やらなきゃ先に進めないからイライラしてるんだろう。

「私は、智が決めるべきだと思う。一応リーダーだし」
「一応って何だよ。やるよ。クビになったって、ここで逃げるよりかはマシだ。絶対、何かある。その何かを暴いてやる」

 智の鶴の一声でファミレス会議は終了した。

 希璃と一緒に歩く。空は晴れているが、星はほとんど見えない。この街の光が、空の闇を強くしているようだ。

「さやかさんは、セリトのこと、どう思ってる?」

 希璃が私の顔を見ながら、真剣な表情で聞く。

「これは、同情なのかなー。溺れてるのを助けた時、あの泣き顔を見て、すごく弱い人だと思ったんだ。あの人の気持ちを完全に理解できてるとは思ってないけど、ね」
「私は昔からセリトのことが好きだった。パソコンオタクになったのも、セリトがきっかけ。まあ、全然相手にされなかったけどね。いつの間にか結婚して、子供ができて、失って。それを遠くから眺めてただけ。私には何にも話してくれなかった」

 希璃はそう言って、渇いた笑いを浮かべる。

「さやかさん。セリトが隠してること、見つけよう。私もモヤモヤしてるのは嫌だから」
「そうだね。どっちに転んでも、前には進めるよ。それが真相だったとしても、地獄だったとしても」

 私達は散り散りに輝く星を見上げながら、戦いに臨む決意をした。
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