鈴木史朗

文字数 4,302文字

目を開けて周りを見回す。
白い壁と床にドアがひとつ。
大人1人が横たわって、調度すっぽりと入る箱が並んでいるだけの部屋。

「ようこそいらっしゃい」
黒服に眼鏡の男が丁寧にお辞儀する。
「ここはどこだ?」
ソワソワと翡翠でできたカフスに手をやりながら聞く。
「ここ……といわれましても。……少々記憶が混乱されているようですね。鈴木史朗様。」
黒服が微笑んで答える。
「なぜワシの名前を知っているんだ?」
カフスに彫られた紋様を指先で感じながら聞く。
「怪しいものではございません。……そうですねぇ……鈴木さま、気になってる人はいませんか?」
こちらの質問に答えになっていない答えを返し、話題をそらしてくる。
「気になってる人?それがなんの関係が?」
聞き返すがそれに対する返事はなく、
穏やかな笑顔で見つめられる。
しばらく無言で見つめあっていたがやがて根負けした。
「気になる人……親も友人も全員見送った。良かったかどうかわからないが、嫁さんをもらうこともなかったし……80年も生きてるとな。……もう此方での知り合いよりも、彼方での知り合いの方が多いんだわ。わっはっは!!」
答えると、黒服は曖昧に笑い
「左様でございますか。では、質問を変えます。残りは49日しかございません。なにか思い残したことはありませんか?」
さらさらと出てきた言葉に聞いて納得する。49日……四十九日法要……。
「そうか……ワシ死んだのか。えらく現代的な三途の川だなぁ。箱じゃなくてあれは、そうか棺か」
並んでいる箱を指差して、
改めて数えると並んでるのは6箱。
ふと、死因が気になったが知ったところで意味もなさそうだ。
「今すぐに皆の元へ送ってもらうって訳には行かないのか?今言うたとおり、親しい者は皆彼方側なんだ」
そう聞くが、黒服はなにも言わない。
なるほど。49日間の暇潰しを考えないといけないのか。
「この過ごし方でな、……天国に行けるか地獄に行くか決まったりするのか?」
「そういう事には関係いたしません」
安心してほしいとでもいうように微笑む黒服。
「……そうか、そうか。だったら。ワシの葬儀の様子がみたい。」
「申し訳ございません。現在執り行われていないためお見せできません。」
黒服がすまなさそうな表情で答える。
「どう言うことだ……まさかワシは弔ってもらえてないのか!?思えば独り暮らしで、訪ねてくれる人も居なかったし……」
孤独死という言葉が脳裏をよぎる。嫌だと本能的に思う。残してきた体など、些末なことなのかもしれない。
が、それでも、かけてしまう迷惑を想像すると申し訳ない。
「……できることに制限があるのです。ご説明してもよろしいでしょうか?」
黙ってしまったワシを心配してか、黒服が続ける。
「まず、未来をお見せすることはできません。
過去をお見せすることも、録画など一定の条件を満たした場合以外は、できません。現在の風景をみることはできますし、会いたい人に会うことはできます。ただし、話したり、触れたりはできません。物を動かすことも無理です。」
「なんだ、ただ見ることしかできないのか」
それもそうか、手も足もあるがワシはいわゆる幽霊。動かせたとしたら怖がらせるだけだろう。49日間ただ寝てるのも暇だ。落ち着かず、口許に手をやった時にカフスが目に入る。Sの彫刻のされたそれが淡く光る。
「あぁ。1人会いたい人がいる」
カフスをつるりと撫でて大きく息を吸い吐く。
「どなた様ですか?」
黒服が聞く。
「このカフスをくれた親友。町田 友三に会いたいんだ。友三も、もう歳で最後にあったのは何年も前だ。生きてるかはわからんが」
彫られたSの字をなぞる。
「承知いたしました。手続きがあるので数日お時間いただきます。その間他にしたいことはございますか?」
「なんだ、お役所みたいな事いうんだなぁ?まぁ、本でも渡してくれたら数日ぐらいは潰せるさ」
言った直後に壁一面に本棚が出てくる。
「おぉ!!」
これだけあれば、しばらく時間が潰せる。試しに一冊手にとろうとするが触れない。
「……こちらを」
小型電子機器を渡される。
「使い方はわかりますか?」
スマートフォンを大きくしたようなそれの画面を試しにタップしてみる。
本のアイコンが出てきてそれをタップ。
「大丈夫だ、問題ない」

本を読み始めたのを見届けて黒服の男が立ち去る。

日がな1日、小説を読んでは寝る日々を繰り返す。本と本の継ぎ目に考えるのは、町田 友三の事。
友三と出会ったのは小学生の頃だ。
進学して、学校で顔を合わせることがなくなってからも、
ふと立ち寄った喫茶でたまたま鉢合わせる。ひょいと片手をあげる友三にハイタッチして相席する。
「いる気がしたんだわ」
とお互いが笑いあって1杯のコーヒーを飲む。
そんな日々が何十年と続いた。心地のいいその関係に終止符を打ったのはワシだ。

カフスをつるりと撫でる。
自らが興した会社を後継者に引き継いだんだと友三に話した。
それを受けて、隠居生活のスタート祝いに。と、友三が私に贈ってきたものだ。
「史朗、これ、イニシャルもいれてもらった」
手渡された箱に入ったカフスとネクタイピン。

「……馬鹿にしやがって!!」
唾を飛ばして激昂するワシの言葉に、
喜ぶ顔を期待していた友三の顔が凍り付く。
「これからスーツを脱ぐんだぞ。ただの年寄りになろうという人間に、贈るものとして不適切だ!実はお前、なんの価値もなくなったワシを嗤っているんだろう!」
会社を信頼できる後継者へと引き継ぐ。自分の名前の頭から社長という文字が消えた。
日々のプレッシャーから解放され、自由を謳歌できると、こんなに嬉しいことはないとみんなに触れて回った。
それなのに、自分自身がまさかこんな気持ちになるなんて思ってもみなかった。
周囲が家族を作り、子を育て、孫の世話がしんどいと嬉しそうに笑う中で、
自分が持っている唯一の価値あるものを失う衝撃は、思っていたよりもはるかに心を蝕んでいたらしい。

ダンッ!とカフェの机に万札を叩きつけてそれっきり。

このカフスも怒りに任せて1度は包装箱ごとゴミ箱に投げ捨てた。が、翡翠が柔らかく見つめ返してきて考え直したのだった。
嗤われて終わってたまるものか。
その日から、意地になって着続けたスーツはもうすっかりくたびれていて。
あの日の友三は本当にワシをバカにしたんだろうか?と思えるようになっていた。

そう気持ちが落ち着いてから
何度か喫茶店に顔を出してみたものの、友三とうっかり出会えることなく、こんなところまで来てしまった。
「お待たせしました」
黒服がドアをノックして入ってくる。
数日くれと言われてから7日が過ぎていた。
「あぁ。」
ようやく友三の様子がわかる。なにか悪いことをする前のように心臓が早鐘のようにうつ。
「では……」
部屋が見慣れた喫茶店の店内に様変わりする。
「つくづくハイテクだなぁ」
ポカンと口を開けてあたりを見回す。フッと視界の端に影を感じて慌てて身を引く。
喫茶店のいつもの席に座る友三の様子に、かつて馬鹿にされた怒りとも懐かしさともつかぬ感情が沸き起こる。
メニューを指差してなぞりながら注文し、最後に深々と頭を下げる。……変わらないなぁ。
ポケットをガサガサと探してしわくちゃになった万札を取り出す。それをジィッと見つめている内に、ウェイトレスが近づいてコーヒーを目の前におく。
友三は落ち着かない様子でキョロキョロしている。
首を精一杯伸ばして入り口のあたりを見ているのはまさか。
「 」
友三の口が動いて目を伏せる。
「……あれ?これ、音は聞こえないのか?」
黒服に聞く。
「えぇ、こちらの声が届かない代わりに相手の声も届きません」
黒服が頷く。

ふぅふぅふぅふぅと大袈裟なくらいコーヒーを吹き冷ます友三。
「猫舌なんだから、無理せずに最初からアイスコーヒー頼めよ」
そうアドバイスしたのはいつのことだったか。
「好きな温度に変えられるのがいい」
にこにこと言葉が返ってきたっけ。

コーヒーを飲み終わって持参したウェットティッシュで机を拭いく。
お会計の紙をもってレジにペコペコと頭を下げてやり取りをし、
ドアを開けて回れ右をして店員に一礼してから退店する。
向こうからやって来た道を大きく塞ぐカップルを細くなって避け、
風に倒れている路駐してあった自転車を起こす。

様子を見ている内に嘲笑られたと早合点していた自分が恥ずかしくなった。
こんなにも人を気遣って生きる友三が……するわけがなかったのだ。
同時にいつかの話を思い出す。
パワーストーンにハマったのだと普段口数の少ない友三が
珍しく目を輝かせ捲し立てるように聞かせてくれたことを。
翡翠はたしか……
「黒服、パワーストーンの由来の本あるかい?」
友三はやがて小さなアパートについた。
ドアを開けると散らかった部屋が見える。はて、友三は子宝にこそ恵まれなかったけれど、きれい好きの同じ年齢の奥さんがいたはずだが……。仏壇に飾られた60歳くらいの女性の写真を見て理解する。

あぁ、人の年齢を見た目から当てるのは得意ではないが……ワシが友三と喧嘩したのもその年の頃だ。

あの喧嘩別れの日以降会えなかったのは……。
激しい後悔が胸に這い上がってくる。

「これですか?」
黒服が翡翠のページを開いて見せてくれる。
「成功と繁栄」
ワシがあの日まで積み上げた努力を誰よりも評価してくれていたのだ。

引き継いだって創始者としてスーツを着る機会はごまんとあった。
顔を手で覆い、溢れそうになる涙を堪えようとしたが、
あとからあとから出てくるその滴をなかったことにはできない。
変な意地をはって傷つけた過去が無かったことにならないのと同じように。

あっという間に期限が来た。

「お時間です」

黒服がドアを開くと目が痛くなるほどの光がその向こうで待っていた。

大泣きしたのを見られた恥ずかしさから黙ってドアに向かって歩き始める。
思いきって立ち止まり振り替えって聞く。
「黒服、あんた名前は?」

「田中 太郎と申します。」
出会った時と同じように礼をして田中が頭を下げる。
「田中さん、……ありがとうな」
しばらく何を言えばいいか迷ったのち、そう放つ。
「とんでもございません、鈴木史朗様」

背中にその言葉を聞きながら、ドアの外へと一歩を踏み出した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み