小池雪

文字数 2,958文字

 大人がすっぽりとかくれる箱が6つ。
 スーツに眼鏡の男性が一人。40歳くらいだろうか?
 眼鏡の奥で優しく光る瞳が好みだ。
 ボーッとした頭でそんなことを考えていると
 「おはようございます」
 男が話しかけてきた。
 「あのここは??」
 見とれている場合じゃなかった。首をプルプルと振って問いかける。
 「小池 雪様、会いたい人はいますか?」
 男は私の質問など聞こえなかったように続ける。
 「会いたい……んー……」
 本当はここで我が子と答えるのが正当なんだけども。
 「特にはないかなぁ」
 「いきたい場所ややりたいことなどは?」
 「やりたくないことならあるよ。帰りたくない」
 初めてあったこの男に、隠してきた本音をぶちまけたのは、
 この男に敵意が全く見えなかったのと、何がどうなってもいいやという自棄。
 「期限つきではございますが、49日間は私がお世話します。帰りたくないのなら帰らなくても大丈夫ですよ」
 49日、一ヶ月とちょっと?半端だなぁ。
 「なにその半端な日数……というか、私ひょっとして誘拐された?」
 「私は49日間の小池さまの選択をサポートするように言われてるだけです」
 眉尻を下げて困った顔をする男に敵意は感じられない。
 「この場所からもしかして逃げ出せないとか?」
 「いいえ。小池さまが望むことを私にできる範囲でさせていただきます」
 「ならさ、私、帰りたくないけど帰らなきゃいけないの。家に旦那がいるはずだからひとまず子どもがすぐにどうこうはならないんだけど。帰っても平気?」
 「平気ですが、そんなに嫌なのなら、ここから様子をうかがうだけにしてみますか?」
 男が提案する。
 「んー…んー…まぁ旦那は盆休みでしばらくいるし。ってか見れるの?」
 「はい。ご自宅の様子でしたらすぐにでも見られます」
 「なにそれ?お兄さんもしかして私のストーカーとか?」
 「いいえ」
 きっぱりと男が首をふる。
 同時に部屋の風景が自宅のそれに変わる。
 ちょうど男と自分の間に息子が立っている。
 「立体映像!?プロジェクションマッピングだっけ?」
 遊園地のような演出に思わずテンションが上がる。
 息子は私の方を向いて茶碗を掲げている。
 「はいはい」反射的に茶碗を受け取ろうとした手はしかしすり抜けてしまう。
 ワンテンポ遅れてゴツい手がその茶碗を受け取る。
 どうやら旦那の写し出されているところにぴったりと私が重なってしまっていたようだ。
 3歩ほど脇にずれてその様子を見る。
 息子がなにか言うと旦那がビール腹をユサユサと揺らして笑う。
 「……はぁ」
 本来ならここで、ほほえましく思うのが母親というもののはずなのに。
 胸に広がるのはただひたすらに
 「自分がお世話をしなくていい」安心感。

 「私ってさ、多分無いんだよ。母性本能」
 見ず知らずの男にこんなこと話すなんて血迷っている……と制する理性を
 「今しかただの小池雪として話せるチャンスないんじゃない?」と、悪魔が押し込める。
 「微笑ましいって思うはずじゃん?」
 写し出される立体映像を指差して男に問う。
 「私に、子供はいたことないのでどうでしょうか?いえ、嫌いなわけではないのですが」
 私の問いかけを肯定も否定もしない返しに安心して続けてしまう。
 「世間的にさ、自分の命よりも子どもの命!!な風潮ない?母親って。いい母親って」
 「いい母親ってなんでしょうねぇ?」
 「少なくとも今、こんな風に離れてるのに子どもの心配さえしないような人間の対局にいるのは確実だよね」
 自嘲ぎみにいい放つ。
 「いい親のマニュアルを必死に読んで演じてるんだけどさぁ。なんかこれって周りを騙してるみたいで居心地悪い」
 男がなにも答えないのをいいことにどんどんと続ける。
 「今私の気持ちにあるのはひたすらに自由だ!!って充実感だよ」
 たまっていた鬱憤を発散するかのようにひたすらに話しかける。
 映像は子どもの寝顔になっていた。
 「寝顔はね……うーん、かわいい?部類に入らないとは言い切れないけど、
 世のお母さんみたいに寝顔は天使ー!までの気持ちにはならなくてね」
 目の前で息子と旦那の1日のサイクルが何度か流れる間ひたすら男に愚痴を聞かせる。ただ黙ってそれを聞いてくれるのが心地よかった。
 「15日が過ぎました」ふと男が漏らす。
 「えっ!?」そろそろ帰らなくては子供を見る人が誰もいなくなってしまう。
 話すのに夢中で映像を注視するのを忘れていた。
 息子が夫の母親と楽しそうに遊んでいる。
 「あぁ、帰らなくても問題ないわね」
 鼻で笑って映像から目をそらす。
 なぜだか胸が痛んだ。
 散々子供から逃げたいと男に話してたのは自分なのに。

 「もう、いいわ」
 映像を消してもらう。
 「ドラマとかをこの技術で再現できる?」
 男にたずねる。
 「20日ごろにはご用意できます」
 「じゃあ漫画とか、ゲームとか」
 49日まではとりあえず保証されているのなら、なにも見ずに過ごすのもまたいいじゃないか。
 「どうぞ」
 スマホよりも数回り大きな電子機器を渡される。ポチポチと適当にアイコンを押して操作を確認する。
 「あぁ!!読みたかったやつ!!」
 たくさん並ぶ作品の群れに先程までの胸の痛みをすっかり忘れ熱中する。

 「20日です。ドラマの準備ができました」男の声で我にかえる。
 お気に入りの俳優が出てくる恋愛ドラマを再生してもらって自分がヒロインのたち位置に立つ。
 「30日です」
 そろそろイケメンとの夢の世界も飽きてきた頃男が言った。
 「家、どうなってんの?」
 義務ではなく素直にそう言葉が出た。
 一人で遊んでしまった罪悪感で押し潰されそうだ。

 それまでイケメンが並んでいたところに息子が写し出される。買った覚えのない洋服を着ている。旦那の母親が買い与えたのだろう。
 「ねぇ、私ってなんのために存在してるんだろうね?」
 青春時代にとっくに通りすぎたはずの問いかけを男にする。
 「……ほしい答えが決まっているように思いますが?」
 しばらく考えてから男が答える。
 「そうだねぇ。……必要とされたいんだよ。子供って親を必要とするけどさ、なんていうの?代替がないから必要って言われてるだけで、別に私じゃなくても衣食住整えて、話を聞いてやる存在がいれば小池雪って、個人じゃなくてもいいんじゃないかって気持ちになる」
 なんだか恥ずかしいぞ。そっと男の反応をみたが黙って聞いているだけで。
 「でも、例えば小池雪の興味関心全部!全部ちょうだい!!あなたじゃなきゃダメなの!!みたいなのも息苦しくて」
 「難儀ですねぇ」そう、まっすぐ私をみて男が言う。
 「難儀よ……」
 そうしてまた、目をそらす日々が続いて。
 「49日です」男が言い、ドアが開く。
 目に突き刺さる光の先に自宅があるのだと覚悟を決めた目で、一歩を踏み出す。
 「いろいろ言ったけどね……やっぱ帰るべきは家しかないと思うんだわ」
 ヒラヒラと顔の横で手を振って小池雪が通りすぎたドアが閉まる。
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