第23話 勝負

文字数 3,395文字

 希璃(きり)がファイルのページを次々と(めく)っていく。

「そんなんで読めてるの?」
「今、話しかけないで。速読は集中力が全てなの」

 邪魔をしてしまった。希璃は大きくひと呼吸して、またページを(めく)り始める。

 オフィスでは、長縄くんを筆頭に、テストチームの面々が不思議な動きを繰り返している。タコ踊りやロボットダンスをしている人もいる。
 部長が見たら、泡を吹いて倒れるか、全員、謹慎処分を受けるんだろうな。

 希璃は最後のページを(めく)り、もう何も書かれていないことを確かめる。

「ふう。遠藤教授の設計思想は分かったわ。でも、危険なことは書かれてない。アルゴリズムを組み合わせて、様々な要求に最適な答えを出すための仕組みばっかり。要するにディープラーニングによらないAIを作るための考え方ね」

 希璃で分からないなら、望み薄だなと思っていると、オフィスの電話が鳴った。

「はい。クラウンモリワキ、開発部です」

 部名を名乗ると、受話器からついさっき聞いた声がした。

「シルグラン・メビウスの伊盛(いさかり)と申しますが……あれ? セリトさんの彼女さんですか?」
「違うけど、伊盛さんが想像している者ではあります。どうされましたか」
「さっきお渡ししたファイルですけど、ゲーム好き、それか、ファンタジー物が好きな人に見せた方がいいっスよ」
「どうしてですか」
「ここまでが、ボクにできる最大限の親切ってヤツです。セリトさんによろしくお伝えください。じゃ」

 そう言って勝手に電話を切られてしまった。なんだコイツ。
 私はオフィスを見回し、踊り狂う長縄くんに声を掛けた。

「長縄くんさぁ、確かゲーム好きだったよね」
「ゼェ……はい。それなりですけど」
「ちょっとこのファイル読んでみて」
「さやかさん! 私が見て分からないのに、長縄に見せてどうするのよ」

 やるせない表情でオフィスチェアに座り、長縄くんは息を整えてファイルを読み始める。ゆっくりとページを読み進めていく。

「ねぇ、さやかさ……」
「シッ」

 人差し指を唇に当てて、希璃を制する。彼女は、所在無げにふらふらとどこかへ行ってしまった。
 長縄くんが何かに気付いたように、肩をピクリと動かす。振り返り、私を手招きする。

「古尾谷さん。これを見てください」

 彼の指差す箇所を見る。文章の中に、平仮名を書き損じたような文字があった。

「字が下手ね」
「そういうことじゃなくて。ええと、これは多分、ルーン文字です。ファンタジーでたまに出てくるんです。宝石や石に刻まれた文字とか」
「へぇ。教授もそういうの好きなのかな。……ん?」

 長縄くんが両手をパチンと叩き、勢いよく立ち上がり、叫ぶ。

「そういうことです! 皆を集めてください!」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「希璃、(さとし)を見なかった?」
「さやかさんと帰って来てから、すぐに開発部長の所に行ったみたい」
「ふーん……」
「そういえば、帰って来た時に楽しそうに話してたけど、何かあった?」
「別に。まあ、何も変わってはいないかな」

 希璃が(いぶか)しそうに私の顔を覗く。
 長縄くんが、集まった皆へ大きな声で告げる。

「今から、実験をします。ルーン文字には、いくつか悪い意味の言葉があります。それを、手袋で描きます」

 長縄くんが、指を伸ばして、アルファベットなのか平仮名なのか分からない文字を宙に描く。いくつかの組み合わせを試した時、希璃が声を上げる。

「長縄! 火!」

 長縄くんの右手にはめている手袋に、火がついた。
 すぐに希璃が駆け寄り、手袋を破るように外し、床に捨ててパンプスで何度も踏みつけ消火した。

「ちょっと! 火傷(やけど)してるじゃない!」

 長縄くんを引っ張って、希璃は給湯室の方へ走っていく。

 私は床の上の焦げついた手袋を拾い上げる。
 自動ドアが横に開き、部長と智が入って来る。

「さやか。なんだそれ」
「長縄くんが、自分の身をもって証明しました。この手袋で特定のルーン文字を描くと、イフリート・システムが悪さをします」

 部長が驚いた表情で智を見る。智は(うなず)いて、皆を見回す。

「事故報告書のアクセスポイントから、手袋の所有者を割り出した。全員、遠藤教授のゼミ生だ」

 そう言って、智は私が持っている手袋を取り、時計を見る。
 すぐにスマホでどこかに電話をかける。

「遠藤教授ですか、クラウンモリワキの(とまり)と申します。ええ、その(せつ)はお世話になりました。また少しお伺いしたいことがありまして、1週間後はどうでしょうか」

 そんな悠長な、と言おうとしたら、智は手をこちらに伸ばし制止した。

「ありがとうございます。その日で結構です。それでは、失礼します」

 スマホの終話ボタンをタップすると、すぐに私の方を向く。

「行くぞ」

 私の腕をとり、引っ張る。
 私は引き()られるようにオフィスから出て、廊下を歩いていく。

「なんで? 1週間後じゃないの?」
「教授のオフィスに振り子時計があっただろ。さっき通話中、17時きっかりにメロディーが聴こえた。教授は今、オフィスにいる」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 智が、近代的なオフィスに似合わない古い木の扉を叩く。しばらくして、ゆっくりと扉が開く。教授は少し息が荒く、ほんのり汗をかいているように見えた。

「今日来るとは、伺っていなかったはずだが」
「教授の返答次第ではすぐに帰ります。たくさんの人の生活がかかってるんだ。話をさせてください」

 智が深く頭を下げる。私もつられて少し頭を下げる。

「……入りたまえ」

 手で指示されて、黒い革張りのソファーに座る。智は座りながら、オフィスの中を見渡している。

「さて、質問なら手短(てみじか)にお願いしますよ」
「どこかに旅行に行くつもりだったんですか? リュックサックがパンパンですよ。まさか、毎日あんな荷物があるわけじゃないですよね」

 智の言葉に教授の表情がこわばる。

「君は……まさか、17時きっかりに電話してきたのも、わざとなのか。なかなか策士じゃないか。気に入ったよ」

 教授はねちっこい笑いを浮かべる。こんなキャラだったっけ。

「あなたは自分では試さず、ゼミ生にルーン文字を描かせ事故を起こさせた。何のためですか」

 智の問いかけに、教授は目を(つむ)り、(あご)からだらんと伸びた(ひげ)を触る。しばらくして目を開け、私を見て、声を出す。

「モリワキくんは選別という言葉を使っていたね。それは、非常に受け身だ。勝負は、結果的に勝てばいいというものではない。最初から、勝つつもりで始めるものなんだ」
「始めから……こうするつもりだったんですか?」

 私の震える声に、教授の顔が少し優しくなった気がした。

「前にも言ったが、私はモリワキくんの技術発表を見て、がっかりしたんだ。それほど画期的でもない、単にAIでこんなことしてみました、のようなつまらない内容だったからね。ディープラーニングでやれることが増えたところで、私の設計したイフリート・システムの方が優れてるんだよ」

 教授は立ち上がり、窓の外を眺める。

「すでにフラクタル・グラウンドは、私のシステムに侵食されつつある。正式リリースされれば、世界中にばら()かれたシルグラン・メビウス社の他のAIも巻き込んで、面白いことになるぞ」

 そう言って、教授は大声で笑う。
 私は立ち上がり、教授を(にら)んで問う。

「どうしたら、やめてくれますか。せっかくの技術を、なんでそんなことに使うんですか。どうして皆を不幸にしようとするんですか!」

 目から涙が流れる。それでも、私は教授を(にら)み続ける。

「勝負は、ずっと前から始まっていたんだよ。今更、何を言ったところで、止められはしない。勝ち負けがはっきりするまで、傍観しているしかないんだ」
「なら、何で教授は逃げる準備をしていたんですか。何もできないなら、どっしりとここで結果を待てばいいはずだ。ゼミ生を使って成果を試す必要もなかった。本当は、解除の方法があるんですよね」

 智の言葉で教授の唇が震える。
 遠藤教授は、天井を見上げ、何かを(つぶや)く。そして、ゆっくりとソファーに座り直して、顔を上げる。

「そうだな、このまま楽勝というのもつまらない。一度だけチャンスをやろう。明日の朝10時に、私はフラクタル・グラウンドのアトラクション、竜王城(ドラゴンキャッスル)の最上階にいる。正午までに私を倒したら、設計書をお渡ししますよ」

 智を見ると、彼は(うつむ)いて何か考えている様子だ。
 私は教授をしっかりと見据(みす)え、宣言する。

「望むところです! 絶対に勝ってやるんだから!」
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